二十二話
結局、彼女の屋敷で一晩を過ごすことになった。
どうか行かないでくれ、とマルティナに止められた結果だ。
部屋で朝食を取り、灰被り嬢のいる部屋で事情を伺うことになった、のだが…、
「わたし、心当たりがありません」
寝台の背もたれに体を預けた灰被り嬢が、かぼそい首を振る。さきほどから、この調子である。
「どうして、ネズミがあんな風にでてきたのかなんて。ましてや呪いだなんて…」
一晩をおいて、灰被り嬢はやや生気を取り戻したようだった。
その頬には朱が差し、人間らしさを少しだけ取り戻している。
「こわいわ…」
そう言って彼女は俯き、己の肩を抱くと、小さく震えた。
なんだろう、今にも消えていなくなってしまいそうだ。
同じ姫でも白雪から感じるのが神秘だとすると、彼女からは儚げな美しさを感じる。
どこか憂いを湛え、うるんだような瞳は、男を惹きつけるのに充分だろう。大抵の男ならつついたら倒れてしまいそうなその細い身体を支えてやりたいだろうとも思うだろう。
エーリッヒはこういうのが好みだったのか。
「わたし、…わたし、どうしたらいいか分かりませんの」
さっきから妙に繰り返されるこの言葉。
普段はどうなのかは知らないが、今の彼女には余裕がなさすぎる。
その脆さや弱さは計算でしているものではないのだろう。
まるで縁ぎりぎりまで水を溜めたコップのようだ。指ではじいたら、水はすぐに溢れるのに違いない。
決壊寸前だ。触るな危険、である。
それでも何か違和感は感じる。
「おそろしいわ」
ちがう、ここじゃない。
「なにがおそろしいのです?」
「もちろん、呪いのことですわ」
ここである。
彼女の言葉や動作にはホンモノと、機械的に繰り出されるウソが混ざっている。
「…。呪い…いいえ、魔法に関わることならばなんでも良いのです。なにか思い当たることがあったならお話ください」
「わかりません」
「魔術師とここ最近会いませんでしたか?」
「……」
「この国には魔術師はあまりおりません」
黙り込んでしまった灰被り嬢の代わりに、近くで待機していたマルティナに顔を向けると彼女は、例の暗い顔でそう答えた。
「それに、お嬢さまはあまり人とお会いになりませんから」
おそらくマルティナは灰被り嬢について詳しいことを知らないのだろう。
こっそり灰被り嬢が人と会っていたとしても、マルティナがそれに気付けるだろうか。
「彼女付きの侍女は?」
「王宮から通いの者が一名」
「それはつまり婚姻が確定してからの事ですよね。それ以前には?」
「…おりませんでした。屋敷付きの女中たちが持ち回りでお世話を」
貴族の令嬢ともなれば、専属の侍女くらいつけるものだろうに。
どうやら彼女達の口ぶりを見るに、継母や義姉たちとも距離がありそうに思える。義理の親子であるから、というだけではなさそうだ。もしかしたら、距離がある、という事以上のなにかがあるかもしれない。
この令嬢には信頼できる身の回りの者がいないのではないだろうか。
「王子とはよくお会いになりますか?」
「ええ…。式のお話をするために、月に二三度」
灰被り嬢は首が落ちてしまうんじゃないだろうかと心配になるくらいに、俯いて答えた。
「それ以外では?」
「…いいえ、王子さまはお忙しいのです」
これではエーリッヒなどとても灰被り嬢の拠り所になるものではないだろう。
その後もいくつか質問をしてみるが、特にこれといった回答は得られなかった。
あまりに続けても体に障るだろう、と部屋を出る。
マルティナが玄関まで見送ってくれた。
前庭に出ると、灰被り嬢を始めとした屋敷の面々の暗い表情とは裏腹に、気持ちのいい青空が広がっている。
「昨日と今日と、ありがとうございました」
深々とお辞儀をされる。
「奥様にはわたくしから報告させていただきます」
「いいえ。ところでお願いしたものは?」
「は、はい。それでしたら」
彼女に屋敷のなかにいる特定のネズミを捕らえて、渡してくれるように頼んでおいたのだ。
鳥かごに閉じ込められた数匹のネズミをおっかなびっくり渡される。
カゴの中でネズミたちがせわしなく動き回り、哀しげな鳴き声をあげた。
最後にマルティナに質問をする。
「王子と出会う前と後とで、灰被り嬢になにか変化はありませんでしたか?」
「王子殿下とご婚約する以前は、なんというか…」
マルティナは言いづらそうに口を動かした。
「適当な表現が見つからないのですが、根気の座った方でした。よく笑顔でいらっしゃって。よくもまあ、あのように健気になれるものだと」
根気と健気さは相反するものではないだろうが、どうにもそぐわない。
「しかし、ご婚姻が決まってからはあのように気をふさぐようになってしまって…。これからようやくお幸せになれるというところで」
マルティナは再度ありがとうございました、と礼を述べると、言った。
「どうぞ、お嬢さまのご家族をよろしくおねがいいたします」
目元や口元に刻まれた皺が細かく震えていた。
胸の奥で得体の知れないものがグルグルと回る。
薄気味の悪いものが渦巻いているようだった。




