素直になれない猫は彼氏に甘えたい
甘々(当社比)
あたしは生まれたとき、猫だったらしい。
あたしの家は代々半人半猫、いわゆる人猫が生まれる家系で、中でもあたしは特に猫の血を濃く受け継いだ。いくら猫の血を引くからって、生まれたまんまの姿が人間でなく猫っていう人はほぼいないらしいし、あたしの家族はみんな、変化できても猫耳、ひげや尻尾を出せる程度。なのにあたしときたら、猫の姿で生まれ、幼少期は猫の姿であちこち駆け回っていた。小学校に入学するころになってようやく人間の姿をキープすることを覚えたけど、耳や尻尾をひっこめるのは本当に難しくて、学校ではぴょこんと出たままの耳や尻尾についてからかわれることだって多かった。今では二十四時間普通の人間として過ごせるようにはなったものの、やっぱり気が抜けたら耳は出てくるし、全身猫に変化するのも息をするほどに簡単なことだった。
人間は昔絶滅の危機に瀕したとき、人間以外の生き物と血を交えたらしい。ゴリラやチンパンジーなどの霊長類にとどまることなく、馬や羊、しまいには犬や猫まで。人と動物の血を交えた家系が少なくない今でもそういう動物たちが人間と対等に並べられることはないというのに、大昔の人たちは頭がどうかしていると思う。半人半獣なんて、半分人間の尊厳を捨ててまで、命を繋げたかったのか。やっぱり、いくら考えても、どうかしている。
そうはいっても、あたしが猫の血を引いているということは紛れもない事実で、人間の姿よりも猫の姿の方が落ち着くほどに猫としての比率が高いのも、悔しいけど事実だ。それと向かい合って生きていくことはあたしの宿命で──だからといって、簡単に、「これがあたし!」と自信を持てるわけでもなかった。そういうわけで、あたし、猫田未亜現在二十二歳、今日も人猫であることを隠して、毎日頑張っているのである。
ところで、あたしには今、彼氏がいる。付き合って一年、先月からはついに同棲し始めた。彼、柴田深雪は優しくて面倒見がよくて、子犬みたいに人懐っこい人だ。大学のサークルで知り合ったんだけど、くしゃりとお日様みたいに笑った顔がとても可愛かった、というのが最初の印象。少しずつ仲良くなって、深雪のことが好きだなと彼への好意を自覚したかと思えば両想いということが発覚して、あれよあれよと付き合う流れに。そのあたりの経緯は、正直よく覚えていない。
けれど最近──一年もたってるのに、今更な感じがしないでもないけど──疑問に思うのだ。一体深雪は、あたしのどこを好きでいてくれているのだろうか、と。
なぜなら。
「みーあー。ご飯できたよ、食べよっか。今日はカレイが安かったんだぁ。カレイの煮つけ、未亜好きでしょ?」
「……別に」
「んふふ、そっかー」
「未亜、明後日暇なら遊びに行かない? 俺、すっげーいいカフェ見つけたんだ、未亜と行きたくってさ」
「……暇じゃない。一人で行ってくれば?」
「んー、そっかぁ。じゃあ、また今度いこーね」
「……いつかね」
「未亜、今日こーやってくっついて寝てもいー?」
「やだ、狭い。もっとあっち行って」
「つれないなぁ、未亜ちゃん」
「うっさい、さっさと寝て」
「……はーい、おやすみ、未亜」
素直になれないのだ。その一言に尽きる。
一年も付き合っていて何をいまさら、って思うかもしれないけど、同棲をはじめるとやっぱり、ぐっと距離が近づくのだ。ご飯をつくるのは交代制で、いつもあたしの好きなものを作ろうとしてくれる深雪がかわいくて仕方ないけど、それを素直に口には出せないし。
気軽に遊びに行けちゃうから、同棲前よりも遊びに誘ってくれるようになった反面、用事があって断らなきゃいけない頻度も増えちゃうし。
夜一緒のベッドで寝るのも近くてあったかくて、ドキドキする。やることやって寝るのとはわけが違うのだ。同棲前、そういう夜を過ごした後は大体、距離にドキドキする以前に疲れて寝落ちしてたし。寝ようとしてるのに必要以上にくっついてこないでほしい。寝れなくなっちゃうから。
要は。前にもましてぐいぐい来る深雪に、あたしはいっぱいいっぱいなのだ。
深雪は心が広いし、あたしのこともすごく理解してくれているから、同棲前は多少あたしが天邪鬼な態度をとってしまったとしても、多分あたしの本当の想いを分かってくれてたと思う。でも、同棲を始めてから、前にもまして深雪に冷たい態度をとってしまうのだ。こんなかわいげのない彼女をいつまで深雪が好きでいてくれるのか、不安で不安で仕方ない。
そして、あともう一つ。
猫としての本能なのか、元々の性格なのか、とにかくあたしは人肌にくっついているのが好きなのだ。だれかにくっついているのは落ち着くし、撫でられるのも好きだ。
