第八話
国境間近での休憩中のことである。
「あ、あの、その御手に口付けしてもいいでしょうか?」
声がした。
いかつい大の男が頬を赤らめて、こちらを向いている。
彼はなにを言っているんだろうか。
騎士は貴婦人の手にキスをすることは、相手に対する敬意を示す。しかし、私が貴婦人であるとは到底言えない。
陽光を隠すように突っ立ている彼の顔は、たしかに、地面の上であぐらを組んで薬の小分け作業をする私自身に向けられている。後ろを確認するが、誰もいない。茂みである。
いったん手の中のものを地面に置く。
指を彼に向けてぱちんと鳴らしてみた。
「あ、あの何か?」
効いていないようだ。
「いや、なにか魔法にでもかかっているのかと思って、失礼。誰かに脅されているんですか?」
「え? あの、」
「だれです、そんな悪ふざけをするやつは」
彼は大きく目を見開いた。
「ち、違うんです。稀代の魔女さまに昔から憧れていて」
「…はぁ」
「俺にとっての守護神なんです」
「しゅご…」
「ええ、騎士団の間じゃ有名で…稀代の魔女を拝めば、勝負に負けることはない、とか、嫌いな相手に呪い殺せる、とか」
「…そんな効果はないです」
ちらちらと脳裏で、王の顔がかすめる。
私の脳内の妄想だというのに、高笑いしてやがる。
「分かってはいるんですけどね、つい」
まるではじらう乙女のように、そっと睫毛を伏せる。
「ふうん」
そんなこともあるのか。
ずいぶんと鋭い目つきで私を睨んでいる残りの騎士団諸君とは大違いだ。ほかの面々はやや離れた位置に腰を下ろしながら、時折様子を伺うようにこちらを見ている。どうやら私を敵視しているらしい。私が覚えている限りでは、彼らから恨みを買うようなことはしていないはずなのだが。
もしかして、あれか。「国王様の御為に」とか言って剣をつき合わせる儀式を横目で眺めていたからか。私にはできないのだから、仕方ないではないか。笑ってしまうに決まっている。
私の代わりに、赤ずきんがちゃんと参加していた。
「よろしければ、ぜひお話を伺わせていただけませんか? 魔女さまは、アッシェン国のアンツ王子とも長い間、ご交流があるんですよね」
先ほどアーノルドと名乗ったこの騎士は、私とそう年齢が変わらないだろうに、瞳を純朴な少年のように輝かせている。そういう態度で来られると、つっぱねにくい。
「そんな話して聞かせるようなたいそうなモノは持っていないけど。それでもよければ」
彼が隣に腰を下ろす。
隣に座っても見上げる形になる。大きい。まるで小山のようだ。
「いいんですか? こっちに来て」
「もちろんです! …あの、ほかの奴らが申し訳ありません。彼らもあなたを尊敬しているんですが」
「はあ」
どうみても距離を置かれているのだけれど。彼は懸命に仲間をフォローする。
私としても和を乱しているようで申し訳ない。お互いにこれはやりにくい。なぜ王は私をこの一行にわざわざ加えたのだろうか。
「けれど、魔女さまを畏れ多い存在だと萎縮してしまっているんです。ほんとうに申し訳ない」
「気にしないでください。魔女は大抵わるいものです」
アーノルドは冗談と受け取ったのか、はにかむようにしてほほ笑んだ。
「どうせなら皆にも魔女さまのすばらしさを知ってもらいたいのです」
「はは…それはどうも」
意外と押しが強い。
けれどその態度に押し付けがましさがないのは、この騎士自身の性質がおとなしいからなのだろう。騎士という力を必要とする職業に就いているわりに、彼はいっしょにいる人間を落ち着かせる空気を持っている。
さらに、裏がなさそうな感じが、それを後押ししていた。
そう、あれだ。
この騎士の雰囲気はどこか馬に似ている。けして、馬面というわけではなく、ただ、その醸し出す空気が。なんか落ち着く。
アーノルドが私の手元をのぞきこんだ。
「先ほどからなんの作業をなされているのですか?」
「ああ、これは胃痛薬です。いつ必要になるか分からないから」
「胃痛薬が?」
「ええ、どんな無理難題を言われてもいいように。ついでに睡眠薬も作ってますよ」
「はぁ」
実際に私が使うことはないだろうが、立ち寄る街々でこっそり売ればいい小遣い稼ぎになる。
対応にこまったようにアーノルドはほほ笑んでいる。
彼に小袋のひとつを差し出す。
「…これの原材料に使われる薬草のひとつにおもしろい特徴がありまして。ヒカルソウという花はご存知ですか?」
「いえ、あいにくと」
「ヒカルソウは、花粉の持ち運びをする虫をおびきよせるために、その花が夜になると発光するんです。森や山の奥深くまで採集に行く薬草採りはたいてい、その光景に見蕩れるとか」
