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三十九話

 女は継子を折檻のために、継子の部屋である屋根裏部屋に閉じ込めた後、体を清め、寝る為に自室に入った。もう既に夜も明けようかという時刻だが、さすがに眠らないのは、彼女の年齢からしても、きつい。

 部屋から世話をしていた年嵩の女給が出て行き、一人になる。

 女はその女給が一時家を空けていた事に気がついていない。

 そっと息をつく。

 なんとなく、外の空気を浴びたくなって、窓へ近づく。

 肺の奥底まで空気を入れ、胸に入っているものをすべて吐き出してしまいたい、そんな気分だったのだ。

 窓からは、月の光がまばゆいばかりに入り込んで来ている。太陽のように暴力的でない、まぶしいけれど静かな光だ。

 そして、その光のお陰で気がついた。

 カーテンの陰になっていて気がつかなかったが、誰かいるのだ。


「誰です?」


 女は恐怖を殺して、声をかける。


 例の屋敷に忍び込み、窓の桟に腰をかけ待ち構えていると、ほどなくして彼女はやってきた。


「誰です?」


 名乗る前に気がつかれてしまった。


「ここは狭い。窮屈さに目が回ってしまいそうです」


 まあ、いい。


「こんばんは」


 ここはもう既に私の領域だ。


「この国の未来のために、一緒に来ていただけますか?」


 質問には答えずに問いで返す。 


「…あなた、だれなのです」

「魔女です」


 桟から降りる。

 月明かりが私の陰を作り出す。


「…夜会にいた」


 ちゃんと彼女は私のことを覚えていたらしい。結構なことだ。


「こんな夜更けに何のようです…まさか、わたくしの命を奪いに来たのですか?」


 問いかけとは裏腹に、女性は、自らを誇るように胸をぴんと張った。

 暗殺者を相手にとるにはあまりにも余裕がある。

 まさか死にたいわけでもあるまいに。


「いいえ、まさか」


 口の端をつり上げる。


「ただし、話が終わるまではこの部屋から出ないでいただきたい」


 彼女の顔にかすかに怯えが浮かんだ。


「用件はなんなのです?」

「型に対しては型で抵抗してみようかと思いまして。それで最初の関門は突破できるでしょう。その後は、彼女しだいですが。あなたの力が必要です」

「なにを、おっしゃってるの?」


 女性が戸惑いの声をあげる。


「あなたは、最低な母親ですが、そうなりたくてなったわけでもないでしょう。彼女を恨まなくてもいいのなら、そうしたくはかったはずだ」

「灰被りのことなのね」


 察しがいい。

 誰のことと言わずして、分かってくれた。


「部外者のあなたがわたくしたちの関係の何を知っているというのです」


 くるりくるりと彼女の周りを歩き回る。


「さあ。でも、私が何を知っていようと、そんなことはどうでもいいことなのではありませんか。ただ、あなたにあなたの娘を救って欲しい。そのためにここに来たのです。娘のためではなく、民のために。そして、あなたのために」


 彼女の顔が奇妙に歪む。


「あなたがあなたの娘に辛く当たったのは、そうするしかやりようがなかったからだ。そうでしょう?」

「なにを突然、」

「二番目の旦那さまとあなたは大層仲がよかったとか」

「だからどうだというの?」

「だから、あなたは継子をいじめるのですか」

「いじめてなどおりません」


 連れ子まで可愛がらなくてはいけない理由はないわ。

 そう言いたげだ。

 いらただしげだった彼女は、この言葉を告げた途端、ぴしゃりと固まった。


「あなたは辛かったのですね」


 まるで彼女の継子のようにまっしろになってしまった彼女に向かって。 

 言い聞かせるように。

 過去を作り上げて行く。


「あなたが彼女を憎むのは当然だ。あなたは、悪くない。あなたを裏切ったのは彼女の父親のほうだ。あなたに悟らせてしまった。入れ替えの効かない立場などないと。それは、彼の罪」

