二十一話
「これって、放っておいたら元通りになります?」
マルティナに聞くと、彼女は卒倒しそうな顔色のまま頭を横にふった。
「わ、わかりません。このようなこと、はじめてで」
「この塊がすべてネズミなら、なんとも衛生的にわるそうですねえ」
「あ、あの、お嬢さまを助けていただけますでしょうか?」
マルティナがハンカチを取り出し、口元を抑えながら言う。たしかに、なんだか生臭い匂いが立ちこめている。
ポケットをまさぐる。
薬草の類を今日は何も持って来ていない。
道具はない。集めるのも時間がかかりそうだ。
さて、どうしてくれようか。
ほっぺたに空気をふくませるが、それで特にどうなるというわけでもない。
「はーあ」
媒介を利用せず、直接、術式を発動させるしかない。
手順が多い上、体力を使うが、しかたがない。
ホウキを片手に持ち直し、呪文を唱えた。
「水が滴り落ちるように。生者が鼓動を刻むように。死者は常しえに眠り続けるように。すべてのものがあるべき所に戻りたまえ。動物の理を守りなさい。『レゾン・ド・エトル』」
言葉が力を持ち、それが魔力となる。
藁の部分で地面を突く。
魔力がホウキに行き渡った。
ホウキ自体が力を持ち、支え手なしで動き出す。
くるくると宙で回転し、ぴたりと横に水平になった。
そして、一直線に部屋の中で蠢いているものに向かって、突っ込む。
黒い物体を切り裂きながら、部屋の中を縦横無尽にとびまわる。
すると、軌道に従って、空間が広がって行った。
ホウキの纏う魔陣が、異様な生態を瓦解させていき、本来の形であるネズミの姿を取り戻させて行く。集合体を個体に戻していく。
己の区分を取り戻したネズミたちは、次々と四散していった。
中を覗き込んで、その様子を観察する。
「これで、だいじょうぶかな」
あらかた片付いた所で中に入る。
残った塊があったので、足蹴にすると、それも姿形を取り戻し、散って行った。
「お嬢さま!」
恐ろしいと顔を手で塞いでいたマルティナは、床に倒れていた灰被り嬢に気がつくと、駆け寄った。
「しっかりしてくださいませ! お嬢さま」
両手で抱き起こすと、彼女を揺する。
「魔女さま、魔女さま。お嬢さまが目を覚ましません」
ほとんど叫び声で私を呼ぶ。
私は彼女達に近寄り、膝を着く。灰被り嬢の脈を計って、瞼をめくり眼球の動きを観察する。
「気を失っているだけだと思います。寝かせましょう」
「は、はい」
二人がかりで灰被り嬢の体を寝台の上に移動させた。
上に横たえさせると、マルティナはなにか拭くものと気付薬を取ってまいります、と部屋を飛び出して行った。
残った私は、灰被り嬢の顔を改めて見る。
まるで血の通わない人形のような、精巧な機械のような、人間のくせに人間らしさを感じさせない顔だった。目を閉じているせいかもしれない。
その眉が苦しげにぴくりと動いた。
「……うう」
「だいじょうぶですか?」
灰被り嬢が言葉に反応した。
目蓋の下で、眼球が動いているのが分かった。
頬をごく軽くはたくと、彼女がうっすらと瞼を持ち上げた。
「あ、あ…。わたし…」
赤ずきんよりも色の濃い、群青の瞳が現れる。
「ここはどこ…?」
苦しそうな声で問う。
「あなたのいた部屋です」
「部屋?…ちがう、ちがうここじゃないわ」
混乱している。
体を起こそうとするのを無理矢理押しとどめて、肩の辺りを一定のリズムでたたく。
「おちついて。体をやすめるんだ。声は聞こえている?」
「……ええ」
しばらくして落ち着いたらしい。
灰被り嬢の視線が私を捉えた。
「あなたが、魔女?」
「そうです」
灰被り嬢が悲しげにため息をはいた。
「わたし、会ってしまったのね」
「どうして? 会いたくなかったのですか?」
「ちがうわ」
目尻から涙がこぼれ落ちた。
「会ってはいけなかったのよ」
それがなにを意味しているか、聞き出す前にマルティナが戻って来た。
盆の上に、水差しや気付け薬、清潔そうな布と、一通り道具が揃っている。
「お嬢さま。お目覚めになりましたか」
「マルティナ、さん。お義母さまやお義姉さまたちは、どこにいらっしゃるのでしょうか?」
灰被りの問いにマルティナは首をふった。
「お三方はでかけておられます。お戻りになるのは明日かと」
「…そうですか」
安堵とも寂寞ともつかないため息を吐くと、そっと目を閉じた。
安定した穏やかな寝息がきこえてくる。
「やはり、これは呪いなのでしょうか?」
マルティナが呟いた。
「いったい、だれがこんなことを」
己の腕をさする。
「なにか心当たりはありませんか?」
「あの、…いいえ、ありません」
また例の悲壮な顔でマルティナが首を横に振った。




