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9 雪山はお好き?


 緩やかな懸垂線を描く窓飾りは、いくつも連なる色とりどりの宝石を下げて、外の光を反射して輝いている。ゆっくりと回る飾りに従って、壁や天井で小さな輝きが瞬き続けていた。

 壁沿いに置かれた飾り棚に所狭しと並べられているのは、種々の宝石である。――ルカにはその声が聞こえない、不思議な石たち。


「これはまた、随分と熱心に集められたんだな」

 枕に頭を埋めて目を瞑っている王の姿を一瞥しながら、ルカは低い声で囁いた。


「何代にもわたって、歴代の王が蒐集してきた魔石さ」

 寝台の上の父を見下ろしながら、友人が頬を吊り上げる。



「僕の血脈はね、魔石を強く――ほとんど狂気的なほどに求めるのさ。魔石のためならば、採算も取れないような鉱山にだって国費を擲つ。……どうして王族が魔石に取り憑かれるのか分かるかい?」


 ほの明かりに包まれたアトラの姿を思い出す。彼女の呼びかけに応じた、微少な魔石たちの光である。

「……魔石は、互いに呼び合う」

 掠れた声で呟くと、友人は満足げに微笑んだ。



「なあ、僕が君に何を頼みたいのか、分かるかな」

 細く開いた窓から、ひんやりと涼しい風が吹いていた。前髪をそよがせながら、ただひとりしかいない王子は悠然と微笑んでいる。

 どこか投げやりなような、破滅的な笑顔であった。


「アトラチカを壊してくれよ、ルカ。もう二度と使えないくらいに、粉々に」

 そのためなら、この国がなくなっても構わない。そう言って友人は喉の奥で笑う。

 たぶん、聞いてはならない願いだ。



 ***


「どうしたのかな。リナリア抜きで、私と話をしたいだなんて」

 整えられた口ひげを指先で撫でつけながら、ラフィーア公爵は怪訝そうな表情で腰かけた。

「なにか、リナリアに至らないところでもあっただろうか」

「いえ」

 ルカはかぶりを振って、公爵を見据えた。



「公爵閣下――本日は、閣下のご息女をもらい受ける許可を頂きに、ここに参りました」

 腿の上に手を置いて、姿勢を正し、ルカは慎重に告げた。公爵は目を丸くして、「ほう」と声を漏らす。


「ご丁寧にありがとう。けれど、それほど気を回さずとも、君とリナリアの結婚は……」

「いいえ」

 強い言葉で遮って、ルカは拳を強く握りしめた。


「閣下の、もうひとりの、ご息女のはなしです」

「もう一人? 私には、娘はひとりしか」

「娘は『もう一人』いるでしょう。まさかお忘れですか?」

 厳しい目線で見据えると、公爵は一拍おいて目を眇めた。


「……その話を、どこで?」

「同じ反応だ。流石は親子ですね」

 言うと、公爵は顔を歪めた。


「『あれ』は私の娘ではない」

「どうしてそう冷淡なことを仰るんです? 閣下だってご存知でしょう、『アトラチカ』は人の完全な複製であり、自認は本人のものと全く変わりない。食事をし、眠り、怒りも喜びもするし、子を為すこともある。知っているでしょう?」


 わざと挑発するような口調で、ルカは肘掛けに頬杖をついた。

「――今まで何度も、王をそうやってすり替えてきたんだから」


 告げた瞬間、公爵は勢いよく立ち上がった。感情にまかせて怒鳴りつけようとして、言葉が浮かばなかったみたいに口を開閉させる。

「私は、そのようなことはしていない!」

「そうですね、アトラチカを競り落としたのはあくまで閣下のお父上ですから。でも保管していたでしょう」

 自分がこんなに腹の立つ物言いができるとは思わなかった。ルカは上目遣いに公爵を眺めながら、少しの間言葉を選ぶ。



「アトラチカは、限りなく人に近い生き物になりますが、それでもどこか人とは違います。広い泉にインクを一滴垂らしても違いは目に見えませんが、それが幾度となく繰り返されれば、水には徐々に色がつくでしょう。……僕の言いたいことが、分かりますか?」

 公爵は机を挟んだ反対側で立ち尽くしたまま、ルカを睥睨している。


「簡単に文献を探してみたんです。四百年ほど前に、この国では大規模な流行病がありましたね。多くの民が病に倒れ、世は大いに乱れました」

 ごく、と公爵の喉が動いたのが見えた。


「その混乱ぶりを表す逸話がありますね。当時、王が崩御したという報せが広まりましたが、しかし流行病が収まったあと、城には生きた王がいた。訃報は、情報が行き違いになった結果の誤報だったと記されています」

