5話 渾身の演技
俺が謎の人物に追跡されている事に気が付いてから3時間が経過。
俺は全くそのことに気付いていないように装いながら、目的地である西の海に向かって歩き続けている。
はぁ、いつまで続くんだよこれ。気付いてない時は良かったけど、こうして気付いちゃったら立ちションもしにくい。
……こいつが俺を狙っているのは果たしてたまたまなんだろうか?
俺はまだこの世界に生まれてから何もしていない。強いて言えばジジイとババアと特訓したり、酒作ったり、筋トレしたりしただけだ。法律から逸脱した行為はちょっとだけしちゃってるが、それもこんな森の中で付け狙われる理由としては薄すぎる。
もしや俺と同じ転生者が鬼側にいるのか? 今の俺は鬼退治なんてさらさらする気は無いが、向こうからしたら桃太郎が鬼退治に来るというのは確定した未来。そして知っているはずだ、敗れることも。そこで桃太郎が力を付ける前に暗殺してしまおうとしているんじゃないか?
……うーん、考えても考えてもキリがない。
仕方ない、こっちから動いてみるか。
そろそろ日が落ちる頃合いだ。寝床の準備をしながら、あからさまに周囲への警戒を解いてみよう。これで奴が動いてくれれば助かるんだが……。
背負っていたリュックを地面に置き、中から寝袋を取り出す。ついでに調味料やら昼間狩った動物の肉やらを取り出して晩飯の準備をする。
あぁ水、水が欲しいよぉ。どこかに水湧いてないかな?
あれ、そう言えば俺を追跡している奴って人間だよな? それに俺にバレないように追ってきているせいで、狩りなんて間違いなくしていない。
という事は……奴は食料や水を持ち歩いている!?
ふふふ、あったじゃないか。水を確保出来る方法が。奴を気絶させるなり、脅すなりすることで簡単に水が手に入る!
おっと間違えて欲しくないのだが、俺は誰彼構わず脅したりする人間では無いのだ。もし普通の人間が相手であれば、俺も頭を下げて水を分けてもらえるようにお願いし、適切な対価も支払う。
だが奴は違う。奴は少なくとも数時間に渡って俺を尾行し、今もあそこの茂みの中から俺を観察している。俺の立ちションシーンも目を逸らさずにバッチリ見てやがった!
こんなことする人間はどう考えても普通の人間じゃない! それに俺は今水が無いせいで、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。こんなストーカー野郎ならどんなことをしても良心が痛まないし、きっと神も許してくれる。
よし、そうと決まれば水をGETしに行くとするかな。
そう思って立ち上がった瞬間、奴が動いた。
懐に手を入れたと思ったら、拳銃を取り出したのだ!
奴はその拳銃をゆっくりと俺に向かって構える。
拳銃だと……? この世界にあるのは知っていたが、まさか異世界で旅に出て最初に出会った人間から拳銃を向けられることになるとはな。やっぱ俺の幸運、どっかに落としちゃったんだろうか。
拳銃を俺に向けてなお、奴からは音や殺気は発せられていない。
俺のように目で見なくても周囲の状況を把握出来る能力が無ければ、違和感を感じる間もなく殺されてしまっていたことだろう。――なんて実力者だ!
ふぅ、だがこいつは意識を奪う前に尋問しないと。殺してもまた次々と殺し屋を仕向けられても面倒だしな。
さてストーカー野郎は俺のどこを狙ってるのかな?
おや意外にも足か。てっきり頭をズドンかと思ったけど。
もしかしたらストーカー野郎も俺に聞きたいことがあるのかもな。まずは足を撃って移動手段を絶ってから……って作戦なのかも。
奴の銃口の先は俺の右足の太もも、膝から20㎝程上の所だ。そして気配察知の能力で、奴の銃のトリガーにかけている人差し指の動きも手に取るように把握できている。
――奴がこれまでに無いほど集中しているのが分かる。一度深く息を吸って吐いて、そしてもう一度吸い息を止める。
着弾地点、射撃の瞬間、そして俺の反射神経。ここまで揃えば――
人差し指がトリガーを引く。
拳銃の弾を避けることも――
パンッ
静かだった森に拳銃の発射音が響き渡る。
――可能だッ!!
俺は拳銃の弾が直撃する前に右足を少し横にずらし見事、銃弾を回避することに成功する。
良かった、ホントに避けれて。出来るとは思ってたけど、いざホントにやるとなると怖かったんだよね……。
だがこれで終わりじゃない。
俺はさっきリュックから取り出して、ズボンの右ポケットに入れていた動物の血が入っていた袋を、服の上から針で突いて破裂させる。
……うわぁ、右足が血でびしょびしょ。しかしこれで奴は拳銃の弾が俺の右足に直撃したと勘違いするはずだ。最悪水の代わりに飲もうと持ち運んでいて良かった!
