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7 公爵令嬢リナリア・ラフィーア



「おお、ルカ坊。少し見ない間に随分な色男になったな」

「お久しぶりです、叔父上! お早い到着でしたね」

 屋敷の談話室で父と向かい合っていた叔父の姿に、ルカは驚きつつも笑顔になった。叔父に会うのは、優に五年ぶりだった。


 別件の用事があるとかで、そのついでにイェルシェットの本邸に立ち寄りたいと叔父から連絡があったのは、一昨日のことである。


 叔父が現在城主を務めている北部の城は、いずれはイェルシェットの嫡男であるルカが継ぐことが決まっている。鉄道網が未整備の北部からイェルシェットの中心部までは、どれほど急いでも三日はかかるはずだった。


「去年の暮れに、向こうの鉱山の方で国の予算が降りてな。それが理由で、つい先日にヴィアンからこの街までの線路が完成したんだ」

「そうですか。では、あちらの城からヴィアンまで移動して、ここまで?」

 頷いて、叔父は豪快な笑顔でルカを指さした。



「聞いたぞ、今日はルカ坊の大事な縁談の日なんだって? ラフィーア公爵家のご令嬢とは、また凄いお相手じゃないか」

 苦笑して、ルカは頬を掻く。


 ラフィーア公爵家とは、遡ること四百年ほど前からこの国の中枢を担っている一族である。代々、王女などが降嫁することも多く、長きに渡って王家とともにある。先代の王の弟を父に持つラフィーア公爵は、病がちの王に代わって政務を担う宰相であった。


 一方でその娘のリナリアは、ほとんど衆目に姿を現すことはなく、その姿を知る者は少ない。が、リナリアを目にしたことのある者は、誰もが口を揃えて彼女を絶世の美少女だと語る。


「でも、どうして公爵家から僕に声がかかったのか、正直よく分からないんですよね。叔父上もお分かりとは思いますけど、ほら、北の城はご令嬢が来たがる場所ではないでしょう?」


 その言葉に、叔父は渋い顔をして首肯した。父もいまいち納得しかねるような表情であり、これはイェルシェット家で既に何度も取り沙汰された話題である。


「まあ、僕は兄上に比べると気楽な立場ですから」と、ルカはへらりと笑った。父が呆れを含んでこちらを睨みつける。


「お前は、いつになってもそうして軽薄な……」

「まあまあ、兄さん、落ち着けよ」

 長い説教が始まりそうな気配を察知して、叔父が割って入る。


「ルカ坊もルカ坊だぞ。先代の俺が独り身だからと軽く考えているのかもしれんが、あの城を女主人なしで回すのは大変だ。悪いことは言わんから、良い奥方を迎えるべきだ。初めからそんな程度のつもりでいると、まとまる話もまとまらないからな」


 怖い顔をして、叔父がこちらに指を指す。

「ふらふらしていないで、心にこれと決めた人と添い遂げる覚悟をするんだぞ」

 ルカはひょいと首を竦めるみたいにして頷くと、両手をポケットに突っ込んで踵を返した。


「それでは、準備をして参ります」

 この縁談の目的はともかく、素晴らしいご令嬢であるというリナリアと対面できるのは素直に楽しみであった。



 ***


『僕も、もう何年もリナリア嬢には会っていないんだ。お目見えしたら、あとで感想を教えてくれよ』

 どこか面白がるような口調の友人を思い出しながら、ルカは襟元を正す。表に車を待たせているが、まだ出発には少し時間があった。屋敷の廊下を歩きながら、暇を持て余す。


 と、ふと目に入ったのは、今は亡き母が使っていた部屋に繋がる扉だった。時おり掃除が入るだけで、誰もが触れることを恐れているような一室。


「…………。」

 母が亡くなってから、もう五年ばかりが経つ。動かない足を無理やり持ち上げて、ルカは五年間入ろうともしなかった部屋に向かって歩き出した。



 扉を押し開けた瞬間、少し甘いような薫香が鼻腔を掠めた。思わず、息ができなくなる。

 母は、ここで生きていたのだ。母はここにいた。

 明るい朝の光を受けて、その部屋は静かに、ただ寂然とそこにあった。


「ルカ」

「うわ!」

 背後からいきなり声をかけられて、ルカはその場で小さく飛び上がった。振り返れば、父が感情の読めない顔でこちらを見ている。

「父上……なんですか?」

 ばくばくと脈拍の早まった心臓を抑えながら、ルカは父の顔を見た。


「まだ、時間は大丈夫なのか」

「ああはい、もう少しくらいは……」

 そうか、と頷いて、父はルカの横をすり抜けて部屋に入った。


「……お前は、ローナの部屋にずっと近づかなかったな」

「それは、……」

 まるで責められているような気分になって、ルカは目を伏せる。母の死は、ルカにとっては幼い日の深手となっていた。向き合うことをずっと恐れていた事実でもあった。

 父は、別にそれ以上なにかを言うでもなかった。無言のうちに、ルカの中で何らかの変化があったことを理解したらしい。



「……ラチェタライトは、買い戻せませんでした」

 多少の叱責を覚悟しながら呟くと、父は珍しく素直な驚き顔で、目を真ん丸にして絶句した。


 父は数度ほど瞬きをして、それから、ルカが例のオークションへ足を運んだと悟って渋い顔になる。たいへん言いたいことがありそうに眉をひそめて、口を開閉させたが結局言葉が見つからなかったらしい。父は唇をひん曲げて深々と嘆息した。


