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三十話

 やがて広間に王妃が到着した。王不在の王妃のみでの開催らしい。珍しいが、ないことはない。拍手に迎えられる中、螺旋階段を下る。

 その脇を一人の男を従っている。彼はリュートを抱えていた。どうやら彼が王妃が前に話していた、私の「知り合い」らしい『リュート奏者』のようだ。

 その姿を見て、会場客たちがざわめいた。

 そして、男の顔に注目する。

 王妃がわが意をえたりとばかりに皆にほほ笑みかける。

 そして優美な仕草で、その男を紹介した。


「皆様。今宵はお集りいただけて光栄ですわ。この者の演奏がとてもすばらしいので、皆様にお聞きいただきたいとつねづね思っていましたの。すこしばかり恥ずかしがり屋なのだけれど、かまいませんでしょう? 華麗な音を奏でるのに素顔を見せる必要はありませんものね」


 そう、男はまるで仮面舞踏会のような仮面で目元を覆い隠すようにして装着しているのだ。場にそぐわない。


「どうぞお楽しみくださいませね」


 王妃の言葉に男もまた、一礼する。

 胸にあてられた手には手袋が嵌められていた。これは楽器を演奏するための手を保護する為だろうか。

 仮面に気をとられがちだが、着こなしもおかしい。まるで道化のような恰好だ。それに、黒い髪の毛と顔の一部分以外には一切、素肌が見えない。夏なのに暑くないのだろうか。

 奇妙な演奏者に対する困惑をそのまま現したようなまばらな拍手は、やがて王妃に対する盛大なものへと変わった。一際大きな拍手をする人間がいるなと思って視線をやったら、マリオネット男だった。

 王妃が着席し、男もまたその傍の用意された席に座ると、間もなく演奏が始まる。

 指先がまるで撫でるように優しく、弦を弾く。

 ひとつひとつ、音がこぼれ落ちてくる。

 軽やかで、しかしどこかメランコリックなメロディ。

 夜会ではなく、どこかの迷宮にでも迷いこんでしまったかのように錯覚させられる。

 羽で背中をそうと撫でられているようで、鳥肌がたった。

 私はリュートが好きじゃない。

 そもそも音楽自体あまり聞かない。

 だからこれは私が特別なのだろう。

 ああ、ぞわぞわする。

 周囲をこっそり見回すと、王妃と客だけじゃない、給仕たちまでもが音楽に惚けていた。

 赤ずきんは、どうなのだろう。

 横に立つ彼を見て思わず苦笑した。

 彼は落ちてくる瞼と必死になって戦っているようだったからだ。

 手で支えている盆が細かく震えている。まさか落とさないだろうが、念のため、取り上げて脇のテーブルに載せておいた。

 いつまで戦うのだろうかと観察する。

 長い睫毛が上に下にうごく。

 なにかの匂いを嗅ぎ付けたのか鼻がひくりと動いた。

 そして勢い良く覚醒した。


「ししょー! この匂いだ!」

「え?」

「ネズミの匂いだ!」


 声を潜めながら、語気を強めるという器用な喋り方をする。


「なんで今?」

「この部屋はあまりにも匂いがごちゃごちゃしてたんだけど、それが一瞬だけネズミの匂いがしたんだよ」


 どういうことだろう。

 ごちゃごちゃした匂い、とは香水のことだろうか。

 そこにネズミの匂い?

 なぜ?


「どこから?」

「あの人」


 赤ずきんが指差したのは、リュートをかき鳴らしている奏者だ。

 たしかに見た目も怪しいし、関わっているのかもしれない。

 大体において赤ずきんの勘は当たっている。

 見つめていたせいだろうか。

 演奏に集中していた奏者が一瞬、こちらを向いた。

 むき出しの口元が不敵に笑った気がした。


「あ、怪しい」

「だよねえ」


 赤ずきんが同意する。

 やがて演奏が一段落した。

 通常ならば、客と語らうのが常なのだろうが、この奏者はお辞儀を一つだけすると裏にひっこんでしまった。


「師匠、俺、みてくる」


 猟師の貌をして、赤ずきんが笑う。

 そして、客と客の隙間を器用にくぐり抜けあっという間に消えてしまった。

 待って、という暇もなかったのが、後から考えてみると非常に悔やまれることである。

 なぜなら、その後、いくら待っても赤ずきんは帰ってこなかったからだ。


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