十六話
次の日。
目を覚ましたら、既に太陽が高い位置に昇っていた。
起きたいと思った時間に起きられる性質なのだが、疲れていたのだろうか。
回らない頭を起こして、隣を見ると、赤ずきんが寝ていたはずの寝台はすでにカラだった。出かけたのだろう。僅かなシワが、そこに赤ずきんの体があったことを示している。
「……どうしようか」
全身がだるい。
寝台の上で全身を脱力させて、あえて声に出してみる。
水差しからコップに水を注ぐ。冷えている。寝起きの体がすっきりした気がする。
結局、やることなんて限られているわけで。私は、幼なじみでのエーリッヒ王子に会いに行くことにした。
特にアポイントメントはとっていないが、構わないだろう。
私相手に準備することなど特にないだろうし、無理だと言われたら別のことをすればいいだけだ。王子相手なのだから、会えなくても仕方がない。
そんなわけで、三角帽子を被り、ローブのシワを伸ばす。そうして、ふらふらと外に出た。
街にまで行かなくても、この広い城の中をぶらつくだけで充分に楽しめるかもしれない。
入り組んだ廊下を歩いていると、あっという間に自分のいる場所が分からなくなった。元いた部屋まで帰れる自信もない。
外から回ったほうが早かったか。
あいにくホウキは部屋に置いてきてしまった。
仕方が無いから、仕事中の女中を捕まえる。
「ま、魔女さま。なにか御用でしょうか?」
やや年嵩の女中が、警戒心も露わに反応した。
「皇太子のいる所まで案内いただけますか? 魔女ですが、怪しいものではありません。なんなら魔法学会に問い合わせてください」
「は、はい。かしこまりました」
どうぞこちらに、と言われ、後ろに続く。
親切な人に会えてよかった。
ゆるやかな弧を描く廊下を無言で歩く。
「会えるかなあ」
「はい。お会い出来るかと思います」
溢れた独り言に、女中が返事をしてくれた。
「もしかして、なにか言われてます?」
「はい。王付きの女中はすべて、魔女さまの申し付けを極力優先するように言いつかっております」
どうやら手回し済みらしい。助かった。
しかし、こんな風に注目されているようでは、何をしても報告されてしまいそうだ。
右に曲がり、左に曲がり、階段を昇り降りして、ようやく部屋まで案内された。
女中が扉をノックすると、燕尾服を着た執事が出迎える。
「魔女さまが皇太子殿下にお会いしたいと…」
「お話は伺っております。中にどうぞ」
女給はお辞儀をして、私を見送ってくれた。
応接室だ。
しかし、執事も私を中に通すと、すぐにどこかに行ってしまった。
部屋に一人、取り残される。
ソファの座り心地はいいが、居心地は悪い。
静寂。
静かだ。
…静かすぎる。
「ご成婚おめでとうございます、殿下」
もしかしたら、返事があるかもしれない。
そんな冗談のだめもとで試してみたのだが。
「お、おまえ。なぜバレた」
まさかのまさか。
机の陰から、がさごそと虫のように、見慣れた男が這い出てきた。
彼は立ち上がると、胸を反らし、私を見下ろした。
ひょろりと細長い体に、上下とも黒を纏っている。胸の部分に紅く、薔薇の模様が入っていた。
その上には、細面の砂糖菓子のように甘ったるい顔が乗っかっている。顔立ち自体は整っているが、筋肉も肉も付いておらず、細すぎて美形に見えない。なんでも、剣の腕はそれなりだと聞くが、この細腕では、剣を持つことすら難しいのではないだろうか。肉をつければいいのに。
「いい歳してかくれんぼとは。いいご身分ですね。うらやましい」
わざとらしく大仰にお辞儀をする。
エーリッヒ、この国の皇太子である。
白雪たちと同じくらいこいつとの付き合いは長い。
「不審者が来たら隠れるに決まっているだろう。ここになにしに来たんだ」
ぎゃんぎゃんと吠え立てる子犬のように捲し立てる癖は、昔から変わらない。
「不審者だなんて…、おひどい。エーリッヒさまにそんな事を言われては、私の繊細な心が千々に破れてしまいます」
わざとらしく、泣きまねをしてみせる。
「ふん。そんな風にしていても、俺には被った毛皮が分かってるんだからな!」
そう言うと、にやりと顔に似合わない笑みを浮かべた。
「久しぶりだな。おまえは全然、変わっていないな」
「殿下も、あいかわらずのご様子で」
私の言葉にエーリッヒは、ふん、と鼻を鳴らした。
