二拭き目:オウル・アーク
お部屋は綺麗ですか?
清潔で整理された空間はあなたの心と健康に幸福をもたらします。
家の隅々の掃除から家計簿の見直し、眠っている財産の新たな門出まで『スイープ掃除店』にぜひお任せください!
そんな謳い文句が白壁に堂々と殴り書きされた酒処、ベルモントの店は今夜も大繁盛だ。
「よっ、クティ、今日の昼の一件見たぜ、ご苦労だったな。ウチも近々頼まぁ!」
「クティ、俺のカミさんを口説いただろう! ぶっ殺されたくなかったら口だけにしとけ!」
「スイープさんこんにちは、実は私の姉のところに四番目が生まれたの。義兄もキャラバンで戻ってこなくて家の中がすごいのよ、近々顔を見にがてら一緒に来てくださいな」
店のカウンターに座った途端、酒場の客たちが代わる代わるクティに声をかけていく。その様子を隣で観察していたオウル・アークは感心したように言った。
「アナタは随分慕われているのですね」
「商売柄顔が広くってね、アンタは何を頼む? ここのおすすめは……」
「はい、いつもの羊肉焼きと蒸留酒」
細く白い手がカウンターの向こうから料理と酒をクティの前に置くと、大粒のマラカイトのような目を柔らかく細めてオウルへと顔を向けた。
「お連れさまのご注文は?」
「いえ、私は結構。まだ仕事があるので」
「酒場の席に座ったからには何か頼んでいただかないと」
「ベル、この人は俺の客だ。ミント水でも出してやってくれ」
「あら、もう次のご依頼?」
酒場の女主人ベルモントは見えない鞭でも操るかのようにカウンターの裏でせっせと働く店の女の子たちに無言でミント水のオーダーを言い渡した。
ベルモントは、宝石そのもののような女だった。
ウェーブがかった腰まである長い髪は深いグリーントルマリンが絹へと変貌したような流麗と煌めきを帯び、化粧で力強く縁どられた瞳は神秘的な孔雀石と見まがうばかりの蠱惑を秘めている。
極めつけは妖艶なる体躯だ。
スレンダーと豊満の黄金比を体現した垂涎の逸品であり、触れるのを躊躇さえさせる魅惑の肉体。それが髪色に合わせたワンピースドレスに品よく納まっている。
ドレスはベルモンドの天性の輝きに恭しく従い、彼女動くたびに匂い立つ髪がハラハラと身体の線をなぞるのを邪魔しなかった。
酒場に来る客たちは、たった髪一筋の動きに欲望と羨望と敬慕を向けながら酒を舐める。
自身の魅力をたっぷりと振りまきながら、ベルモントは自分より頭一つ分低いクティへ整えられた爪先を伸ばした。
「どうしたのよ、これ?」
先ほど終わったばかりの仕事で手に入れたコインスカーフの硬貨が爪先で妖しく啄ばまれる。
くすんだ金貨がシャランと音を立てた。
「随分古臭いモノ付けてるじゃない」
「今日の報酬だよベル。いいだろこれ? 今は出回ってない旧貨だぜ」
「アナタの髪が隠れちゃうわ、髪飾りが欲しいなら私がいくらでも買ってあげたのに」
「俺はコレがいいの」
繊手を軽くあしらいながらクティが酒を煽るのを、少し離れた円卓で酒を飲んでいる常連客らしい男たちが羨ましいと悔しさで呻いたのが嫌でもオウルの耳に入った。
ベルモントは払いのけられた自分の指先にキスをしながら唇をツンと尖らせる。
