閑話 ジーン族の里で。その2
閑話 ジーン一族の里で。その2
向かい来るは8本足の異形の人馬。
俺が槍を取り出したのとほぼ同時、横から走ってきたケンタウロスに抱きかかえられた。危うく槍を取り落としそうになるほどの勢いだ。
「……ケウ?」
「申し訳ありませんラーク殿! スレイのやつ、妹を殺されて正気を失っているようです!」
スレイと呼ばれた8本足の赤髪のケンタウロスから全速で逃げながらケウが謝罪してくる。
とりあえず、俺を抱き抱えたままでは走りにくいだろうからいったん槍をアイテムボックスに戻し、それからケウの背中へと移動する。かなり揺れているが、座り心地はいい。
「ま、妹を殺されたんじゃしょうがないわな」
「そう言って貰えると助かります! まったくラーク殿は皆を治療してくれたというのに! いくら妹が死んだとはいえ、無関係の者を――」
「その件だがな。リュアが“世界樹の葉”を使ってくれるから、たぶん妹さんも生き返るぞ?」
「ま、まことですか!?」
「リュアはできない仕事を引き受けはしないだろう。……スレイってやつに説明したら止まってくれるか?」
「完全に暴走状態ですので、そもそも人の話を聞かないかと……。すみません、他の者が鎮静薬を塗り込んだ矢を撃ち込みますので、それまで一緒にお逃げください。筋肉質な私の背中などでは不快でしょうが……」
「不快なんかじゃないさ。むしろいい乗り心地だぞ? ずっと乗っていたいくらいだ」
「…………、……そ、そうですか」
首の後ろまで赤くしたケウ。うん、何を口説き文句っぽいことを口走っているんだろうな俺は? 女たらしか? 実は女たらしだったのか?
俺が衝撃の事実から逃れるように後ろを振り向くと、ちょうど3人のケンタウロスが8本足――スレイに矢を撃ち込もうとしていた。
スレイは馬の下半身まで覆う黒い全身鎧を着込んでいるのだが、ケウの様子からするにジーン族の戦士なら鎧の隙間を狙って矢を撃ち込めるのだろう。全速で駆けながらの射撃として考えれば驚異の練度だ。
3人がほぼ同時に矢を放つ。
瞬間、スレイが動いた。
正確にはスレイの背中。先ほどまで妹をくくりつけていた黒い“霧”が脈動し、飛来する矢をすべて叩き落としたのだ。
「ほぉ、見事なものだな」
「感心している場合ですか!?」
ケウがツッコミを入れている間にスレイが反撃。3人のケンタウロスは足を負傷して戦線から離脱した。その様子を見て他のケンタウロスが追撃をはじめるが、距離があるのでしばらく追いつくことはできないだろう。
と、スレイに新たな動きがあった。
欠損した両腕の代わりに、黒い“霧”が両目を覆った眼帯とベルトをはずそうとしているのだ。
「バカな! アレを使う気か!?」
ケウの焦りとスレイの呪文詠唱が重なる。
「――聞け八百万の生命よ」
その声音に総毛立つ。
嫌な予感に震える身体を必死に押さえつけながら俺はケウに問う。
「アレってなんだ?」
「……我々は“死神の瞳”と呼んでいます」
「物騒だな」
そんなやり取りの間にもスレイは両目を覆うベルトを一つ一つ外していく。
「効果は言葉の通りです。即死効果の邪視。魔眼と言った方が分かり易いでしょうか?」
「相手を見ただけで殺すと?」
「えぇ。視界に収めただけで効果が発動しますので、普段は味方を巻き込まないようああして眼帯で覆っているのですが」
「…………」
にわかには信じがたいが、冷や汗が止まらないケウの様子と、俺の直感が事実だろうと告げてきている。
(たしかケルト神話に似たような神様がいたな。見ただけで相手を殺す魔眼持ち。名前も同じくバロールだったか)
視界に収めただけで相手を殺すという。スレイの眼帯が外されれば、俺を乗せているケウも巻き込まれるだろう。
俺はケウの背中を軽く叩いて、言った。
「ありがとう。ここまででいいよ」
「へ?」
驚き振り向こうとするケウ。彼女が俺を見る前に転移魔法を起動。ケウだけを離れた場所に転移させた。
槍を取りだし、スレイと相対する。
本当は俺も転移魔法で逃げたかったのだが、そうすると“死神の瞳”の力を解放したスレイが獲物(俺)を探して周囲を見渡すかもしれないからな。その際、他の者が視界に収まったりしたら大変だ。
ここは俺がスレイの視線を惹きつけるしかないだろう。
スキル“即死無効”を持つ俺なら、たとえ凝視されても死なないからな。……死なないよな? あの創造神の言葉だからちょっと不安。
大丈夫だよーと空から声が降ってきたのでとりあえず信じる。もしも死んだらあの空間で今度こそ殴ってやる。
勝利条件は“死神の瞳”を持つスレイを大人しくさせること。無理なら気絶させて、最悪殺すしかないか。あまりやりたくはないが、しょうがない。
槍を向けた俺を認識してスレイが足を止めた。最後のベルトを外しながら高らかに謳う。
「――産まれ生きゆくものならば、死に至らぬ道理なし」
