表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/27

4月2日 朝

 全員で焚き火を囲み、寝袋をコタツ代わりにして暖を取った。僕は依然として引っ掛かりを覚えているが、綾ちゃんと森ちゃんの仲違いが原因だと結論付けたことで、周りは落ち着きを取り戻した感がある。


「すいません」

 ユウ君が手を挙げて発言する。


「どうしても気になることがあるんです。それは最初に説明を受けたシュウ君の話では、どうしても堀田さんの出した結論に矛盾が生じてしまい、それが気になって気になって仕方ないからなんです」


 引っ掛かりを感じていたのは、やはり僕だけではなかったのだ。


「そこで、みなさんにお願いがあります。これから一人ずつ、別の場所で、僕に話を聞かせてくれませんでしょうか? この場で話をすると、どうしても記憶が混濁すると思うんですね。ですから、この場では一切なにも語らず、別の場所で僕にだけ話を聞かせてもらいたいんです。ただ、聞く人が昨日知り合ったばかりの僕だけでは信用できないと思うので、記録係も兼ねてシュウ君にも同席してもらいます。みなさんが良ければという話ですが、この提案に賛成してくれませんか?」


「反対する理由はないよ」

 最初にヒロシさんが同意した。

「同席相手がシュウっていうのが引っ掛かるけどね」

 いつもの米ちゃんの物言いだ。

「ユウ君の気になることっていうのは、ボクも気になりますからね」

 座長も異論はないようである。

「……私も」

 堀田先生が不安そうな、いつもの雰囲気に戻っている。

 早見君だけが、まだイライラしていたが、相手がユウ君では何も言えない様子だ。

 広美も黙っていたが、彼女の場合はショックが尾を引いている感じである。


 ユウ君が立ち上がった。

 僕も立ち上がろうとしたが、すぐに止められた。

「あっ、シュウ君はここで待っていて下さい」

 そう言うと、ユウ君はみんなから離れて原っぱの奥の方へ歩いて行った。


 ユウ君がくるりと振り返る。

「僕の声、聞こえますか?」

「聞こえるよ」


 僕が答えると、ユウ君が更に奥へと遠ざかった。

「聞こえますか?」

「まだ聞こえるよ」


 これを何度か繰り返し、完全に声が聞こえなくなる距離まで遠のいて行った。

 ユウ君がジェスチャーで僕を呼ぶので素直に従った。


「気になることって?」

 二人きりになれたので、早速尋ねてみた。


 ユウ君が表情を変えずに答える。

「いや、簡単なことなんだ。二人がテントにいないから探しに行ったのに、それにも係わらず森ちゃんが綾ちゃんよりも先にテントで死んでいたなんて、どう考えてもありえないからね。真相は別にあるはずなんだ」


 その通りだ。

 自分の記憶に自信が持てなくなっていたので、そのことに思い至ることができなかった。


「それより、こんなことをして大丈夫かな?」


 ユウ君が不安そうなので、僕は励ますことにした。

「大丈夫だよ。こういうのみんな慣れているからね。エチュードみたいなものだから、ちゃんと話してくれると思うよ。いや、芝居をされたらかなわないけど、仲間が死んでるんだ、ふざける人はいないさ。それは僕が断言する。といっても、その仲間内でこんな事件が起きちゃったんだから説得力ないよね」


 話していて、急に堪らなく悲しい気持ちになった。


 感情らしい感情を見せずに、ユウ君が口を開く。

「事件が終わっていればいいけど、まだ解決していないとしたら、まだまだ続くかもしれないということだよね? 僕が望むのは、それを未然に防ぎたいということだけなんだ。だから黙って待っていることなんかできない。理由はそれだけだよ。僕がやろうとしていることは正義なんかじゃなくて、ただ、自分の身を守りたいだけなんだ。真相が分かれば、みんなも自分の身を守れるだろうからね。ただ、それだけさ。どうしても、まだ終わっていないような気がするんだ」


 身体の小さなユウ君ならではの言葉だ。でもその通りだ。非力な僕たちは他人の命を守れるほど強くはない。それでも自分一人の命なら、なんとか守ることができるはずだ。ユウ君には考える頭がある。きっとこれまでそんな風に頭を巡らせて、なんとか生き残ってきたのだろう。


