六拭き目:ルカ
「昨夜、俺が言ったことを覚えているか?」
クティはほとんど吐息だけで詰問した。
「なあ、ご依頼人。仕事を受ける時に言ったことだ、忘れちまってんなら俺は今からでも帰るぞ」
「覚えています」
指先でこめかみを抑えながらオウルは弱々しく答えた。
「けっして嘘をつくなと、捨てたゴミを持ち帰ってくることも許さないと……」
「その後だよボケ」
「……っ、仕事がしづらくなるので喧嘩はなるべくしないように、とおっしゃいました」
「したらアンタ『勿論です』とかなんとか言いやがったよな。『仕事の邪魔になるようなことをするはずがありません』とかなんとか言ってくれたよなぁ。さっきのアレ、俺にはど~見ても喧嘩売ってるようにしか見えなかったんだけどなぁ? あん?」
「申し訳ありませんでした」
オウルは項垂れながら蚊の鳴くような弱々しい声で謝った。
「ついカッとなって、私も自分では分かっているつもりなんですが、アルベルティーヌさまの我儘を聞くと、どうにも感情的になってしまうんです」
「そっちじゃなくて、後から聞いたお偉い兄さん達の方」
「え?」
そっちのことだったのか、とパッと顔を上げたオウルにクティは少し違和感を覚えたが、今はそれを横に置いておくことにした。
「領主の娘さんとは絶対喧嘩になるのはわかってんだ、だからアンタじゃなくて俺が相手だって彼女にもしっかり念押ししただろ。アンタが望んでんのは『夢見乙女が残した負債を綺麗にして、次期領主のお嬢さんに領主の地位を引き継いでもらう』ことだって言ってたよな? 死んだ母親の部屋に引きこもり続けるあの子を次の領主にしたいわけじゃないんだろ」
「勿論です」
「だったらお仲間の役人との喧嘩をやめろ」
ドン、とクティはオウルの胸元を拳で叩いた。オウルが少し息を詰める。
「気合入れてくれよオウル・アークさん、俺にとっても大仕事なんだ。この城の中のゴミを全部掃き出せるかどうかは、この城で生きてるアンタらとあのお嬢さんにかかってる。俺とあのお嬢さんの喧嘩に他の連中を割り込ませるな」
叩かれた胸にオウルは手を当て、グッと握り込んだ。
「……わかりました」
「じゃ、そういうことでそろそろ人も集まって」
「ありがとございます、スイープさん」
クティはキョトンとオウルを見上げた、オウルは苦笑していたがどこか嬉しそうだった。
「誰かに怒って貰うのは数年ぶりです」
「お偉いさんだもんな」
掃除屋は照れくさそうに頬を掻く。
「俺のことはクティでいいよ」
「では、私もオウルと呼んでください」
「OK、オウル。んじゃ仕事にとりかかってくれ、皆さんお待ちかねだ」
クティが背中を押すとオウルが柱の陰から城の人間たちが集まる中庭へと歩み出た、真っ直ぐな背中にクティも続く。
アルバ・マキシナ城内の片づけをクティとオウルだけでするのは現実的でないことは分かり切っていて、昨夜のうちに2人はこの大掃除を秘密裏にではなく大々的な一大事業として扱うことに決めた。
これはクティの忠告からオウルが考えた手だ。
「名のある家の大掃除って、コソコソやっても絶対バレるんだって。本人達の隠したまま綺麗にしたいって気持ちはよーくわかんだけど無理。尾ヒレ背ビレついた噂流れるのは覚悟しといて」
「では、公開で掃除しましょう。人手も大々的に募れます、掃除は元々好印象な作業です、アルマダ家と旧行政についた悪印象を払拭できるかもしれません、先代政治との決別です」
と、このような感じで、昨夜オウルは城に戻ってすぐに勤め人たちに口頭で伝達した。
正式な訓令ではなく、時間も詳細も伏せられた周知、噂程度に掃除屋が来るという情報と、先ほど城門前で守衛長へ任せられた伝言ではあったが、中庭の広場にはアルバ・マキシナ城で働く下働きのほとんどの人間が集まっていた。
オウル配下だという少数の直接の行政官、領地運営の実務に携わる公僕達約数十人も含めると、百を優に超える人数である。
クティはオウルに聞こえないように口笛を吹いた。
(すげぇ集まるじゃん)
臨時領主であり、先代領主時代は行政統括を任されていた旧行政補佐長オウル・アーク。
(領主代行って言ってたからお嬢さんが準備出来るまでのツナギの人って思ってたけど、結構人望あるのか)
日中の、しかも手持ちの仕事が各人ある中という条件付きでの集合に、下働きの人間がこんなに集まるのも、不思議な光景だった。