それは生命が持つ宿命。絶対に逆らえない運命。反論なき道理。――あるいは概念。
死への運命を早める彼女は、きっと神にも等しいのだろう。
スレイの眼帯が外される。
その下にあったのは、血を啜ったかのような赤い瞳。
俺と同じ、赤い瞳。
死の運命からは逃れられない。
死という概念を否定することはできない。
普通なら。
「――死神の瞳」
スレイが『死』という概念を叩きつけてきて。
「――即死無効」
俺が、即死無効という概念で対抗した。
暴走状態にあっても自らの『力』に自信があったのかスレイが目を見開いて驚いている。
「さて、」
一歩踏み出す。
「そんな生まれ持った『チート』で決着を付けてもつまらんだろう? 武人と武人が出会ったのだ。ここは一つ、互いに鍛え上げた技で雌雄を決しようじゃないか」
「…………」
スレイの周りに漂っていた黒い“霧”が欠損した肩口に集まり、密集し、まるで腕のような形を取った。
その『腕』に握られているのは左右それぞれに長さの異なる湾曲刀。日本刀よりも細く、反りが強い。どちらかと言えば前世の中近東で使われたシャムシールに近いかもしれない。
「二刀流と戦うのは久しぶりだな」
こちらの武器は槍。手数では負けるだろう。
だが間合いでは圧倒しているのだから距離を取りつつ――
「――っ!」
思わず目を見開いた。
スレイが迷うことなく突進してきて、前足による踏みつけを行ってきたからだ。
そうか、ケンタウロスだから『足』も立派な武器になるのか。しかも前足だけで4本。範囲も広い。
俺は地面を転がって回避しつつ口元に笑みを浮かべた。予想外の攻撃をしてくる相手と戦うのは楽しい。
スレイの体重は分からないが、下半身が馬だと考えれば500kgはあるだろう。体格がいいから優に超えるか? ともかく、そんな存在が踏みつけてくるだけで人間にとっては致命傷になる。
体勢を整え直した俺は足捌きでスレイの後ろに回り、試しにとばかりに突きを放った。馬体によって相手からは死角になる位置。
「……硬い」
あの黒い鎧、かなりの分厚さがある。プレートアーマーってのは厚さは1mm~2mmしかなく、曲面によって刃を滑らせたり強度を増しているものなのだが……あの鎧は単純に素材の厚みが凄い。突いた腕がしびれるほど。
その上で曲面も多用しているのだから、並大抵の腕前では真正面から貫くことはできないだろう。
あんな重そうな鎧を着込みながら他を圧倒する速度を叩き出したのだから……正直、バケモノじみているな。
スレイの反撃。
右手に握った刀を使った、速く澱みのない斬撃。『人を斬る』ことに何の躊躇もなさそうなところが個人的に好感触。前世ではそこでためらう人間が本当に多かったからな。
槍の穂先でわずかに軌道を逸らし、隙だらけの喉を突く――、残念。左手の刀で弾かれてしまった。左手は防御用だと読んではいたのだが、まさか片手で俺の刺突を防ぎきられるとは思わなかった。
(う~む、黒い“霧”のおかげか、信じられん腕力だな)
片手で刀を振ったとしても、普通の人間は筋肉を切ることすら難しい。だが、スレイに斬られたら冗談じゃなく上半身と下半身がサヨウナラしそうだな。
スレイが刀を上段に振りかぶり突進してきた。500kgを優に超える肉塊の突撃は悪夢じみている。刀で切られなくても、ぶつかっただけで死にかねない。内臓は間違いなく破裂するだろう。
ただ、単純な直進なので足を捌いて横に回り込む。500kgオーバーの突進は止まろうと思って止まるものではない。あとは通り過ぎざまに鎧の隙間を狙えばいい。
俺は槍を構えてプレートアーマーの隙間を狙い――
「……マジか」
スレイが止まった。4本ある前足を地面に叩きつけての強引な急停止。固い地面が豆腐のようにえぐれている。
慣性によって馬としての下半身が浮き上がりながらも、人としての上半身を無理矢理にひねって斬りつけてきた。
俺は慌てずに後退。鼻先をスレイの切っ先が擦ったがそれだけだ。急に止まった反動を完全には殺し切れていないので追撃は飛んでこない。
スレイが体勢を立て直すまでのわずかな時間。俺はリュアがいるであろう場所に目を向けた。
胸を張りつつ親指を立てるメイドさん。どうやら無事蘇生はできたらしい。
「なら、そろそろ終わりにするか」
槍を構え直す。普段よりも少しばかり穂先を下げて。
「…………」
俺の雰囲気が変わったのを察したのかスレイが距離を取った。刀を持った両手を広げ、突撃の体勢を取る。
「――――っ」
スレイが駆ける。俺を屠らんと真っ直ぐに。
今までのどの動きよりも速い。これがスレイの本気なのだろう。
まさしく暴走機関車。
並の人間であればあまりの恐怖に動くことすらできなくなり、腕に自信のある人間ならば逃げの一手を打つだろう。……その後に逃げ切れるという保証はないが。
真っ正面から受け止める?