けれど、あたしの方から深雪にくっつきにいくのはどうしたってハードルが高すぎるし、撫でてほしいとお願いするのも絶対に嫌だ。そういうわけで昔からずっと続けていた日々の疲れをとる癒しの時間がなく、あたしはストレスが溜まっていた。多分同棲を始めてから一か月、一度も猫になれていないのも大きい。
でも、あたしは深雪に自分が人猫というのを打ち明ける勇気もなかった。
──そうして、不安とストレスが溜まっていく一方だったある日、突然、あたしは思いついた。
「猫があたしだってバレさえしなければ、猫になって思う存分甘えたって問題ないじゃん! なんで、今まで思いつかなかったんだろ!」
計画は単純だ。友達の家に泊まると言って家を出てから猫になって、家に戻ってくる、それだけだ。あたしたちの住むアパートには、あたしたちの部屋の窓まで届く大きな木があるから、家を出る前に窓を少し開けておけば、木を伝って簡単に入れるだろうし。一応、前聞いたとき、深雪も猫が好きと言っていたから、突然猫が現れても、深雪はそう怒るまい。……驚きはするかもだけど。
そうして、あたしの計画を実行する日が来た。
「じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃーい。送れたらよかったんだけどね、今ちょっと忙しくて。ごめんね」
夕食後、軽く出かける服装をして、空っぽのバッグを持って深雪に声をかければ、珍しく眼鏡をして、パソコンに向き合っていた深雪が答えた。送ってもらえなくて逆に良かった。
窓は開けておいたし、準備万端。アパートの一階、宅配便を入れられる暗証ロックつきのロッカーに鞄を放り込んで、素早く猫に変化する。するすると体が小さくなっていき、あたしの来ていた服が散らばった。急ぎ不自由な猫の手でかき集め、くわえてロッカーになんとか押し込む。ロッカーをバタンとしめて、暗証番号を爪で打ち込んだら完了。
ペット禁止のアパートではないけど、猫状態で外を出歩くのが久しぶりで少し怖いから、急いでアパート前の大きな木の方に向かう。
人生の三分の一以上を猫として過ごしてきたあたしなら、このくらいの木登りは楽勝だ。するすると登っていき、あたしたちの部屋のところまで登ってこれた。窓はさっき開けたときのまんま。猫なあたしがぎりぎり入れそうなくらいの隙間。木の枝の先っぽから、えいっと勇気を出して飛んで、窓枠に飛びついた。ぐにょぐにょと体を動かして、隙間に潜り込む。人間のあたしなら不可能でも、猫の柔らかい体なら余裕だ。
「みゃーう」
来れた! 床に着地して、なんだか偉大な業を成し遂げたような気分で鳴くと、がたっと大きな物音が聞こえた。
「……え? 猫?」
何かと思えば、深雪だ。どうやら、あたしを見て驚いて、バランスを崩してしまったらしい。
「みゃっ」
「え……もしかして君、窓から入ってきた?」
「みゃぉ」
目を丸くした深雪が近づいてきて、あたしを抱き上げた。なれた手つき。もしかして、猫を抱きなれてる? あたし以外の猫を、と思うとちょっとだけ嫌だ。
「……みあ」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、びくりとする。……まさか、バレた? あたしだって? いや、そんな馬鹿な。一瞬浮上した疑惑は、すぐに深雪自身が否定してくれた。
「未亜に似てるな、君。首輪は……ないね。どうしよっかなぁ……」
「みゃう」
あたしに似てただけらしい。そりゃあ毛の色は髪の色と同じだし、似てると感じてもおかしくない。だってあたしだもん。でも猫にすぐあたしを結びつけるあたり、深雪は少し変わってる。
「ミーア。うん、それでいいや。君のことはミーアと呼ぼう。かわいいでしょ?」
抱いた私の頭に、深雪が頬をこすりつけてくる。あたしは頭をぐりぐりと押し付け返して、みゃあ、と一声鳴いた。
*
深雪はまだずっと、パソコンに向かって大学の論文を書いている。けど椅子に座って膝にあたしをのっけて、あたしを絶えず撫でながら片手とは思えないほど早く字を打ち込んでいくんだから、本当に器用だ。あたし、深雪の邪魔してない? そう思って何度か深雪の膝から退こうとしたんだけど、毎回深雪の手があたしの体をがっちり抱え込んで離してくれない。
「はぁ……ミーア、あったかい。かわいい」
「みゃあ」
……どうしよう。深雪ってば、さっきからずっとこの調子なのだ。頭をなでて、背中の毛を梳いて、耳の後ろを掻いて、あったかい、かわいい、と口にして。
