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1 アトラは訳あり


 元から病がちだった母は、ルカが十四のときに亡くなった。持病の発作があった母にとっては、旅行なども難しかったろう。

 ルカに母と外を出歩いた記憶はほとんどなく、思い起こされる母はいつも、明るい窓辺の寝台の上で微笑んでいる。


 母の首には、少し古めかしいデザインのペンダントがあった。小ぶりな宝石が一つだけあしらわれたそれは、母が何より大切にしていた宝飾品である。

 奇妙な輝きをもつ宝石であった。見る角度によって、赤にも青にも緑にも黄にも見えた。明かりのない部屋でも、ひとりでにきらきらと瞬くように思うことが、何度もあった。

 母は、その宝石がとても貴重なものなのだと語っていた。


 その言葉通り、似たような宝石を、ルカは他のどこでも見たことがなかった。宝石商に聞いてみたこともあったが、そのような代物は出回っていないと言われた。


 さぞかし高価な品なのだ。だから盗まれた。

 母の死後まもなくして、母が大切にしていたペンダントは宝石箱の中から忽然と消えていた。



 ***


 赤ら顔の男が、唾を散らしながら大声を出す。別の男がだみ声で、これまた下品な悪態を怒鳴り返している。

 床には零れた酒が染みをつくり、使い込まれた床板はところどころささくれ立っている。薄暗い店内には、昼間から飲んだくれているようなろくでなしばかりがひしめき合っていた。


(なんて店だ、こんな場末の酒場に闇オークションの入り口があるなんて、本当か?)

 顔をしかめて、ルカは煮出しすぎの紅茶を啜った。渋いうえに、ぬるい。値段相応といいたいところだが、あまりに酷すぎる。


 本当なら、今頃は可愛い女の子の二、三人でも侍らせて、もっと上等な店でもっと良い酒を聞こし召していたはずなのだ。

 それなのに今ルカがいる場所は、見渡すばかりの野郎、野郎、野郎。なんだか妙な臭気まで漂うし。


 これで闇オークションの話が嘘だったら、ルカは友人の胸ぐらを掴み上げるくらいのつもりだった。



 向こうの席で互いに口汚く罵り合っていた男のひとりが、椅子を蹴倒して立ち上がる。すわ乱闘か、と周囲で囃し立てていた連中が口笛を吹く。いけ、やれ! 拍手とかけ声が飛び交う。

 小汚い看板に相応しい、品性の欠片もない店である。嫌気が差して、ルカは頬杖をついたまま反対側を向いた。


「――はい、落ち着いてくださいね。リヴィトールおじさん、今日はちょっと飲みすぎよ。そちらのお客さんも、そんなに喧嘩腰にならなくたって良いでしょう? これ以上暴れるなら、店を出てもらいますからね!」

 どん、とジョッキを机に置いて、少女の声が店内に凜と響いた。


 こんな荒くれ者たちの酒場には似つかわしくないような、上品な声音であった。決して大きな声を出したわけでもないのに、どういう訳か人を黙らせる威風がある。

 ルカは驚いて顔を上げ、そちらに顔を向けた。


 赤毛をゆるいお下げにして、背筋を伸ばして腰に手を当てている少女がいる。

 ほんの小柄な女の子である。前掛けをして、丸い盆を小脇に抱えている姿から、ここの店員だと分かった。


「これ、お水です。もう今日はお酒は出さないので、これだけ飲んで帰ってください」

「そんな、アトラちゃん、意地悪言わないでくれよぉ」

 さっきまで大声で怒鳴り散らしていた髭面の男が、まるで叱られた子どものように背を丸めて少女と目線を合わせ、弱々しい声を出す。


「駄目です」

 見上げるほどの大男たちに囲まれながら、アトラと呼ばれた少女は一歩も退くことなくかぶりを振った。

「これ以上の深酒は体にも悪いですよ。奥さんも心配してらっしゃいました」

 ぐぅ、と男の喉の奥から音が漏れる。アトラは腰に手を当てたまま、くすりと笑って小首を傾げた。それまでの厳しい口調から一転して、優しい声で話しかける。


「また別の日に、おいしいお酒……まあそこそこの安酒ですけど……飲みに来てくださいね」

 また別の方向から野次が飛ぶ。


「おーい、この店に酒を卸してるのは俺んちだぞー」

「本当のこと言っただけじゃないですか」


 建物が揺れるほどの笑い声がどっと沸き起こる。


「はは、アトラ嬢は手厳しい」

「お前の酒はまだ全然なってねぇってよ!」

「参ったな」


 ひょいと肩を竦め、割れんばかりの爆笑の中を平然と抜けて厨房へ戻ってゆくアトラの姿を、ルカは呆然と見つめていた。


(あれが、闇オークションの入り口を知っているっていう、酒場の看板娘……)



