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四十話

 安穏で真っ暗な地底のような寝床の中。

 邪な声が入り込んで来た。

 こんな風に悪意を湛えた声をわたしは一つしか知らない。

 これは、あの魔女の声だ。


「声は聞こえているのでしょう?」


 ここには誰も入ってこれないはずなのに、どうやって入り込んで来たのだろう?

 出て行って欲しい、そう思う。ここはわたしの世界だ。

 ここでは、何も見えないし、わたしは何をする必要もない。

 安らかにいられる。もう辛いことも、嫌なこともしないし、見ないで済む。だから、わたしはずっとここにいるのだ。

 そんな気持ちが伝わるはずなどないのに、わたしの気持ちを感知するように魔女は向こう側で薄気味の悪い、甲高い笑い声をあげた。


「一人で勝手に上がりを決め込むのはずるいですよ」


 いやよ、そう言おうとして、いまの自分は口が利けないのだと思い出した。

 そうだった。

 もう、何をする必要もないんだ。

 それがわたしを安心させる。


「人生は意に染まぬことの連続です。それでもあなたは自ら決断をするべきだ。生きていきたいのならば」


 放っておいて欲しい。

 魔女はわたしの気持ちを汲み取ったのか、ん? ああ、そうか、と声をあげた。


「あるいは生きていたくないのならば、こんな中途半端な形でいるべきではない。あなたの婚約者はあなたに執着しているのだから、あなたを生き返らせてしまうでしょう」


 王子さまが。

 そうかもしれない。

 でも。

 わたしではいけない。

 わたしが彼のそばにいてはいけない。

 きっと汚してしまう。

 王子さま。

 王子さま。

 ………あら。

 お名前はなんというのだったかしら?