「そういえば三日前に依頼に来たおばさん、今日引っ越しだったわね、ご亭主が骨董品の収集家でどうにかしてほしいって言っていたけど収穫は?」
「出るわ出るわ。ガラクタが……自分じゃ目利きのつもりだったらしいから強引に質屋に連れってった、目の前できっぱり『偽物です』て言われて相当落ち込んでたけどまあいい薬になったんじゃねえの? 奥さんの方もこれまた……」
「クティ、あなたその奥さまにオイタしたって本当?」
ベルモントが鋭い瞳で睨みながらひよこ豆のトマト煮込みをクティの前に差し出した。
湯気の立つ皿を前にして、クティはしまったと片手で顔を覆う。
「アナタの好きな豆料理、今日も私の手作りよ、さぁ召し上がれ」
「ベル、別に俺は本気で……」
「お食べなさい」
有無を言わさぬ物言いにクティは降参して豆を口に放り込んだ。
美味い――口の中でトマトの甘みとひよこ豆のホクホクとした滋味、ベルモントの店ではあまり出ない家庭料理はクティの為だけにあるようなものだった。
「ちょっと手を握っただけだよ、別に……」
「キスしたって聞いたわ」
「そんなこと誰が……」
「したの? していないの?」
「手の甲にだよ、ちょっとした挨拶……」
「あんなおばさんにキスするなんて!」
ベルモントはヒステリックな悲鳴を上げた、また始まったと店の女の子たちは呆れ、常連客は口笛を吹いて囃し立てる。
「私には一度も! 手すら滅多に繋いでくれないのに!!」
「お客様なんだからちょいとしたサービスだって」
店のどこからか――俺にしとけよベル!――と期待を込めたからかいが飛んだがベルモントはそれを黒翠色の髪をはらって一蹴した。
「私はあなたの仕事の依頼を取り次いでいるのよ、店の一番大きな壁だってあなたの為に使ってる」
ベルモントの丹念に磨き上げられた指先が壁に大きく書かれたクティ・スイープ掃除店のうたい文を指す。
「飲み食いのお代だって取ってないわ」
「だから毎回払うって言って」
「あなたの為に、こんなに尽くしているのに私にはキスもくれない」
財布を取り出しかけたクティの目の前でベルモントはとうとう泣き崩れた。店中から非難の視線がクティの背中に突き刺さる。
(うわ、やべぇ)
ベルモントの店は街で働く男たちのたまり場だ、なかには顔役だとか大商家の重鎮だとか重要な地位の人間もいる。全員がベルモント、あるいは店の女の子たち、そして何よりこの店を気に入っていた。店の客を敵に回したらクティの仕事はおろか、命は無い。
「わかった! ベル、こうしよう!」
非難と嫉妬の視線に降参の意味を込めてクティはベルモントの肩に触れた。
「今度あんたの家を掃除するよ! 仕事が忙しくてなかなか片付けられないって言ってただろ、それならどうかな?」
ベルモントの家の掃除は何度頼まれても断ってきたことだった。彼女の家に行くと押し倒されて既成事実を作られる可能性がある。
ベルモントが顔をあげて涙が滲んだ明るい緑色の瞳をクティに向けた。
「今夜来てくれる?」
「今夜?!今夜はちょっと……」
「なら、いつ?」
この機を逃がさまいと女店主は詰め寄った。
(くそ、口約束で終わらせて有耶無耶にしようと思ってたのに!)