そしてここからは俺の演技力が試される……。
「う、うああああああああ。足が、足があああぁあぁぁあぁぁあ!!!!」
「痛てぇよぉおお、痛てぇ痛てぇ痛てぇ。誰か助けてくれぇぇええええええええ!!」
「死ぬ、死んじまうううう。いきなり何なんだよおおお。痛いいいい。苦しいぃいいいい」
さぁ、どう動く?
俺は撃たれた痛みでのたうち回る演技を続けながらストーカー野郎の様子を伺う。
足を狙ったという事は俺をすぐさま殺す気は無いということ。尋問するにせよ、どこかに連れ去るにせよ、奴は俺に必ず近付いてくる。その近付いて来た時が俺にとっての最大の好機!
ん? 何だか奴は困惑しているな。何故か拳銃に撃たれて悶えてる俺を奇妙な物でも見るような目で見ている。
……何でだ?
俺の銃を避けるタイミングは完璧だったはずだ。弾が当たるスレスレで避けたから、奴からしたら拳銃の弾が当たった衝撃で足が動いたように見えるはずだし、その後の血を流すタイミングだってバッチリだった。今も尚続いている俺ののたうち回る演技だってアカデミー賞クラス。
それなのに何故、何故その珍妙な物を見る目で俺を見続けるんだぁああ!
俺のこの迫真の演技もそろそろ限界だ。叫び続けて喉も枯れて来たし、何より血が乾き始めてきた。これでは血が止まっていることが奴にバレてしまう。
幸い奴は俺を撃った直後から気配を殺すのを止め、普通に茂みから顔を出している。これなら俺が今奴に気が付いて助けを求めたとしても不自然では無いだろう。
「そ、そこのあんたぁあ。助けてくれええええ。足の血が止まらないんだ。このままじゃ死んじまう!」
奴は俺が話し掛けているのが自分だと言うことに気が付いたのか、俺に向かって歩いて近付いてくる。
フードを被っていて顔が良く分からなかったが、近付いて来て初めてその顔が確認できた。
……女だ。
こういった荒っぽい仕事をするのは男というイメージが俺の中であったせいで、てっきりこのストーカー野郎も男だと思い込んでいた。
女は目付きが死ぬほど悪いが、よく見ると全体的に整った顔立ちをしている。身長も170㎝を軽く超えているだろう。女にしてはかなりの高身長。
だがそんなことはどうでも良い。俺はこいつを尋問して俺を狙った理由を聞きだした上で、こいつの持っている水を手に入れなければいけないのだ!
もう少し、もう少し近付いて来い。あと5歩近付いてくれれば、俺の射程圏内だ。すぐさま奴を取り押さえられる。
……だが奴は俺の射程圏内2歩手前で立ち止まった。
くそ、もう少しなのに……。
「痛てぇぇええよぉおおお! あ、あんた、包帯が俺のリュックに入っているから取ってくれねえか。止血したいんだ」
だからもうちょっと俺に近付け!
奴は俺の言葉を聞き、一瞬俺のリュックに目を向けるがすぐに俺に視線を戻す。勿論俺に近付いては来ない。
何でだよ! そこに突っ立ったままどうしたいんだよお前は! そして殺人鬼のような目で俺を睨み続けるのをやめろ!! いや、ようなじゃなくてこいつは本物の殺人鬼か。
「なんで……血が出てる……?」
奴は首をコテンと横に傾けながら不思議そうにそう言った。
いやお前が拳銃で撃ったからだろうがッ! 確かに俺は弾を避けたけど、普通に考えて銃で人を撃ったら血が出るに決まってるだろ! 少しは考えろ!!
「い、いきなり足に痛みが走って血が流れだしたんだ……。直前に銃声のようなものが聞こえたから、もしかしたら撃たれたのかもしれない」
そうお前にな!
「そう、あなたを撃ったのはわたし……。でも血が出るのは変……」
「え!? 撃ったのはわたし!?」
えぇっ!? それ言っちゃうの?
「お、お前が犯人だったのか……。だが俺にはもうお前にやり返すような余力も無い。金ならやる。そのリュックの中に入っているから持って行け。だからどうか俺は見逃してくれないか?」
まぁ嘘だがな。金なんて俺は一銭も持ってない。そしてお前が俺を見逃しても俺はお前を見逃さない。
「お金は……貰う。でもあなたも……貰う。全部わたしのもの……」
「強欲すぎだろッ!」
「え……?」
やべっ、思わずツッコミを入れてしまった。
くそ、ここまで最高の演技を続けてきたのに俺の中の芸人魂がツッコミを押さえきれなかった。……まだ誤魔化せるか?
