四十四話
私の指示を受けて、周りの人間が壁際による。
灰被り嬢がのろのろと動く。
誰も、彼女のことを止めようとしない。
おそらく止めても無駄だと分かるからだろう。いまの灰被り嬢は、ただ一心に自らの手の内にある赤い玉を見つめている。
王子ですら、ただ黙って灰被り嬢を見つめている。
「座ったままでいいです」
私の言葉に頷く。
「その石に念を込めてください。この石に込めてある全ての感情を知りたい、と願うのです」
「……はい」
消え入りそうな、けれどどこか熱に浮かされた声。
目を覚ましたばかりの灰被り嬢が、そっとその目を伏せる。
気持ちを込めているのだろう。
やがて、その手の内にある石が姿を変え始めた。
初めは、僅かに振動し、そして、しまいには溶け出す。
粘性の高い液体となって、溶けた石が灰被り嬢の手から、肘へ、肘から彼女の着ている粗末なスカートへとしたたり落ちる。
「…あ」
灰被り嬢が苦悩の声をあげた。
赤ずきんは不思議そうに灰被り嬢を見つめていたが、
「すごい!」
とだけ言った。
魔法使いは弛緩したのかぼんやりと窓の外を眺めている。
やがて、スカートに垂れた石が気体になる。
気が部屋に充満した。
それは、不安に満ちていた。
それから、接する相手を不快にさせるような、苛むような。
そこには心の底からの嫌悪感が込められている。
いなくなれ、そんな声が聞こえて来そうだ。
それが誰に向けられたものかは、考えるまでもない。
これは、明確な
悪意だ。
灰被り嬢は、閉じていた目を見開いた。
その視線は空を捉えている。
戦慄いていた口元は、やがて、それは笑みへと変わる。
まるで歓喜しているかのようだ。細かく震えている。
「ああ…。そうね。そうだったの」
目尻から一筋、涙がこぼれ落ちた。
彼女が笑う。
最初はささやかだったそれが、やがて部屋中に響き渡るような大声に変わった。
「わたし、いらない子だったのね」
まるではしゃぎ立てる子供のようだ。
そして糸の切れた人形のようでもある。
マルティナは思うところがあるのか、顔を伏せている。
王子は痛ましげに顔を歪めた。
「なんだ、これは。こんな母親がいていいものなのか」
自分にかけられた魔法を解いた魔術師があっけらかんと言い放つ。
「そういう母親はいるべきではなくても、いるんだよ王子。恵まれた人間には想像できないかもしれないがね。それにしても、お茶会はまだかなあ」
赤ずきんはというと、唇を尖らせている。
不満なのだろう。
「ねえ、王子さま」
と王子に詰め寄る。
敬語の使い方ぐらい知っているはずなんだけど。どうしよう。
自分が散々な敬語を使っていることは棚にあげて、いらぬ心配をする。
しかし、そんなことを気にしている余裕がないのか、咎める気もないらしい。王子の顔が赤ずきんを向く。
「なんで、あの子のところにいかないの? 俺は、好きな人が泣いていたら放っておかない。婚約者なんでしょう?」
「…」
「そんなことなら、僕、とっちゃうよ」
赤ずきんが唇を尖らせたまま、凄んだ。
その言葉が効いたのだろう、王子がぐっと手のひらに力を込める。
しかし、すぐに不遜な態度を取り戻した。
くい、と顎を持ち上げて、
「取れるもんならとってみろ」
それだけ言うと、灰被り嬢の方向、つまり、こちらに近づいてきた。
いっぽ。
また、いっぽ。
腕さえ伸ばせば相手に触れられる。
そんなところで、灰被り嬢が王子を見上げる。
「王子、さま」
震える声。にこりと王子に微笑みかけた。
王子もぎこちない微笑みを浮かべる。
そして灰被り嬢の前に膝をついて、ぎゅっと抱きしめた。
そして、滔々と言い聞かせる。
「なあ、灰被り。君の母親がこんなにひどい人間だなんて思わなかった」
「……」
「君が望むのなら、彼女に罰を与えよう。彼女に苦しみを与えよう」
「……それは、」
「でも、それはきっと君のためにならない。君もそれを望んでいないだろう?」
「は、い。それは、だめです。王子さまがそんなことを、しては」
ふっ、と王子が息を吐く。
「だから、俺と一緒になってくれないか? 俺はきみに俺の隣に立ってほしいんだ。俺の隣が君の居場所だ」
「で、でも王子さま。わたしなんかじゃ」
震える灰被り嬢に、王子が言葉を吐露した。
「いいか。灰被り。今俺と一緒にいるのは君なんだ。俺が選んだのは外でもない君なんだ。だから、頼むからそんなこと言わないでくれよ」
鋭い語調とは裏腹に、目元は優しく笑んでいる。
「…おうじさま」
「王子じゃない。言ってくれ、灰被り。俺の名前はなんだ?」
灰被り嬢が、
「エーリッヒ様」
灰被り嬢がエーリッヒの名前を呼んだ。
ようやく灰被り嬢はエーリッヒの存在に気が付いたのだろう。
「わたし、」
震える声で、言葉を紡ぐ。
その表情は憑き物が落ちたかのようで、はっとしている。
「わたし、お義母さまは、もういいです。だから、エーリッヒ様の御側にいたいです」
そうして、エーリッヒの肩に顔を埋めると、声を上げて泣き出した。