「順番はどうしようか?」


 僕の言葉にユウ君が悩む。

「下手に勘繰られてもいけないから、小屋に駆けつけた順番でいいんじゃないかな」


 ということなら、一人目はヒロシさんということになる。


 呼びに行くのは僕の役目だ。ヒロシさんに声を掛けると、「おう」と言って素直に従ってくれた。これは物腰の柔らかいユウ君の頼みだから応じやすいというのもあるのだろう。高圧的な人の頼みなら余計な反発を招いていたかもしれなかった。


 呼ばれたヒロシさんは、もうすっかり酔いが醒めた様子だったが、左手のギブスの内側を掻く癖は、相変わらず直ってはいなかった。そんなことを気にせず、ユウ君はヒロシさんに質問をした。


「最初に訊きたいのは、ヒロシさんは座長がついた嘘、つまり島の滞在が一日延びることを知っていましたよね? ここからは何も隠さず、知っていることがあったら、何もかも本当のことを教えて下さい」


 ヒロシさんがハッとする。

「それはただの勘か? 何か根拠があってその質問をしたならたいしたもんだ。それともシュウに教えてもらったのかな?」


 僕は首を振って否定する。

「いや、僕が一番ビックリしたくらいなんで、知らないです」


 僕たち三人は原っぱで胡坐をかいて話をしている。警察の取り調べというわけではないので、緊張感はなかった。その雰囲気を作っているのはユウ君に違いない。その穏やかな表情が落ち着きを与えてくれているのだ。


 ユウ君が丁寧に説明する。

「根拠があるといっても確かな証拠があるわけではありません。それでもヒロシさんの人間性を考えると、劇団員を自分で運転するバスで駅まで送らなければならない日に、朝からお酒を飲んでいるというのはおかしいと思ったんです。まぁ、飲酒運転をする人ではないというのが前提ですけどね」


 ヒロシさんが感心する。

「なるほどな。同じことを誰か言ってくれると思ったけど、それを指摘したのはユウ君だけだったな。これまで一度だって飲酒運転なんてしたことねぇのに、誰も俺の行動に興味なんかないんだよ」


「みんな信頼しているからですよ」


 僕は慌ててフォローした。上手くいっていたと思っていた劇団で事件が起きたことで、互いを見る目が変わった可能性がある。ヒロシさんの言葉の最後は、そんなことを感じさせたので言葉を挟んだのだ。


