騎士団長の遠征
正式な婚約者となって間もなく、ヴァントは長期討伐に出立した。騎士団は魔法兵団と組織が違うため、ドナーレンの使う魔法の扉は利用出来ない。
「野営、気をつけてね」
出発前日、ヴァントはドナーレンの家を訪ねていた。南向きのサンルームで短いお茶を楽しんで、名残惜しげに玄関口で立ち止まる。不安そうな菫色のどんぐり眼を、ヴァントは愛しそうに見下ろした。
「ドナーレンの魔核梱包ジェルもあるし、この前貰った小型真水製造機もあるから、大丈夫だよ」
「あれの量産は間に合わなかったわね」
ドナーレンが残念そうに溢すと、ヴァントはそっと婚約者の頬に手を触れる。騎士団員の遠征では、多少の私物持ち込みが認められている。まして魔法兵団きっての魔法道具開発者の新製品だ。試験運用を兼ねた持ち込みは、上層部も大歓迎であった。
「ひとつでもあれば、無いのとは全く違うよ」
「そうだと良いんだけど」
通常、遠征に旅立つ恋人や家族には、お守りのハンカチや魔法が込められた指輪などを贈る。だが、ヴァント隊長が婚約者に乞うたのは、新開発の軍用作品であった。ヴァント団長は、自らも天才的な魔法道具開発者である。ドナーレンは共同開発も持ちかけたのだが。
「ドナーレンが一から十まで作ってくれるからこそ、旅のお守りになるのではないかい?」
「まあ、それはそうよね」
「何をいただけるのか、詳細を知らないというのも重要なことだ」
「そうね、効果は高まるわね。この国最高の技術者に意見を聞けないのは残念だけど」
「最高なのはドナーレンだよ。ドナーレンが作れば最高になるだろ?」
この国で人に贈るお守りは、手渡すまで相手に詳細を伏せれば威力を増すとされていた。贈られる期待と、秘めた思いとが愛を深めて幸福を増し、守りの力となるという。それは惹かれ合う同士の恋慕だけではなく、家族や友人、同僚の親愛と友愛でも同じであった。
ドナーレンは、婚約者や家族を見送るロマンチックな習慣を知っている。味気ない軍用品を求められて物足りなく感じてはいた。そこがヴァントらしい、と愛しくもあった。
それとは別にハンカチでも用意しようかと思った。だが、生真面目なヴァントは、自分の要求がドナーレンの機嫌を損ねたかと不安になるかも知れない。遠征の前日にわだかまりが生まれては困る。精神的な安定も、魔物という邪悪な存在と対峙する時には重要なのだ。
「ドナーレンの作品はどれも素晴らしくて、君の面影を感じるんだ」
「まあ、嬉しいこと仰るのね」
少し親指の腹でドナーレンの頬を撫でてから、ヴァントは優しく口付けた。それからふたりは暫く、はにかみあって向き合っていた。
ヴァント団長率いる通称笊帽子団は、街から離れ、山岳地帯を抜ける。まだ飛んでいない。頭に被る笊を背中に背負って歩いている。歩兵よりカッコ悪いと噂されても、気にも止めずに進む。
魔物がちらほら現れ始める奥地で一泊し、更に未開地へと分け入った。空気が澱んできた。足元に積もる枝葉が腐って足が沈む。ジメジメとキノコやカビも見え出した。
そのまま魔物を掃除しながら行くと、今度は草木が生えない乾いた土地に差し掛かる。小型の魔物が群をなし、毒針や毒液を飛ばしてきた。
「総員、飛行器具装着!」
「飛行器具装着!」
笊帽子団は笊を被って大地を離れた。この笊は飛行機能だけの道具ではない。これを被っていると、全身を防護膜のようなもので覆ってくれるのだ。
団長の聖剣は、鞘に収まっていても周囲を浄化できる。小物の処理は平団員の剣で充分に対応できる為、ヴァントはまだ剣を抜かない。
飛行型の群生生物をいなしながら、笊帽子団ことフロストヴェアデン第三飛行騎士団が行く。眼下の土地はひび割れていた。大地の裂け目から、赤黒く不気味な粘性の液体が湧き出している。匂いも酷い。団員は、魔法の布で鼻から下を覆っていた。
「団長、なんですか、あれ」
「初めて見るな」
「団長も初めて?」
「生き物ですかね?」
「ともかく、浄化する」
ヴァント団長は聖剣を引き抜き、辺りを浄化した。粘性の液体は消え、ひび割れた荒地は残った。
「念のため様子を見る」
団長は率先して地上に降りた。
「邪気は無いようだな」
「魔物の気配もありませんね」
「よし、2、3日観察して、何もなければ来年また来よう」
「了解」
交代で火の番をしながら、笊帽子団は夜営をしていた。
「ぎゃあっ!」
「わっ、なんだ」
明かりの外から、突然粘液が飛んできたのだ。
「衛生兵!」
団長は叫びながら聖剣を抜く。
「浄化できたのは表層だけだったか」
厳しい顔で握る聖剣は、白銀の光を放ち辺りを昼のように照らした。
衛生兵が走り寄る。今回の遠征には3人1組の衛生班が5組ついて来ている。そのうちの1組が、笊を脱いでいた焚火番の2人を、素早く衛生テントへと誘導して行った。団長の聖剣で粘性の何かは浄化されていた。しかし、火傷のような痕が残っていたのである。
「油断するな!ひび割れから飛び出して来るぞ」
ヴァントはしきりに聖剣を振るうが、後から後から液体は飛んでくる。ひび割れの底で活性化した液体が時間をかけて湧き上がり、今笊帽子団に襲いかかって来たのだろう。他の団員たちは、慌てて笊を被った。