「うぅ、痛いよぉお、痛いよぉおお」
「今、普通に喋った……」
「くっ、誰かさんに撃たれた所が痛すぎて思考が働かない。もう俺はダメみたいだ。俺を置いて先に行け!」
「意味不明……」
誤魔化しきれなかったようだ。とうとう呆れられてしまった。
「……そもそも、わたしが撃ったのは麻酔銃…………。あなたには、小さな針が刺さっただけのはず……。どうして、そんなに、血が出てる? そして、何故眠らない……?」
何ですとーー!!?
そんな馬鹿なッ! それじゃあ俺の今までの演技は何だったというのか! あんだけ長時間俺の後を付け回して、あんなごつい拳銃で撃ったのが麻酔針だと? ふざけるなと言いたい!
……確かに冷静になって振り返ってみれば、俺の気配察知の感覚でも銃から射出されたのは弾よりもかなり小さくて細い物体だった気がする。
……仕方ないじゃん! 俺だって銃で撃たれたのは初めてだったんだからめちゃくちゃ緊張してたんだよ! そのくらいのミスは誰にでもあるって! ドンマイ俺ッ!!
でもそうなるとこの女からしたら、麻酔銃で眠らせるつもりで撃ったのに何故か俺は眠らず、血まみれになって、手足をバタつかせながら絶叫して叫んでるやべえ奴ってことじゃん!
そりゃあんな不思議そうに俺を見続けているハズだよ! もう意味分かんないもん!
恥ずかしい。これはかなーり恥ずかしい。完全に俺の黒歴史リストに仲間入りだ……。
「……きっと当たり所が悪かったんだろう」
それでも俺は自分のミスを認めない。ミスは自分以外の誰かにミスと認識されて初めてミスになる。今ここには俺以外にはこいつしかいない。つまり、こいつにミスとバレなければ俺のミスは帳消しになる! そして何より俺の黒歴史がこいつに認識されない!
「あの針の大きさなら……、どんな太い血管に直撃しても、そうはならない……」
「じゃああれだ、針が俺に直撃した瞬間に謎の爆発が起きて俺の太ももをぐちゃぐちゃにしたんだ」
「そんな機能は、ない……」
くっ、この女さっきから俺の言い分を真っ向から叩き潰しやがって! ロジハラだぞ、ロジハラ!
こういった理屈で説き伏せれない時、逆転の目は小さい。だがあれならこの状況からでもまだ逆転のチャンスがある。そう逆ギレならね!
「さっきから黙って聞いていれば、加害者の癖に被害者の俺に向かってなんて口の利き方をしてるんだ!」
「全然黙って聞いてない……」
「細かい事をグチグチグチグチと……。俺に対して申し訳ないっていう気持ちは無いのか!」
「ない……」
「何でねぇんだよッ!」
「あなた、さっきから、普通に喋ってる……。ケガは、平気……?」
「平気じゃない! 平気じゃないから水をよこせっ!」
「なぜ、水……?」
「俺は水を飲むと体の傷が再生する体質なんだ」
「……すごい!」
俺のあの渾身の演技が全て無駄だったと発覚してから、俺はすげえ適当に喋っている自覚があるが、こいつは一々真に受けて返答する。今も俺の嘘を信じ込んで水が入った水筒を俺に投げ渡してくれた。
こいつどうしても俺に近付いてこねぇな。まぁ水を入手するという目標は達したからもういいんだけど。
「よし、完治した。いやー、死ぬかと思ったわー」
俺は貰った水を飲むなり、あたかも本当に水を飲んでケガが治ったかのように立ち上がった。
「ホントに治った……!」
こいつマジで単純だな。普通こんな簡単に信じるか?
まぁおかげで俺の黒歴史がこいつにバレずに済んだが。
「ところでお前は何で俺を麻酔銃で眠らせようとしたんだ?」
これは聞いておかなければならない。そしてこの返答次第では俺の今後の生き方も変える必要があるだろう。
「そうだった……。あなたは、わたしが貰う……!」
「それさっきも言ってたな。誰かに俺の誘拐を依頼されたのか?」
「依頼……? 違う。これは、私の意思……」
「ホントか? 依頼主を守ろうとしてんじゃないだろうな?」
「ホント。逆に、どうしてあなたの、誘拐を依頼される、の……? もしかして、有名人?」
んー? なんか本気で言ってるっぽいなこの感じ。俺の考え過ぎなのか?
「いや有名人では無いが、ちょっと誘拐されそうな気がしてな。にしても俺を貰うってどういう意味だ? あと何で俺を選んだ」
「貰うのは、貰うって意味……。あなたを、選んだのは、強い、から……」
さっきから思ってたが、こいつ口下手にも程があるぞ。貰うのは貰うって意味ってもう何言ってるのか意味不明である。
仕方ないからババア直伝の俺の尋問術でこいつが何を言っているのか、俺にも分かりやすいように聞き出してみよう。