表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

三拭き目:マダムソフィー

 

  イスタブル連邦は大陸大平原にある4州、大河沿いにある都市3州、そして荒野のオアシスで発展した自治区3つで構成される広大な国だ。

 クティたちが住むのは、オアシスのひとつアルバ・マキシナ自治区。

 東と西を横断する商人や物資の中継地点としての役割を担い、砂漠に周囲を囲まれながらも豊かな水資源と貿易の要所という利点で豊かに発展していった土地


 ――だった。



「役人だって言うなってデラコックに言われなかったのかよ」


 ベルモントの店から息も絶え絶えに逃げ出したクティは、商店が連なる大きな通りから細く曲がりくねった路地を隠れるように足早に通り抜け、日の光が当たらない古い住宅地にある腐りかけた木製の扉の前でやっと一息をついた。

 腐りかけの扉に引っ掛かっているのは、『スイープ掃除店』と打刻されたさび付いた鋳金プレート。


「申し訳ありませんでした」


 舌打ちをしながら自宅玄関前でポケットというポケットをひっくり返しているクティに申し訳なさそうにオウルは目線を下げた。


「……言われてはいたのですが、そうなるとあなたを騙して連れていくことになりますので」

「真面目だねぇお客さん首席補佐官て確か相当偉い人だよな……くそ、鍵どこやったっけ……」


 その場でぴょんぴょんと跳ね始めたクティをオウルはじっと見つめた。

 スカーフについたコインがしゃらしゃらと鳴るだけで一向に鍵が見つからない。


「あなたはいつから気がついたのですか?」


 靴の中まで探し始めたクティにオウルは静かな声音で訊ねる。

 主席補佐官と掃除夫に面識はない、にもかかわらずクティはオウルが領地を治める役人であることを知っていた。


「頭痛持ち?」


 靴の中を確かめていたクティが片足立ちでニヤリと笑い自分の頭をトンと指差す。


「指についたのが移ったのかな、こめかみに緑のインクが付いてる。緑のインクは治領権限を持ってる公的機関専用だ」


 オウルはとっさに右手で自分のこめかみに触れた。

 偏頭痛は彼の長年の持病だ。

 クティは自身の右手をヒラヒラと振って見せた。


「あんたが付けてる御大層な太陽と砂蛇の指輪もそう、デラコックの屋敷を掃除するとき見たいくつかの書面にその印があった。アルバ・マキシナ自治区が公的な証書に押す刻印だ。極めつけはアンタがフードを脱いだ時に香った匂い」


 首席補佐官は咄嗟に自身の体臭を気にした。


「この土地で身体に残り香がつくほど生花を飾ってるところなんて今は領主の城くらいしかないだろ。さぞ荘厳な葬式だったん…………そうだった! 鍵はスカーフの中に入れたんだ!」


 パッと顔を輝かせ、クティは耳元から古い小さな鍵を取り出し、崩れ落ちる寸前の扉の鍵穴にさした。この扉に防犯の意味があるのかとオウルはかろうじて言葉にするのを留めた。


「…………アナタは一流だとデラコックにお聞きしました。彼の危機を救ったと」


 名うての商人アジャアスティン・デラコック。アルバ随一の商売人ではあるが、そんな男も数年前お家騒動で家が傾きかけた。

 商売もここまでかと思われたが、騒動後すぐに巻き返した剛腕の男だ。

 クティはこれに深くかかわっている。

「ああ、危機って程じゃないさ。家財を整理するってんで掃除の依頼を受けたんだ、そんでちょいちょいっと余計な世話を焼いただけ……」

「眠っていた家財を選り分けし、しかるべき値段で売り、デラコック自身が捨てきれなかったあぶくを払ったと彼は話してくれました」

「まあ、詳しく言うとそんな感じだ」


 ガチリと錆びた開錠の音で、クティはようやく玄関扉を開けることができた。

 錆びついた金具と木がギギギと軋む不快な音の向こうに現れた家屋にオウルは絶句する。


 こんな空間は今までに見たことがなかった。


 物、物、物……アルバ自治区の一般的レンガ作りの家屋の中は足の踏み場もないほどの荷物であふれかり天井スレスレにまで積み上がって室内を圧迫している。

 部屋の中が薄暗いのも、窓から差し込む光が荷物に遮られているからだ。


「狭い家ですがどうぞ……っと」


 家主は客人を招きながら当然のように足もとの大きな壺を飛び越え、古い文机の上に乗るとひょいひょい器用に散乱する物の間や上を飛び越えていき、部屋の中央の一段高い場所に置かれた厚手の絨毯の上に身を落ち着けた。