 ルカが聞いている話は、以下の通りである。


 母が所持しており、あるとき何者かによって盗まれた宝石。それによく似た特徴を持つ品が、辺境のある街で定期的に開催される闇オークションで出品されるというのだ。


 その闇オークションは、曰く付きの調度品や骨董品、不思議な力をもつとされる『魔道具』、世界に二つとない貴重な宝物など、表には出せないような代物を取り扱う秘密の会合である。


 この世に魔法なんぞ存在しないのは、絵本を好む小さな子どもだって、心のどこかで薄々気づいている常識である。

 要するに、そういうお題目で珍妙な品物を売り買いする悪趣味な集いということだろう。


 中には、表沙汰で取り扱っては警察の世話になるような品もある。そういうわけで、闇オークションに参加できる人間はごく限られており、他の人間の紹介がないと会場には入れないようになっているのだという。


 そうして友人の紹介を受け、指定された酒場が、ここという訳だ。


(あとは、あの看板娘に合言葉を言えば、闇オークションの入り口を教えてくれる……らしい)



 先入観ゆえかも知れないが、件の看板娘の姿はどうにもここには不釣り合いに思えた。

 身につけているものは普通の村娘と変わらないし、特に気取った素振りをするでもない。図体の大きな男たちを前に怯んだ様子ひとつ見せない様子からして、深窓の令嬢であるはずもない。

 けれど、明らかに周囲の人間とは異なる雰囲気を纏っている。


 間違いない、あの少女が、闇オークションの秘密を知っているはずだ。



「はぁい、ただいまぁ」と明るい声を上げて、アトラが奥の厨房からカウンターの方へ出てくる。隅で固まっている連中よりは幾分か若く、幾分か行儀が良さそうな青年が三人ほど並んで、なにやら注文をしているらしい。


 三人のうち、真ん中に座っている青年は見ていて心配になるほど真っ赤な顔で、つっかえながら注文を終えると「あのさ」と上擦った声を上げた。


「アトラちゃん、今晩って、暇かな」

 随分と勇気を振り絞ったらしい。脇で友人と思しき二人が、固唾を飲んでアトラの返事を待っている。

「えーと」とアトラは笑顔で頬に手を当てた。


「ごめんなさい、今夜はちょっと用事があるの。また別の日に誘ってください」

 うわー、と友人がひっくり返る横で、真ん中の青年は「わ、わかった」と真剣な表情で頷いている。


 なるほど、とルカは内心で呟く。

(看板娘で、高嶺の花ってわけだ)

 思いながら、ルカは軽く手を挙げて合図を出した。目敏くそれに気づいたアトラは、少し待つように手振りをすると、一旦厨房へ戻る。


 少し待っていると、アトラは前掛けで手を拭いながら早足でこちらへ来た。

「はい、ご注文ですか?」

 酔っ払いの相手をしていたときとは別人のように、愛想の良い口調だった。薄暗い店内だからか、大きな目を見開いて、こちらをじっと見つめている。


 周囲を憚るように少し視線を配って、それからルカは口元に手を添えて、友人から教わっていた合言葉をそっと告げた。


「――鏡とは、あまねくいずれは割れるものである」


 それにしても、奇妙な合言葉だ。何を意図した言葉なのか、ルカにはさっぱり分からなかった。



 アトラが、一度まばたきをする。

「はい、承りました」

 彼女の表情に変化はなかった。本当に伝わっているのか不安になるほどで、「他にご注文は?」などと平然とした様子で言いさえする。

(聞こえてなかったのか?)