「それは、きっと、さぞかし綺麗でしょうね。しかし、そのような薬草、やはり希少なのではないですか?」
「そう思うでしょう? でも、実はそんなことはないんです。森まで行かなくても、田舎の村なら外れにちらほら自生していたりする。けれど、一本一本の光はそう強くない。その上、ごく小さい花なので、気がつかれにくいんです。集めるのもたいへんだしね」
「そんなものなのですか」
アーノルドは受け取った薬を袋越しにしげしげと見つめた。その後に返そうとするのを、手で制す。
「よかったらどうぞ」
アーノルドは感謝の言葉を述べると、うやうやしくそれを胸元にしまった。
「貴方は王都出身ですか?」
「分かってしまいますか。おかげで多くの人間が知っている植物に詳しくないのです」
アーノルドがはにかむ。
「それに、どこか貴族的です」
「たしかに伯爵家の三男です。すごい、魔法ですか?」
「経験に基づく勘です。私も、他の騎士団の人たちとおなじように貴方を敬うべきかな? こんなに丁寧に接してもらうのは居心地がわるい」
あえて茶化して聞くと、アーノルドは慌てて首をよこに振った。
「まさか。魔女さまにそんな風にしていただくわけには。それに、彼らは俺の部下ではないのです。ほんとうなら、ここにいる人は、だれも俺を敬う必要はないんですよ。やめてください」
身分を重視しない王の影響か、若い貴族でそれに影響を受ける人間が多い。揶揄うなら、貴族主義の連中ほどたやすく、楽しい相手はいないが、どうやら彼はそうではないようだ。
「ふふ。冗談です。貴方が私に膝をつくことを求めていないように、私もそんなのはイヤです。他のひとたちに接するように私にもそうしてください。騎士団の人たちにはもっと適当だったでしょう?」
アーノルドは戸惑ったように、私を見つめた。
「しかし、魔女さまは女性で、」
「そんなものは気にしないでください」
女性して扱われても、どう振る舞っていいか分からない。あいにく、そうした扱いには縁がない。
アーノルドは私が折れる気がないと悟ると、そっと息をはいた。
「そうですか。では、がんばります。でも、ほんとう、魔女さまは長い間憧れていた相手なんです。どう振る舞ったらいいのか全然分からない」
「さま、なんて付けなくていいんです。私たちは、ただこの一行についていくだけの存在ですから」
「そうですか。そういえば、お弟子さんはどこに?」
「赤ずきんなら、荷馬車から降りた途端、体を動かしてくると駆け出していきました。窮屈が嫌いなのに旅行したいだなんて言うから。みやげに例の花をとってくるそうですよ。そして、彼は弟子ではないです」
「では、どのような関係なんですか?」
アーノルドはふしぎそうに聞いてきた。
問われて、私も特に答えがないことに気がついた。
赤ずきんは、
まず、弟子じゃない。
友だちでもない。
家族でもない。
もちろん、恋人でもない。
それじゃあ、なんなのか、と言われても、赤ずきんは赤ずきんとしかいいようがなかった。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
ふと、悪戯心がわきあがった。
「———うひひ。さあ? 魔女ですから、ひどいことをしてこき使っているのかもしれませんよ」
私の言葉に、控えめにアーノルドがほほ笑む。
「魔女さまがそのように扱っているのなら、きっと正当な理由があってのことなのでしょう」
「へえ。興味ぶかいね。そのようなし、」
言葉の続きは、背中にやってきた衝撃に遮られた。
「ごほっ」
強烈な一撃のせいで、肺から空気が出て行く。
「しっしょー! みてみて! こんなに花とってきたよ」
肩越しににゅっと手が伸びた。
たしかにその手には大量の花が握られている。
しかし、問題はそこじゃない。
「あ、あかずきん」
話題の当人が、走ってきた勢いそのままに抱きついてきたらしい。
「すごいでしょ! 花が手つかずだったんだ! めずらしいよね!」
空色の瞳がすぐ横にあった。
むくむくと怒りが湧いてくる。
「いたいわ!」
べしり、と頭巾をはたくと、ごめーん、といかにも軽くあやまった。しかし、背中にくっついたまま離れない。
アーノルドが苦笑を浮かべている。
「あんたは子供か! 重いよ」
糊のように張り付く赤ずきんに言い放った。
「ああ、もう! 離せ、この、暴れイノシシ!」
「ええ、ししょー、ひっどい」
赤ずきんがふがふがと鼻を鳴らした。




