騎士団長の強敵
首都に到着した笠帽子団の怪我人たちは、直ちに騎士団病院に収容された。
「未知の毒はなかったそうだから、心配するな」
ヴァントは、休みを取って見舞いに駆けつけたドナーレンの手を握る。
「握力が落ちてるわね」
ドナーレンは鼻声になって、ヴァントの骨ばった手をそっと両手で挟んだ。
「解毒剤の副作用だ。完全に毒が抜けてリハビリをすればすぐ戻るさ」
心配されて、ヴァントは嬉しそうに声を弾ませた。団長なので1人部屋である。もしも大部屋でそんな様子を見せていたら、忽ち噂になっていたことだろう。
笊帽子団の回復は驚異的で、すぐに職務を再開した。
「ドナーレン、頼んだものはどうなってる?」
小雪がちらつく冬の初め、魔法兵団の魔法技術研究所にヴァント団長が訪ねて来た。
「試作品できたところ。実験見てく?」
ドナーレンは、細身の魔法兵団制服を着て、何かを背中に背負っていた。亜麻色の髪には埃がついていた。ヴァントは何気なく埃を摘み上げる。
「ついてた」
「ありがと」
その様子があまりにも自然で、魔法兵団の同僚たちはやや敵意を持った。
「ドナー!手伝いに参りましたわよー」
夕焼け色の巻毛を大雑把に束ねた、長身の女性が入って来た。生き生きとしたエメラルドの瞳を縁取るまつ毛は、くるりと巻いて愛嬌を添えていた。スタイル抜群の身体を、小粋に着崩した紺色の制服で飾る。その姿は見る人の目に焼き付く。
「ん?こちらは?」
口元に笑みを浮かべ、女性は真っ直ぐにヴァントを見た。さっとヴァントの全身に視線を走らせると、意味ありげな流し目を送った。
「ヴェーレンヴァルヌング第三飛行騎士団長よ。真水製造撒布装置の発注者さん」
ドナーレンは淡々と紹介する。
「まあ、あなたが。お噂はかねがね。シャルロッテ・フリュストックです。よろしく、ヴェーレンヴァルヌング第三飛行騎士団長」
絶妙な弧を描いて、シャルロッテの唇が赤く艶めく。
「今日は試作品の実験をご観にいらしたんですか?」
すすっとシャルロッテが前に出ると、ヴァントは困ったように後ろへ下がった。
「様子を観に来ました」
「これから実験しますのよ。どうぞ、実験場はこちらですわ」
ヴァントは助けを求めるようにドナーレンに視線を送る。シャルロッテが先に立ち、既に準備をしていた数名とドナーレンも移動をしていた。
「新しい魔物を発見なされたのですって?」
シャルロッテの声は少し上擦り、頬には朱が差していた。
「はい」
「なんでも、液体だったとか」
「ええ。赤黒くて粘性のある液体です」
「ヴェーレンヴァルヌング第三飛行騎士団長の機転で、弱点も見つけたと伺いましたわ」
エメラルドの眼には、キラキラと尊敬の輝きが瞬く。
「たまたま読みが当たりましたが、団員はかなり消耗致しました」
「まあ、ご謙遜なさって」
「魔法特務隊長が自ら開発なされた作品がなければ、我らは全滅でした」
「ヴェーレンヴァルヌング第三飛行騎士団長の的確な指揮あってこそですわ」
その時、前触れなく散水の音がした。音のする方を見れば、ドナーレンが幾つもの円い魔法陣を空中の足場として跳ね回っていた。円陣はぼんやりと金色に光る細い線で描かれている。踏んでも消えず、どうやら先に足場として固定されたものらしかった。
ドナーレンが背中に背負った四角いものからは、両脇にホースが出ていて、先端には金属製のノズルが見える。ノズルの手元にハンドルが付いていて、ドナーレンはさながら二丁拳銃のガンマンのようだった。
「実験が始まりましたわ」
シャルロッテはつつっと距離を詰める。ヴァントはドナーレンのいる方へと足を速める。
ノズルからは霧状の水が勢いよく噴き出している。水の通った後には、初冬の陽射しが反射して虹を架けていた。ちらつく雪片が虹を飾る。その向こうに見えるドナーレンは、キリリと仕事の顔をしていた。