ベルモントは本気だ。
『そのうちに、』なんて不確かな事を言おうものなら、クティの身体は明日の朝、広場の時計塔から吊るされていることだろう。
「あ、あ~……そだ! 次の仕事が終わったら、こちらのお客様が先約だから! な! アークさん!」
たった今。
本当にたった今その存在を思い出したクティがハッとして隣で大人しくミント水をちびちびと飲んでいるオウル・アークの両肩を掴んだ。
「本当に?」
「もちろん! アークさんの仕事が終わったら、その足で……いや、駄目だ、ちゃんと用意しないといけないし……もしかしたら掃除に何日もかかるかもしれない。普段世話になってるんだ、何よりも念入りに……そう! 猫達も連れて行かないと!」
「猫ちゃんたちはいらないわ」
「でもネズミや虫をとっ捕まえるには」
「余計な邪魔だからいらないわ」
なんの邪魔になるのか、聞く代わりにクティは唾を飲み込んだ。
(食われる)
確実に、頭からがぶりと。
ベルモントが妖艶さを取り戻して人差し指でクティの顎を掬う。
「私の隅々まで手入れして頂戴ね、素敵で可愛い掃除屋さん」
「はは、ははははははは、家ね、家の隅々……任せとけ」
「お話が終わったようでしたら」
オウル・アークが空っぽのグラスをカウンターに置いた。
「こちらの頼みたい仕事について聞いて頂いてもよろしいか?」
オウル・アークが金の刺繍で品よくあしらったマントのフードをパサリと脱ぐと、クティは少しだけ息を呑んだ。
鼻を擽る花香の下から出てきたのは、、黒い髪を肩まで伸ばした顔立ちの良い青年は濃い紫の瞳を痛いほど真っ直ぐにクティに向ける。
「改めまして、私はオウル・アークという者です。スイープさんのことはアジュアスティン・デラコックから紹介されました」
金の指輪をはめた左手を差し出すオウルに、ベルモントが喜色の声を上げる。
「まあ! デラコック卿とお知り合いでしたの?!」
クティはオウルと握手を交わしながら人差し指を突き立ててしーっと窘めた。
「ベル! 俺の客だぞ!」
「だって意外な方のお名前だったものだから」
「デラコックが卿と名乗っているなど初めて聞きました」
静かな声に若干の戸惑いの色を混ぜたオウルが眉を寄せた。
アジュアスティン・デラコックはアルバ・マキシナ街では有名な大商人でお役所への顔も利く有力者だった。
「アルバ・マキシナには自治領主以外に爵位は付与されておりません、それを分かって自称しているのなら」
「違いますって!」
クティはバツが悪そうに眼だけでベルモントを嗜めるとやれやれと溜息をついた。
「あのおっさん……デラコック氏が自分で言い出したんじゃなくて、皆が自然とそう呼んでるんです。ほら、孤児院やら病院に大盤振る舞いで寄付してるでしょ。だからありがたがって、敬意を込めてそう呼んでるんですよ。デラコックのおっさんは自分を貴族だなんて思っちゃいない。こんなちんけな店で汚い掃除夫と酒を飲み明かす助平親父です」
ちんけな店、の言い草にベルモントがむっとした顔をしたがオウルは違った。
「デラコックは人望の厚い男です、義理堅く商人としても最大限この地に尽くそうとしてくれています。彼を――女性の扱いを軽んじる不貞の輩のような呼称で蔑むのであれば私は侮辱罪でスイープさんを訴えます」
「ちょっと軽口叩いただけだろ! なあ、ベル!? 俺、おっさんと仲良いよな?!」
慌てるクティと眉を寄せて彼を睨むオウルにベルモントがくすくす笑いをこぼした。
「真面目なお客様、クティは卿と飲み友達なの。いっつも賭け事で負かされて、だから悪態のひとつふたつ多めにみてさしあげて」
「はあ」
眉間に皺を寄せながら不承不承といった様子のオウルにクティは肩の力を抜いた。
「冗談が通じねぇな」
「それでデラコックからあなたの事をお聞きしてこうして足を運んだわけです」
「あ、この流れで仕事の話進めんのね」
「とても優秀な掃除屋だと」
「そう、めっぽう優秀。俺が一歩お宅へ足を踏み入れればゴミの方から逃げ出し、ネズミは頓死、虫共は四散して家の中に眠ってるガラクタからは悲鳴があがる」
オウルの顔がまた不機嫌に曇った。