「それでは前日の夜からの行動を教えて下さい」

 ユウ君は劇団内の人間関係に無関心といった感じだ。


 ヒロシさんが思い出す。

「昨日の夜は、ユウ君とテントを代わったんだったな。俺はいびきがうるさくても平気だけど、酒の息は自分でも分からねぇもんな。でも座長が外で寝て風邪を引いたなんて言ってたけど、あれは嘘な。同情を集めるために、いつも大袈裟に言うんだよ、アイツは。ションベンで起きた時も横にいたし、起きた時にもちゃんと横で眠っていたんだよ。よく、あんな分かりやすい嘘をつこうと思うよな。大体テントから出れば気がつくんだって。昨日の夜だって、早見が釣りに行く時に目を覚ましたからさ。他人のいびきは気にならないけど、物音には敏感になるだろう? だからテントの入り口が開いたら分かるんだって。でも、さすがに時間までは覚えてないな。真っ暗っていうのもあるけど、ちょっと寝入っただけで三十分なのか一時間なのか分からないもんな。まぁでも、そういうのは普段も時計がないと分からなくなるから、この島に来て感覚が狂ったっていうことでもないだろう。元々人間の感覚なんて、その程度のもんだってこったな。それと一度目を覚ましたからって、完全に目を覚ますタイプじゃないから、すぐに寝入っちまった。寒くて眠れないってわけじゃないし、ああ、元々冬場でも暖房を入れて寝ないんだよ。入れると喉が痛くなるからさ。えっと、そういうわけで、広美が叫んで来るまで、完全に寝てたんだけど、すごい喚いていたから、もう、ただ事じゃないのは一瞬で分かった。一発で目を覚まして、とにかくテントを出たけど、息が上がってさ、なに言ってるか分かんねぇんだよ。だけど、綾が小屋で死んでるって言うから、考える余裕もなくて、気がつけば走ってたよ。他の奴はどうだったかな? 目を覚まさないことはないだろうけど、後ろにいても気がつかなかったな。真っ暗だったというのもあるけど、小屋の方に集中してたから、覚えてないんだよ。明るければ視界の端でも記憶に残っただろうけど、やっぱりダメだな、覚えてない。走っている間もさ、前日の件があったから、ほら、あの例の、変な犯罪予告な。それがあったから、今回もイタズラじゃないかと思ったんだよ。でも、あの様子は尋常なかったから、すぐにそんな考えは否定できた。悪い予感っていうのかな、いや、実際に報告を受けた後だから予感じゃないんだけど、助かる見込みがないような気がしちゃったんだよ。それでも休まず走り続けたさ。行って何かできると思わないと気持ちがもたなかったからさ、沈んだシュウの顔を見ても信じたくなかったね。けど、まさか自殺してるとは思わなかったから、悲しくなるよりも、怒りが込み上げてきたな。だって自殺はねぇだろう? いや、さすがに考えられないよ。死んだって言われてもピンとこないのに、自殺だぞ。どう思い返しても思い当たる節はないし、あってたまるかっていうんだよ。身近な人間が死にたいと思ってたら、絶対に気がつく自信があるんだ。理由なんかないけど、それだけは断言できる。だから俺がいるところで自殺したのが許せないんだ。半分、いや、全部自分に対しての怒りだな。そんなこと言っても、結局は見えてなかったってことだから、今は無力感の方が強いけどな。何かできたんじゃないかと思うより、なぜできなかったんだって、そんな風に考えちまう。考えたところで戻ってこないのに、考えちまうんだよ。森ちゃんとの間に何があったか知らねぇけど、もっと踏み込んで人付き合いをすべきだったんだ。ああ、ダメだ。後悔しかねぇ」


 聞いた限り、怪しいと思う点は一つもなかった。


「ありがとうございました」

 ユウ君も他に尋ねたいことはないようだ。


 それから、次に堀田先生を呼んでもらうことをお願いして、ヒロシさんを帰した。

 歩いてくる堀田先生は、虚ろな表情をしていた。

 元々そんな表情だったような気もするが、事件後はそれすらも分からなくなっていた。


 堀田先生は原っぱに座るなり、こちらが話し掛ける前に口を開いた。

「よく考えたら、綾ちゃんが森ちゃんを殺して自殺したというのはおかしいですよね。小屋へ行く前に、森ちゃんがテントにいないのは確認してたんです。自分の目で確かめたのに、それを忘れて適当に話しちゃうんだから頭が悪いよね」


「いや、仕方ないよ。混乱するようなことが起きたんだし」


 僕がフォローしたところで堀田先生が気を取り直すことはないが、それでも言葉を掛けなければ僕の気が収まらなかった。僕にできることといったら、それくらいのことしかないからだ。いや、でもこれは自分のためなのかもしれないとも思った。


 ユウ君が穏やかに尋ねる。

「よかったら、昨日の夜、テントに入ったところから順番に話を聞かせてくれませんか?」


 堀田先生が頷く。

「まだ眠くなかったけど、早めにテントに入りました。ああ、それは知ってるよね。明かりがあれば本を読むんだけど、それができないから、次の作品の構想を練ろうと思いました。今回の合宿を活かしたものがいいけど、無人島という舞台設定だけでは、どうしてもありがちな話しか思いつかなくて、無理に考えようとするとテーマを見失うんですよね。そうなると、書きたいことがあるから書くんじゃなくて、事務作業のような感覚になっちゃうんです。仕事ならいいかもしれないけど、学生演劇なら時間の無駄じゃないですか? そのことを寝る前に米ちゃんにも相談して、どうしようか二人で話し合ったんです。私の脚本は米ちゃんからヒントをもらうことが多くて、というよりも、いつも米ちゃんがこういうシーンを演じたいというワンシーンから話を組み立てることがほとんどなんです。座長に相談することもあるけど、着想のすべては米ちゃんの希望というか、願望なんですよ。だけど米ちゃんから強引に、自分を目立たせろ、っていう要望はないんです。頭の中だけでエチュードをしているみたいに、次から次へと色んな役柄を思いつくみたいで、それを聞いて印象に残ったものを私が膨らませるんです。ゆうべ話した中で印象に残ったのは、間違って流刑地に送られた女の物語ですね。時代物にするか、SFにするかで迷っていますが、無性に書きたいと思いました。あっ、こんな話は必要ないですよね」