なんだか、とっても複雑な気持ちになってきた。だって普段、深雪はあたしに同じことを言うのだ。未亜あったかい、未亜かわいい、って。照れてしまう反面、何、彼女に言うことと同じことを猫に言ってんのよとも思っちゃう。救いは、あたしになら言う「好き」の言葉を、猫のミーアには言ってこないことか。でもこれはこれで、じらされているような気分になってくる。どうせそこまで言うなら好きって言ってほしい。……ってあたし、今猫なのに、何考えてんの。
「ミーア、耳の後ろ、きもちいい? すごくいい顔してる」
「みゃーう」
きもちいい。もっとかいて。
「ミーアの毛、指通り良くてめっちゃきもちい。さらさら」
「んんみぃぃぁぁぉ」
「くくっ、ミーア、変な声、ふふ」
笑うな、深雪のばか。
ああ、それにしても、深雪がこんなに撫でるの上手いだなんて、知らなかったなぁ。これぞまさしく、ゴッドハンド。うちの家族の誰よりも上手、眠くなっちゃう。
気づけば、ごろごろとのどを鳴らしていた。のどを鳴らすと、完全に獣になってしまったみたいで、あまり好きじゃないんだけど。これはあらがえない、気持ちが良すぎる。
「みゃあ」
ねぇ、手、止まってる。もっと撫でて、止めないで。手に頭を押し付けると、深雪は嬉しそうに笑った。
「ミーア、きもちい?」
「んにゃぁぁ」
「ふふ、めっちゃのど鳴らしてる。かわいい」
しばらくして深雪は一段落したようで、パソコンの電源を切ると立ち上がってあたしをイスに下ろし、シャワーを浴びに行った。もうそろそろ寝るのかな。あたしも、眠くなってきちゃった。実はさっき木を登るの、久々の運動で結構疲れたし。
深雪があたしを置いていったイスの上でうとうとしていると、少ししてからまた抱き上げられた。
「ミーア。今日俺、未亜いなくてさみしいの。一緒に寝てくれる?」
「みゃぁーぉ」
「んふ、ありがとミーア、かわいい」
へにゃりと笑った深雪の笑顔に胸を撃ち抜かれたあたしは、おとなしく深雪にベッドに連れていかれて、布団に潜り込んだ。人間の時のあたしの定位置で丸まると、隣に潜り込んできた深雪がくすりと笑う。
「ミーアまで、未亜とおんなじように離れないでよ。ね、もっとくっついて寝よ」
ぎゅっと抱き寄せられて、深雪はあたしのおなかに顔をうずめた。すんすん、……ってちょっと、そこで息しないで。
「ん~……ミーアの匂い、すき」
「んみゃ!?」
嗅いでるの!? やめてよ、恥ずかしい! 深雪の腕から逃れようともがくと、今度はちゅっと鼻に口づけられて、かぁーッと体中が熱くなる。ねえどうしよう、あたし噴死しちゃうかも。
「んみゃぁぁ」
「あっ、ミーア。ごめん、やだった?」
彼女じゃない子にキスする奴なんか知らないもん。なんとか深雪から逃げたら、ふん、と顔を背けて布団の奥に潜り込む。深雪のおなかの上で丸まって、あたしは寝ることにした。せいぜいあたしの重みに苦しむがいい。
……深雪、あったかいなぁ。いつもみたいにドキドキして寝れない、なんてことはない。ただ途方もなくあたたかくて、心地良くて、きもちいい。
溶けていくように、ゆっくりとあたしの意識は沈んでいった。
***
「おはよう、未亜」
あったかい。深雪だ。心地いいまどろみの中で、もっと深雪に近づきたくて、ぎゅっとしがみつく。
「みーあー、まだねぼけてる?」
深雪の声はゆっくりで優しい。好きだ。ずっと聞いていたい。
「みぃあちゃん。くっついてくれるのは嬉しいんだけど、その格好でくっついてこられると、俺もちょっとくるものがあるんだよー」
かっこう? あたしがどんなかっこうをしていると──
「ぴゃっ!?」
一気に覚醒した。目を開ければ、目の前に深雪の胸。少し顔を上げれば、優しく見下ろしてくる深雪。
「ふふ、やっと起きた。おはよう、未亜」
昨日あたしは確か、猫になって。深雪にめちゃくちゃくっついて甘えて、一緒に寝て。起きて。──今、もしかして、あたし人間? 待って待って、寝てる間に人間に戻るつもりなかったのに、今まで気づかないうちに人間に戻ってるとかなかったのに。ここ一か月、ずっと人間だった弊害? いやいや、そんなの今はどうでもいい。問題は。布団はかぶってるけど、中は多分、全裸。
「昨日、めーっちゃ甘えてきてくれて、ちょーかわいかった。ごめんね? 未亜が人猫なの、未亜のお兄さんから聞いて知ってたの、本当は。今までも未亜、俺の前で猫になってるときあったんだよ。寝てるときとか、ベッドでよがってるときとか。ねぇ、未亜、かわいい、大好き」
そういいながら、あたしの顔中にバードキスを振らせてくる深雪。言われた内容がゆっくりと頭にしみこんできて、かぁっと血が顔に上ってくる。
「っ、あっ、み、あ、」
「あはは、顔真っ赤。かーわい」
「……さいてー、深雪、だいきらい」
深雪の胸に顔をうずめて呻けば、深雪はとても嬉しそうに笑って言った。
「うん、俺も、未亜のこと、大好き」