 友人は悪趣味な冗談が大層好きだが、人に迷惑をかけるような嘘を言う質ではない。

 それとも、金を持っていないように見えたから足元を見られて舐められてでもいるのか? それなら随分と見る目がない。


「おい、聞いてたのか?」


 思わず手を伸ばしてアトラの腕を掴んで引っ張ると、驚くほど強い力で振り払われた。アトラは笑顔のままだったが、その眼差しは冷え冷えとしている。



「――態度の悪いお客様は出禁にしますよ」

 周囲には聞こえないような低い声で吐き捨てられ、ルカは咄嗟に手を離した。唖然として言葉を失うルカを見下ろして、アトラは小さく顎をしゃくった。


「その懐中時計のチェーン、さしずめ『今は仕方なく平民のふりをしているが本当はそんな地位じゃない、見る人が見れば本当の階級が分かるように』とか思って見せびらかしているんでしょうが、普通に全員気づいてますし、誰の目にも意図がバレバレすぎて本当に恥ずかしいです。だったら堂々と派手な夜会服でも着てきた方がまだ微笑ましいというか、微妙な自尊心が見てて痛々しいので、さっさと隠した方が良いですよ」


「えっ?」

 なんか低い早口ですごい辛辣なことを言われた気がする。その内容が飲み込みきれずに、ルカは目を白黒させた。

 アトラは薄ら笑いで鼻を鳴らすと、「まあ、お育ちがよろしいことは悪いことではございませんからね」と、ぎりぎり聞こえる小声で吐き捨てる。


 呆然とするルカをよそに、アトラはぺこりと頭を下げて勝手に会話を終わらせてしまう。

「では、もう少々お待ちください」

 数秒前までの冷淡な表情はどこへやら、アトラは一瞬でころりと愛想の良い看板娘の顔に戻って、さっさと厨房へ帰っていった。


 ルカはだらだらと汗を流しながら、わざと見えるようにポケットから出していたチェーンをそっとしまった。

 ちょっと涙目であった。



 そのあと運ばれて来た料理は、注文した記憶のない煮込み料理だった。それを指摘しようとも思ったが、屈託のなさそうなアトラの笑顔が不思議と高圧的に見えたので、思わず黙ってしまう。


「――五の鐘の頃に、店の裏で」

 厨房へ戻りぎわ、アトラが耳元で囁いた。言われた内容を三度にわたって反芻し、小さく頷く。


 アトラは特に反応を示すでもなく、雑多な店内ではこちらに注意を払う人間がいるようにも見えない。誰も知らないままに、ごく当然のように交わされる非日常に、ルカの心臓はどぎまぎとしていた。


 馴染みの客に声をかけられて、明るい声で応じているアトラの後ろ姿を、呆けたように見つめる。

 さっき、周りに聞こえないように潜めたアトラの声は、低くて少し掠れていた。その囁きが今でも耳に残っているような気がする。



 友人が『おもしれー女』とか言いながら、やたらに鼻っ柱の強い平民の小娘を寵愛しているのを、ルカはこれまで酔狂だと思って眺めてきた。


 が、しかし、これは……

「……癖になるかもしれない…………」

 口元を押さえたまま、彼は実感を伴って呟いた。


 ルカは大概、影響されやすいボンボンである。



 ***


 初春とあって、日が落ちれば気温はだいぶ落ち込む。

 街の中心にそびえる時計台の方向から、鐘が五度、打ち鳴らされるのが聞こえた。その残響が消えて少しした頃、丈の長い外套を羽織ってアトラが裏口から出てきた。


 緩く編んでいた髪を下ろしたらしく、やや重たげに波打つ赤毛が小さな背を覆っている。その姿を見つけて、ルカは足早に近づいた。


 足音に気づいたのか、アトラは眉を上げて振り返った。ルカは息せき切ってアトラの腕を掴む。

「それで、闇オークションの入り口っていうのはどこにあるんだ」

「……その名称を決して外で出さないでください。あと、大声を出さない、挙動不審にならない、浮かれない。ついでに申し上げますと、他人に対して敬意を持った振る舞いをすることが必要だわ。それと勝手に触らないでください」


 笑顔で腕を振り払い、アトラは大きく一歩下がった。酒場にいた可愛い看板娘の笑顔そのままなのに、にべもない。


 それにしても、ここまでしっかりと叱られるのは久しぶりだった。流石に萎れて黙り込むと、アトラは眉の動きだけで如実に呆れの感情を伝えてきた。



「……では、こちらへ」

 軽い口調で言って、アトラが歩き出す。慌てて後を追いながら、ルカは再度まじまじと彼女の姿を見た。アトラは振り返りもせずに「なにか?」とよそよそしい口調で言い放った。

「いえ、何でも……」

 ないです、と気圧されて敬語になりそうになって、それはちょっと沽券に関わるので尻すぼみになる。


 見慣れない街をアトラの先導で歩いているうちに、入り組んだ小路に方向感覚を失い、今いる場所が分からなくなってゆく。一人でもう一度同じ道を辿れと言われても難しいだろう。



