19話 後ろ姿
オレはシャワーを浴びた後、濡れた髪をタオルでふきながらラウンジに向かった。
ラウンジはジムと温水プールに挟まれた場所にあって、待ち合わせをしたり、軽食をとることができた。
ラウンジに入るとタケさんがソファーにすわって何かを飲んでいた。
「おー、こっち、こっち。」
タケさんが手をふってオレを呼ぶ。
「タケさん、なに飲んでるんですか?」
「伊蔵君も飲むか?スペシャルドリンク。」
うれしそうに、黄色い液体の入ったペットボトルをすすめてきた。
「いや、あの、うれしいんですけど、オレ自分のドリンクもってるんで…」
遠回しに断るオレ。気分を害していないか心配だ…
「そうか。やっぱりトレーニング終わりはプロテイン入りのスペシャルドリンクじゃないとな。」
そんなオレの心配をよそにドリンクを一気飲みするタケさん。
「ですよね。」
オレはかばんからペットボトルを取り出しながら答える。
「ところで、君に渡しておきたいものがあるんだ。」
タケさんは手の甲で口をふくと、スポーツバッグから一冊のノートを取り出した。
「ここに、君のためのトレーニングメニューを書いておいた。もしよかったら活用しておくれ。」
そう言うと、オレにノートを手渡すタケさん。
ペットボトルをテーブルの上において、ノートをパラパラとめくってみる。
たくさんのイラストや切り抜き。そこに記された矢印とメモ。そして具体的な数字や回数をまとめた表。オレの目はノートにくぎ付けになる。
「こんなすごいもの、もらっていいですか…」
声がふるえる。
「ああ。もちろんだ。」
笑顔のタケさん。
「でも、どうして…」
「実はな、明日北海道にある嫁の実家に引っ越すんだよ。」
「明日ですか。」
思わずきき返していた。
「この歳になると色々あってな…」
「色々ですか…」
「ああ、色々だ。」
空になったペットボトルを飲もうとして、恥ずかしそうにはにかむタケさん。
「なんでオレなんかに、そこまでしてくれるんですか?」
ノートをめくりながらたずねる。
「さあ、何でだろうなぁ…」
ペットボトルをバッグにしまいながら独り言ちるタケさん。
「強いて言えば、伊蔵君の何かが気になるからだろうな。」
「なにか、ですか…」
「そう何かだ。例えるなら、君と接していると時々、さなぎが羽化する瞬間に立ち会っているような感覚になることがあるんだよ。」
「オレが羽化するんですか?」
「いや、例えだよ。でも私は、君の中にある何かが、輝いて見える瞬間があるんだ。」
オレのノートをめくる手が止まる。
オレの中の何が輝いているんだ…?
「伊蔵君。君は、ひまわりは好きかい?」
突然の質問に思考が中断する。
「ひまわりはバラになることができると思うかい?」
タケさん何を言ってるんだ…
そんなの決まってるじゃないか。
「なれないです。」
「どうして?」
「“ひまわり”は“ひまわり”だからです。」
「そうなんだ。今から言うことは老婆心からだと思ってきいてほしい。」
オレはタケさんの真剣な口調に顔を上げていた。
厳しさの中に優しさをつつみこんだタケさんの目がオレを見つめる。
「“伊蔵君”は“伊蔵君”だ。他の誰にもなれない。君はただ“伊蔵君”であることを自覚して、“伊蔵君”であり続ければいい。」
「“オレ”が“オレ”であり続ければいいってことですか?」
「そうだ。周りがどうあろうと、自分を見極め、受け止め、自分であり続けるんだ。」
(それが魂をみがき、輝かせるっす。)
スラ…
(っていうか、おいらの存在をすっかり忘れていたっすね。)
なぜか少し切れ気味だ。
(タケさんは、伊蔵さんの魂の輝きに気づいているっす。)
そうなのか。
(そうっす!)
やっぱりタケさんはすごい人だ。
オレはこの人になにをかえせばいいんだ…
その時、タケさんのバッグからスマホの呼び出し音が聞こえてきた。
「すまん。」
そう言うと、スマホを取り出し誰かと話し始める。
オレはペットボトルを手に取ると、ふたをあけ一口飲む。
「伊蔵君。話が途中になって申し訳ないが、妻が駐車場まで迎えにきてしまっているんだ。
年寄りのたわごとに聞こえたかもしれないが、さっき言ったことは私の本心だ。もう会えないかもしれないが、私は君の成長を心からねがっているよ。」
タケさんはそう言うと右手を差し出してきた。
オレも右手を差し出して握手をかわす。
力強い、それでいて暖かいタケさんの手。
オレの手にしびれるような感覚を残してタケさんが去っていく。
オレはいつまでもその後姿を見送っていた。