「お客さん、コレも通じねえの?」
「私は真面目な話をしにきています」
「もちろんですとも! こっちも商売ですからね。場所を替えましょう、我が家に招待しますよ、ここじゃ人がいて話辛いこともあるでしょう」
席から立ちあがり、さあ行こうとクティはオウルを促したがカウンターの中にいたベルモントが待ったをかけた。
「クティ、いつもはここで話すじゃない」
「ちょっと黙っててくれ」
「いいえ黙らないわ。公衆の面前で話せない依頼は受けないがスイープ掃除店のモットーだっていつも言っていたじゃない」
「ベル! お客様の前だぞ! 言いにくいことだってあるじゃないか」
「じゃああなたは女装趣味の老人の部屋を片付ける話をしなければならなかったシンプソンや骨肉の遺産争いで正当の遺言書を探すための大規模掃除を決行したエドマンド夫人を裏切るのね、皆ここで話したわ!」
ベルモントの言い分にクティはぐっと口を結んだ。どれも覚えのある仕事だ。
「彼女の言う通りです」
オウルが森の奥の清廉な沼地を思わせる声で言った。
「あなたのやり方があるのならそれに倣うのが礼儀でしょう」
意を決したように居住まいを正すオウルにクティは慌てた。
「アークさん。そんなことはないんです。人気の無い所でお話下さって一向に構わないんです、てかそうしよう」
「それに私にはあまり時間がありません、長いこと留守にしていると足元をすくわれかねない」
「大変お忙しいようなんで、こっちからご自宅に伺いますよ。だから今夜のところは」
「いえ、できればあなたにはこのまま一緒に来ていただきたい」
クティは椅子を倒さんばかりに勢いよく立ち上がるとオウルの腕を掴んだ。途端に花の匂いが香る。
「わかりました。それじゃあ店を出ましょう、今すぐ!」
「理由も話さずお連れすることはできません」
焦りを隠さないクティとは対照的にオウルは深く息を吸い込むと紫の光彩を宿す瞳を一筋の流星のような強さで真っ直ぐに向けた。
「単刀直入にお話します、私はイスタブル連邦アルバ・マキシナ自治区主席補佐官オウル・アーク。次期領アルベルティ―ヌ・ギルハバール・アルマダの名代で参りました。あなたに亡き我が君主が残した負の遺産をすべて葬ってほしい」
しぃん、と店の中が静まり返った。
空気が一変したと言ってもいい。
雑談や笑い声が飛び交ってそれまで騒がしかったベルモントの店は水を打ったように、いや氷をばら撒いたように冷ややかになった。
クティの頭に巻いたスカーフのコインが警鐘のように澄んだ音を鳴らす。
「…………なんですって?」
鳥肌がたつほどの妖艶で危険な声が空気を動かした。
「やべっ」
クティはとっさに身構える。
「ベル! 落ち着け! こいつは客で……」
「この……外道役人が!」
「え?」
ベルモントの手先が一瞬鈍く煌いたかと思うとオウルはクティに強引に頭を押さえ付けられた。オウルの顔があった場所に包丁がひゅんと飛び、目標物を失った刃が壁に突き刺さる。
「この私の店に、薄汚い役人が入ってくんじゃないわよ!」
「逃げろ!」
クティは困惑するオウルの手を取って身をかがめながら転がった。怒り心頭なのはベルモントだけではない、店の客たちも中身が半分以上入った酒瓶や杯、あるいは料理の残った皿をオウルに投げつけそこら中に破片が飛び散っていく。
「この豚野郎が!」
「俺達の金返せ!」
罵声と物が砕け散る音とで店の中はあっという間に大混乱だ。
困惑するオウルを引きずるようにして店から飛び出したクティは息を切らせながら心の底からこの客を呪った。
「馬鹿か! 空気読めよな俺がせっかく助けてやろうとしたってのに!」
「す、すみません!」
走る二人の後ろで破壊音が追いかけてくる。
「クティ! その人の仕事を引き受けたら私、勝手に婚姻届け出してやるから!」
背中越しのベルモントの脅迫にクティは泣きたくなりながら、夜の灯りがかつてより少なくなったアルバ・マキシナの街を走った。
キャラクター説明
オウル・アーク
年齢、21歳
性別、男
身長、175センチ
好きなモノ、読書
嫌いなモノ、女性全般
弱点、生真面目で冗談が通じない。