「虹ですわね」
見上げてくるシャルロッテの声は、ヴァントの耳に届かない。団長の金茶色に輝く瞳が捉えているのは、虹の薄膜に隠された神秘の女神であった。凛々しい顔で2本のホースとノズルを操り、舞うように散水する麗しの婚約者だ。一般的には麗しくないが、ヴァントの眼にはこの世ならざる美しさに映っていた。
その緩められた愛おしそうな口元を、シャルロッテは自信あり気に見据えていた。
「成功かしら。次回の遠征に間に合いそうで、良かったですわ」
にこり、と笑い掛けるシャルロッテに、ヴァントは生真面目な答えを返す。
「この装置開発の責任者は、ドナーレン・ブリッツァ・フリューリング魔法特務隊長だと伺っておりますが?」
シャルロッテは刹那、不機嫌そうに口を歪めた。しかし、すぐに微笑みを取り戻し、余裕の雰囲気で返答した。
「え?ええ。左様でございますわ」
ヴァントは足を止めずに、いかめしく頷く。そのままドナーレンの方へと顔を戻し、水がかかる程の距離まで小走りに進む。
「あっ、ヴェーレンヴァルヌング第三飛行騎士団長!危のうございますわよ!あまり近づかれないほうが」
「お気遣いなく」
片手を取って引き留めるシャルロッテを、やんわりと引き剥がし、ヴァントはぬかるみができた実験場を横切った。
「ドナーレン!」
「何か気になる点でもあった?」
「いや、完璧だ」
「出力調整に魔力を持っていかれ過ぎるようにも思うのだけど」
「試してみてもいいか?」
「そうね。ヴァントなら心配ないと思う。お願いするわ」
ドナーレンに手伝って貰い、ヴァントは噴霧器のようなものを背負う。仲睦まじい様子を観ながら、シャルロッテは益々にんまりと勝ち誇るような笑みを作った。
「シャルロッテさん」
見学していた研究所のメンバーが寄って来た。金髪を短く刈り込んだ丸メガネの青年である。
「この後、皆でお昼でもいかがでしょう?笊帽子団長もお誘いして」
「ふふっ、素敵だわ。そうしましょうよ」
シャルロッテは味方を得て満足そうに同意した。
実験が終わり、ヴァント団長はドナーレンと意見を交わして、帰ろうとした。ドナーレンは記録と片付けに取り掛かり、他のメンバーも手伝ったり自分の仕事に戻ったりした。
シャルロッテは素早くヴァント団長の後を追い、爽やかな声音で話しかけた。
「団長さん、お昼は如何なさるの?」
「団に戻ります」
「私ども、これからお昼に出ますのよ」
シャルロッテは気さくに話を続ける。記録をつけながら、ドナーレンは遠ざかる会話を聞いていた。
真面目な男が、大切なパートナーがありながらも、何かの弾みで一線を踏み越えてしまうこともある。真面目であるゆえに罪悪感に悩み、どちらにも誠実であろうとする。その時点で既に不実であることは、本人も薄々気がついている。
結果、より正当な側のことを、自分を責める敵と見做して被害妄想を募らせる。不当な方を正当な者が攻撃しないようにと守る。真面目に、誠実に、必死で守る。
シャルロッテは、それを狙っているのだろう。しかもシャルロッテは、既に正当な相手があれば、そうそう結婚を迫られることもないだろうと踏んだのだ。常に優位を保ち、充分に吟味して、一番良い相手を選ぼうと思っているのだ。
ドナーレンは哀れみの視線を送る。ヴァント団長は、芯から真面目な男であった。弾みなど一切起こらない。万が一仕組まれて何か事故があったとしても、真面目風人間とは違う行動を取るに違いない。
本当に真面目で誠実な人間は、過ちを素直に認め、謝罪し、正当な者を守ろうとする。ヴァントはそういう人間であった。
ヴァント団長は、その夜ドナーレンを夕食に誘った。聖剣継承者の邸宅は豪華で、ディナーホールの天井は高い。聖剣をヴァントに譲った先代継承者とその妻、ヴァントの兄弟姉妹、そして給仕や小間使い。たくさんの人々がドナーレンを歓迎した。なにしろドナーレンは、禁忌である魔法生命体作成をヴァントに中断させた大恩人なのだから。
