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5 アトラさんと楽しいピクニック(嘘)



「それで姉が、アトラさんとお出かけするからって、新しい服を買ってきたんですけどね。それが不良品で、帰ってからもう一度着てみたら、腕を上げた瞬間に脇のところがビリって……」


 ディレナの弟あらためジェンが、ころころとした笑い声をあげる。身振りを交えて、状況までが詳細に分かるような話しぶりに、つられて笑ってしまう。


 ……と、そこでルカは「え?」とジェンを二度見した。

「『アトラさんと出かけるから』?」

「あ、先輩も、アトラさんとお知り合いだと聞いていたのですが……。姉の勘違いでしたか?」

「いや」

 首を振って、ルカはまじまじとジェンを見る。


「二人は、よく一緒に出かけるのか?」

「そうですね。けっこう頻繁ですよ。月に二、三回くらいかな」

「え、いいなぁ……」

 正直すごく羨ましい。



 闇オークションには一度足を運んだきり、あれ以来行こうともしていなかった。当然ながらアトラとの接点も皆無である。

 彼女はたぶん非日常に生きる不思議なひとで、こうして普段の生活に戻ったルカにとっては遠い存在なのだと、そう思っていた。

 もう二度と会わない、青年期の思い出のひとつにしておこうと思っていたのに。


「僕とは一緒に出かけてくれないのに、ディレナとはお出かけするんだ……」


 可能性があると知ったら、追わずにはいられないじゃないか。



 ***


「失礼ですけど、寝言は寝てから言うから面白いんですよ」

 出会い頭に辛辣な返答を浴びせられ、ルカは一息で撃沈させられた。


 アトラは片手を腰に当て、呆れた表情をありありと現してため息を着く。

「ご自分の立場を弁えてくださいね。ディレナさんは貴重な商品を出品してくださった大事なお客様ですし、出品までにも何度もお話をさせて頂いて、もう慣れた関係です。でもあなたは当店で一度も商品を購入していませんし、そもそも一回しか来店しておられないお客様をどうして休日に誘うと思ったのですか?」

「アトラさん、言いすぎ、言いすぎ!」


 慌てたようにディレナがアトラの肩を揺するが、彼女に反省した様子はない。


 甚大なダメージを受けつつ、ルカはめげずにアトラに向き直る。

「で、でも、特別席に案内してくれたし、色々と話もしてくれたし……少しは思い入れのある客として覚えてもらっているんじゃないかな?」

「いえ、全く」

「アトラさーん!」

 ディレナが悲鳴を上げ、アトラはようやく肩を竦めて舌鋒を収めた。



 例の話を聞いてから、ルカはジェンを通してディレナと連絡を取り、彼女がアトラと出かけるという日に勝手に同行した。

 が、待ち合わせ場所にいたアトラは大変迷惑そうな態度であり、目を合わせることを避けるように顔を背けている。


 人通りの少ない橋のたもとで、アトラは少年のような出で立ちで腕を組んだ。動きやすそうな細身のズボンにフード付きの上着を合わせて帽子を被り、小さめの鞄をたすき掛けにした格好である。

 どうも、素敵なブティックやお洒落なカフェへ行くといった出で立ちではない。


「それで、今日はどこへ?」

 試しに聞いてみると、アトラは嫌そうな顔で「ついてくるつもりなんですね」とため息をつきつつ、帽子のつばを引き下ろしながら答えた。


「山です」

「なるほど、ハイキング。僕も小さい頃はよく別荘近くの森でピクニックをしたもんだよ」

 これでも体力に自信はある方なんだ。宣言すると、アトラはたいへん懐疑的な目で頷いてくれた。



 ***


「イヤーッ!」


 耳元を掠めた羽音に、ルカは今日で何度目か分からない悲鳴を上げた。

「今の絶対ハチだったって! 絶対この近くに巣があるんだって!」


 体を極力小さく縮めて喚くルカに、後ろを歩くディレナが優しく声をかける。

「ルカ様、今のはアブですよ」

「アブって何!? 刺す!?」

「刺します」

「じゃあ駄目だよ!」



 果たして、アトラが分け入った山は、ハイキング、ピクニックといった平和的な行程とはかけ離れたものだった。

 頂へ向かう山道を離れたのはもうだいぶ前のこと、以来、深い森の中を延々と歩き続け、藪を漕ぎながらアトラについてきた。しかも口車に乗せられて大きなリュックを背負わされ、荷物持ちの係まで拝命してしまった。


