トビーと流れ星
トビーは仲間のトビウオたちのなかで、一番速く泳ぐことができます。天敵のマグロたちに襲われても、トビーには誰も追いつけません。さらに、泳ぎが自慢のカジキが、その剣のような口でトビーを斬ろうとしても、トビーは猛スピードで空に飛び出し、胸びれを広げるのです。いくら泳ぎがうまくっても、空でトビーにかなうものはいませんでした。
「だれもおれにはついてこれないのさ」
トビーは夜の海が大好きでした。空中に飛び出すと、海の中では見ることができない、美しい星空と優しい月の光で満ちているのですから。そんな中を風を切って進んでいくと、この海も夜空も、すべてが自分のものだとすら思えるのです。
「海の中でも、星の海の中でも、おれより速く泳げるやつはいないぜ」
しかし、そんなある日のことでした。その日もトビーは、夜空を一匹でゆうゆうと飛んでいたのですが、その視界を、スッと光の線が横切ったのです。
「なんだ、今の! ……すげぇスピードだった……」
トビーはそのまま、海の中へと落ちていきました。
その日を境に、トビーはうわごとのようにぶつぶつと、なにかをつぶやきながら海の中を泳ぐようになりました。仲間のトビウオたちは、心配そうにトビーに声をかけますが、トビーはいつもうわの空です。
「……あいつより速く飛べないと、おれは……」
以前にもまして、トビーは夜空を飛ぶことが多くなりました。まるでとりつかれたように、空を飛んでは海に潜り、空を飛んでは海に潜りをくりかえしているので、仲間のトビウオたちもだんだんと気味が悪くなってきたようです。みんなじょじょに、トビーから距離をおくようになりました。
ですが、そんなことトビーは気にもとめることはありませんでした。トビーの心にはただ一つ、あの光の線のことしか見えていませんでした。
「あの夜空を、おれなんかよりも何倍も速く、泳いでいきやがった。ゆうゆうと、おれの目の前で……! くそっ、バカにしやがって、見てろよ!」
何度も無理な飛行をくりかえしたからでしょうか、トビーの自慢の胸びれは、だんだんとちぎれて血がにじむようになっていました。しかしそれでも、トビーは飛ぶのをやめません。胸びれが痛んで苦しくなると決まって、あの光の線が夜空を優雅に泳ぐのです。まるでトビーに見せつけるかのように。
「うぅ、ちくしょう! 絶対に追いついてやるからな!」
光の線を追って、トビーは生まれ故郷から、遠くへ遠くへと、どんどん泳いで飛んでいきました。いくつもの夜空を見て、見える星座もじょじょに変わっていきましたが、そんなものはトビーの目には映っていません。トビーが見すえているのは、あの光の線だけでした。
そうして夜空ばかりを見ていたからでしょうか、トビーはある夜、勢いよく水面から飛び出し、そのまま砂浜へと着地してしまったのです。
「うわぁっ!」
バタバタと胸びれを動かしますが、こうなってはどうにもなりません。あれだけ速く飛べたトビーも、砂の上をジタバタするしかできませんでした。その音を聞きつけて、バサバサと羽の音が聞こえてきました。
「だれだ、あんたは!」
せいいっぱい威勢をはるトビーを、硬いくちばしがはさみます。そのままはばたくと、トビーはいつも飛んでいたときよりも、はるかに高い空へ持ちあげられてしまったのです。
「空って……こんな、高くて広かったんだ……」
水面近くから見あげていた夜空の星が、今はくっきりと見えています。そして、あの光の線も……。
「ほう、流れ星か」
くちばしの主がつぶやきました。思わずトビーは聞き返します。
「ナガレボシ? あれは、ナガレボシというのか?」
「ん、お前さん、流れ星を知っているのか? あぁ、そうか、お前さんはトビウオか。それなら空を飛んだりもできるだろう。そうだ。あれは流れ星といって、空に輝く星が落ちるときに見られる。……お前さんも、もうすぐわしに食われるんだから、最期にいいものが見られただろう」
くちばしの主が笑いましたが、トビーはくやしそうに胸びれをうちふるわせるだけでした。
「くそぅ……。おれは、結局あいつに、ナガレボシに勝てなかったのか」
「流れ星に勝てなかった? どういうことだ?」
くちばしの主が、笑うのをやめてたずねました。
「おれは、あのナガレボシとかいうやつよりも速く飛べるように、ずっと飛びつづけてきたんだ。でも、一度もあいつよりも速く飛ぶことはできなかった。……結局おれは、一番にはなれなかったんだ」
無念そうにいうトビーを、くちばしの主はしばらくくわえたまま黙っていましたが、やがてふぅっと小さく息をはきました。
「面白いやつだ。魚のくせに、まさか流れ星に勝とうとするとはな」
「魚だからなんだってんだ! そんなのは関係ない、おれはただ、一番になりたかっただけなんだ!」
むきになるトビーに、くちばしの主はわずかに首をふりました。トビーのからだがゆれます。
「そのために、これほどまでに胸びれをボロボロにして、挙句の果てに岸につっこむとは……」
「笑うなら笑え。おれのことを食うなら食えよ。おれは負けたんだ、一番にはなれなかった」
覚悟を決めるトビーでしたが、くちばしの主はまだ丸のみにはしませんでした。くちばしがだんだんと食いこみ、トビーは憎しみに満ちた声でくちばしの主をなじります。
「そうか、おれをいたぶって、楽しもうってことか」
「違う。……お前、一番になりたいのか?」
ふいにくちばしの主に聞かれて、トビーは言葉を飲みこみました。高い空の冷たい空気にさらされて、じょじょに痛みが消えていきます。トビーは静かに答えました。
「あぁ、おれは、一番速く飛びたい」
「なら、あの流れ星に祈るんだな。お前が祈り終わったときに、わしはお前を食う。だから、祈りをささげるんだ」
わけがわからないといった顔のトビーに、くちばしの主は続けました。
「昔から、わしら陸の住人は、流れ星を見たときに祈りをささげるのだ。そうすれば、流れ星が願いごとを拾ってくれる。お前もまだあきらめていないのなら、願いごとを祈るといい。そうすれば、もしかしたら夢の続きを見られるかもしれんぞ」
再びくちばしの主が笑いました。トビーは苦々しげに胸びれを動かしましたが、ヒュッと流れ星が落ちたので、急いで祈りました。次の瞬間、トビーはなにもわからなくなってしまいました。
ハヤブサのトビーは、だれよりも速く飛ぶことができました。たとえタカやワシに狙われても、トビーには追いつくことはできません。そしてトビーは、夜空を飛ぶのが誰よりも好きでした。夜空の流れ星を追って、飛んでいくのが。
「……今度こそ、おれは一番になってやるんだ!」
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