 あまり広く知れ渡ったエピソードではない。しかし、知る者なら必ず知っている話である。半ば都市伝説のように言い習わされているそれが、アトラチカという魔道具の存在によって別の形を持って立ち現れる。



 ルカは強ばった口調で慎重に切り出した。

「当時、今のラフィーア公爵家に連なる先祖は、王が斃れ、王家の血が絶えることを危惧なさった。そこで目をつけたのがアトラチカという魔道具だった。……違いますか?」

 公爵は口を開かない。


「秘密裏に王を複製し、不幸にももとの王が崩御なさったあとは、複製した王を玉座へ戻した。アトラチカである王はこの忠義にいたく感激し、差配をした者を格別に引き立てた。それがラフィーア公爵家の始まりではないかと、僕は推測しています」


 代々、他に似た例を見ないような、奇妙な不調に悩まされる王家の血脈。

 魔石を強く求める王の狂気。


「王家においては、同じことが何度も繰り返されてきたのではないですか? アトラチカとは本来は魔石です。そうした性質を持った王が子を残し、その子に同じような性質が宿っていたとしたらどうです。王が死去すれば、そこにはまた元の形のアトラチカが残ります。それを回収し、ふたたび次の王を複製する。もし元の王が何らかの原因で早逝されたら、複製された王がまた次の王の親となります」


 そうした過程が、王家の主導で行われたのか、それとも公爵家の独断なのかは定かではない。しかし少なくとも公爵家がアトラチカの使用に噛んでいたのは間違いないだろう。

 世代を重ねるごとに、王の持つ魔石の名残は強くなり、人の胎から生まれた身には異変が起こり始める。夭折の王子や病に倒れる王女、各地の鉱山へ予算を注ぎ込む王。



 公爵はぶるぶると体を震わせながら、机を拳で叩いた。

「……全部、でまかせだ」

「ええはい、もちろんその通りです。根拠もない、ただの与太話です。ですが、面白い冗談でしょう?」

 にこりと微笑みかけると、ルカは軽やかな動きで立ち上がる。


「我ながらよくできた話だと思うので、今度どこかで人と会うことがあったら披露してみようかな。そうだ、イェルシェット家は海の向こうからのご客人を招くことも多いんですよね。この話をしたら、きっと面白がってもらえると思うんですけど、どうです?」


 人差し指を立てて、ルカは歌うような口調で言い放った。王家と公爵家にまつわる醜聞である。鵜呑みにする者はいなくとも、食いつく者は必ずいるだろう。

 特に、噂話が他国に漏れ、その信憑性が表に出れば――この国は一気にその威信を失いかねない。



「貴様、私を脅すのか」

「ええ!? 脅すだなんてとんでもない! 僕は未来のお義父さまと仲良くしたいだけですよ」


 白々しく手を振って、ルカは公爵に向かってずいと身を乗り出した。

「本題に戻りますね。僕はね、閣下――あなたの『娘』のうち、僕が心にこれと定めたただ一人が欲しいんです」

 公爵は青ざめた頬で沈黙している。


「彼女曰く、彼女の『所有権』はあなたが有しているという。だから不本意ながら、彼女自身の言葉を聞く前に、わざわざあなたに許可を取りに来ているという訳です」

 ね、と公爵に向かって微笑みかけると、相手は苦々しい表情になった。この小僧、と思っているのがよく分かる顔である。



 長い沈黙のあと、公爵は深々とため息をついた。

「……あんな、ただの魔道具のことなど知らん。私には関係のない存在だ、好きにしろ」

 負け惜しみのように吐き捨てる。その姿を立ったまま眺め下ろして、ルカは小さな声で問うた。


「でも、公爵閣下。……『関係のない』『ただの魔道具』なんだったら、どうして彼女を殺さなかったんです?」

 公爵は虚空を睨みつけたまま固まった。


「ほんとうにアトラチカの存在を隠したかったら、あの魔道具がリナリア嬢の姿を取った直後にあの子を殺せば良かったんです。死んで、元の形に戻ったアトラチカを、更に厳重に保管すれば良い」

 どうしてそうしなかったんです? 訊かれて、公爵は黙り込む。


「本物のリナリア嬢を、あまり人目に触れさせなかったようですね。アトラとリナリア嬢の両方を知る者がいると困るからではないですか? 何とも思っていない魔道具のために、実の娘に我慢をさせますか?」


