44話 召喚
四月の初めから新しいアルバイトを始めて15日が過ぎようとしていた。
しかし、慣れるどころかイライラは募るばかりだった。
年下の店長からは偉そうにされ、中学生に毛がはえた程度のガキどもには指図される日々。
どこで間違えたんだ…!?
気がつくと自問自答していた。
男の名は馬場三郎、48歳。
村田事件と呼ばれたいじめ問題隠蔽の責任をとらされる形で懲戒免職処分になってから、彼の生活は一変していた。
その最たるものが妻との別居だろう。
それまで奴隷の如く従順だった妻から突きつけられた離婚届。
別居という形でなんとか離婚は回避したものの、彼のプライドはいたく傷つけられていた。
そして、そんな妻から数ヶ月ぶりにメッセージが届いていた。
『大切な話があるから来てほしい。』
たった一行の短いメッセージだったが、くるべき時がきたかと腹をくくり、妻が住んでいるアパートに向かっていた。
バスを乗り継ぎ、アパートに到着した時には太陽は西の空に傾き始めていた。
何度呼び鈴を鳴らしても反応がないことに違和感を感じた彼は、そのまま部屋に上がりこむも、予想だにしなかった光景を目にして言葉を失ってしまう。
そこには、縛られ、ガムテープで口をふさがれた妻と見知らぬ男が床に座らされていた。
「遅刻だよ、馬場ちゃん。」
「お前は…」
二人の横から影のように現れたのは拳銃を手にした村田だった。
「なんでお前がここにいる…?」
「何でって、オレがあんたを呼んだからに決まってるじゃん。」
「お前がオレを呼んだ!?」
「そう。そもそも奥さんが、あんたなんかにメッセージ送る訳ないでしょ。」
「てめぇ…!!」
「おっと、それ以上動いたら撃っちゃうよ。」
「そんなモデルガンでオレがビビるとでも…」
パシュンッ!!
そんなやりとりの中突如聞こえたくぐもった銃声。
サイレンサーをつけた銃口の先は、見知らぬ男の太ももに向けられていた。
苦痛に顔を歪める男の足からはあふれるように血が流れ出している。
「馬場ちゃんの奥さん、この人と付き合ってるらしいよ。」
銃口の先から流れ出る白い煙を見つめながら村田が話しかける。
「はあぁ!?お前、自分のしたことがわかってるのか!?」
「あれ馬場ちゃん、そんなこと言う?この人奥さんと浮気してたんだよ。ムカつかないの!?」
「たとえそうだとしても、お前には関係ない!」
「たしかに。でも、正直いい気味だと思ってるでしょ?」
図星だった。自分なら男の脳天に弾をぶちこんでいる。そう思いつつも、村田の挑発の意図がわからない限り、容易に迎合することはできない。
そんな馬場の様子をみて何かを察したのか、村田が口を開く。
「ねぇ、誰のせいでこんな状況になってるか分かってる?」
「オレのせいだとでも言いたいのか・・・?」
「いや、違う。全部オレのせい。だからこそきいてほしいんだよ。」
「何を…!?」
「単刀直入に言うと、オレの仲間にならないかっていうこと。」
「どういうことだ…!?」
「オレさ、ある力を手に入れたんだよ。」
「ある力…?」
「口で言っても信じられないだろうから、今からやってみせるわ。」
村田はそう言うと、拳銃を持っていない左手を開いて見せた。その手のひらの上には一欠けらの黒い塊が乗っている。
「クリエイト《創造》」
村田が小さく呟くやいなや、手のひらが真っ黒に変色し、その上に小さな魔法陣が現れた。そしてそれは明滅を繰り返し、黒い塊をひかり輝く宝石に変えていく…
「これは…!?」
「黒鉛をダイヤモンドに変えてみた。材料があって原理さえ分かれば、オレは何でもクリエイト《創造》することができるんだわ。」
「そんなこと・・・」
「可能なんだよ。悪魔の力を手に入れたらね。」
「じゃあ、その拳銃も…?」
「そう。リボルバーは構造がシンプルだから、つくりやすいんだよな。」
まるで自分のお気に入りのおもちゃをほめられた子どものような表情で拳銃を見つめる村田。
「オレがそんな子ども騙しを信じるとでも思ってるのか。どうせ手品か何かの類いだろう。」
「そう思うよな…やっぱり。さすが馬場ちゃん、疑い深い。実はそう言うと思ってさぁ、もう一つ用意してあるんだわ。」
村田はそう言うと、左手をパーカーのポケットに突っ込み何かを取り出した。
それはずっしりと重そうな、ちょうど手のひらにおさまるくらいの大きさの鈍色をした鉄の塊だった。
「クリエイト《創造》。」
村田の真っ黒な手のひらに再び魔方陣がうかびあがる。そして魔方陣の明滅と共に、鉄の塊が姿を変えていく…
数十秒後…
手のひらにはもう一丁の拳銃が握られていた。
「コルト・ディクティブ・スペシャル。このコンパクトさから、スパイ御用達の名銃だよ。」
村田はそう説明すると、コルトの銃口を馬場に向ける。
「それ、弾入ってないだろう。」
冷静に指摘する馬場。その目は好奇の色をにじませている。
