2.借金
「「「ようこそ、冒険者ギルドへ!」」」」
「……よ、ようこそー」
「もっと声出さんかいバイトォ‼」
「は、ハイ!」
くっそこのハゲェ……!
俺は荒んでいた。あの草木一本生えないハゲ頭のように。岩肌しかない、そう、俺の心はまさに荒野だった。あのハゲ頭のように。
社会にもまれた若者は大体こうなる。
皿を洗う手が雑になるのも仕方ない。
ガシャン!
あ、手が滑った。
周りは……よし気付いてない。
ふっ、さすがのメルチィも裏口の穴の数がこれで八個目だということは知らないだろう。
しかし、相変わらずここはすごい人の数だな。
さすがギルドと言ったところか。
やたら重そうな鎧を着たドワーフのおっさん。弓を背中にかけた、やたら露出の多いエルフのお姉さん。身軽そうな服装の、腰にナイフを装備した小人……盗賊か?
老若男女、種族、職業問わず、誰もが酒を片手に各々の冒険譚や武勇伝に花を咲かせている。
食器を割ってもばれない喧騒ってすごいな。
俺は慣れた手つきで皿の破片をポケットに隠し、何食わぬ顔で食器洗いを続けていると
「ルシ様、ポッピンビール大を四つ、バジルウサギの丸焼き二つ、急いでください」
「メルチィ、そろそろ外でその呼び方はやめてくれないか? 俺、時々男の従業員や客に裏道に連れてかれるんだぜ? なんでか分かるか?」
いつものメイド服とは違い、ウェイトレスの制服に身を包んだメルチィに、俺は苦言を呈する。
メルチィは少し考えた後、突然胸を抑えて、苦しそうな表情で俺に尋ねた。
「私のご主人様であるルシ様を何故ルシ様と呼んではならないのですか? 他の者など関係ありません。私とルシ様はもはや個人と個人ではないのですから。私たちは仲間や兄弟姉妹にも劣らない主従関係。特別な関係なのではなかったのですか?」
こいつわざとやってんな。
涙さえうっすらと浮かべるメルチィ。
周りは……うん気付いてるな。
「よぉ遊び人さん、仕事終わったら俺らに付き合えや」
「よし殺す。絶対殺す。確実に殺す。ぬらっと殺す。殺す殺す殺す……」
男どもが怖すぎる。
「ルシ様、そんなことより早く注文を回してください」
無情なメルチィは男衆の殺気を一身に受ける俺を庇うつもりはさらさらないらしく、ただひたすらつけあがる。
……さすがに調子に乗りすぎたなメルチィ。
主人である俺を怒らせるとどうなるか、お前の言う主従関係というものを思い知らせてやる。
「注文か、そうだな。ちゃんと注文は回さなくちゃなぁ」
「……ルシ様?」
すー、と肺に空気を溜めて、俺は叫んだ。
「メルチィの女体盛り、一つ入りましったー‼」
「「「「「な、なんだってー‼⁇‼⁇‼⁇」」」」」
どっ、と湧く男ども。
「でけー声出んじゃねーかぁ、バイトォ‼」
店長、随分と嬉しそうですね。
席から転げ落ち酒を顔面に浴びる者、興奮して剣を交える者、祭りだと叫んで魔法を場内で乱射する者。
様々いる中、共通してみんながとった行動は片付けだった。
みんながみんなメルチィの乗った皿を自分のテーブルへ持ってこさせようと必死だった。
「男って……」
「馬鹿なの?」
「馬鹿でしょ」
「馬鹿だね」
絶えず冷ややか視線を送る女性陣。
目を覚まさせようと、男の顔面を殴る女もいた。
いいね。なんかこのまま全パーティ解散とかなれば最高だな。
俺のもとへ送られてくる大量の皿。
仕事が一気に増えたが……クク、ざまあみろメルチィ。さすがのお前も人前で裸体をさらすことなどできまい。
場は存分に温めておいた。後はお前がしらけさせるだけだ。
「ルシ様……」
目の前に広がる惨状を眺めていたメルチィが、やけに落ち着いた口調で俺の名を呼んだ。
「なんだ? 言っとくが今さら謝られてももう手遅れ——」
「そういうのは二人っきりの時だけにしてください」
……は?
静かだった。あれだけうるさかったギルド内がしーんと静まり返っていた。
「私は、その……ルシ様以外の男に肌を見せたくないので」
「「「「「あ?」」」」」
周囲の殺気が増した。
「メルチィ……謝ったらこいつらなだめてくれるか?」
武器を手にじりじりと詰め寄ってくる男たち。
俺は半ば諦めつつ、メルチィに助けを求めてみた。
「ルシ様、どうやらもう手遅れのようです」
薄く笑ったメルチィを最後に、俺の意識は途絶えた。
「十五万ドラ?」
「壊れた椅子、机、皿、諸々合わせた被害総額だ」
「だれが払うんですか?」
「お前達だ」
仕事終わり、くたくたになりながら帰ろうとしていた俺とメルチィは店長に呼ばれ、従業員休憩スペースに来ていた。
「店長、昇格の話以外は俺たちに持ってこないでください。メルチィ」
「はい」
席を立とうとする俺たちを、店長が「いいのか?」と呼び止める。
「帰ってもいいが、クビにするぞ?」
靴を脱いだ俺たちは椅子の上で正座して店長に向き直った。
「「……話だけですよ?」」
「なんで上から目線なんだ……というかもう話したんだが。お前らに十五万の借金ができた。ただそれだけだ」
いつもなら目の前にあるハゲ頭にばかり気を取られて話に集中できない俺も、今回ばかりはそういうわけにもいかなかった。
「ルシ様だけならまだしも、なぜ私も借金を抱えなければならないのでしょうか?」
「おいこらメルチィ」
こいつはどこまでゲスいんだ。
自分のことしか考えないメルチィに代わり俺が尋ねる。
「店長、こういうのって従業員側じゃなくて実際に物壊した客側が弁償するべきなんじゃないですか?」
「そうだな」
「え、あ、そうですね……ぇ?」
なんだこれ。ちゃんと会話できてるのか?
手を組んで押し黙る店長と閉口するしかない俺とメルチィ。
このままでは埒が明かないため、思い切って核心に触れてみた。
「……なんで俺たちが?」
「期待させたお前達が悪い」
即答だった。
なんてことはない。
つまり店長も期待していたというだけだった。
そういえば他の注文すっ飛ばして魚切ってたな。
「きもいです。このハゲ」
メルチィ、初めてまともなこと言ったな。