 その絨毯の上が唯一この家でぽっかりと何もない空間だった。


「……っ」


 オウルは喉を鳴らした。

 どうぞと招かれ、踵を返したくなったのは初めてだった。

 何せ一歩足の位置を間違えば雪崩を起こしそうな空間で、よく見ればガラス工芸品のような繊細な品も無造作に積まれている。


「この荷物は……」


 一息深く呼吸をしたオウルはクティがやって見せたように壺を跨ぎ文机の上に足を置いた。

「すべてあなたの物なんですか?」

「仕事が片付くとお客さんからいらなくなった物を一つ貰うって決まりがウチにはあるんだけど、一つと言わずいらない売れないもの全部持っていけって人が多くてね」


 絨毯の上でくつろいだクティは手を伸ばし、上に乗っている物の重さで歪み今にも悲鳴を上げそうな年代物の食器棚から、銅製のカップを二つと茶葉が入ったガラス瓶、小鍋、ランプを取り出して絨毯の上に置き、手近にあった壺の蓋を開け、小鍋に茶葉を突っ込んで水を注ぎ、火にかけた。


「では、これらは仕事をはじめてから、これまでの、戦利品という……うわっ!」


 オウルの左足が腕を丸く輪っかにしたカエルの置物にずぼりとはまった。右足は庭仕事に使う鉄製の脚立にかかっていてかろうじて身体を支えている。


「いや、これはここ2ヶ月の戦利品」

「2ヶ月?!」


 左足を抜きながらオウルは愕然と家の中を見回した。


「これだけの物が……2ヶ月」


 クティは自分の分のグラスにお茶を注いだ。


「3ヶ月に一度でっかいバザールがひらくだろ? そこに毎回出店してほとんどのモノを売りさばくんだ。アンタが今右手でつかんでる置物は2週間前に貰ったばっかのやつ」


 オウルは不安定な姿勢を支える右手が頼る自身の倍はある古い寝物語りに出てくる妖魔の姿をした像を見上げた。

 この石像の用途が全く分からない。


「捨てないのですか?」

「使い道があるからな」


 肩を竦めお茶を淹れるクティに、オウルは少し考え込むように眼を細めると、黙って籐の長椅子を乗り越えた。

 かき分け乗り越え、手と足の置き場に悪戦苦闘しながらオウルがようやく絨毯の上にたどりつくと、クティは笑って彼の分のお茶を差し出した。


「そこまでこの家の物を丁寧によけて入ってきた客はあんたが初めてだよ」

「まだお使いになるのでしょう」


 ふぅと疲労のため息と共に零された何気ない言葉だったが、クティは目の前の役人が俄然気に入った。


「この家の中にここまで物が溢れ返るのは最近になってだよ」


 トリネコとカモミールの芳香を鼻腔で楽しみながらクティは肩を落とす。


「以前は、多くともこの半分くらいの量だった。3ヶ月ほど前から引越し掃除の依頼が後を絶たなくてね、今月に入って5件。今日も1件済ませてきたばかりだ、斜め向かいに住んでた顔なじみの若夫婦も今度引っ越すらしい。こんなに引っ越しが多いのは……」

「領地を治めるべき統治者達が頼りないから」


 静かな声でオウルは言葉を続けた。

 彼の両手にはさんだカップの水面が小刻みに揺れているのをクティは見つける。悔しさを噛み締めるような揺らぎだった。


「人口の流失が多くなっているのは身にしみて分かっています。役所には毎日戸籍の移動や土地と家屋の処分手続きにやってくる人が後を絶たない。国が……私たち役人が情けないからです」

