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3月31日 朝

 松前町の港に到着した時、バスの時計は午前八時過ぎになっていた。ほぼ予定通りに着いたということだ。バスから降りれば、しばらく時計を目にすることはないだろう。しかし、その前に座長から持ち物検査をしたいという提案があった。


 問題となったきっかけは、僕が持参した釣りのエサにある。そこでバスの車中で、ちょっとした話し合いをすることになったのだ。普段はとぼけた座長だが、この時ばかりは真剣な顔つきで説明を始めた。


「あのですね、今回の特別合宿は、それなりに費用が掛かっているわけですよ。それならば、きっちりとルールを守った方が良くありませんか? せっかく無人島へ行くというのに、持ち物は三つまでというルールすら守れないようでは、無人島のつもりでキャンプをしているようなものですからね。本当は飲み水やテントだって無くしたいくらいなんですよ? それが本来の無人島なんですから。だからボクはこれでも限界まで譲歩したつもりなんです。ですから、ルールは厳格に守っていただきたいですね」


 僕は負けずに言い訳を試みる。

「でも座長、エサも持たずに釣竿だけ持って行っても意味がありませんよ。だって『そんなんじゃ絶対に釣れっこない』って釣具屋のおじさんが言ってましたからね。ましてや、僕は釣りの経験なんてないんですから」


「それはエサを買わせるためのセールストークですよ」

 座長の切り返しはいつも早かった。


 僕は言い訳を続ける。

「そんな感じじゃなかったけど、そんなこと言い出したら、釣竿と釣り糸と釣り針とリールだけでルール違反ということになりますよ? そうすると釣竿と音楽プレーヤーしか持ってきていない早見君だってアウトになるじゃないですか。だって疑似餌やイヤホンまでカウントしたら、全部で六つになりますからね」


「上手く他人を巻き込みましたね」

 そう言うと、座長は考え込んでしまった。


「そういうところがシュウらしいわ」

 米ちゃんが、あえて感心して頷いた。


 早見君がわざわざ挙手して発言する。

「ルール違反になるなら、俺、音楽プレーヤーだけでいいから、釣竿は置いて行くけど」


 米ちゃんがため息をつく。

「それも早見君っぽい答えだね」


 僕としては立場がないが、いつものことなので気にならなかった。


 座長が大いに悩む。

「いや、シュウ君の場合はですね、釣竿だけではなく、スケッチブックも問題があるんですよ。当然、筆記用具も持ってきているわけですからね、薬も入れると五つも持ってきていることになるんです。釣り糸や釣り針など細かくカウントすると八つになりますから、せめて、どちらか一つを置いて行ってくれると丸く収まるんですけどね」


 釣り具とスケッチブック、優柔不断の僕には決めかねる難問だった。


 そこで手を挙げたのが、ユウ君だった。

「あの、僕もシュウ君と一緒で釣竿とエサを用意してきたんです。その他にナイフとライターを持ってきているので、僕もダメっていうことですよね?」


 その後すぐに、堀田先生も手を挙げる。

「私も、ボールペンをいれると全部で四つになります」


「もう、いいんじゃない?」

 そこで、黙っていた米ちゃんが口を開いた。


「そこは妥協したくありませんね」

 珍しく座長が抵抗した。


 しかし、米ちゃんは折れる人ではない。

「エサはエサだよ。それだけで何とかなるもんじゃないんだし、筆記用具もOKにしようよ」


 そうなると、座長が折れるしかなかった。

「仕方ありませんね。じゃあ釣り道具セットということで納得しますか」

 すぐに折衷案を思いつくのも座長らしいところだ。


「うん。それがいいよ」


 座長が腕時計を確認する。

「時間もありませんからね」


 米ちゃんの大きな声に森ちゃん、綾ちゃん、広美の三人娘も賛同した。僕一人の時には上がらなかった声が、ユウ君と堀田先生まで疑惑に加わったことで妥協する声が上がり出すのだから、僕としては納得がいかなかった。