あの速度で、あの重量の物体が突進してくるのだから不可能に近い。武器も人体も挽き潰される。
左右どちらかに避ける?
広げた腕に握られた刀の餌食になるだけだ。
後ろに逃げる?
馬より速く走れるわけがない。
どうあっても活路無し。
ケンタウロスの本気の突撃は、それ自体が必殺の技なのだ。
そんな突撃を前にして俺はわずかに肩の力を抜き――
「水無覓流奥義。――ミキリ」
突いた。
単純明快に。
硬き黒鎧の、最も弱い箇所を見抜いた上で。
強き場所。弱き場所。
硬いところに柔らかいところ。
乱れ。綻び。欠点。
そして、その存在がこの世界に留まっていられる“楔”に至るまで。
すべてを見切り、すべての身を斬る。
それがミキリ。
それがミキリであるが故に。
俺の槍はスレイの胴体、鳩尾あたりに深々と突き刺さった。鎧の分厚さも、曲面も貫いて。
「ぐっ!」
スレイがうめき声を上げるが、若干速度が落ちただけで止まらない。500kg越えの突進を受けた槍は耐えきれるはずもなく折れてしまう。
柄ではなく刀身の根元部分が折れてしまったのは想定外だったが、前世から無茶をさせていたので致し方なし。
鳩尾に刃が食い込みながらもスレイは刀を振り下ろした。左右同時の見事な双閃。
その攻撃を、俺は上への跳躍で回避した。前でも、左右でも、後ろでもなく。振り下ろされる刃に向かっての飛躍によって。
跳んだ俺の身体ギリギリを刃が擦っていく。
予想外の行動だったのかスレイが俺の姿を見失う。その隙を突いて俺は彼女の背中に乗り、鐙はないので両足で馬部分の腹を締めた。
スレイの人部分、背中に抱きつきながら俺は優しく声をかける。
「――大丈夫だ。妹さんは生きている」
背中に抱きついたおかげで彼女の心臓の音が近くに感じられる。きっとスレイもそうだろう。
スレイに回復魔法をかけると、鳩尾に刺さっていた槍の刀身が抜け落ちた。後ろからでは見えないが、たぶん回復したはずだ。
冷静さを取り戻しつつあるのか、スレイの怒気が急激に衰えていく。
「いきて……?」
スレイがまず俺を振り返り、俺の目を凝視して嘘をついていないか確認。本気だと判断したのか続いて妹がいるであろう里へ視線を向けようと――
「おっと待て」
がっしりとスレイの頭を掴み、固定する俺。
「その目で里を見たら大量虐殺だ。せっかく生き返った妹さんがまた死ぬぞ? はやく眼帯をしてくれ」
「す、すみませんでした……。…………、……え? あの、私の瞳で見ましたよね? なぜあなたは生きているのでしょうか?」
「即死無効のスキル持ちだからな」
「そ、そのようなスキルは初めて聞くのですが……」
「奇遇だな。俺も『見ただけで即死させる』なんてスキルは初めて見たぜ」
「…………」
俺が手を離すと、スレイは再び俺の目を凝視してきた。
死なないと分かっていても、即死効果のある瞳で見つめられるのは気分が悪い――いや、美人さんから見つめられると悪い気はしないな、うん。
そう、美人さん。
落ち着いて見てみると、スレイはかなり綺麗な人だった。大人のお姉さん系。姫が近所の年上お姉さんだとしたら、スレイはクールビューティー系女優といったところだろうか?
「……あなたは、私が見つめても死なないのですね?」
「美人に見つめられ続けると、ドキドキしすぎて死んでしまうかもしれないなぁ」
「び、美人ですか……」
茹で蛸のように顔を真っ赤に染めるスレイ。こんなに美人なのに言われ慣れていないのだろうか? ……あぁ、いつも眼帯をしているだろうし、即死効果のある“死神の瞳”持ちだからな。そんなことを口走る度胸を持った男はいなかったのか。
スレイは口元を緩めながらも黒い“霧”で眼帯をしてしまった。ちょっと残念。
「ま、でも、落ち着きを取り戻したようで何よりだ」
「落ち着き……?」
首をかしげたスレイの顔が、真っ青になった。たぶん暴走状態の時にやらかしたことを思い出したのだろう。
スレイはまず後ろ足を折りたたんで俺を背中から降ろし、立ち上がったあとに俺と向き合った。そして、今度は前足を折りたたみ、人間としての上半身を折り曲げて……土下座の体勢を取った。
「真に申し訳ありませんでした。復讐心に駆られ、無関係の人間に襲いかかるなど」
「あ~、気にするな。妹さんが殺されたんだからしょうがないって」
俺はそう言ったのだがスレイは中々納得してくれず、結局ケウがやって来るまでずっと頭を下げ続けていたのだった。
次回、15日投稿予定です。