笊で防御は出来る。しかし、液体を根絶する方法は見当もつかなかった。
「団長!撤退しますか?」
「もう少し踏ん張れ」
ヴァントは懐から真水製造装置を取り出した。見た目はただの小型水筒である。どこにでもある、ありふれた水筒だ。団員の中には、気付薬と称する強い酒を入れて持ち歩くものもいた。
ヴァントは飛んでくる液体を聖剣で弾き飛ばしながら、焚火から離れて走り出す。
「団長!」
「ものは試しだ!」
いちばん近いひび割れに到達すると、ヴァントはサッと屈んだ。手にした真水製造装置を傾けると、数滴の水をひび割れに注ぐ。聖剣からは浄化の光が放たれていた。ちょうど飛び出して来た赤黒い液体が水に触れる。ヴァントは祈るような気持ちで注視した。
「頼むぞ」
団長の呟きと同時に、赤黒い液体は透明に変化した。少し後ろから見ていた団員たちがざわざわと騒ぎ出す。
「ただの濾過装置じゃなかったんですね?」
「そうだ。一度これに入れた水を混ぜれば、泥水も清水に変わるんだ」
「じゃあ、その赤黒い粘っこいやつも、水なんですか」
「そういうことになるな」
「けど、全部のひび割れに水を垂らして回るわけにもいきませんよ」
「散水機を持って来よう」
ヴァントは一旦、首都にあるフロストヴェアデン騎士団本部へと戻ることに決めた。
「あっ」
「団長っ!」
やや離れた割れ目から、赤黒い粘液が細く一本の水柱となって吹き上がった。聖剣を収めて立ち上がるヴァントに、大量の液体が降り注ぐ。先ほどまでのものより粘性が高いようだ。
「わっ」
ヴァントは必死で聖剣の鞘を払う。笊が溶けた。
「撤退!逃げろ!急げ!」
溶けて飛行機能が使えない笊を被ったまま、一同はひたすらに走った。野営地はひび割れたエリアの端っこだったので、粘液からはすぐに離れることができた。しかし、その隣は毒液や毒針を飛ばす生物の群生地だ。ヴァント団長の浄化と一般団員の斬撃で、気休め程度の対処をしながら駆け抜ける。
腐臭漂う森の中は、来る時にかなり魔物を減らしていた。この辺りをうろつく魔物たちは、単独で行動するものが多い。一頭ずつ冷静に対処すれば、さほどの危険もなかった。
「団長?」
「大丈夫ですか?」
ヴァントの動きが鈍っていた。
「普通の毒は聖剣では浄化出来ないからな」
「粘液を浴びたからですか?」
「それもあるが、火傷に似た傷から、少しずついろんな毒が入ったみたいだ」
見れば、似たような状況になっている団員が何人もいる。
「とにかく急いで人里まで戻らないとな」
「はい、団長」
救護班が用意して来た解毒剤を使いながら、一同はのろのろと魔物の棲息地帯をすぎてゆく。
「次のかたー。あ、団長でしたか」
「よろしく頼む」
救護班のテントには行列が出来ていた。団長は辺りを一通り浄化してから来るので、毎日処置は最後だ。
「いやあ、頭が下がりますよおー」
遠征は初参加の衛生兵が言った。榛色のショートカットが初々しい少女である。
「偉い人は、真っ先に処置を受けるのかと思ってましたぁ」
胸につけた名札を見て、ヴァントは労いの言葉をかけた。
「リベカ・カラント君か。確か遠征は初めてだったな。初回がこれでは、大変だろう」
「へへっ、大丈夫ですよお」
照れてにこにこしながら、リベカは手早く処置を終えた。ヴァントは満足そうに手際をほめる。
「うむ。手際がいい。その調子で精進したまえ」
「ふわっ、ありがとうございますっ」
リベカが顔を上げると、ヴァントは柔らかな瞳でその手元を見ていた。頬を染め、上目遣いになるリベカが聞いたのは、期待するような言葉とは違った。
「その鋏な。いいだろう?劣化せず、どんな素材も正確な裁断ができる。小さな手にも大きな手にも程よく馴染む持ち手のカーブは賞賛に値する。素材がまたいい」
団長の語りが熱を帯び、リベカの顔から赤みが消える。
「それを作ったのは、大魔法将軍閣下の御息女だ。ご自身も卓越した能力を有する魔法兵でな」
リベカは呆然と、魔法衛生鋏とその制作者を絶賛する言葉を聞かされていた。団長が立ち去った後、同じテントにいた同僚に、
「ほとんど宗教ね」
と言った。
「あ、しらねぇのか?それの製作者な。団長の婚約者なの。それだけじゃないぜ?団長が備品見てニヤついてたら、だいたいその人の作品」
「え、私、冷静な団長に憧れてたのに。かっこいいと思ってたのに。なにあれ」
リベカは顔を引き攣らせた。
「お前さ、あの熱烈な視線が自分に向けられてると勘違いしたろ」
「え、最初は、少し?」
「そんときは喜んでたくせに」
「そりゃまあ、自分に向けられたなら?」
「ははっ、おまえ、正直もんだなぁー!」
「いやでも、道具語り出した時点でもう無理」
「ひっでぇ奴だなぁー!」
「うるさいよ」
救護テントから笑い声が上がり、外で食事の準備をしていたヴァント団長が驚いて振り向いた。
「なんだ、衛生兵の連中、楽しそうだな」
「新人も何人かいるけど、みんな図太ぇな」
「いいことだ」
「違ぇねぇ」
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続きます