「まあ、いい」


 笑いを含んだ魔女の声がして、


「さあ、おいでなさい」


 パクリとわたしは大きな口に一呑みされた。


 王子の手がドアノブにかかった。

 高い金属音、それから木製の扉の開く重い音がする。

 私に遊びに誘われた王子がたった一人でやって来たのだ。

 意地悪かもしれないが、彼と遊べるのがとっても嬉しい。


「おい、魔女。ここにいるんだろう?」


 囁く声。

 さあ、ここまで来るといい。

 それとも尻込みしてしまうんだろうか。

 ただの物置だったはず部屋が、見知らぬ場所に繋がっている事に。

 ここは私の空間だ。私の望むものが、私の望む通りになる。


「………どういうことだ」


 どうやら、進むことにしたようだ。

 移動に合わせて木材でできた床が軋む。

 一歩。また一歩。

 こちらに近づいてくる。

 とっておきのプレゼントをわざわざ彼の為に用意した。

 喜ぶだろうか。


「ソルシエール。なんのつもりだ」


 通り抜けた先に私の姿を認めて、不機嫌な声を出す。彼は単純だから、きっと本当に怒っている。けれど、それだけではない。警戒心も混じっている。

 立て付けの悪い窓からすきま風が入り込み、ひんやりとした空気をエーリッヒと私の間に満たす。


「なんだこれは」

「分かりませんか?」


 王子はきょろきょろと周囲を見回すが、こころ辺りはなかったらしい。


「こんな屋根裏部屋なんて来たこともない。無闇に魔法で空間をつなげないでくれよ」

「うひひ、意味があるからつなげたに決まっているじゃないですか」

「どういう意味だ」

「さあ?」


 鼻の穴を見せつけてやる。奴の眉毛がぴくりと跳ね上がった。


「用がないなら帰る」

 散々特に用もないのに来ていたくせによく言うわ。

 くるりと背を向けたエーリッヒに問いかける。


「意味をもたないものなんて存在しません。そうでしょう?」

「悪いが、お前と哲学をやっている暇はないんだ」

「ここがどこだか分かります?」


 エーリッヒがちらりと視線を一周させる。

 そして、顔をわずかにこちらに向けた。

 私の側からは内側に落ち窪む頬と、高い鼻梁とが見える。


「この屋根裏部屋が何を意味するのかは知らない。しかし、ここがどこなのかは分かる。灰被りの家だろう?」

「そうですよ」


 エーリッヒの目がすうと細まった。


「どういうつもりだ」

「これ、見てください。あなたの婚約者、たしかに綺麗だ」


 ぱちんと指をならす。

 すると床からするすると巨大な水晶が出て来た。

 ガラスのように透明で、青空のように澄んでいる。

 はっとエーリッヒが息を飲むのが伝わる。

 水晶の中に、自分の婚約者が閉じ込められているのが見えたのだろう。

 灰被り状は、腹のあたりで手をくみ、その目は閉じられている。

 まるで、死人のようだ。


「灰被り!」


 エーリッヒが叫んで、駆け寄ってこようとする。

 それをもう一度指をならす。魔力でエーリッヒが弾かれる。


「なんのつもりだ! お前、約束をやぶるつもりか?」

「約束? そんなものしましたっけ?魔女と取引をするのならば契約を結ばなくては」

「くっ」


 エーリッヒが私を睨みつける。

 この瞬間だけの圧倒的な優位。ぞくぞくする。


「私の弟子に同じ事をしたでしょう? 同じ事をされても文句は言えない」

「なにが望みだ?」

「いやだなあ。まるで私が王子を脅しているみたいだ。友人を脅すわけがないじゃないですか。誰かじゃあるまいし」

「ねちねちしてんな」


 こつんこつんと、水晶の柱を拳で叩いてみる。良い音がした。


「……悪かった」

「別に謝って欲しいなんて言っていません。まあ、やりたいと言うなら私の靴を舐めてくれてもかまいませんが」

「…わかった」

「ウソです」


 こほんと咳払いをして、水晶を差し示す。


「これ、私ではありませんよ」

「…なに?」


 私の言葉にエーリッヒは顎に手を当てて考え込む。しばらくして、ふうう、と肩で息をすると、確認するように私に問いかけた。


「…この所立て続けに起きている呪いは灰被りに端を発しているのだろう?」

「そうです。ここのところの騒動の犯人は犯人は灰被りさまだ」

「その魔法が跳ね返ったのか?」

「違います。これもまた魔法の一部なんです。つまり、彼女の願いを叶えているんです」

「つまり、」


 王子が険しい顔をした。


「貴方のお姫さま、無意識でだとは思いますが、自らにかかった魔法を自分で強化して行って、ついにはこうして具現化した魔法の中に引きこもってしまったんです」


 荒々しいまるで岩のような形をした結晶に閉じこもっていたので、きれいに光を反射するように加工してみた。我ながら惚れ惚れするような美しさだ。魔女の職を失ったら宝石職人に転職しよう。


「どうして…」


 唖然としたエーリッヒが悲痛な顔をして呟いた。


「そんなにイヤだったなら、言ってくれればよかったのに」


 言ってくれって。そんなこと言われても灰被り嬢も困っただろう。

 そもそも、灰被り嬢はどこまでエーリッヒを信用していたのだろうか。


「俺のせいなのか?」

「さあ。王子との結婚を疎んでだったら心底笑えますけど。他人の心の中なんて知りません。で、どうします?」


 立ち尽くして悩ましげな顔をするエーリッヒに問う。


「彼女をここから出してやる事はできないのか…」

「出来ますよ」


 出すか、と確認すると、エーリッヒは逡巡した。


「俺は、彼女をここから出していいんだろうか」


 まさに正反対のことを言う。

 その矛盾に声に笑いが混じる。


「べつにだいじょうぶだと思いますよ。この魔法は中からの攻撃には脆いくせに、外からの防御にはやたら優れているので、多少傷つくかもしれませんが」

「そういう事が言いたいんじゃない、ソルシエール!」

「では何を?」

「彼女がこのようにありたいと望んでいるのに、俺にはそれを阻止する権利などあるのか。それはただの傲慢じゃないのか」

「つまり、怖じ気づいているんですね」


 揚げ足取りに王子は真面目に応じた。


「………ちがう」

「なら出しても問題はないはずです」

「それは、」


 ふう、とため息を吐く。


「なぜ言ってやらなかったのです。俺が守ってやると。なにがあっても味方でいてやると。あなたは彼女の何を見ていたのですか」


 王子に笑いかける。

 王子は私の言葉に、まるで彼の父親のように無表情になって行く。

 しかし、


「彼女は誰かの庇護下にいないと自分で立てないようなか弱い存在であるというのに」


 王子は静かに激昂した。

 仮面を被らせてたまるか。

 威嚇するように私を睨みつける。


「彼女をばかにしているのか?」

「いいえ。それもまた立派な生き方だ。敬いこそすれ、ばかにするなどとんでもない」

「貴様…」


 王子が拳を握りしめる。

 今にも殴りかかって来そうな様子である。

 女に殴りかかるなんてできないくせに。私は鼻でせせら笑った。


「王子にはできないかもしれませんが。私にはできますよ」

「なに?」

「彼女を無理やりでなく、ここから出してあげましょう。しかし、その前に物語を一つ、聞いてください」


 もう一度指を弾くと、王子のすぐそばに簡素な木椅子が一脚、出現した。

 どうぞ、と指し示す。


「……」

「ほら、早く座って」


 王子が不承不承それに腰掛ける。


「これはある心の優しい少女が王子と出会うまでの物語です」


 待ち人が来るまでのほんの、時間つぶしだ。


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