「正解。でも、これでオレの話信じてくれたでしょ?」
銃口をおろした村田がうれしそうにたずねる。
「まあな。もしオレがお前の仲間になったら、オレもその悪魔の力を使えるということか・・・?」
「いや、逆だよ。まず悪魔と契約することが先。もし馬場ちゃんが悪魔と契約できたら、晴れてオレの仲間になれるし、もちろん力も使える。」
「で、その悪魔と契約するにはどうしたらいいんだ?」
「おっ、その気になってきたね。簡単だよ。誰かを生贄にして悪魔を召喚すればいい。」
「生贄は誰でもいいのか?」
「まあね。ただ、より強力な悪魔を召喚したいなら、身内を生贄にするといいらしいけど…」
村田はそこまで説明すると縛られた二人に視線を移した。
「オレにこの二人を生贄にしろと…」
視線を泳がせながら馬場が独り言のように呟く。
そして、泳いだ視線の先は恐怖で顔を引きつらせた妻と苦悶に顔を歪ませた男に行き着く。
男を生贄にすることには何の躊躇も感じないが、妻を生贄にすることには後ろ髪をひかれている自分に戸惑いを覚える馬場。
そんな馬場を諭すように村田が語り始める。
「馬場ちゃん。織田信長やアドルフ・ヒトラー…。歴史に名前を残してきた人物たちはほぼ例外なく悪魔と契約してきた。そして、その圧倒的な力をもってして、世界を変えてきたんだ。馬場ちゃん、これは必然なんだよ。あんたは力を欲している。そして、あんたのその欲望を満たしてくれる方法と生贄が目の前にある。」
村田の言葉はまさに悪魔の囁きだった。馬場は改めて思いだしていた。自分の本性を…。
人を押さえつけ、踏みつけ、服従させることに無情の喜びを感じる嗜虐性。その一方で自分より強い相手には歯向かうことのできない惰弱性。この両極端な本性は、時に制御不能な狂暴性を伴って己の魂を苛み続けた。
しかし、それも今日で終わりにできる…?
もしもオレが力を手に入れたら、このクソみたいな状況を打破して、オレをこけにした奴らを蹂躙できる…!?
そうだ。
オレこそ被害者じゃないか。
何を躊躇する必要がある!
目の前のこいつらこそ、オレを馬鹿にし裏切った奴らじゃないか…
そこまで考えた馬場は決意を固める。
「この二人を生贄にしたら本当に悪魔を召喚できるんだろうな…」
馬場が狂気を宿した目でたずねる。
「もちろん。なんなら今から召喚してみせるけど?」
「召喚してくれ。」
馬場のその決意を聞いた村田は、悪魔的な笑みをうかべて何かを呟きはじめた。
「…エリ エリ アズヴァノモス 我は汝の前に生贄の子羊を用意せり。然らば我の呼びかけに応え逆さの五芒星にてその身を現したまえ。」
村田の詠唱が終わるやいなや、縛られた二人の下に逆五芒星の召喚陣が輝きだす。
その輝きに包まれた二人は、魂を抜かれたようにその場に倒れこむ。
そして二人の上に鎮座するように異形の悪魔が姿を現した。
牡山羊の頭部に黒色の剛毛に覆われた身体。その左手にはフランキスカ(戦斧)が握られいる。
『わが名はアズヴァノモス。破壊と殺戮を司る悪魔にして魔界の騎士である。』
アズヴァノモスと名のる悪魔の禍々しさに圧倒され、返す言葉を見つけられない馬場。
「馬場ちゃん、とりあえず名のりなよ。」
そんな馬場に近寄ると小声で耳打ちする村田。
「オ、オレは馬場三郎だ…」
村田に声をかけられて我に返った馬場が上ずった声で名のりを返す。
『馬場とやら、お主の望みはなんだ?』
地からわいて出るような低い声でアズヴァノモスたずねる。
「オレは力がほしい。オレに逆らう奴らを蹂躙することのできる力が…。」
『フフフ、蹂躙か…。気に入った。お主の望みをかなえよう。我の手を握れば契約成立だ。ただし、一度結んだ契約は破棄することはできない。これ以後お主は悪魔の眷属として生きることになるが、それでよければ我の手を握るがよい。』
アズヴァノモスはそう告げると、右手をさしだしてきた。
馬場は躊躇することなく、その手を握り返す。
次の瞬間アズヴァノモスは、馬場の右手に吸い込まれるようにして姿を消した。
馬場が糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちると同時に召喚陣も消失する。
部屋の中にしばしの静寂が訪れたと思いきや、かすかなざわめきが聞こえはじめる。
「おい、お前ら。掃除の時間だ。」
倒れこんだ馬場を抱きかかえながら村田が声をかける。
そして現れた大小様々な黒い影たち。
屍魚と呼ばれる魔物は、真っ黒な鱗と鋭い歯を光らせ、二つの死骸目指して空中を泳ぐように移動しはじめる。
クチャクチャ…
ピチャピチャ…
夕日に染まる室内では、肉を咀嚼する音と床に溢れた血をなめとる音が二重奏のように聞こえるだけだった。
その様子を無表情に見つめる村田。
彼にとってこの景色は、もはや見慣れた日常の一場面でしかなかった。