「これだけ声量のある男の人に一緒に来て頂けると、熊に出くわす心配が減って助かりますね」

 これ見よがしに耳を塞ぎつつ、アトラが振り返る。

「あまり大声を出されると、私の仕事に支障が出ます。もう少し静かにしてください」


 秋とはいえ、日が高く上がった時間帯、ずっと歩き続けていれば暑くなってくる。手袋を嵌めた手の甲で額を拭いながら、アトラは何かを探すように首を巡らせた。

 目的地が定まっていないような様子を見ていると、何だか遭難するんじゃないかと恐ろしくなってくる。ぞっとしない想像だった。



 倒木の幹に腰かけながら、「あともう少しで到着できそうです」とアトラは言った。

「そう? それはよかった」

 自分で勝手についてきておいて何だが、思いもよらない重労働にルカは不機嫌になっていた。


「てっきり、君は遭難しているんだと思っていたよ。目的地も決まっていないように見えたしさ」

 喉を鳴らして給水しているディレナを見るが、特に堪えた様子はない。こんなに疲れ果てているのはルカ一人だけのようである。


「こんなところで遭難したら、永遠に死体も見つかんないよ。誰も探しになんて来れないからね」


 嫌味を込めた口調で吐き捨てると、アトラは不意に目を丸くしてこちらを見た。ぴんと耳を立て、周囲に注意を払う兎のような表情であった。

 そのまま彼女がしばらく黙ってしまうので、言い過ぎたかとルカは内心で慌てた。あんなに辛辣なことを言ってくるアトラだが、癇癪をぶつけるのはやりすぎだ。

 何と言って弁明しようか、と彼女の顔を窺っていると、アトラは口元に手を添え、「なるほど」と呟く。


 ぱちぱちと瞬きをして、彼女は頬を綻ばせて頷いた。初めて見るような笑顔だった。

「――良いですね、それ。誰にも見つからないところで、ひとりで……」


 何故かご機嫌になったアトラに、ルカは震え上がった。

「駄目駄目駄目」

 勢いよく首を振りながら、ルカは立ち上がってアトラの隣に移動した。

 少なくとも今日は自分がいるんだから、ちゃんと市街地まで帰ってくれなきゃ困るのだ。ルカは、一人でこの深い森の中から抜け出せる自信が全くなかった。



「まあ落ち着けよ、そんな投げやりなことを言うもんじゃない。確かに君は人より苦労してるのかもしれないけど、だからって命を投げ出すようなことを言っちゃ駄目だ。悲しむ人もいるんだぜ」

「そんなに頑張って説得なさらなくても、今日はちゃんと帰りますよ。他に人がいるんですから」

 ルカの心を読んだように、アトラが肩を竦める。それは良かった、良かったが、論点がおかしい。


「その言い方だと、一人のときに実行するみたいだけど!?」

 詰め寄ると、アトラは水筒の蓋を開けながら目を逸らした。


「……私が死んで悲しむ人より、喜ぶ人のほうがずっと多いですよ」


 何気ない口調で言われた言葉に、ルカは数秒間凍り付いた。

「私の死を待ち望む人がどれだけ多いか、あなたはご存じないでしょう」

 アトラは背筋を伸ばして苔むした幹の上に座り、木漏れ日を浴びながら微笑んでいる。ちょっとした絵画のような光景なのに、彼女の言葉の裏に垣間見えた闇の、どれだけ深いことか。