「いいえ、そんなことないですよ」

 ユウ君がゆったりと答えた。


 堀田先生が一息ついて続ける。

「私の場合、着想を得てから数十分が勝負なんです。これだと思ったら、結末まで考えないと物語が出来上がんないんですよね。だから昨日も結末が見えるまで想像しました。気がつくと米ちゃんは眠っていたので起こさないようにしていたんですが、しばらくすると米ちゃんが起き出したんですよね。私が眠っていると思ったのか、音を立てないように静かにテントを出て行きました。気を遣っている様子なので、私が声を掛けると申し訳ない気持ちにさせるだけだと思って、私の方から声を掛けることはしませんでした。米ちゃんには悪いけど、一人になって、ようやく眠れそうな感じがしたんです。その前の日もほとんど眠れなかったので、やっと熟睡できそうな感覚を持てました。起こされるまでどのくらい眠れたか分かりませんが、寝覚めは良かったです。いや、違うな、身体の方はすっきりしてたけど、起こされ方が異常だったので、心臓が激しく鳴って、怖くなっちゃいました。テントから出るとヒロシさんと広美さんがいて、何を言っているのか、すぐには判断できなくて、すると、あっという間にヒロシさんが走っていったんです。私もパニックになったけど、広美さんはもっと錯乱していて、とにかく話を聞くのにも手間取りました。座長がテントから出てきて、それで広美さんを落ち着かせることができたんですが、綾ちゃんが小屋で死んでいるっていうのを聞いた時は、理解するのに時間が掛かりました。たぶん時間にしたら一瞬なんでしょうけど、時が止まったように感じました。それでも座長は落ち着いていて、広美さんにもっと詳しく話すように求めました。広美さんが落ち着いたので、私も頭がクリアになって、綾ちゃんが首を吊って自殺したということを認識できたんです。それから、森ちゃんもいないということでテントを調べたんですけど、中は空っぽで、シュウ君も探しているということで、私も探しに行こうと思ったんです。でも座長は体調が悪くて、広美さんも走って来たばかりなので遅いんですよね。それで二人を置いて、急いで小屋に向かったんです。ヒロシさんが走って行ってから、そんなに時間は経ってないと思うけど、正確な時間は分かりません。途中で疲れて走れなくなったけど、休もうなんて思いませんでした。考えるのは、どうして自殺なんかしたんだろうと、そのことばかりです。私が知る限り、綾ちゃんは自殺するような人じゃないし、悩みがあるなら、ちゃんと打ち明けられる子なんです。それでも自殺したということは、私が知らない綾ちゃんがいたということなんでしょうけど、森ちゃんが殺されたっていうことは、やっぱり自殺じゃないような気がするんですよね。それとも森ちゃんも自殺なのかな? そう考えた方が、よっぽど理解できる。いや、自殺の理由は分からないけど、少なくとも二人の死を受け入れられるっていうか……」


 最後の方は独白に近かった。


「ありがとうございました」

 ロン君が丁寧にお礼を言った。


 それから、堀田先生に座長を呼んでもらうようにお願いしたが、立ち去ろうとしなかった。

 まだ、何か言い残したことがあるような感じだ。

 いや、それよりも言いたいことを切り出せない様子だった。


「どうしたの?」

 ユウ君が何も言わないので、僕が尋ねた。


 堀田先生が遠慮深げに質問する。

「ユウ君、ナイフを持ってたよね? それ、今も持ってる? 持ってたら見せてほしいんだけど」


「持ってるよ」

 ユウ君はあっさり答えて、ハーフコートのポケットから鞘に収められたナイフを取り出し、堀田先生に手渡した。手渡された堀田先生は、ナイフを鞘から抜いて、よく観察し、元の状態に戻してからロン君に返した。


「ありがとう。これじゃあ魚を釣っても上手く捌けないかも。私も自炊するから、それが気になったんだ」


 ユウ君は気にした素振りを見せなかったが、これはどう考えてもユウ君を疑っているということだ。自炊の話はいかにも取って付けたような感じで、本心を隠しているのが丸わかりだった。ユウ君に限って、二人を殺すなんてことは万に一つもありえない。