「……領主のソフィー・アルマダ・テラスが死んで半年。ようやくこれで古き良き時代を取り戻せるってんで皆浮き足立っちまったんだな、その後喪にふすだけで何一つ変わる気配の無いお役所にがっかりした奴が大半。引っ越した連中はもっと悪くなる前に新天地へって考えがほとんどだったよ」


 夢見乙女のマダムソフィ。


 半年前に病で亡くなった女領主であり、歴代まれにみるほどの愚物。

 40年前、20代半ばで領主の地位についた彼女は戴冠の翌日からその力をいかんなく発揮する。

 貿易行路であることを逆手にとり、関税を10倍にした。

 州と州の間、砂漠と荒野の中継地点であるオアシス都市に商人や旅人は必ず立ち寄る。

 従来は通過する物資に申し訳程度の関税をかける程度だったが、領主ソフィー・アルマダは何を考えたか国境を渡る人間にまで税をかけた。

 これによりアルバ・マキシナ自治区の税収は過去最高額となったが、その年以降アルバ・マキシナを訪れる人と物の数は激減していく。

 関税収入がうまくいかないとなるとソフィー・アルマダは民の税を大幅に引き上げた。

 病院や教育施設、公共福祉の機関を減らし税金の支出を抑え財を手に入れた領主がしたことは、自分の美と娯楽の探求だ。


 花よ蝶よ、可愛らしい乙女のまま育った領主は民と向き合うことなくその生涯を閉じる。


「腐ってるのは領主だけじゃないってここに住む連中はみんな知ってる、マダムソフィーは俺たちを食い物に、そしてマダムの周りの連中はマダムを食い物にしてた。俺達は知ってたんだよ、そんでもって……てめえらの故郷を偉い連中の掃き溜めにしたくなくて頑張ってきた。それももうおしまいだけどな」

「だから私はあなたに仕事を依頼しに来たのです、クティ・スイープ」


 オウルが決然とした固い声音で言い、頭を下げた。


「夢見乙女が築いた負の遺産を拭い去り、かつて砂漠のオアシスと謳われたアルバ・マキシナを時期領主に引き渡したいのです。その為に邪魔なものをすべて捨て、積もった埃をはらって下さい。アナタにはそれがおできになるのでしょう」


 真摯な紫の瞳に射止められてクティは思わず身体を強張らせた。

 オウルには否と言わせない、いや、言わせてなるものかという気迫があった。


「そんなこと言われてもな……俺ただの掃除屋だし」

「デラコックの家はおやりになったではないですか。アナタが関わってから彼の名はイスタブル全土に轟いています。お願いします」

「簡単に言うけどな、あのときは俺もデラコック卿も相当いがみ合った。それでもなんとか出来たのは単に卿の仁徳……てか夢見乙女の跡継ぎの時期領主様が俺なんかの言うことなんて聞くわけねーだろ。俺がゴミとして処分されかねない」

「その心配はありません」

「なんでそう言えんの? あんたただのお使いだろ?」


 オウルを首を横に振った。


「前領主ソフィー・アルマダは一つの遺言を残しました。娘であるアルベルティーヌ・セラップ・ギルハバールが次期領主に収まるまでの間、仮の領主としてオウル・アークを任命すると」