集まった勤め人たちの中には、既に箒や雑巾を装備している者もいて、どこか顔が輝いている。
クティ・スイープが来ることを聞いていて、尚且つ何が行われるか理解している者たちだ。
頭上から可愛らしいクスクス笑いが聞こえてきて、クティは顔を上げた。
中庭に面する二階の窓からアルベルティ―ヌの部屋にいた侍女達とその同僚達がクティを眺めていたので、女たらしの掃除屋はとびっきりのウィンクと笑顔を送った。
黄色い笑い声がにわかに上がる中、オウル・アークが集まった大衆の前にスッと立つ。
下働きとは違う、官服を着たオウルと同僚の役人達が待っていたとばかりに拍手を鳴らし、オウルは居心地悪そうにそれを制して、目の前の全員に対して背筋をピンと伸ばした。
「これから掃除を行います」
中庭に張りのよい青年の声が響き渡る。
「アルバ・マキシナ城全域の大掃除です」
集まった人間たちはシンと鎮まり返った。
「各々仕事があるのは承知しています、が休憩時間以外で手の空いている者は手伝いをお願いします。以上です!」
深く息を吐いたオウルは真摯を宿した紫色の目を、自分の話を待っていた者たちに向け、彼らをゆっくりと眺めた。
眺めて、眺めて……顔を少し引きつらせながら、よし、と頷いた。
中庭に動揺が生まれる。
オウルの第一声を待って拍手をした役人たちが全員頭を抱えだし、集まった下働きの者たちは所在なさげに互いに顔を見合わせ合った。
「あのー」
1人の青年が声を上げた、クティのよく見知った顔だ。
「それだけー?」
オウルはうっかりしていたとばかりにもう一度声を上げる。
「汚れても良い服装でお願いします」
「あー、はいはいはい! 俺からしょうさーい!」
クティは耐えられず、ピョンピョンと跳ねて手を振った。頭を抱えていた役人たちが藁にもすがる様に顔を上げる。
先程「それだけ?」と質問した青年が大きな木桶をクティの前に逆さに置いたので、クティはそれにひょいっと飛び乗った。
「はい、えっとぉ。まずは自己紹介ね、俺クティ・スイープ。仕事は」
「ベルモントの店のヒモだろ」
どこからか野次が飛んできた。
「うるせぇ違わい!」
また別の方面から野次が飛ぶ。
「前に俺の姉貴を口説いただろ!」
「人妻か? ……ああ、うん、それは俺かも。姉さんによろしく言っといて。じゃなくて、俺の仕事! このアルバの街で掃除屋やってる」
クティの乗る木桶を持ってきた青年が合いの手のように口笛を吹いた。
「俺の事、知らないヤツが多いと思うけど」
中庭に集まった人の群れの中から複数の箒と雑巾が掲げられ、歓迎の声が上がる。感謝を伝えるようにクティは丁寧にお辞儀した。
「ありがと、とにかく俺は掃除屋で、仕事は床掃いて煙突登って屋根裏まさぐって、とにかくいらないモノ全部捨てること。ココにいる偉い人からの依頼で来た、俺は今日この時から、このドでかい家を掃除する。でも一人じゃ無理だ、皆に手伝って欲しくて集まって貰った。やることは単純なんだ、俺がいつもやってることで、皆もやってること。片付ける、捨てる、掃く、拭く、たったこれだけ」
藁に縋るようにクティを見つめていた役人達に血色が戻ってきていた。
肩透かしを食らったように騒めいていた下働きの者たちもクティの声に耳を傾けている。
クティはグッと腹に力を入れた。
「この城に、俺達のアルバ・マキシナに分不相応の贅を極めた物なんていらねぇだろ」
クティの言葉に拍手は起こらなかったが、先程とは違う静けさが、しぃんと中庭に広がった。
クティはハッと安堵の息を吐く。
「よし、じゃあアークさん……オウルの言った通り、手の空いてる人は汚れてもいい服に着替えて来てくれ、あと埃が多分ものすごいから口元隠せるやつ着けてここにもう一回集合、もう準備出来てる人は前の方に集まって、やること山ほどあるから! あとはー……俺のやる気充電!」
二階から眺めていた侍女たちに向け、クティはチュッとキスを投げる、中庭にドッと笑いが満ち、二階からはクスクス笑いと黄色い悲鳴と嫌悪の呻き声の混じった可愛らしい反応が返ってくる。
空気が和やかな一体感に包まれる中、クティは女の子たちに手を振り締まりのないだらしない顔で笑み崩れた。
「いやぁ、いいねぇ。女の子に見守られながらする仕事。やる気でる」
木桶を持ってきた青年がニヤニヤとしながらクティに手を伸ばす。
「またベル姉さんに怒られるよ、ご主人」
「余計なこと言うなよ、ルカ」
「どうしよっかにゃ~」