 この場で確実なのは、それだけしかないと言ってもいいくらいだ。殺人犯の動機なんて知る由もないが、昨日知り合ったばかりのユウ君が二人を殺すはずがない。堀田先生は想像力が逞しいところがあるが、現実は現実として認識してほしいというのが僕の希望だ。


「ありがとうございました」

 疑うことすら失礼な話だが、ユウ君が気にした素振りを見せないのが救いだった。


「それじゃあ、私はこれで」

 焚き火に戻る堀田先生の後ろ姿を見て、彼女の白いコートのお尻の上が黒く汚れているのに気がついたが、無人島でそれを注意するのも野暮なのでやめておいた。教訓としては、無人島で白系の服は止めた方がいいということだ。


 入れ替わりでやってきた座長は、相変わらず具合が悪そうだった。

「大丈夫ですか?」

 僕はせめてもの気休めと思って声を掛けた。


 座長が息苦しそうに答える。

「大丈夫ですよ。もう、こうなっては休んでいられませんからね。迎えが来て、警察に連絡してもらえば、日が暮れる前に事情聴取を受けなければなりませんし、乗り切るしかありませんからね。どうせただの風邪なんですから、心配するようなことではありませんよ」


 ユウ君は座長が話し終えるのを待ってから尋ねる。

「それでは昨夜テントに入ったところから話してくれませんか? 僕は知ってることもありますけど、シュウ君は何も知らないと思うので詳しく話して下さい」


「ええ、そうですね」

 言葉とは違って、座長は辛そうだった。

「風邪を引いた時はよく眠れるので、昨日もぐっすり眠れたんですが、眠れたというより、気を失う感じなんですよ。ですから、昨日はユウ君と同じテントだというのに、一緒にいたという記憶がまったくないんですね。きっとユウ君がテントに入ってきた時には、もうすでに眠っていたと思います。いびきがすごかったと思いますが、迷惑を掛けてることも、自分では分からないので弱ったもんです、はい。夜中に目が覚めるということもありませんでした。広美に起こされて目を覚ました時も、現実とは思えませんでしたね。だいたいね、こうも寒くちゃ治るものも治りませんよ。前日よりも具合が悪くなっていましたし、意識も朦朧として、正直、細かいところの記憶がまったくないんですよね。それでも忘れることなんてできませんから、やっぱり夢の中ではないんでしょうね。とにかく落ち着いてくれないと、広美は何を言っているのか分からない状態でした。悪い夢かと思いましたが、あんな泣き喚く声を聞いたら、嫌でも夢から覚めますよ。ボクも目が覚めたばかりでボーっとしてましたから、飲み込むまでに時間が掛かって、その上、綾ちゃんが首を吊ったっていうので余計に頭が混乱したんです。信じられませんでしたよ。でも、森ちゃんもテントにいないようなので、とりあえず探すのが先決だと思ったわけです、はい。とりあえず、ユウ君がいないのは起きてすぐに分かりました。早見君もいませんし、米ちゃんもテントを出てから戻っていないということで、ヒロシさんの後を追って、ボクたちも小屋に向かったわけです。でもね、走れるわけがないんですよ。歩くのもやっとでしたから、堀田先生には先に行ってもらいました。広美も肩で息をしている状態でしたし、走り続けるのは無理でしたね。小屋へ向かった直後に、広美がテントの方へ戻って行きましたが、ボクは気にせず小屋へ向かいました。走りながら、いえ、実際は歩いていたんですけどね、歩きながら考えたことは、ひどい話かもしれませんが、劇団の未来についてです。そんなことを考えてしまう自分に腹が立ちますし、最低な人間だって自分でも分かるんです。でもね、考えたくなくても考えてしまうんですよ。もっと嫌なのが、綾ちゃんがいなくても何とかなると思ってしまったことです。ええ、サイテーですよね。分かってるんです、分かってるけど、思っちゃったら仕方ないじゃないですか。それでも綾ちゃんが首を吊っている姿をこの目で見てしまうと、そんな考えは吹っ飛びました。信じてくれとは言いませんけど、もう、劇団のことは何も考えられません。現実を知るというのは、きっとこういうことなんでしょうね。森ちゃんが殺されたっていうのは何かの間違いですよ。綾ちゃんがそんなことするはずないじゃないですか。いや、ちょっと待ってくださいよ。森ちゃんがテントにいなかったのは確かなんですから、綾ちゃんに殺せるはずがないんですよね、違いますか? ということはですよ、森ちゃんも自殺したということになるんでしょうかね? いずれにせよ、一刻も早く遺体を安らかに眠らせてあげたいです。そうしないと居ても立っても居られないじゃないですか。落ち着かないんですよ、いまも、ずっと二人は苦しんでいるようで、本当に、何とかなりませんかね」


