二話
なんてこったい。
なにかの衝撃で目が覚めたと思って、階段を降りてみたら、目の前で惨惨たる状況が広がっている。
家のドアは外れているし、イスや脚立がひっくり返っている。ついでに隣人からもらった果物が食い荒らされている。
ああ、楽しみにしていた柘榴が…!
「……」
犯人は目の前にいるやつらだ。
野生動物どもめ。
牡鹿と目が合う。
気が弱い筈のこの動物は、私にフン、とたてついた後、首を低くして、ぶるぶると左右に振る。蹄をかつん、と床で鳴らした。
臨戦体制だ。
なんだやるのか、草食動物。
頭に来た私は、作業台の上に散らかっていた粉末を一掴みすると牡鹿にさっと振りかぶる。頭痛薬の元になる粉だ。動物はこの元となる植物を好まない。
この青臭い臭いでもだえるがいい。
そして、さぞや目に染みるだろう。
呪詛のこもった怨念の一撃は案の定、効果覿面だったらしく、牡鹿はあわてて蹄を返して、戸口に向かった。
「フン…!」
勝った。
溜飲を下げたのもつかのま。
窓ガラスの破壊音。
ドアではなくて、窓を突き破ってでていった。
「…っああ」
硬直した後、溢れでる悲鳴。
どうしてドアから出て行かない…!
その声に驚いて、静観していた他の動物たちも、蜘蛛の子を散らすように露散していく。小鳥が途中、にんにくをぶら下げた紐にひっかかりかかった。
キツネがいっぴき、最後の柘榴を奪って行く。思わず引き止めようとして手を伸ばすが、相手は動物。俊敏さにおいてかなうはずもなくまんまと逃げられた。
なんという痛み分け。
いやむしろ、多大な損傷。
私の目もなんだか沁みる。
なんで朝っぱらからこんな目に合わなくてはいけないのだ。
しかし、いつまでも呆然としていても仕方ない。
なにせ、仕事は沢山ある。
薬丸作りに、ハーブの収穫。まじないの注文だってある。
それからそう、たった今仕事が一つ増えた。
そう、私は切り替えの早い出来た人間。
これくらいの事、もろともしない。
自分にそう言い聞かせる。
どっちみち、目の前の塵芥は自分が動かなければ片付かないのだ。
私は頬を引きつらせながらも、のろのろと周囲を見回した。
幸い、作業台は荒らされていない。
隅っこに積み重ねていた注文書もそのままだ。
どうせ家の前の畑も無事なんだろう。
つまり、荒らされたのは家の中のほんの一部。
動物たちは、やっていい場所と、そうでない場所の区別ができているのだ。
それを決めたのは私ではないのだけれど。
まったくもって腹立たしい。
乗り物用のホウキを手に、掃除を開始した。
股がってもいたくないように、そして痔を回避するために装着したクッションが、こんな時には却ってジャマだ。
ちなみに魔女にとって痔はやっかいな宿敵だ。
座っているのが多いのと、ホウキに股がるからである。
このことは、『魔女に起こりやすい病とその要因』という論文に事細かに記されている。
それでも魔女の大半が多少エネルギーを食っても座りやすい絨毯ではなく、ホウキに股がるのは、その方がいかにもらしい、からだろう。らしくある、というのは、いろいろと便利なのだ。ついでに、地面に直接魔方陣を取り付ける時に余計なものがはいりこまないように、はくことができる。実用性なんて、その程度のものだ。
周りがうるさいから、ととりあえずホウキに乗るくせに、痛いのはイヤだ、とクッションを付けてしまった私のホウキは、本来のホウキの役目を放棄した本末転倒なシロモノである。
なにはともあれ、埃を立てないように気をつけながら、掃き清めて行く。それでもやはり細かな塵が舞い上がった。
扉も窓も、強化しよう。
心の中で誓う。
要塞のようにしてやる。
「ししょー、おはよう! 朝から元気だね!」
朝に似つかわしい爽やかな声。
外れた入り口から顔を覗かせた金髪の頭。
私よりも生気に溢れた人間に元気だと言われるとはこれいかに。
「赤ずきん。おはよう」
この碧眼のかわいらしい少年は、勝手に私を師匠と慕っている。なんの師匠かは師匠たる私も知らない。
しかも師匠ではなく、ししょー、と伸ばして呼んでいる。そこに目上に対する敬意はない。きっと、あだ名と同じ感覚で呼んでいるに違いない。
「どうしたの、ここ? あ、動物たちとここで格闘でもしたんでしょ! いいなあ、俺も戦いたかった」
足取りも軽く屋内に入って、いかにも羨ましい、といったように感嘆した。
「いや、あんたはダメだって」
彼は、祖父の代から続くという筋金入りの狩人である。
彼自身はその技を、いっしょに住んでいる祖母に叩き込まれている。
動物を本能的に畏怖させる赤を纏っているのに、野生動物顔負けの俊敏さで獲物を刈り取ってくるのだ。
彼が戦ったら、動物たちは簡単に屠られてしまう。
「はい、これ! 風見鶏がくわえていたよ」
「ありがとう。やっぱりか」
彼は大抵、楽しそうに笑顔を浮かべている。
若いからか、それとも躁病の気があるからかは分からない。
彼のかっちりとした革手袋が差し出す手紙を受け取る。今更ながら、自分が寝間着のままであることに気がつくが、だからどうというわけでもないという結論に落ち着いた。
受け取った真っ白い封筒は、質のいいものを使っているのだろう。手触りからして普段使いのものとは違う。
裏返して、とじ口を見る。
封蝋が押してある。
時代錯誤だ。
伝統マニアぐらいなものだ、そんなものを好むのは。
「ししょー、それ誰から?」
赤ずきんが問う。
私の眉間のシワを見たようだった。
「この国で一番エラい人たちだよ」
封蝋に押された紋章を見せる。それは、まちがえようもなく、この国の王家のものだった。
彼らは私の家の扉の問題など、些事として捉えているに違いない。
彼らに修理代を請求すべきか、否か。
それは私の脳内会議の重大な議題かもしれない。




