3.貴重品とか特にないけど一応
俺たちは一筋の光も差さない、暗い夜道を歩いていた。
メルチィは夜目が効くのかコツコツと小石を蹴りながら歩いている。
「ルシ様、元気出していきましょう」
「…………」
「こうなってしまったものは仕方ないです」
「…………」
「ルシ様、いつ逃げますか?」
「逃げねーよ! なんか楽観してんなと思ったら夜逃げするつもりだったのか」
道理で俺を励ましているわけだ。
いつもなら容赦なく俺に全責任を押し付けようとするくせに。
小石が横にずれるたびに俺の前を横切ったり、俺にぶつかったりしていたメルチィが、俺に正気を疑う目を向けてくる。
「ルシ様、何をおっしゃっているのですか? 年中無一文の私たちが十五万ドラなどという大金払えるわけがないじゃないですか」
言い分は分かるがそれじゃあダメなんだメルチィ。
「いいか? 俺たちの目標は人並みの生活を送ることなんだぞ。借金抱えて夜逃げなんていうリスキーな真似するわけないだろ。あと石蹴るのうっとしいからやめろ」
「……初めてまともなこと言いましたね。驚きです」
俺は今のをまともだと思える感性がお前にあったことが驚きだよ。
「まあ私はただのしがないメイドですから、主人の後ろを付き従うのみです」
「そう言うなら、石を蹴るためだけに俺の前を行くのやめないか?」
「ルシ様、パスです」
「え、いや俺よく見えな……って痛っ!」
メルチィが踵を使って後ろへ蹴った石は、俺のすねに命中した。
「てめえ、なにしやがんだ!」
人が真面目な話してるときに石ころで遊びやがって!
俺は足元に転がる石を拾ってメルチィに投げる……のは当たったら痛いじゃ済まなそうなので、脅しのために頬を掠める程度に抑えておく!
俺の手から離れた石は頬を掠める……ことはなく見当違いの方向へと姿を消していった。
「どこ投げてるんですか?」
パリーン!
「「あ」」
どこかで窓の割れる音が響いた。
「……ルシ様、この場合は」
「逃げる一択だ」
「俺、次からは情け容赦なくゲホッ、お前に石をぶつけると誓う……ハァハァ」
「ルシ様の場合それでも当てることは難しいと思いますが」
ようやく家が見えてきた。
後ろを振り返ることなく走り続けて十分。俺の肺はとっくに活動限界を迎えていた。
「このまま夜逃げでもしちゃいましょうか?」
「くそ……なんでお前はそんなに元気なんだよ」
両手を膝について肩で息をする俺とは対照的に、いつもと変わらない様子で夜逃げを慣行しようとするメルチィは当然とばかりに答えた。
「エルフですから」
むかつくなこいつ。
「ですがさすがに私も疲れました。ルシ様、いろいろ考えるのは明日にして、今日のところは休息を取りましょう」
ボロボロの木製のドアを開けて、俺に中に入るよう促すメルチィ。
今日は本当に疲れた。精神的にも肉体的にも。今回ばかりはメルチィの言う通り面倒ごとは明日の俺に任せるとしよう。今日の俺は十分頑張った。
俺はふらふらとおぼつかない足取りで、勧められるまま家の中に入ろうとする。
が! あと一歩で完全なる帰宅という瞬間、俺は我に返った。
「メルチィ、てめぇ何を企んでやがる」
おかしい。こいつに限って俺を優先するなんてことあるわけがない!
自分が先に入り、ドアを閉めてさらに鍵までかけるのが俺の知るメルチィであって、こんなメイドっぽい奴メルチィなんかじゃない。
「心外ですルシ様。ただのメイドである身の私が主を差し置いて思考するなどという厚かましいことをするはずがありません」
俺を見下ろしながらへりくだっても説得力ねーよ。
「中に毒蛇でもいたか?」
「いようはずがありません」
ん? なんでこいつ俺を見下ろせてるんだ?
「……お前背伸びた?」
「気のせいです」
視線を下に向け、よく目を凝らす。
「お前なんか踏んでないか?」
「気のせいです」
んん⁇ これまさか——
「お前人踏んでないか?」
メルチィが踏みつけている黒いシルエット。
間違いない、人間だ。薄汚い布切れを一枚だけ身にまとった浮浪者だ。
「気のせいです」
「まだ言い張るか」
俺より夜目がきくエルフがこの浮浪者の存在に気付かなかったわけがない。というか、目とか関係ないだろ。踏んだ時点で気付くだろ普通。
何のためにメルチィがこの浮浪者の存在を俺に隠していたのかは分からないが、一つ明確に分かることがある。
面倒くさっ。
なんなんだこいつ(浮浪者)。マジ勘弁してくれよ。こっちはへとへとなんだよ。ようやく一息つけるって時に割り込んできやがって。
愚痴ばかりが脳内を埋め尽くす中、やはり気になるのはメルチィの態度。
見ようによってはこいつをかばっているようにも見える。
知り合いだったりするのか?
ちらりとメルチィの顔を見やると、メルチィは別段隠す様子も見せず、胸の内をベラベラと勝手に話し始めた。
「疑うような目で見ないでください。私はただこの目の前に転がる明らかな厄介ごとが話題に上がる前に地中深くに埋めてしまおうとしただけです」
お前の人間性を疑いたくなるが、なるほど、確かにメルチィらしい。
「俺がもし気付かなかった時の未来を思うと怖いが……まあ実際気付いてしまったものは仕方ない。おいそろそろ踏むのやめとけ」
「分かりました」
嫌々といった顔で、面倒ごとを持ち込んできた浮浪者から、悪意のある体重移動を駆使して降りたメルチィは根本的な問題を口にした。
「こいつはいったい何者なのでしょうか」
「さあな、旅人とかじゃねーの?」
この世界にはいろんな奴がいるからな。世界を旅して回っている時に魔物に襲われたとか食料が尽きたなんて話はよく聞く。
まあ、その辺も含めて全て明日だ。今日のところは水でも飲まして床に寝かせとこう。
「メルチィ、左側支えてくれ」
浮浪者の右腕を肩に回して担ぐ。
息は小さいがちゃんとある。死んではいないようだ。
「……泥棒」
いつまで経っても手伝おうとしないメルチィがぽつりと呟いた。
「え?」
「行き倒れを装って家に侵入、物を盗んで立ち去るという恩を仇で返す盗人は珍しくないかと」
ふむ……可能性は捨てきれないな。
なら——
「埋めとくか」
「ですね」