パン聖女、誕生 1
この国の聖女は、一風毛色が変わっていた。
そもそもが聖女などといいつつ男性が選ばれることもあるし、年齢もさまざまだ。幼子の時もあれば、よぼよぼの老人だったり。
その聖力を発動する方法も、実にバラエティに富んでいた。
ある年老いた農夫が選ばれた時には、鍬を振るう時に。
小さな劇団で歌い手をしていた者は、高らかに歌を歌いながら。
はたまたなぜか生後四ヶ月の赤ん坊が選ばれた時には、お腹がすいたと泣き声を上げる度に聖力が放たれた。
中にはなかなかに気の毒な例もある。
ある可憐な美少女が聖女として選ばれた際には、「キィエエエェェェェッ!」とか「イヒェアアアァァァッ!」などという寄声を発しないと力を一切使えなかったとか。
よりにもよってなぜうら若い美少女が、となんとも微妙な気持ちになる。
だから聖女が選ばれた折には、こんな会話が発生したりするのだ。
「今度の聖女は、よぼよぼの婆さんらしいぞ……。大丈夫なのか……? すぐポックリいっちまったらこの国は……」
「赤ん坊よりはまだましなんじゃねぇか? 少なくともちゃんと意思の疎通はできるしさ……」
「でも、もしボケてたら……?」
「……」
「そ、それに……聖力の発動方法によっちゃ、えらいことに……」
「えらいこと?」
「ほら、何代か前の聖女にいただろう? ひたすら裸踊りをしないと聖力を使えないとかいう熊みたいな大男が……。もしそんなだったら……」
「……」
「あぁ……。なんでこの国の聖女は、他の国みたいに普通じゃないんだろ」
「ほんと、なんでだろ……」
と、選ばれた者によっては少々物議を醸したりもするのだった。
ともかくもご神託によって選ばれた聖女には、大切な役割があった。
なぜかこの国には、一定の時間を置いてどこからともなく自然発生的に魔物たちが現れる。
その退治こそが、聖女のもっとも大きな責務だった。
そして今、国のあちこちでどこからともなく魔物たちがはびこりはじめていた。
よってまさに今、それらを討たんとする今代の聖女の神託が下りようとしていた。
「皆の者! 今まさにご神託が下りた! 今代の聖女は……」
神からの声を聞いた神官の凛とした声が、謁見室に響きわたった。
下された神託を聞き、すぐさま国王は使者を出した。神に選ばれし今代の聖女、城下の外れにあるパン屋の娘シェイラをすぐさま王城へと迎え入れるように、と――。
いよいよ今代の聖女が選ばれたと聞いた国中の民は、歓喜に沸いていた。
これで魔物たちの襲撃を恐れることなく、またもとの平穏な暮らしが送れるようになる。ほんの数ヶ月、長くても半年ほどで聖女の力で魔物たちが一掃されるのが常だったから。
「ついに……ついに聖女様が現れたぞーっ!」
「やったあぁぁぁっ! これで国は救われるっ」
「それに今度の聖女は、ごく普通の少女らしいっ。ようしっ!」
「これでもう魔物の襲撃に怯えなくて済むっ! 恐怖から解放されるんだぁっ! 救いの聖女ばんざーいっ」
民が歓喜に沸く中、今代の聖女として選ばれたパン屋の娘シェイラがすぐさま王城へと呼ばれた。
当然のことながら、ご神託なのだから拒否権はない。
「シェイラよ。そなたが今代の聖女だ。神がそなたを選んだのだ」
「は……、はぁ……。でも私……」
玉座から見下ろす国王の言葉に、シェイラはぶるぶると体を震わせながら曖昧に言葉を返した。
謁見室には選ばれし聖女を見ようと大臣たちをはじめ、名のある貴族たちが勢ぞろいしていた。
その者たちから注がれる熱い視線に、シェイラは今にも卒倒寸前だった。
城下の外れで細々と家族とともにパン屋を営むシェイラは、今年十七才になったばかり。