 最後は涙声になっていた。こんな座長は初めてだ。アイデアマンで行動力も伴っている人が、何もできない僕とユウ君にすがるのだから、本当に何もできないということを意味しているわけだ。僕も涙をにじませることしかできなかった。


「ありがとうございました」

 ユウ君は他の人と変わらないようにお礼を述べた。


 ここに来て、その変わらぬ態度に冷たさを感じてしまったが、昨日知り合ったばかりだということを思い出し、ユウ君に対して冷たい人間だと思うことの方が非情な仕打ちだと思い直すことができた。


 座長と入れ替わりにやってきたのは広美だ。見るからに憔悴しきっている。顔色も悪く、汗をかいて身体を冷やしたのだろう、風邪を引く一歩手前のように見える。彼女は誰よりも走っているのだ。距離にして十キロ近くは移動したことになる。


「寒くないか?」

 普段なら自分の優しさが薄っぺらく感じるが、この時は何も思わなかった。


「うん」

 広美は何とか声を出したといった感じだ。


「それでは、昨夜からの行動を教えてくれませんか?」

 穏やかに尋ねるユウ君は、これでも相当気を遣っているのだろう。


 広美が頷く。

「前の日から『夜トイレに行きたくなったら起こしてもいいからね』って言ってくれて、それで昨日の夜、二人に声を掛けたんだけど、中から返事がなくて、テントを開けてもいないから、一人で行けなくて、シュウに一緒に来てもらったんだけど、ごめん、あれから自分がどうしたのか、よく覚えてない。綾ちゃんを見つけて、森ちゃんを探そうって言ったんだよね? それで、シュウが港に行って、私がテントに行って、みんなを起こして、小屋に行った。ユウ君と、早見君と、米ちゃんはいなかったと思う。ごめん、本当に覚えてない」


 続きの言葉を待ったが、それ以上はない様子だ。


「ありがとうございました」


 ユウ君は丁寧にお礼を言ったが、僕は一つだけ引っ掛かることがあった。それはどうしても看過できない点だった。ぐったりしているので早く焚き火のある所へ帰してあげたいのだが、質問することにした。


「つらいとは思うけど、どうしても思い出してほしいことがあるんだ。それは、さっき座長が言ってたんだけど、ヒロシさんが先に小屋へ行って、広美は堀田先生と座長の三人で小屋に行ったんだよね? それで堀田先生が先行して、二人は出遅れて、そこで座長は広美がテントに引き返したって言ってたんだ。どうしてそれを言わなかったの?」