 室内の沈黙が落ち、茶葉の芳香がゆっくりと香る。


「……そりゃ、つまり、じゃあ……アンタがこの土地で一番偉い人ってこと?」

「言い方を選ばないならばそうなります」


 クティは唖然として眼の前の男を凝視した。

 おかしな感覚だった。

 自分の家に権力者が、それもこの国で今一番偉いらしい人間が使い古しの毛羽立った絨毯の上でクティに頭を下げている。


「……ええっと領主サマ? 悪いんですけど俺政治の事とか全然分かんないんすよ」

「でもアナタには本当の意味で物の価値を見定めることができるのでしょ?」


 クティの顔つきが変わった。

 オウルは膝を詰めるように顔を近づける。


「ここにある、私にはゴミにしか見えないものもアナタにはその価値がわかる」

「おい、今遠まわしに俺の家をゴミ屋敷だって言ったぞ、そうだろ」

「私には分らないのです」


 オウルの声は少し震えを帯びていた。


「不必要だと思ったモノでも誰かにそれは違うと言われると捨てられないのです。私はいらないと思っても周りがそれを許さない。納得のいく理由を説明しろと詰め寄られると二の句が継げなくなりました。気づいたんです、権力を振りかざして感情のままにすべてを捨て去ってしまおうとする自分がいることに。それでは先代と変わらない。そんな自分に気が付いてしまったら……どうすることもできなくなりました」

「ああ、融通が利かなそうですもんね、おかわいそうに」


 少し見ているだけで真面目そうな性格だとわかる。

 信念と捨てたいゴミとの板挟みで、何も手に付けられなくなってしまった状態は欲求不満がたまる一方だろう。


「あー‥…まぁ」


 悩ましげにクティは自分の耳をいじった。


(真面目過ぎて片付けられないんだろうなぁ、周りが余計なこと言わなきゃ出来るタイプだろうに)


 ――ほんの少し手伝ってやればあっという間に……。


(いや、待て俺。相手はお役所、しかも仕事が結構な案件、失敗したら刑罰とかありえるぞ……目の前のコイツが良いヤツだからって他は結局変ってねぇんだから)


 それでもこれほど大きな仕事は一生巡ってこないかもしれない。


(デラコックの時とは違う、たかが掃除屋の俺にできることなんて……)


 でも自治区とはいえ、州の根幹部を丸ごと掃除するなんて夢みたいな話じゃないか?

 常日頃から、行政は無駄が多すぎるとベルモントの店で飲んだくれと文句を言いあっていたのは誰だ?

 悩むクティの耳元でコインが風もないのに澄んだ音をたてた。


『そのスカーフのコインは幸運を招くのよ』


「はっ、そうだよな!」


 半ばやけくそでクティは膝を叩き、叫ぶ。


「引き受けてやるよその仕事! あんたの望むとおりすっかり綺麗にしやりますよ領主様!」

「本当ですか!」


 パッとオウルが顔を輝かせた。物静かな風貌の整った青年の顔はそうするとどこか子供らしささえ感じられて、何となくクティは悔しくなった。

 元々、顔の良い男は気に入らないのだ。


「ただしいくつか条件がある」

「報酬でしたら……」

「その一! 俺が捨てろと言ったものは必ず捨てること」


 絨毯の下に手を入れるとクティは一枚の紙を突きつけた。

 契約書だ。

「その二! 捨てたものを持って帰ってこない。その三! 絶対に嘘はつかないこと。しんだ親の形見の品で捨てられないとか抜かしたら頭蓋骨をたたき割る。その四! 契約破棄は理由にかかわらず五百リラの罰金だ。一と二と三の条件を破った場合も契約破棄とみなす。それでもいいならここに署名しろ」


 突きつけられた契約書を取ってオウルは胸ポケットから出した万年筆(銀細工で鳥と花の模様があしらわれている高級品だ)で自分の名前を記入した。足場の悪い絨毯の上で目に鮮やかな緑のインクでささっと書かれた流麗な文字にクティは唸る。字までお手本のように整っている。


「……もう一つ条件がある」

「そういうのは名前を書く前に言ってください」

 詐欺師のような商法に肩をすくめて「なんですか」と尋ねたオウルにクティは悪戯を仕掛けた子供のような顔で口の端を歪めた。


「イイ女を1人紹介しろ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 名探偵のような洞察力を発揮するクティがカッコいいです。どこかゆるい会話も楽しい…。「今遠まわしに俺の家をゴミ屋敷だって言ったぞ、そうだろ」のセリフが一番好きです。 いよいよお話が大きく動き…
[良い点] がちゃがちゃした町の雰囲気が最高です。クティもそこに生きるひとらしく、いい性格をしてるのがよくわかる。なのに憎めない、なんとなく好きになってしまうキャラが好きです。 三話目ですでにこの世界…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