食後、ヴァントはドナーレンを屋敷の庭園へと連れ出した。昼にちらついた雪は本降りになり、視界はほとんど真っ白だ。風も強く吹き、顔に当たる雪が痛いほど。普通のカップルならこんな中で散歩などしないだろう。
だが、2人はどんな気候であっても気にしなかった。どちらかが開発した防御系の魔法道具を試運転出来るので、むしろ嬉々として悪天候の中に出かけた。今日もひとつふたつ、小型の道具を身につけて、肩を並べて大雪の庭へと繰り出した。
大きな木、雪の中で鮮やかな色を見せる実がなる木、寒い日に咲く花、庭園にはさまざまな珍しい植物があった。家族や屋敷で働く人の目が遠くなる。2人きりになると、ヴァントは率直にドナーレンに打ち明けた。
「あのシャルロッテという人の側に押しやられるから、困ったよ」
「ロッテは人気者だから、黙ってても望んだ通りになるのよ」
「ドナーレンが婚約者だと告げても、ちっとも遠慮しないんだ」
ヴァントは不機嫌を露わにする。
「話も上手いでしょう?」
「あっという間に場を浚ったなあ」
「ヴァントが毅然としていれば大丈夫よ」
「誤解されたくないから、急で悪かったけど、今夜はドナーレンに家まで来てもらったんだ」
「悪くなんてないわ。そういうこと、すぐに言ってくれるほうがいいもの」
変な噂がばら撒かれる前にドナーレンに相談できて、ヴァントはひとまずほっとした。
しばらくして、ヴァントはまたドナーレンに報告した。
「魔法兵団の兵士からの依頼で出かけたら、あのシャルロッテという人がいた」
その後も、あらゆる信奉者を使って近づこうとしてくることを、逐一ヴァントは婚約者に告げた。
シャルロッテの誘惑は執拗だった。他に幾らでもいる恋人たちを引き連れて、ドナーレンの目の前でも奪い取ろうと親しげに話しかけて来た。
1年が経ち、春が来たら婚姻という頃になっても、まだ諦めなかった。聖剣継承者の婚姻は、公的行事でもある。長い期間を取って慎重に準備を進める。途中で幾度か、婚約者としての公的施設訪問やインタビューもあった。全国民がヴァントとドナーレンの婚約を知っていた。
それでも秋波を送るシャルロッテは、非難されないようにうまく立ち回っていた。シャルロッテの親衛隊は男女共に多く、権力者もたくさんいたのだ。ドナーレンよりシャルロッテが聖剣継承者の妻に相応しい、とさえ噂されていた。
「今のところ、具体的に何かされたってわけでもないし、騎士団と魔法兵団は組織が違うから、首にしてくれとも言えないしなあ」
「ロッテは自信があるのよ。きっぱり断らないと、しつこいわよ」
「断ると言っても、はっきり言い寄っては来ないからな。騎士団と魔法兵団両方の上司も協力してくるから厄介なんだ」
2人は手を繋いで立ち止まり、雪の落ちてくる灰色の空を見上げた。また歩き始めると、ヴァントの聖剣がガチャリと音を立てた。継承者は、なるべく肌身離さずに聖剣を持ち歩く。
「ヴァント」
ドナーレンがその剣を見つめる。
「ロッテに聖剣は効かないの?」
「毎回浄化はしてるんだけどな」
ヴァントは灰青の眉を寄せる。
「毎回?」
「あの女とその取り巻きは、あっという間に邪悪に染まる。浄化したその日のうちに、また来ることすらあった」
「魔王の核が森の浅いところで見つかるのと同じ理由かしら」
「いや、父に聞いてみたんだが、ああいう手合いはいつの時代にもいるらしい」
「そうなの」
ドナーレンは呆れてため息をつく。ヴァントは疲れたように腰を折り、ドナーレンの肩に顔を埋めた。
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続きます