 広美の唇が震えている。

 それを見ても、僕は見過ごすことはできなかった。

 すると広美が僕を睨みつけた。

「おしっこだよ! そういうことも言わないとダメなの?」


 言われて思い出したが、広美がトイレに行きたいから一緒に小屋へ行ったのだ。

 それを知っていたから、ユウ君はわざわざ質問しなかったわけだ。

「……ごめん。もう戻っていいよ」


 それからロン君が早見君を後回しにして、広美に米ちゃんを先に呼んでもらった。

 米ちゃんは僕たちが質問する前に自分から話し掛けてきた。

「ねぇ、私はそんな話すことなんてないんだけど、ずっと一人でいたし、何が訊きたいの?」


 ユウ君は丁寧に説明する。

「昨日の夜からのことを、順を追って聞きたいんです。別に何かを見たとか、何かを聞いたとか、そういうのはいらなくて、何も見なかったということを教えてほしいんです」


 米ちゃんがしばらく黙っていたので、僕たちは待つしかなかった。

「昨日、ユウ君が早見君と一緒に夜釣りに行くって言ってたでしょ? それをこっそり聞いてて、それで私も二人に内緒で行こうと思ったんだ。いきなり行ったらビックリすると思って。で、実際に仮眠だけ取って、ちょっと早いと思ったんだけど、テントから出たら、見ると、もう釣竿がなくなってるからさ、後れを取ったと思ったわけ。だって寝る前にテントの外に釣竿を置いてたよね? だけど中を覗くわけにもいかないから、私もウェットスーツに着替えて、モリを持って追い掛けたんだよ。でも、港に行ってもいないんだもん。そんなはずないよね? うん、そう思って、北側の岩礁に行ったんだ。だって、そっちしか考えられないし、早見君も岩礁の方に行って釣りをするって言ってたから、そこしかないと思ったの。ちょうど干潮の時間帯で、昼間よりも波が来ないから確信しちゃったんだ。でも、やっぱりいなくて、結局は島を一周して、浜辺に戻っても釣竿がないままだし、テントの入り口も開いてて、先生もいなくなってるじゃない? それでトイレに一人で行かせちゃったと思って、不安だから追い掛けることにしたんだ。それで小屋に行って、それで……」


 そこで、再び黙り込んでしまった。


「こんなことなら、港へ行かずに小屋にいれば良かったんだよ。そうすれば綾を助けられたかもしれない。イタズラなんかしようと思ったばっかりに、罰が当たったんだね。私のせいだよ。こんなことが起こるまで、何も感じてあげることができなかった。そういうことができるのが、ここには私しかいないんだから。綾を死なせてしまったのは、私のせい。自分を責めても何にもならないことは分かってるよ。それでも、自分なら何とかできたと思っちゃうんだ。おごりかもしれないって分かってる。けど、誰かがそういう風に思わないと、救ってあげることなんてできないんだよ。何が起こったか分からないから、こんな風にしか考えられないんだろうね。けど、二人を死なせたのは、やっぱり私のせい」


 落ち込む米ちゃんに掛けてあげる言葉が見つからなかった。気を遣うことに長け、誰よりも空気を察することが得意だと自負しているにも係わらず、肝心な時に何もできないということが、彼女自身も分かったわけだ。僕も今までの自分の軽薄さと向き合わされている感じである。


 米ちゃんがおもむろに尋ねる。

「ねぇ、私が港へ行った時、ユウ君と早見君はどこにいたの?」


 ユウ君が思い出す。

「時間は分からないけど、会わなかったということは、小屋にいた時にすれ違ったんじゃないかな?」


 米ちゃんが笑みを漏らす。

「男同士なのに、一緒にトイレに行くんだ?」


 僕も思わず笑いそうになったが、子どもっぽいユウ君ならありえる話だと思った。


 少しだけ和んだところで、米ちゃんと入れ替わるように早見君が来た。

「寒くない?」

 ユウ君が労わった。


 そうだ、早見君は小屋へ濡れたままやって来て、そのままの格好で過ごしているのだ。渇きが早い季節でもないので、いつ風邪を引いてもおかしくない状態である。見た感じ、雨に打たれた後のような姿をしている。


「大丈夫だよ、そんなこと言ってられないしね」

「釣竿もなくしたんだよね?」

 そうだった。小屋に手ぶらで来たのも覚えている。

「探せばあると思うけど、もしダメでも、音楽プレーヤーが無事ならいいや」

「ほら、僕がアドバイスしたおかげでしょう?」

 ユウ君の言葉に、早見君は微笑んだ。


「置手紙は持ってる?」

「うん」

 早見君が濡れたズボンのポケットから四つ折りのスケッチブックの紙切れを取り出した。

「ちょっと湿っちゃったけど」

 そう言って、その紙をユウ君に手渡した。

「大丈夫だよ。これがあれば何も言うことはないや。ありがとう」

 そう言って、ユウ君は早々に早見君を帰してしまった。


 やけにあっさりしすぎていると思ったが、確かにユウ君の言う通りだ。置手紙を持っているということは、港へ居たという証になるし、他の時間帯もユウ君と一緒なら何も問題はない。他の人も物証があれば無罪放免なのだが、事件現場が無人島では無理な話だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