「当然だ。俺がそう簡単に変わるわけないだろう。ところで、なにしに来たんだ?」
「使節団にくっついて、エーリッヒさまの結婚祝いに参りました」
「祝いだなんて、お前らしくもない。いつか結婚は人生の墓場だって言ってたじゃないか」
心底怪訝そうに目を細める。
そういえば、女は皆結婚したがるんじゃないのか、といかにもふしぎそうに以前口を利かれて、喧嘩したことがあったのだった。
「私のように心優しい人間は相手がうれしそうだと、うれしくおもうものです」
「それはそんなことを考えている笑顔じゃないだろう」
人に対してしつれいな。
「…宗旨替えしたのか?」
「まあ、結婚に意義は見いだせません。子供の養育や政治的な利益を目的としない限りはね。文化だから、なんだからと理由をつけてわざわざそんなことをする意味はなんなんでしょう」
なんでも、わざわざパーティを開いて自らお相手を選んだらしい。
立場上独身でいるわけにもいかないのだろうから、婚姻は本意ではないのかもしれないが、そもそもエーリッヒはそのあり方にそれほど嫌悪を感じてはいないはずだ。
この体たらくでも、気質的に我の強い男である。本気でイヤなら、もっと手ひどく抵抗するだろう。
「人の基本を否定してどうする。子を成すことは人の務めだろう」
務めと言う言葉で私の言葉を否定してくる以上、この婚姻は満足とまではいかなくても、彼にとってそれなりに意義のあるものらしい。
国王夫妻である彼の両親が、自らの息子が利益だけを目的とした政略結婚をするのを好まなかったらしい。時代と親、両方にこの皇太子は恵まれている。
「たまたまそういう進化の道を選んだだけでしょ」
「おまえ…あいかわらずだなあ」
毒気を抜かれたように、エーリッヒがため息をついた。
「シャルルは元気か」
「その陛下が私をここに送り込んだんです。元気ですよ」
「だろうな。ああ、…なるほど」
唐突に何かに思い至ったように頷いた。
「国王陛下…父上が話していた異変の調査をする人物とはおまえのことか」
王は皇太子に話をしたのか。
「ご存知でしたか」
「当然だ。俺は当事者である以上に王を継ぐものだからな」
「なるほど…。そういえば、未来のお妃さまはどのようなお方なのですか?」
「それは、…もう…」
そこで、しばらく照れたように俯いた。
良い歳して、まるで初恋に照れる幼子のような素振りである。
「…あの?」
「心のきれいな美しい娘だ」
「どこのおとぎ話から飛び出してきた娘ですか?」
思わず、間髪入れずに聞き返してしまった。
あまりにもありきたりで浮ついた言葉に自分でもそう思ったのか、エーリッヒはさらに語調を早めた。耳のふちが赤くなっている。
「信じられないかもしれないが、そういう娘もいるんだ」
「…はあ。さようでございますか」
「…その顔は信じていないな。俺から言えることは以上だ。これ以上はない。…と、ともかく、調査を頼んだぞ。詳細はあとで執事に届けさせるから」
「なぜご自分でお調べにならないのです」
この王子は魔法使いではないが、それなりに扱えたはずである。それ以外にも調査をしようと思えばいくらでも他の方法があるはずだ。
これに対しても、どこか歯切れの悪い答えを寄越す。
「第三者による調査が必要だ。それに俺には時間がない」
私がエーリッヒの友人と知られている以上、公平な立場にいると見なされるワケがない。どうやら、なにか秘め事があるらしい。
「エーリッヒさまはこうして私と会っているではありませんか」
「お前のために無理して時間を作った。今もこうして俺の貴重な時間を費やしている」
「それは、どうも」
執事が音をさせずに室内に入ってきた。
エーリッヒの耳元で何かを呟く。
それを聞いたエーリッヒは水を得た魚のように、急に勢いを増した。
「時間切れだ。俺は行かなくてはならん」
「は?」
「ああ、それから。最近、疲れが取れない。ヒマがあったら睡眠薬でも調合しといてくれないか」
「それは宮廷付きの薬師にお頼みください。他人の仕事をとって恨まれるのはごめんです」
エーリッヒはそれは残念だ、と肩をすくめた。
「ではな、まかせたぞ」
まるで小悪党がその場しのぎで退散するかのように、言いたいことだけ言い切ると部屋から出て行った。
わざわざ姫選びのパーティを開いて自ら決めたと聞いたが、本当は乗り気ではなかったのだろうか。
いや、そうではないのだろう。
いいのか、それで。