当然のことながら、こうして人々の注目を浴びた経験などあるはずもなかった。
にもかかわらず急にご神託により聖女に選ばれたと聞かされ、こうして謁見室に引っ張り出されたのだ。
(ど……どうしよう。私が聖女なんて、そんなわけ……。私が国を救うなんて絶対に無理……! できっこない)
スカートをぎゅっと握りしめ、今すぐにこの場から逃げ出したい気持ちと戦っていた。
シェイラは、どこからどう見ても平凡な少女だった。
庶民らしい慎ましやかなワンピースに白いエプロン姿、髪を後頭部に高くまとめリボンできゅっと結んでいる。
他にはこれといって目立つ特徴もなく、丸くパッチリとした目が愛嬌があると言えなくもない。
それなのに一体なぜ自分が聖女なんかに、と混乱するばかりだった。
けれどご神託は絶対だ。シェイラの困惑などよそに、あれよあれよという間に聖女としての手続きが進められた。
シェイラに神官が告げた。
「さぁ、聖女シェイラ様っ。存分に力をお奮いくださいっ!」
ずらりと居並ぶ観衆の期待に満ちた眼差しに、シェイラは顔を引きつらせた。
(そ、そんなこと言われても一体どうしたら……。聖力なんてどうやって出したらいいの?)
聖力は神から与えられるもの。黙っていても力の使い方はわかると神官に説明されてはいた。
けれど突然ピカピカの王宮に連れてこられて、おいそれと聖力なんてわけのわからないものを出せるはずがない。
もはやシェイラは限界に達していた。
ぶるぶると震える両手をぎゅっと握り合わせ、じわりと涙を浮かべたその時――。
「……君、シェイラ。怖がらなくても大丈夫」
目の前にひとりの若い男性が近づいてきて、声をかけた。
涙をにじませながら、シェイラはその男を見上げた。
「でも……」
宝石みたいにきれいな薄緑色の目をした、優しそうな人だった。
「……大丈夫。君ならきっとうまくできるはずだ」
あたたかみのある声に、ぱちくりと目を瞬いた。
「なんでそんなこと……?」
涙でにじんだ両目には、その声の持ち主の姿はよく見えない。せいぜい、自分とそうは変わらない年頃の男性であるということくらい。
王宮の謁見室にいるくらいだから、お偉い貴族様には違いないんだろうけど。
(なんでこの人、こんなにきっぱり断言できるの? 私のこと、何にも知りもしないのに……)
何の取り柄もないただのパン屋の娘に、一体何ができるというのか。
聖力が自分にあるのかどうかだってさっぱりわからないのに、その使い方なんて知るはずがない。
絶対に無理だ。自分が聖女だなんて何かの間違いに決まってる。そう言い返そうと思った。
でも、こちらを気遣うようなあたたかい声とぼんやりとしたシルエットが、なんともやわらかくてあたたかくて。不思議と心が軽くなり、すっと体から余計な力が抜けた。
とその瞬間、頭の中にビビビッと何かが突き抜けた。
「あ……!」
「……どうした!?」
「今、なんとなくわかった気がしますっ! 今すぐここに……小麦粉を持ってきてくださいっ!」
「は⁉ 小麦粉? なぜだっ?」
「わかりませんっ! でも今無性にパンをこねたくなったんです! ですから今すぐここに、小麦粉とイーストとお水と塩をっ」
不思議なことに、青年の一言で何かスイッチが入ったらしい。聖力を発揮するスイッチが。
シェイラのその言葉に、取り急ぎパンをこねるための台と材料がそろえられた。そして。
まぜまぜまぜまぜ……。
こねこねこねこね……。
ポスンッ!
こねこねこねこねこねこね……。
ペチンッ! ドシンッ!
観衆が見守る中、シェイラは突然聖力に目覚めた。きっとできると声をかけてくれた、ひとりの青年によって――。
そして、文字通り取り憑かれたように無心に小麦粉をこねはじめたのだった。