5話 伝言
「ザジ、一つきいていいか?」
ライオン頭をみつめながらたずねる。
「いいとも。」
なんだかうれしそうなザジ。
「フレディはザジと契約したのか。」
思い切ってたずねる。
「そうだ。フレディがまだ何者でもなかったときに、オレ様は奴の魂の渇望に魅かれ契約したよ。」
さも当たり前のように答えるザジ。
「てことは、“もう一つの条件”もフレディはのんだってことか?」
オレは気づかないうちに前のめりになっていた。
「むろんだ。」
素っ気ない返事のザジ。
「“もう一つの条件”知りたいか?」
オレの表情をまじまじと見つめながらザジがたずねてきた。
黙って首をたてにふるオレ。
「本当は、“もう一つの条件”を本人以外に知らせることはタブー(禁忌)なんだがな。今回は特別だ。フレディからの許可をもらっているからな。」
いきなりの爆弾発言。
フレディからの許可をもらってる?
どういうことだ?
「言葉通りの意味だよ。」
優し気にこたえるザジ。
「フレディは、お前さんに“もう一つの条件”を教えてもいいと言ってくれているんだよ。」
突然オレの目から涙があふれだした。
涙腺が崩壊したかのように、あとからあとからあふれ出る。
そんなオレを見つめながらザジが静かにその条件を教えてくれた。
「オレ様がフレディに出した“もう一つの条件”は、“名前をすてる”だ。」
オレの頭から体にかけて、何かの衝撃が走った。
雷に打たれたようなビリビリとした感覚と痺れ。
そうだ。フレディはQUEENとして活動を始めた時期に、“ファルーク・バルサラ”から“フレディ・マーキュリー”に改名していた。
それは単なる改名ではなく、家族や生い立ちなど自身のアイデンティティとの決別でもあった。
「そうだよ。移民だったフレディにとって、自身の名前は、“ファルーク・バルサラ”はアイデンティティそのものだった。だが奴はそれを手放した。」
決然と言い放つザジ。
「オレは…」
それ以上言葉は出てこなかった。
涙も止まる。
何かにせき止められたように、声が、思いが胸の奥から出てこない。
「伊蔵。お前さんはオレ様と契約してから、何かを手放そうとしたか?”」
ザジの問いかけが胸に突き刺さる。
「それは…」
悔しさと情けなさに唇を噛む。
「フレディからの伝言だ。“何かを手放さなければ、新しい何かを手に入れることはできない”。ちゃんと伝えたぞ。」
それだけ言うとザジは黙り込んだ。もう自分の用事は済んだとばかりに。
フレディからの伝言はわかった。確かにオレは契約してからの一か月間何もしてこなかった。
でもそれは、お前が「もてさせてやる」と約束してくれていたから…
「伊蔵。お前さんはまた勘違いしているようだな。」
あきれた様子でこちらを見てくる。
何の勘違いだ。お前はたしかに『もてさせてやる』って言ってたじゃないか…
頭が混乱してきた。
「いいか。オレ様がお前さんと約束したのは“お前の願いがかなうように助けてやる”だ。」
そんな…。
詐欺じゃねえか…。
「この期に及んでまだそんなこと言ってるのか。なんのためにフレディが、オレ様にメッセージを託したのか、その意味を考えてみろ。」
ザジは本当にあきれた様子でオレに語りかける。
フレディがオレに手放せと言っている…
何を…?
いや、本当は知っている。
知っていてずっと目をそらしてきたんだ。
「くそぉ...」
口の中に鉄の味が広がる。
「お前さん、唇から血が流れ出してるぞ。」
心配されているのか、同情されているのか、とにかくその一言にオレの決意が固まる。
「わかった。手放すよ。」
唇についた血を手の甲でぬぐいながら答える。
次の瞬間。
今までオレの胸の奥をふさいでいた何かがはじけ飛ぶ。
「今お前さんの魂を覆っていた帳が取り払われた。魂がむき出しになっている状態だな。どんな気分だ?」
なんだその軽い感じは。
でも不思議とイラっとすることはない。
むしろ心地いいくらいだ。
「ずっとオレの周りにあったモヤモヤがなくなった感じかな。なにもかもがクリアーになった感じもする。余分のものがはがれ落ちたような…」
それ以上は言葉にできなかった。
また涙があふれ出てきたからだ。
今度の涙は止まらなかった。
オレの中にあった不純物が涙と一緒に流れでる。
そんな感じだった。
「伊蔵。一度しか言わないからよく聴いておけ。
人の見た目なんていくらでもごまかせる。
見た目の輝きはしょせんまがい物だ。
いつか輝きを失う。フレディは見た目の輝きで人々を魅了したのか?
否だ。
魂の輝きが、あふれ出る魂の叫びが人々の心を魅了した。
違うか。
“己の魂を磨け”。
オレ様は、お前が磨き上げた魂を至高の輝きを放つ宝石になるようカッティングしてやる。」
ザジはそれだけ告げるとまた姿を消した。
ザジの消えたうしろからフレディのポスターが姿をあらわす。
フレディはマイクを片手に拳を天に突き上げていた。
オレは、何かに抗うように、そして語りかけてくるようなフレディのその姿から、目をそらすことができなかった。