三十二話
そんな中、はっとしたように灰被り嬢は一点を見つめていた。
その視線の先にいるのは、先ほど私をとりかこんだ令嬢のうちの二人だ。育ちのよさそうな少女たちだ。彼女たちは、彼女の母親らしき女性と一緒になにかを話している。みんな顔立ちが似ているのだ。
厳しそうな、教育熱心そうな女性である。夜会で着飾っているというのに、はなやかさがない。どこに置き去りにしてきたのだろう。
けっして地味ではない。
派手でもないけれど。
完璧ではないが、骨張った顔立ちと体格はどこか綺麗だ。
そして背筋を伸ばしたくなるような気迫がある。
学校の教師といえば雰囲気が近いかもしれない。
「灰被りの母上だ」
灰被り嬢と私の視線に気がついたエーリッヒが小声で言う。
「へえ」
若い頃に大恋愛をした人物には到底見えない。これがあの庭師すら虜にした美しき令嬢か。ならば、きっと、時とともに様変わりしたのだろう。
灰被り嬢に目を戻すと、その顔からは表情が抜け落ちて、人形のようになっていた。白い顔は、白を通り越して青白い。その彼女の口元が小さく動いた。
とんでもないことを、そう呟いたように私には見えた。
次の瞬間。
石でできているはずの地面が盛り上がった。
ちょうどその近くにいた女性がその力に体をよろめかせて転ぶ。腰を打ち付けたようだ。へたりこんだまま、慌てて後ろに後ずさる。
何かがものすごい力で下から突き上げている。紅い絨毯は食い破られ、その下のタイルはべりべりとはがれ、亀裂から猛烈な勢いでなにかが飛び出して来た。
ネズミだ。
またか。
それは、部屋中を埋め尽くすほどのネズミだった。それなりに広い部屋なのに、赤が灰や黒や焦げ茶に塗り替えられて行く。
ネズミとは言え、数が集まればやはり脅威である。
貴婦人だけではなく、男性も度肝を抜かれたのか、パニックになりあっというまに阿鼻叫喚の図が出来上がった。
悲鳴があちこちであがる。
人々が出口を求めて殺到する。
衛兵が駆け寄って来て王妃たちを守ろうとするが、いかんせん相手の体が小さく数がおおいのですりぬけてしまう。とっさに魔法で風の盾を使って弾き返したが、数が多くて意味がない。
飛び出して来たネズミの方でもパニックになっているのか、凶暴化しているのか。手当り次第に飛びついた相手に噛み付いているようだ。イノシシと似た発作的な凶暴性だ。
「ソルシエール。なんとかしろ」
エーリッヒがさけぶが、相手はパニックになっている「だけ」の「ただ」の動物である。イノシシと違って魔力を帯びているわけでもなんでもない。なんとかできるか。対動物は私の範疇ではないのだ。
「機械の国でしょ。なんかないんですか」
叫び返す。
「あるか」
エーリッヒが腕を振り払う。
小さなネズミたちが吹き飛んで行った。
「もうやだ、こわい…」
灰被り嬢が両腕で頭を抱えると、よろよろとへたりこんでしまった。
その拍子にポケットから小さな小箱がこぼれ落ちる。
ネズミを払いのけながら、急いでそれを拾い上げた。
見覚えのある小箱だ。
「これは?」
なんだこれは、とエーリッヒが怪訝そうな顔でのぞきこむ。
「ネズミが嫌う音を奏でるという箱ですね」
「え、え…は、はい。そうです」
灰被り嬢が泣き出しそうになりながら答えた。
エーリッヒよりよっぽど頼りになるじゃないか。
小箱の取っ手を回す。
当然、音なんて全然聞こえない。部屋全体に奏でるには小さすぎるのだ。
「エーリッヒさま。力を貸してください。エーリッヒさまも少しは役に立たなくては」
「お前…騒動に紛れて言いたい放題だな。どうすればいい?」
「手をかざしてください」
言葉通りに、エーリッヒが小箱に手をかざす。
その魔力を使い、その小箱の音を最大限にまで増幅させた。それでやっと会場中に耳障りな音が響き渡る。
ぴくり。
そんな音がつきそうなほど、顕著な反応をネズミたちが示す。
動きを鈍らせ始めた。そして、海の波がひくかのように少しずつ、少しずつ亀裂から元着た場所に撤退していく。
後に残されたのは、呆然とした人間だけである。
どれもこれも、ドレスや礼服を食い破られたり、糞尿で汚され、呆然と立ち尽くすか、床に座り込んでいる。若い娘は大体すすり泣いている。
酷いありさまだ。
「だいじょうぶか」
一気に力を放出してげんなりした顔をしたエーリッヒが灰被り嬢に声をかける。
灰被り嬢は声を出さずに頷いた。
「悪い。灰被りを頼む」
私に灰被り嬢を押し付けると、技術屋らしい男を捕まえて、殺鼠剤を用意しろ、と指示をする。
「皆様。怪我はありませんかしら。そこのあなた、他の人間を呼んで来てちょうだい。体調が優れない人は救護室へ」
王妃が客たちの先導をすると、少しずつ人々の同様も収まってきたらしい。ざわめきが少しおちついた。
私は顔を動かし、灰被り嬢の継母の様子を探る。
彼女は壁際まで退避していたようだ。
騒動のなかにあってもしゃんとした姿。
すぐに見つかった。