「当たり前だ、お前に買えるような代物じゃない」

 腰に手を当て、父は諦めたように横を向く。

「でも父上は、あれを若い頃に買ったんでしょう?」

「この年までの人生すべてを合わせても、一番高い買い物だった」

「買って良かった?」


 追うように問いかけると、父は一瞬黙り、こちらを見据えて、これまた珍しく微笑みを浮かべた。

「さあな」

 たぶん父は、あのラチェタライトが、近隣に住む傷ついた少女に譲り渡されたことなど承知の上だったのだろう。


「……そういえば、僕の知り合いが、学校を作りたいのだと言っていました。もし出資を頼まれたらさ、ぜひ快く協力してやってよ」

 父はよく分からない顔をしつつ、「そうか」と頷く。

「私に頼む前に、お前が自分で出資したらどうなんだ」

 その言葉に、ルカは肩を竦めて笑った。


「僕は、もしかしたら近いうちに大きな買い物をするかもしれないから」



 ***


 門扉から玄関先に向かって左右対称に造られた広大な庭園に、ルカは舌を巻いた。なるほど、公爵家はそこいらの貴族とは一線を画すらしい。


 家令の案内で通された応接間で待っている間、ルカはどんな理由で断りを入れてもらうものか考えあぐねていた。

 家格からして、ルカの側から破談を申し入れるのは厳しい。それなら先方から断ってもらうのが一番だが、そんな魂胆を悟られるのもまずい。

 ……苦肉の策として今日は、とびきり似合わない、顔色が悪く見える上着を羽織ってきた。


 リナリアという令嬢がどのような少女なのかは知らない。ルカより一つふたつほど年下だとは聞いているが、箱入りのお嬢様と話が合うだろうか?

 立派な調度品の類を眺めていると、扉が数度叩かれた。慌てて居住まいを正し、扉の方を注視する。


 始めに入ってきたのは、これまでにも何度か顔を合わせたことのある公爵だった。人当たりの良い紳士であり、明るい口調で訪問に対する礼を述べると、扉の方を指し示す。


「娘は少しばかり人見知りでね、恥ずかしがって上手く話せないかもしれないが、容赦して欲しい」

「もちろんです」

 如才なく応じると、公爵は開いたままの扉を振り返り、「リナリア」と声をかけた。



「失礼、いたします」

 控えめな声とともに、扉の影から小柄な人影が覗く。上目がちにこちらを窺いながら、おずおずと部屋に入ってきた令嬢の姿に、ルカは意識が遠くなるような心地がした。


 足元がふわりと浮いた気がして、我に返ったときには、椅子の上に尻餅をついていた。

「あの……?」

 胸元で手を緩く握り、彼女は不思議そうな顔で首を傾げる。

「ああいや、申し訳ありません、……あなたがあんまり美しいものですから、つい驚いてしまいました」


 下手な誤魔化しを口にしながら、ルカはよろめきながら立ち上がった。公爵の紹介を受けて応接間に入ってきた少女は、「あら」と頬を赤くしながらくすくすと笑う。


「嘘ばっかり仰って、わたくしをおだてようとしても無駄ですわよ?」


 唇を尖らせて、彼女はわざと不満そうな顔を作ってみせる。その表情は、愛されて育った者に特有の、周囲の人間を取り込もうとするようなものである。ルカ自身も意識的にそうした態度を取ることがあるから分かる。


 派手ではないが仕立ての良い服を着て、柔らかく波打つ赤毛を肩口から胸元へ流している。明るい色をした瞳をきらめかせて、ゆったりと微笑む姿は、誰がどう見ても公爵令嬢に相応しい優雅さであった。


「貧血にでもなったのではなくて? きっと疲れてらっしゃるんですわ、どうぞお座りになってください」

 優しい声色でこちらへ語りかけてくる令嬢の言葉に返事をしつつ、ルカは呆けたように彼女へ見入っていた。


(――アトラ?)


 身に纏うものや、立ち居振る舞い、雰囲気。何から何まで、アトラとは異なる少女に思えた。

 しかし、リナリアという名の公爵令嬢は紛れもなく、誰が見ても明らかに、あの酒場の看板娘と同じ顔をしていた。

 辛辣で、謎めいて、たまに怖くなるほど脆い強がりを見せる女の子。


(アトラ、)


 リナリアは口元に手を当ててころころと笑っている。たぶん、自分が何か気の利いたことを言ったのだろう。自分が何を言っているのかも定かでなかった。

 ルカは悪夢の中にいるような心地で、リナリアに微笑みかける。



 幸せそうに肩を揺らしている少女を前にしているのに、脳裏に浮かんで離れないのはアトラの姿だった。深入りしてくれるな、と暗い瞳で語る彼女である。


『私の死を望む人がどれだけ多いか、あなたはご存じないでしょう』

 彼女が至極当然のような口調で呟いた言葉が、脳裏をよぎる。彼女が消えることを望むのは、一体誰なのだろう。


 アトラが存在すると都合の悪い人間は誰だろう?


『あの子が生まれたのは、僕たちのせいでもあるのさ』

 記憶の中で、友人が自嘲するような目で呟く。


 リナリアの向こうに、あの小憎らしい少女の顔が透けて見えた。

(……アトラは、いったい、『何』なんだ?)



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