クティはルカの手を取って木桶から飛び降りた。
傍から見ていたオウルはクティと、彼を当然のように支える見知らぬ青年を交互に見つめた。
「お知り合いですか?」
オウル相手に、ルカは自分の両頬を指でぷにっと抑えて笑顔を向けた。
「え~、俺はぁ、ここの下働きちゃんのうちの一匹でぇす~」
「私はこの城で働く人間を全て把握しています、アルバ城の下働きにはあなたのような容姿の人はいません」
ルカはひょろりと背が高い……しなやかと言ってもいいだろう。褐色の肌にあまり手入れをしていないボサボサの長い白髪、赤みがかった目をした、クティよりも少し年嵩の青年だ。
オウルはルカを真っ直ぐ見つめて詰問の姿勢を取った。
「アナタは、どこの、どなたですか?」
「うぇ~、ご主人~。この人怖いにゃー」
「ごめん、オウル。コイツ俺の部下なんだよ。ルカ、いつも言ってるだろお客さんにはちゃんと挨拶しろって」
「ちぇー、せっかく城勤め人に紛れ込んどこうと思ったのにぃ。しょうがないにゃー、クティ・スイープ掃除店、猫の手担当、ルカでーす。お見知りおきだにゃん、ご依頼人さん」
主に負けない笑顔とウィンクをルカは飛ばした。
オウルの眉間に皺が寄る。
「アナタは、どこの、誰ですか?」
「へ? は? だから俺は~」
「いつ、どこの、誰と、身分を明かしてこの城に入ったのですか? クティが城に入った時はいませんでしたね?」
「そりゃ~猫だからそこら辺から忍び込んで~」
カッとオウルの紫色の眼光が煌めいた。
「アナタは、この城に、アルバの民の行政を預かる大事な場所に、無断で、侵入している、ということでよろしいですか?」
「うへぇぇぇ~、だってウチのご主人が入ってるからいいと思って」
「よくありません、手続きしてください」
「え~なにその面倒くさいの~、ご主人~なんとか言ってよ~」
「いつもの仕事と違うつったろ、ルカ。いいから玄関行って謝ってこい」
「にゃ~い」
渋々、そしてトボトボ、ルカは肩を落として城門へ向かう。クティは部下の背中を見送りながらため息を吐き、依頼人にバツが悪そうに詫びた。
「ウチのが悪いね、後でよく言って聞かせるから許してやってくんない?」
「怒っていません、ただ今後は必要な手続きは必ず済ませてください。必要な手続きは必要だからあるんです」
「あははは、おっしゃる通り。すんません」
苦笑いするクティを、オウルは複雑そうな表情で見つめた。
「……なに?」
無断侵入にはやはり刑罰か、とクティは身構える。
オウルは濃い紫色の目を伏し目がちにして唇を閉じて、何でもないと首を横に振った。
「あのさ」
クティの頭に巻いたコインスカーフが微かに震える。
「俺さっきアンタを怒ったじゃん」
「はい」
「実感すんのはこれからだろうけど、溜め込んだモノを捨てるのって実はかなり繊細な作業なわけ人によっちゃ心にどしーんと来るほどな。俺は依頼人に嘘つかない、駄目なことには怒ったりもする、言いたくないことでも言わなきゃいけない時は言うし、必要なら喧嘩も上等だよ」
「……」
「アンタもそうしてくんなきゃ困るぜ、オウル。俺はアンタの持ち物を捨てるんだ、それには信頼関係ってのが必要なんだよ、信用してないヤツに大事な持ち物捨てられたくないし、捨てさせられたくないだろ」
「……私が捨てたいのは私の持ち物ではありません」
こめかみを指先で押さえながらオウルは言った。
「アンタ一人の意思じゃ捨てるのが困難なモノなんだろ」
だからわざわざクティに頼んだ。
「言葉の一つや二つ吐き捨ててみろよ、掃除屋相手だ。安心だろ」
伏し目がちの紫色のまなざしがゆっくりと閉じ、そして開く。
「私はアナタほど口が回らない」
オウルは重たい溜息をついた。
「人を動かす言葉が上手くありません」
「……もしかしてさっきの気にしてた?」
うぐっ、とオウルが下を向き、こくんと頷いた。黒い髪間から見える耳に赤みがさしている。
「ぷはっ、はははははは」
「笑わないでください……やはり言うのではなかった」
「ははははは、オウル、お前、可愛いところあんなぁ。あははははは」
・ルカ(19歳)
身軽なお調子者。
ご主人であるクティが大好き♡一緒のベッドで寝て、お風呂も一緒のクティ・スイープ掃除店の猫の手担当。ご主人の手の届かないところをお手伝いするにゃん
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