 机を回り込んで、公爵のすぐ隣まで歩いて、傍らにそっと膝をついて公爵の顔を見上げる。

「閣下は、公爵家と、そしてもちろんこの国を守らねばならない立場です。けれどあなたは、アトラのこともちゃんと愛している。……違いますか」


 酸いも甘いも噛み分けたような紳士の顔が、まるで幼子のように歪んだ。

「でも分からないんでしょう。二人の娘をどちらも幸せにする方法をご存じない」


 人差し指を立てて、ルカは「そこで一つ提案があるのですが」と切り出した。



 ***


「海外留学、ですか?」

 目をぱちくりさせたリナリアに、ルカは「はい」と笑顔で頷いた。


「実は、東のレスタリアとの交換留学の話が出ております。国交も兼ねた留学で、あちら側は、先日即位なされた女王陛下の弟君がいらっしゃるそうです」


 イェルシェット家は海の向こうの各国との玄関口である。こうした話題がどこよりも早く入ってくる。まだ公にはなっていない話だ。

「こちらからレスタリアへ向かうのはどなたが良いかという話になった際に、リナリア嬢の名前が出まして」

「まあ、それは……」


 口の前で手を合わせて、リナリアは目を輝かせて呟いた。この反応を見るに、好感触なのは間違いない。

「わたくし、レスタリアの服がとても好きで。今日着ているこのブラウスも、あちらからの舶来品なんです」

「はい。……以前にお会いしたときにつけておられた首飾りも、レスタリアのものですよね」

 意外そうな顔をしつつも、リナリアは嬉しそうに頷いた。



「実際にレスタリアへ行くことができたら、わたくし、あちらの文化に関して学びたいことがたくさんあります。想像しただけでも、夢みたいな話だわ」

 指を組み合わせて、リナリアはうっとりとした口調で呟く。が、ふとその表情が曇り、彼女は目を伏せてしまった。


「……でも、お父様がお許しになるか分かりません。お父様は、わたくしに関してとても過保護なんです。ほんの少し外を出歩くのだって、信じられないくらい制約が多いの」

 客人の前でも抑えきれないほどの不満があるらしい。「海外留学なんて、きっと認めてくださらないわ」とリナリアは低い声で項垂れる。


「どうしてお父様がこんなにわたくしを外に出してくださらないのか、ちっとも分からないんです。お父様は、本当は、わたくしのことなんて、ちっとも愛しておられないのかもしれません」

 実際に公爵が聞いたら愕然としそうである。この様子を見る限り、リナリアはアトラのことを知らないらしい。


「……でもわたくし、その交換留学にとても興味があります。お父様にお願いしてみようと思います」

 決意のこもった表情で、リナリアは宣言した。彼女が願い出れば、公爵は娘の願いを聞き届けるだろう。何故ならルカがそうするように脅迫……提案をしたからである。



 と、リナリアはルカの顔を見て「あ」と口を押さえた。

「でもそうなると、ルカ様とのご婚約に関して……」

「ああいや、いや、……ご心配なさらず。実はその、他に」


 口ごもりながら言うと、リナリアは「まあ!」と笑顔になった。

「他に良い方がいらっしゃるのね! 良かった……」


 と、そこでリナリアは声を潜めて悪戯っぽく舌を出す。

「だってここだけの話、わたくし、本当は山奥に嫁ぐのはあまり気が進まなかったんですもの」

「え!?」

 さらりと爆弾を投下されて、ルカは思わず固まった。だって全然そんな素振りなかったじゃん!


「……妙なことをお聞きしますが、幼少の頃から山奥はお嫌いですか」

「え? うーんと……そうですわね。小さな頃に読んだ本に出てきた雪男が怖くて、雪山が苦手になってしまいました」

「雪山は駄目なの!?」

 リナリアが小さな頃に読んだ本といえば、アトラも同じ記憶があるはずである。


(城の周辺、ものすごく雪山なんだけど……)

 まずい。アトラは雪山が嫌かもしれない。


 顎に手を当てて悶々と考え出したルカに、リナリアは多少呆れたような顔をした。

「わたくしの言葉ひとつでそれほど悩まないでくださいませ。ルカ様の良い方は、わたくしではないのよ」


 ご本人に訊かれたらいかが、と肩を竦めたリナリアを眺めて、ルカは小さく笑みを零した。


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