「な、なにを突然言い出すの。ワケが分からないわ」


 矛先を変える。


「貴族と言う身分はあなたにとって意味のあるものでしたか?」


 彼女は肩すかしを喰らったようだ。戸惑いつつもやや安堵した面持ちで答えた。

 答えようとする時点で彼女はすでに己を見失い始めている。

 チェスト上の花瓶に活けられた、深紅の大きな花弁がついた花を手に取る。


「民を背負うために、この社会では、貴族は必要だわ」

「そんなことは誰にでも分かります。あなたはないのですか、一度でも自分の立場に不安を抱いたことは」


 花弁を一枚一枚ちぎり、空に放る。

 それらがひらひらと下におちていく。


「……ないことはないわ。でも、それはみんなそうです」

「一般論はどうでもいいのです。大事なのはあなたの心だ」

「それは…」


 立て続けに言葉を投げかける。

 彼女は彼女の言葉の中に溺れ出す。

 花弁が一枚、彼女の足下に落ちる。


「ないはずがないわ」


 ぽつり、と彼女は呟いた。


「貴族であれ、とわたくしたちは確かに教わりますけれど、完璧な貴族になってしまったら、それはもう誰がなっても同じことじゃない」


 どこか子供のような口調。


「だからあなたは彼女を嫌悪するのですね」


 彼女。

 灰被り嬢。

 哀れなお姫さま。

 搦め捕って行く。


「絶対などない。運命など存在しない。身分制度も、恋人という関係も、そこにいるのがあなたである必要性を示さなかった。形がある、形式があるとはそういうこと。それは酷い絶望だ」


 今や彼女は見開いた目で空を見つめ、こらえた表情をしている。

 突然現れた異質者に苛まれるなんてかわいそうに。


「そう、ね」


 やっとというように、言葉を絞り出す。

 横目でそれを見ながら、言葉という糸を途切れさせないように、その狭間にあるものをできるだけ気付かせないように、紡いで行く。


「それでも、あなたは優しいから。きっと継子を愛そうとしたはずだ。しかし、それを実行する機会も、やり直す機会も訪れなかった」


 大切なのは、真実がなにかではない。

 けれど、ひとたび彼女がそうだと認めてしまえば。

 それはもう、自ら型にはまり込むのとおんなじことだ。

 彼女は私を険しく睨みつける。

 歯向かおうとしている。

 しかし、罠にはまって弱った羊では生け贄になることはできても、抜け出すには力が足りない。


「あなたもまた、哀れな犠牲者に他ならない」


 さあ、どうする?


「愛したかったはずだ。できるなら抱きしめてあげたかったはずだ。絶望はあなたから母性をも奪ってしまった」


 一瞬の間を置いて。

 彼女はたまりかねたように声を上げた。

 重ねた言葉を跳ね飛ばしてしまう。


「ふざけないでちょうだい! どこでわたくしの事をしったのかは分かりませんけれど。わたくしは、たとえどこで、どのような運命を辿ったとしても、あの子を憎悪するわ」


 拒否。

 失敗。

 でも、これは、

 とても、


「うつくしい」


 純粋な憎悪。

 それを支えているのは彼女の誇りだ。

 母性も、理性も、なにもかもを排除して、最後に誇りが残ったらしい。人間性を排除した後に残る誇りなど、ただの狂気に他ならない。それはなんの役にもたたないシロモノだ。

 その狂気に支えられて、まっすぐに伸ばされた背。

 邪な悪魔と契約を交わしたかのように目は充血している。

 彼女は狂っている。

 そしてその狂気でもってして、彼女はあの小娘を憎悪している。環境に左右されてなお、それでも最終的に灰被りを憎悪するという意思決定を下したのは、この女性自身なのだ。

 その感情はひどく醜く、そして尊い。


「うつくしいですって? あなたのような若い女になにが分かるというの。この痛みも、苦しみも、なにも、知らないくせに」


 ついにすべての枷が外れたらしい。

 自分の子供のような歳の小娘を前に女が髪を振り乱す。

 苦しんでは駄目だ。

 ぶれてしまう。

 ああ、そういえばそれが目的だった。

 ようやくそれを思い出した。

 型を作り直そう。


「なぜ憤る? 賛美に歳下も歳上もあるものか。あなたが憤っているのは、私の言葉があなたの欲している言葉から乖離しているからだ」


 さあ、自らを言葉で囲い込め。

 認めてしまえ。

 肯定しろ。

 そうすればー。


「あなたに、お願いがあるのです」


 ラクになる。( 手中に堕ちる)


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