 暗い路地を並んで歩く間、会話らしい会話は一切存在せず、足音ばかりが規則正しく響いている。

 さすがに少々気詰まりな沈黙である。気合いは若干萎えかけていたが、ルカはおずおずと口を開いた。


「……君は、どうしてこんな仕事を?」

「昼のことですか? 夜の方ですか?」

「どっちもだけど、どちらかといえば今の仕事の方かな」

 アトラは、あんな酒場にいるべき少女ではない。し、こんなうら若い女の子が闇オークションに関わっているなんて異常だ。


「どんな経緯があれば、君みたいな女の子が闇オークションなんかと繋がるのさ」

「……他人に喜んでお話しするような事情はありませんよ」


 アトラの口調はそれまでと変わらず、一線を引いた親しみのない態度である。けれど、その言葉の裏に、これまでは見られなかった感情の揺らぎが感じ取れた気がした。


 ……たぶん、これ以上踏み込んだら良くない。そうと分かっていつつも、好奇心は抑えられなかった。



「君、ご両親は?」

「私が両親と慕う相手はおりますが、私に会うすべはありません」


「亡くなってるってこと?」

「生きていますよ。でも、両親は私のことを娘とは思っていませんから」


「捨てられたんだ?」

「ええ」


「それで、流れ流れて闇オークションに?」

「そういうこと」


 言いながら、アトラは外套のフードに手をかけると、目深に被る。大きなフードは彼女の顔を隠すには十分で、濃い影がその目元に落ちた。こうなってしまえば、表情はおろか顔立ちも窺うことはできない。


「私のつまらない身の上話は結構です。オークションの性質上、こちらからお客様の正体に関して探ることもしませんし、お話するような内容はもうございませんわね」

「いや、ま、待って」


 会話を打ち切ろうとしたアトラを押しとどめて、ルカは身振りを交えて「実は」と切り出した。

「今日ここに来たのは、ある宝石が出品されると聞いたからなんだ」

「宝石……」

 顔は見えなかったが、アトラがフードの影からこちらを慎重に窺うのが分かった。


「虹色に輝く、小さめの宝石がついたペンダントが出るだろう?」

「まあ、……そうですね。断言はできませんが、恐らく、まさにお求めの品かと」

 それではやはり友人の話は本当だったのだ。俄然元気が出てきて、ルカは勢い込んで語った。


「それ、僕が幼い頃に亡くなった母の形見なんだ。埋葬が終わって部屋を片付けていたらなくなっていることに気づいて、たぶん、何者かによって盗まれた。それに似たものが、ここのオークションに出されると聞いたから、ここまで来て」


 へえ、と彼女が小さく相槌を打った。その表情に、軽い驚きが含まれているのが分かる。

 と同時に、含みのある懸念がその口元をよぎる。



「……その宝石がどういったものなのか、ご存知で?」

「母さんが大切にしていたものなんだ」

 すぐに応えると、彼女は思案するように二度ほど瞬きをした。


「それを取り戻すために来たんですか? 宝石を得てどうするおつもりで?」

「え? どうするもなにも……」

 腕を組んで、ルカは首を捻った。

「確かに考えていなかったな。もしもあれを買い戻せたら、まずは父や兄と相談して……たぶん、母の使っていた部屋の宝石箱に戻すと思う」


 しばし考えるような沈黙があって、それから、「お話は分かりましたが」とアトラが再び前を向く。



「どのような事情があろうと、こちらはお客様を特別に優遇することはございません。ご留意ください」

 そんなことは分かっている。小さく頷いたルカを一瞥して、アトラは躊躇いがちに告げた。


「しかし、あの宝石は相当に値がつり上がりますよ。覚悟された方が良いです」



 更にもう少し歩いて、アトラが足を止めたのは、宵闇の中に浮かび上がる細身の扉の前であった。明かり一つない裏路地の中で、隙間から漏れ出した光が、扉の輪郭を四角く切り取っている。


「それではどうぞ、こちらへ。お客様が求めるものを得られますよう」

 片手で扉を開け、恭しく腰を折って、彼女はルカを一瞬だけ鋭い眼差しで見つめた。


「必ずお伝えする決まりですので、予め言っておきます」

 どこまでも深い、得体の知れない眼差しであった。アトラはひたと眼差しをルカの目に据えて、唇をほとんど動かさずに告げた。


「――お客様が、購入された品物でどのような結果を迎えようと、当店は何ら責任を負いません」


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