 ディレナは何も言えないように唇を震わせている。ルカも、しばらく何も言えなかった。

 ショックを受けた二人の顔を見比べて、アトラは「ごめんなさい、冗談ですよ」と苦笑する。


「何でもありませんから、忘れてくだ――」

「でも、僕は悲しいよ」

 真っ直ぐにアトラを見つめて告げると、彼女は眉を上げて口を噤んだ。


「どうして君が死んで喜ぶ人がいるのか知らないけど、そいつら全員まとめた分より、僕がもっと悲しむと思うよ」

「あなたに、そんなこと言われる筋合いがありますか? 私たち、ほぼ初対面と言っても良い程度の付き合いしかないのに、適当なことを言わないでください」


 アトラの言葉はもっともだった。ルカは一度俯き、自分の手を見下ろして呟く。

「僕も、なんで自分がこんなことを言っているのか分からないけど、……でも、君がそういう、悲観的なことを言うのは嫌だ」

 彼女はしばらく無言でこちらを窺っていた。目を逸らすと水を一口飲んで、水筒の蓋を閉じ、アトラは低い声で吐き捨てた。


「私のこと、何も知らないくせに」



 ***


「そういえば、ラチェタライトを売った金でジェンの学費を出しているそうだね」

 言うと、ディレナは「はい」と頷いた。

 オークション側が何割か取っているだろうとはいえ、出品者であるディレナが得た金額は相当なはずだ。彼女が一生かけて稼ぐ金の何倍あるか分からない。


「まだ全然余っているだろうけれど、それはどうするつもりなんだ?」

「取りあえず、今のところはアトラさんに頼んで、オークションの側でほとんどを管理してもらっています。流石にあんな金額、自分で保管できませんもん」


 確かに、いかにも素朴そうなこの少女が、家に大層立派な金庫を置いているのは不自然だ。悪い輩に目をつけられかねない。


「ジェンが卒業するまでは、念のため、あまり手をつけないでおこうと思ってるんです。家族に怪しまれるのも嫌ですし。でもたまに、親孝行がてら、今の両親を連れておいしいものを食べに行ったり」

「そっか」


 アトラは一度休憩を挟んだ頃から、急激に口数が少なくなった。話しかけても生返事で、まるで人には聞こえない何かに耳を澄ませているみたいだった。

 大きく目を見開き、鬱蒼と茂った藪を睨みつける姿からは、ぴんと張り詰めた糸のような緊張感が漂っている。


「ジェンには言っていませんが、こうしてアトラさんと一緒に外に出ているのは、実はアルバイトなんです。今日はたまたま野外での作業になりましたが、どこぞの素敵なお屋敷を訪ねて商談をすることもあったんですよ」


 アトラの邪魔をしないようにか、ディレナは声を潜めて言った。ルカは目を剥いて隣のディレナを振り返る。この娘……。


「アルバイト? まだ金が必要なわけ?」

「自分でも強欲だとは思うんですけどね」

 彼女は小さく忍び笑いを漏らして、ディレナは鼻を擦りながら呟いた。


「……あたしは、昔のあたしみたいな、逃げたくても逃げる場所もないような、そういう子どもたちのための学校を作りたいんです」

 大それた夢かもしれないけど、と彼女はくすくすと笑う。

「そのためには、お金はいくらあっても足りないし、色んな交渉ごとも必要になると思うんです。でも、学がなくて礼儀も知らない今のあたしじゃ、交渉相手と対等に渡り合えない」


 だから、アトラに頼み込んで、彼女の下で助手をやっているのだという。


「立派な夢じゃないか」と素直に驚きを示すと、ディレナは少しだけ歯を見せて笑った。


「あたしに出資してくれそうな優しいお知り合いがいらっしゃったら、こっそり教えてくださっても良いんですよ」

「探しておくよ」

 言いつつ、ルカは密かに貯金を決意していた。少しくらいは出資金の額で見栄を張りたいので。



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