 そこでささやかな抵抗だけはしておくべきだと考えた。

「でも座長の持ち物もおかしくないですか? たしか米と飯ごうと塩でしたよね? 米を炊く水はいいとしても、火はどうするつもりだったんですか? 薪をしっかり用意しているみたいだし、それだと火を誰かにもらうことを前提にしているということになりませんか? それでよく僕だけを問題視できましたね。誰もライターを持ち物に選ばなかったら、どうするつもりだったんですか?」


 座長がムッとする。

「いや、ボクはですね、みんなに無人島で食べる塩おにぎりの美味しさを体験してもらいたくて用意したんですよ。つまり自分のために持ってきたものは三つどころか、一つもないということになるんです。だから一応、誰もライターを持ってきていない時のために、ちゃんと自分で持ってきたんです。それに、安全面を考慮して、食料に関しては持ち物から除外することもできたんですから、文句を言われる筋合いはありませんよ」


 米ちゃんがジロリと睨む。

「ええ? なんで持ってきてるのに黙ってたの? それはいくら座長とはいえ絶対にダメだよ。ああ、もう、こうしよう、一回全員の持ち物を確認するね。正直に言うんだよ? 嘘ついたら連れていかない。いい? 私はウェットスーツとバスタオルとモリ。これだけだから、船に乗る時はバッグもバスに置いて行く。座長は?」


 座長が答える。

「僕は米十キロと、五合炊ける飯ごうが二つと、沖縄で買った美味しい塩と、念のために用意したライターだけです。でもユウ君がライターを持ってきているので、ボクは置いて行くことにしましょう。その他に全員が使うものとして、二十リットルの水が入ったポリタンクが五つと、段ボールに三キロの焚き木と、二人用のテントが五つと、簡易トイレと、トイレットペーパーと、寝袋が十人分です。ちゃんとユウ君の分も用意しましたからね」


 ユウ君がお礼を言って、頭を下げた。


「よしっ、問題なし」

 ここからは米ちゃんが持ち物テストの合否を判断するようだ。

「次はシュウ」


 指名されたので答えることにした。

「僕は釣竿にエサ、それと買ったばかりのスケッチブック、筆記用具は鉛筆を一本だけ持ってきたけど、消しゴムは持ってきていない。あとは胃腸薬。これは日頃から携帯しているものをそのまま持ってきた」


「OK。次はユウ君、いい?」


「はい。僕は釣竿とエサと、買ったばかりのライターと、果物ナイフの三つにしました。釣った魚は丸焼きで食べられるので、ナイフは必要ないかもしれないけど、念のために持ってくることにしました」

 そう言って、持ち物をみんなに見せた。


「うん、問題ない。次は早見君」


「俺は音楽プレーヤーと釣竿だけ」

 早見君も持ち物を掲げた。


「本当にそれだけなんだ? じゃあ、次は堀田先生」


 堀田先生が持ち物を提示する。

「私はノートにボールペン、あとは本と栞も持ってきました。それと頭痛薬。シュウ君と一緒で、いつも飲んでるやつです」

 一人だけメガネをしているが、さすがにそれを持ち物としてカウントするのは酷だろう。


「栞ね、そういう自己申告が大事なんだ。次はヒロシさんも、お願い」


「さっきも言ったろ? 酒だよ、酒。一・八リットルの焼酎な。へへっ、それとイカの燻製も業務用の一キロのやつを買ってきた。こういう時は乾き物に限るからな。あとはさっき買ってきたプロレス雑誌だ」

 ヒロシさんの場合は、昨日の酒が抜けているかも怪しい様子だ。


「一人しか飲む人がいないのにって、言ってもムダだよね。はい、次は綾」


「私は着替えと、えっと、具体的に言うと練習着のスウェットの上下に下着ね。それとバスタオルと枕。やっぱり無いと眠れないと思って、って、みんな知ってるか。バスタオルとリップクリームでどちらにしようか迷ったけど、防寒具にもなると思ってタオルにした」

 さすがに替えの下着があるので、持ち物は見せなかった。


「ああ、いつもの枕ね。じゃあ、次は森ちゃん」


「私も着替えと、これは綾ちