閑話 ジーン族の里で。その3
閑話 ジーン族の里で。その3
「ラーク殿はジーン一族の皆を治療してくだされた。死者はもちろん、後遺症が残った者もいない」
「うぐっ」
「ラーク殿は我々が移住する予定地の領主殿だ」
「ぐはっ」
「お前の妹が生き返ったのも、ラーク殿のおかげだ」
「ごほっ」
「ついでに言えば今代の魔王様だ」
「かはっ」
ケウからの言葉責め(?)を受けてスレイが悶絶していた。
「ま、真に申し訳ありませんでした……」
見事な土下座を決めながら絞り出すような声を上げたスレイである。
「あー、気にするな。俺には妹はいないからな。妹のために激高できるスレイのことは羨ましくもある」
「そ、そう言って貰えると助かります。いえ、しかしこのままで許していただくわけにはまいりません。自らの失態は自らの手で挽回しなければ。私には手がありませんから、この肉体で何とか……」
「…………」
エロい想像をしてしまった俺は悪くない。決して悪くない。と思う。
「ラーク殿。ぜひ、是非私のことを馬として、足として使っていただきたく。このスレイ、平にお願い致します」
「え~っと……」
女性を馬扱いする趣味はないし、別に馬がなくてもテレポートが使えるから問題はないんだが、そう答える前にケウに確認。種族的なあれやこれがあるかもしれないからな。
「……ラーク殿。受けてやってくださいませんか? もしここで拒否されるようなことがあれば、人馬族の一員として、スレイは自らの命をもって謝罪をするしかありませんので」
「え、なに? 人馬族ってそんなに厳しいの?」
「厳しいといいますか……。人馬族が背中に乗せるのは、伴侶か主人と認めた者だけ。それを拒否されたとなれば死ぬしかないでしょう」
「ないのですか……」
人馬族も大変だ。
いや、ちょっと待てよ?
「さっきケウは俺を背中に乗せていたよな? あれはいいのか?」
「かまいません。緊急事態ですし、ジーン族の移住を受け入れてくださったラーク殿は主も同じ。なぜ文句など言えましょうか?」
「いやぁ、主はもうちょっと慎重に選んだ方がいいと思うがなぁ」
「……では、伴侶ということで」
「え?」
今聞き逃せないことつぶやいたよな? ケウさん? あなたそんなリュア系の人でしたっけ?
「そういうことで、ぜひラーク殿には受け入れていただければと」
いや、『そういうことで』で片付けていい問題じゃないと思うのだが……。不安げな様子で俺を見つめるスレイを見ているとそんなツッコミをしている間も惜しくなるというか、何というか……。
「……これからよろしく頼む」
そう言って頭を下げた俺だった。
◇
俺のM.P.だと、(M.P.の使いすぎで死なない程度に手加減して)人馬族を50人ほど移住予定地までテレポートできるらしい。リュアや姫の驚き方からして、かなり規格外の輸送能力みたいだ。
M.P.の回復量を考えると、全員輸送するまで一週間ほどかかるかもしれない。
まずは子供と母親たちを中心に輸送することとなり、荷造りなどが終わるまで俺は暇な時間を過ごすことになった。
姫はお昼寝中。ケウは族長の娘として様々な指示を出している。必然的に俺の近くにはリュアとスレイだけが残る格好となった。
スレイとは出会ったばかりだが、一対一で戦ったあとなので遠慮の気持ちなどは存在しない。
「そういえば、ケウって『ジーン族一番の戦士』なんだよな? スレイよりも強いのか?」
スレイは俺が今まで戦った中でもかなり上位の強さだった。ケウがそんなスレイを越えるというのなら、是非とも手合わせ願いたいところ。
なぜか「う、」と声を上げるスレイ。
「……あ~、そうですね。最近私はこの“黒腕”を使いこなせるようになりましたので、ケウと戦っても勝てるかもしれませんけれど……。幼い頃からの勝率を考えれば、ケウの方が『一番の戦士』なのかなぁとですね」
ものすごく目を泳がせながらそんな事実を教えてくれた。いや眼帯しているから見えないけど、ものすごく泳いでいる様子がありありと分かる。
たぶん、“黒腕”とはスレイが腕代わりに使っていた黒いモヤだろう。
スレイの口ぶりだと“黒腕”を使いこなせるようになってからはケウと戦っていないように聞こえるが……。
「ケウが族長の娘だから遠慮しているのか?」
「いえ、そんなことはありません。彼女とは立場のしがらみがない友情を築けているかと。その証拠に『ケウ』と呼び捨てですし……。そのですね、彼女は、あの、なんと言いますか、非常に負けず嫌いな性格でして」
「あぁ……」
俺がD.P.で出した杭に対しても対抗心(?)を燃やしていたな。結局負けは認めなかったし。
「ですので、今戦えば勝てるかもしれませんが、ケウの場合、たとえ負けても『最後に立っていた方が勝者だ!』となりそうでして……。実際、族長殿と戦ったときはそうなりまして。何度有効打を与えても生ける死者のように立ち上がり、結局族長殿が根負けするまで終わらない泥仕合に……」
「あぁー……」
諦めない相手ってある意味で一番厄介だからな。うん、俺の弟子も諦めない系の人間だったので気持ちはよく分かる。
俺がぽんぽんとスレイの肩を叩いていると、話題のケウが近づいてきた。移住の準備が終わったらしい。
人間との抗争が激しくなってきたため、最悪ケウが帰ってくる前に移動を開始しようと用意をしていたそうだ。ゲルっぽい住居だから解体しての移動もすぐにできるしな。
まず最初は子供が32人、親が18人、そして付き添いとしてケウを送ることになった。族長の娘であるケウが一緒の方が安心できるだろうからな。
ちなみに、折りたたんだゲルなどの荷物は姫が背中に乗せて持って行ってくれるそうだ。
「よし、じゃあ移動組は集まってくれー」
ぞろぞろと皆が集まったところで智慧の一端を起動させ、集団転移を選択。およそ40,000M.P.で移住予定地まで転移が可能だ。
今までの経験からして、消費したM.P.が回復するまで8時間といったところか。
「ほぃ、じゃあいくぞー」
転移魔法を発動。すると、魔力を大量消費したとき特有の目眩が。そして人馬族51人が光に包まれて、消えた。
無事に転移できたか一応確認しないとな。
俺も転移魔法で居館まで戻る。ぐわんと視界が回り、次の瞬間には見慣れた居館前に転移していた。
周囲を見回すと、少し離れた場所でケウと人馬族の集団を確認することができた。
ケウたちの無事を確認したあと、俺は居館に入ってエリザたちに事の次第を説明した。
「では、まずは領主として挨拶をしませんと! 最初が肝心! ガツンと領主と領民であると教えましょう!」
エリザがなぜか嬉しそうにそんなことをほざきやがった。
「……そういうことは、お貴族さまであるエリザに任せるとしてだな、」
俺が背を向けて居館に入ろうとすると、エリザが俺の服の裾を掴んできた。やだこの子以外と力強い。酒樽はひっくり返したくせに……。
「ラークが領主なのですから、ラークがしなければいけませんわ」
「い~や~だ~、そんな領主とか、領民とか、スローライフとは対極じゃないか! 俺は今度の人生こそのんびりまったり過ごすと決めたんだ!」
「別に支配しろとか、責任を持てとまでは言いませんわよ。ただ、あちらが勘違いしないように立場を鮮明にする必要があるだけで。あとのことはあちらが勝手にやりますわよ」
「いやいや、勝手にするなら俺がガツンとやる必要も――」
『――ラーク。聞こえるかの?』
と、頭の中に姫の声が響いてきた。通信魔法というものだろうか?
「おう、姫か。どうした?」
『うむ、今そちらを目指して飛んでおるのだがな、ジーン族の里に向かって人間族の騎馬隊が進軍しておるのが見えたのでな。100人くらいか? 数的には大したことはないが、一応戻ってきてくれ』
「それは構わんが、目視できる距離なら姫が戻ってやればいいんじゃないか?」
『回復魔法が使えるおぬしが戻った方がいいだろう? あと、荷物を背負った状態で戦うと荷物が吹き飛ぶぞ?』
「それもそうか。じゃ、俺が戻るから輸送の方よろしく頼むな」
『うむ、任せておけ』
通信魔法を切った俺はジーン族の里へと再びテレポートした。
「……あ、逃げられましたわ……」
エリザの呟きはもちろん聞こえなかった。
◇
「――愚かな人間共に思い知らせるぞ!」
「――人馬族の怒りを思い知れ!」
「――我らが勝利を魔王殿に!」
「――ラーク殿万歳!」
「――万歳!」
「――万歳!」
「――万歳!」
ジーン族の里に転移すると、中々にひどい状況だった。スレイ……は、人馬族の真ん中で万歳を主導しているのでリュアに声をかける。
「え? リュア、なんだこの状況は?」
『人間共が攻め入ってくると物見からの報告がありまして。スレイさんを中心に、ご主人様に勝利を捧げようと意気込んでいるところです』
「いやなんでそんなに忠誠心(?)高いのこの人たち?」
『そりゃあ、死者が出るほどに激しさを増してきた人間族との争いの最中、亜人の救世主たる“魔王”が現れたのですからテンションもMAXになるでしょう。しかも族長の娘であるケウが自分から背中に乗せて、スレイの即死スキルを無効化した上、真正面から打ち倒したのですからこの状況も当然なのでは?』
「……なんてこったい」
俺が頭を抱えているとスレイが俺に気づいた。即座に他の人馬族に号令し、一糸乱れぬ動きで姿勢を正し、全員が胸に手を当てるポーズを取った。
『人馬族式の敬礼ですね。しかも最敬礼。全員がご主人様を“主”と認めたようで』
「なんてこったい……」
心底楽しそうにニヤニヤしているリュアにデコピンしたい。超したい。
俺が両手で荒ぶるデコピンのポーズを取っていると、スレイが大地すら震動しそうなほどの大声を上げた。
「ラーク殿! 此度の戦、必ずや貴殿に勝利を献上いたしましょう!」
いやいらんから。自分たちのために戦ってくれ。なんだったら里の周りを水堀で囲ってしまえば人間も攻め込んでは――うん、それでこいつら収まってくれるかなぁ? くれないだろうなぁ……。
「お、おぉー、ケガをしないようになー」
ぎこちない動きで手を上げながら、そんな言葉をかけた俺である。
「我らに対して何という心遣い! 皆の者! いざ突撃! 粉骨砕身の覚悟で突撃せよ!」
うぉおおおおおっ! と鬨の声を上げながら駆け出す人馬族。いや粉骨砕身しなくていいから。危なかったら逃げていいからね?
『人馬族は歴代の魔王軍において常に先陣を任されていたと記録にありますね。まぁ、あのようなノリでしたらそれも当然なのでしょう』
「ノリで突撃されてもなぁ。……ま、スレイの妹さんが死にかけたんだから怒るのも当然か」
頭をポリポリと掻きながら俺は歩き出した。人馬族の突撃していった方角、とは、反対側に。
『? どちらに向かわれるのですか?』
「うん? いやな、人間だってバカじゃないだろう」
姫の報告によれば、攻め込んでくる人間は騎兵100人ほどらしい。
500人ほどの集落を攻めるなら過剰とすら言える戦力だ。……普通なら。
しかしここは人馬族の里。住人のほとんどが騎兵である場所に攻め込むと考えた場合、騎兵100人というのは少なすぎる。真正面から突撃してくるなど、よほどの愚か者だけだろう。
相手が愚か者だったのなら問題なし。俺が考えすぎただけのこと。
しかし、俺の考えが正しかったのなら……。
『……足音が接近してきていますね』
俺の目指す先を睨み付けながらリュアがそんな報告をしてきた。スレイたちが突撃していった方向とは真逆。
リュアが目を閉じて何かの呪文を唱えた。雰囲気的に声をかけることが憚られる。
10秒ほど経っただろうか? リュアがゆっくりと目を開けた。
『ケウたちが向かった先には、20人の騎兵が。そして、ご主人様の目指す先からは80人の騎兵が迫ってきています』
おそらくだが、地面と同調して敵の足音を聞き分けたのだろう。
「ふぅん、単純な“釣り”だな」
少数の部隊が敵の主力を釣りだし、本陣が手薄になったところを強襲する。古今東西よく使われてきた手だ。
『……ご主人様はどこでそのような戦術眼を養われたので?』
「前世、実家が古武術道場みたいなことをやっていたからな。その関係で色々な兵法書を読んだのさ」
『書物で読んだだけ、にしてはずいぶんと落ち着いていますね? 騎兵80人が向かってきているのですから、もう少し慌ててもいいかと思いますが。想像力が欠如しているわけではないでしょう?』
「……昔、戦場を渡り歩いていたんだ。とでも説明すれば満足か?」
別に隠すようなことでもないので事細かに説明してもいい。だが、昔の自分語りなんてのは酒の席でもないと恥ずかしくてやりたくないし、なにより、もう80人の『敵』の姿を目視できた。お喋りはあとにするべきだろう。
「やれやれ、俺は槍使いなんだがなぁ」
愛用の槍は先ほど折れてしまったからな。別の武器を使うしかない。
嘆きながらアイテムボックスから『刀』を取り出す。槍と一緒にアイテムボックスに送られてきたものだ。もちろん前世からの愛用品。
刃渡り70センチほどの打刀。新刀であり、銘はないが切れ味はいい。
鞘から刀を抜きつつ敵集団を確認。いかにも重そうなフルプレートアーマーを着込んだ騎士が乗っているのは、二本足で歩く恐竜のような動物だ。
なんというか、小型肉食恐竜? ヴェロキラプトルに鞍や鐙を取り付けたよう感じ。ただ、表皮が魚の鱗のようなもので覆われているのが特徴か。
恐竜 (っぽいもの)が生き残っているとか、スゴいな異世界。
俺が感心しているとリュアが詳しく解説してくれた。
『ヴィーラプル……俗に鉄竜と呼ばれている魔物ですね。その名の通り鉄のように固い鱗が特徴です。本来なら人が乗りこなせるような気性をしていないのですが、もしも飼い慣らしているのだとしたらヒングルド王国は軍事強国として台頭するかもしれませんね』
「ふぅん」
世界史を変えるほどの騎兵隊。モンゴルの騎馬軍団とか、ポーランドの騎兵フサリアみたいなものだろうか?
正直、元は異世界人である俺としてはどこの国が天下を取ろうがあまり興味はない。
……あぁ、いや、エリザやケウの話からするとヒングルド王国ってのは亜人差別主義国家だったか? 実際ケンタウロスの里に攻め込んできているわけだし、下手をすればケウたちを保護した場所も戦場になる危険が……。
まぁ、そうなったらそうなったときに考えればいいか。防衛こそ“城”の本懐だしな。
それに、いまさら『ヒングルド王国に攻められるかもしれないから』なんて理由でケウたちを追い出すわけにはいかないし、する気もない。
ケウとは良好な関係を築けているし、スレイとも仲良くなれる気がする。少々過激だが、俺のことを主と慕ってくれている人馬族のためなら多少の無茶をしてもいいだろう。
と、そんなことを考えていると近づいてくる騎馬集団から一人が先行してきた。話し合い――というわけでもなさそうだ。
先行してきた“敵”が杖を取りだし、呪文を唱えはじめた。
『捕縛の魔術みたいですね』
俺の隣にいるリュアが説明してくれる。
「……解説してくれるのは助かるが、逃げなくていいのか?」
『この私を、あの程度の人数でどうにかできるとでも?』
「あ~……」
地面から伸ばした蔦で鉄竜を絡め取るとか色々できそうだものな。そもそも木って槍で刺したり剣で切ったりしたくらいじゃ枯れないし。万が一攻撃を受けても平気そうだ。
『……そこは『安心しろ! お前は俺が守る!』くらいのことを言って欲しかったのですけれど?』
「え? 俺ってそんな熱血系のキャラだったっけ?」
バカなやり取りをしているうちに敵が呪文詠唱を終えた。俺に向かって光り輝くロープのようなものが飛んでくる。
「そもそも、俺を捕縛してどうしようっていうんだ? 身代金なんて取れないぞ?」
首をかしげながら刀を振るうと、光るロープみたいなものは切断され霧散した。
『ご主人様は見た目だけなら美少女ですから。売り飛ばすなり“お楽しみ”するつもりなのでは?』
「何それ笑えない」
『……いや、といいますか、剣で魔術を斬るってどういう理屈なんです?』
「? 見切ったのだから切れるのは当たり前だろう?」
『どこの世界の常識ですか……』
リュアが呆れている間に敵は槍が届く範囲にまで近づいてきていた。
……まぁ、こいつらはスレイの妹さんに致命傷を与えた連中なのだろうし、そもそもジーン族の里に侵攻していたのだ。手加減する必要はない。
「――師よ、我が工夫を見よ」
まずは鉄竜とやらの首を落とす。少々固かったが“ミキリ”で問題なく両断できた。
『いや鉄竜ですよ? 鉄のように固いのに、なんで『すぱーん』と斬れるんですか?』
「斬鉄なんて元日本人としての必須技能だぞ?」
『私のデータベースにあるニッポンと違う……』
そんなやり取りをしているうちに首を落とされた鉄竜が体勢を崩し、乗っていた騎士が地面に投げ出された。
「――南無」
鎧の隙間を狙って刀身を突き刺した。即死こそしないが、喉を貫いたのでそのうち死ぬだろう。
仲間の死を察した騎馬連中が怒りの声を上げながら突撃してきた。とは言っても5人ほどの小集団による断続的な突進だ。お互いが接触することを恐れたのだろう。
これがポーランドのフサリアならば数千の騎兵が集結しつつ速度を上げながら突撃、という離れ業をするはずなので、少なくともこいつらにはフサリアのような練度はないらしい。
「お前らに恨みは――うん、一応あるか。スレイの妹さんは本来なら死んでいたんだからな」
騎馬の間を縫うように移動し、刀を振るう。首を落とすのは予備動作が大きくなって隙が増えるので、首より細く、近くにある脚部を切断する。
鉄竜の脚は二本しかないので片足を切るだけで戦闘不能にすることができる。
倒れた騎士共はリュアが蔦で拘束してくれるから、俺は向かってくる騎士の対応を優先しつつ、隙を見て拘束された騎士たちにとどめを刺していった。
そうして15人ほど“処分”した頃。
敵騎馬集団は撤退を選択した。『釣り出された』と気づいたスレイたちがこちらに向かってきたためだ。あるいは俺には勝てないと見切りをつけたか。
見事な統率で騎兵たちが撤収する中、ただ一人、その場に残る騎士がいた。
殿のつもりだろうか?
背筋を伸ばして鉄竜にまたがるその姿から、なかなかの腕前であると察することができる。
別に、俺は快楽殺人犯というわけでもないので逃げるというのなら無理には追わない。もうすぐ人馬族はこの里を捨てるから、逆襲の心配もしなくていいしな。
「おう、そこの騎兵。逃げるなら見逃してやるぞ?」
一人残った騎兵はじっと俺のことを見つめている。フルフェイスの兜を被っているのでその表情を読み取ることはできないが。
「――貴殿に一つ聞きたい」
鎧のせいで分からなかったが、声からして女性なのかもしれない。
「なんだ?」
「貴殿は、エリザベート・ディラクベリ公爵令嬢の関係者か?」
「…………」
それは確か、エリザの本名だったな。
フルプレートアーマーとは身体に密着するよう作られるものであり、基本的に特注品。だからこそフルプレートアーマーを着られるのは貴族に限られる。貴族であるのなら公爵令嬢であるエリザを知っていても不思議ではないのか。
「……知らないな。婚約者に捨てられて、仲間には裏切られ、友人たちから嘲笑されたあげく、公爵家から追放された哀れな少女なら知っているがな」
騎士の雰囲気がわずかに乱れた。動揺、だろうか?
「貴殿はエリザべード様に瓜二つだ。けれど、エリザベート様に姉妹がいるという話は聞いたことはない。そして髪色も違う。……貴殿は一体何者なのか?」
「人に名前を尋ねるときはまず自分から、と教わらなかったのか?」
「……失礼した。我が名はレニ。レニ・レイジス騎士爵である。エリザベート様とは、友人であったと考えている」
「ほぅ、そうだったか」
エリザの友人は、エリザが追放されるときに嘲笑っていたらしいが……いや、友人すべてがその場にいたとは限らないか。騎士ならばパーティー中に警備活動をしている方が自然だし。
さてどう名乗り返すべきかな。エリザの身体に転生してうんぬん……は、話が長くなるし信じてもらえるとは思えん。
他人のそら似、で片付けるのは無理があるよなぁ。髪色こそ違うが、背格好から髪型、服装に至るまで同じなのだから。
生き別れの双子設定で行くか?
いや、もしエリザの(元)両親に確認されたら嘘だとばれるな。侵略者相手なのだから別に嘘をついてもいいんだが、きちんと名乗った相手に嘘をつくのは気が引ける。
かといって魔王と名乗るのは後々面倒なことになりそうだし……。
……よし、意味深なことを言って誤魔化そう。嘘じゃないからセーフ理論で。
「そうだな。エリザベートであることに間違いはない。友人であったなら分かるだろう?」
うん、身体はエリザなのだから間違ってはいない。当たってもいないが。
「し、しかし! 髪色が違うし、何よりエリザベート殿はそのような口調ではなかった!」
必死の否定。
だが、自分自身に言い聞かせているように聞こえたのは、気のせいだろうか?
「はははっ、口調ねぇ? 品行方正で公明正大、未来の王妃にふさわしい公爵令嬢ってところか? そんな完璧な人間の性格がねじ曲がってしまう出来事に、心当たりはないか?」
「そ、それは……、…………」
押し黙るしかないレニを煽るように。俺は長く伸びた銀髪を両手で掬い、ゆっくりと払った。サラサラと銀の髪が流れ落ちる。
「裏切り者に死を。国家に滅亡を。恨んで、恨んで、恨み抜いて。神に悪魔に魔王に復讐を願い、願い、希った末に生まれたのが“俺”という存在だ。ふふふ、お前の知っているエリザベート・ディラクベリ公爵令嬢はもうどこにもいないよ」
うんいない。エリザは勘当されたからもう『公爵令嬢』じゃないし。
お笑い系怨霊・残念悪役令嬢のエリザならいるけどな。
「……神子」
レニが小さくつぶやいた。
そういえば、創造神いわくエリザは神子と呼ばれる存在だったな。だからこそ契約は履行されて、俺がエリザの肉体に転生してしまったと。
「……エリザベート殿は、王太子殿下を恨んでおいでか?」
「恨まない理由があるか?」
いや、今のエリザは恨んでいるのかなぁ? 恨んでないだろうなぁ。カレーの道を究めるのに忙しそうだし。
「国家の滅亡をお望みか?」
「国家安寧を望むとでも?」
セーフ。『滅亡してしまえ!』とは答えていないのでセーフである。
「……国王陛下は嘆いておられた。それに、あれは明らかな冤罪。もしも戻られるつもりがあるのなら私からも――」
「――お前は阿呆か?」
おっといけない。ついつい殺気を飛ばしてしまった。
殺気を真正面から受けたレニとやらは小さく悲鳴を上げ、鉄竜は錯乱したように暴れだし、ついでに近くにいたリュアが『心臓止まるかと思いましたよ! いや私に心臓あるか分かりませんけど!』と抗議してきたが……しょうがないだろう?
たしかに。今のエリザは恨んでいないかもしれない。復讐よりもお城で優雅なスローライフを望んでいてくれるかもしれない。
だが。
あのときの恨みは本物だ。
自分の命を捨ててまで。彼女は復讐を希った。創造神に届くほど強く、強く。自分を裏切った王太子を。弟を。幼なじみを。男爵令嬢を。友人だと思っていた連中や見て見ぬふりをした者たち、そして、国家そのものまでをも。
恨んで。恨んで。恨み抜いて死んでいったのだ。
そう、“彼女”のように……。
…………。
舞い散る雪を思い出す。
しんしんと。
どこまでも静かに。
何よりも美しく、何よりも悲しかった、あの光景を。
――血吹雪よ
嫌なことを思い出す。
恨んで、恨んで、恨み抜きながら死んでいった“彼女”のことを。
――菊花の貴色染め上げよ
主君を、国家を、世界を恨みながら死んでいった“彼女”のことを。
――八千代の果てに、我を忘るな
俺自身に恨みはない。
憎しみもない。
ただ、後悔があるだけで。
若い女には、なるべく死んで欲しくない。
若い女が、復讐に身を焦がす様を見たくはない。
……エリザは確かに恨んでいた。
確かに復讐を望んでいた。
そんなあの子が、確かに笑っている。
復讐を忘れ、楽しい日々を過ごしている。
そんなあの子に、戻れと?
自分を捨てた国に。
自分を裏切った国に。
こいつは、戻れというのだろうか?
「――ラーク。その辺にしておこう?」
ご主人様ではなく、ラークと。
そう呼んだリュアは俺の手を取り、静かに微笑みかけてきた。
「誰にでも失言はあるものだ。私のラークなら、笑って許してやるほどの度量を持っていると信じているよ?」
知らぬ間に刀を強く握りしめていたらしい。
もしもリュアが手を添えてくれなかったら、レニに斬りかかっていたかもしれない。
怒りに我を忘れるなど、“ドサンピン”のやることだ。
「……いや、別にお前のものではないんだが?」
いつも通りの返事ができた、と思う。
「おや、そうだったね。すでにラークはエリザのものだし、姫のものだし、ケウのものでスレイのものでもある。私だけのものとは言い切れないか」
「ちょっと待て、それはいくら何でも多すぎる」
「そうかな? 私としてはさらに増える気がしているのだけど? 大丈夫、一度増やしてしまえば5人も10人も大した違いではないさ」
「……世界樹の直感が当てにならないことを願おう」
俺は深々とため息をついてからレニに視線を移した。
「死にたくなかったら帰れ。そして、二度と世迷い言を口にするな」
「……失礼した。この詫びは、いずれまた」
「いらん。去ね」
俺が冷たくあしらうとレニは一度頭を下げてから鉄竜の踵を返した。
「よろしかったのですか?」
そんな声をかけてきたのはこちらに到着したスレイだ。
「いいんじゃないのか? あちらが態勢を整え直すまえにこっちは全員転移できるだろうからな。二度と会うこともあるまいよ」
それに、あいつはエリザの友人らしいし。発言からしてエリザの追放には関わっていなさそうだ。殺してしまうのはためらわれる。
「ラーク殿がよろしいのなら、こちらに否やはありません。ラーク殿のおかげで報復もできましたから」
その口ぶりからすると、妹さんに致命傷を与えた人間は俺が“処分”したのだろう。
今日だけで15人ほど殺したが、まぁ、それだけだ。攻め込んでくるのだから当然死ぬ覚悟もしていただろう。
「……あ~、疲れた」
刀身の血を拭い、鞘に収めてから俺はゴキゴキと肩を鳴らした。
カレーだ。
エリザの作ったカレーを無性に食べたい。
とりあえず本日最後ということで残り魔力が許す限りの人数を転移させた俺は、リュアやスレイと一緒に居館へと戻った。
そう、人馬族に『ガツンとした挨拶』をしなきゃいけないことを完全に忘れたままで……。
次回、21日投稿予定です。




