祈り
秋口のすごしやすい土曜の午後、わたしと彼とは細長い軒下の、黒くて四角い椅子に腰をかけた。
黒くて丸いテーブルの上の、白くて丸いお皿の上の、白くて丸いカップのなかの、黒くて茶色い液体はほんのりと湯気をたてている。
ゆっくり顔をちかづけるとなまあたたかい湿気が鼻先をなでた。
わたしは香り立つその匂いにほほえみながら、取っ手をつまんでひとくち啜り、ほっとひと息ついたのちもうひとくち啜り、それをお皿へもどした途端に、中身がふわりと岸へ打ちよせて、こぼれてしまうと焦ったのもつかの間、みるみるうちに杞憂であったことがおだやかに静まりゆく黒い茶色い波によって知られ、きらきらと表面に白くゆらめくさざ波にしばしうっとりして、ゆっくりと顔を俊幸にむけた。
俊幸は椅子に背をもたせたまま、白シャツにつつまれた腕をくむようにしながら、片手の手首にもう片方のひじをのせ、そのさきの親指と人差し指であごをつまんでいる。なめらかな頬のとなりで、それほど長くないもみあげがふわりと浮いて、毛先にむかうにつれて肌へとちかづいてゆく。
きっとうっすらほほえんでいるわたしの顔をみつめるでもなく、かといって香り高い珈琲に目をうばわれるでもなく、その中間をぼんやりとも、じっとともつかない表情で見つめるともなく見つめていると思うまもなく、わたしはふいにむずむずしだして、とっさにからだを横にねじりながら、片手のてのひらをテーブルに置き、ひんやりとした心地をおぼえたまま、
「どうしたの、考えごと?」
ほんのり高くなる自分の声音を意識しつつ、つとめておだやかに訊ねると、一つ年下の彼は光の加減で茶色くみえる切れ長の瞳をすうっとあげながら、指先をたたんで握り拳をつくる。
「まあ、そうだね」
と年下らしくはないけれど男らしくはある静かな落ち着いた声をきかせるかと思うと、金槌のように拳固を打ちふりつつ、
「いや、ていうか」とつぶやいて目をそらしながら二三度まばたきする。
きっと手入れさえしてないのに、きりりとした薄い眉の下の繊細なまぶたにやわらかな影がさすのをみとめて、楽しみかけたところへ、俊幸は座ったままそっと身を乗りだし、黒いテーブルに拳骨とは逆のひじをのせて白いシャツで頬杖をつきながら、ほんのり癖のある下ろした前髪のもと殊更やさしく端整にしあがった瞳で、わたしを静かにみつめた。それからにっとかすかに微笑みながら姿勢をもどして、
「未菜のことなんだけど」と至って真剣なまなざしで言うそばから、すぐさまたくらみの成分が目もとに浮かぶ。
からかわれているにちがいないけれど、言われてわたしはにんまりとしたものが頬の裏にせり上がって来るのを、抑えようとして抑えきれぬままに口もとがほころぶのにまかせながら、ふっとほほえみ、ちょっとだけ睨みつけ、それから横をむくと、店内はわたしたちとおなじく幸せそうな二人連ればかり。
わたしは向きなおりながら彼と目を合わせつつぎゅっと手を握りあわせて、あごをその上にくっつけて、目をつぶってすこしのあいだそっと祈った。
自分のため、誰かのためにしみじみと祈って静かに目をあけると、俊幸はそれに気づいて口もとにあてていた丸めた拳をおろしながら、その手でカップの取っ手をつまみ、わたしといっしょの香り高い珈琲をゆっくりと啜った。
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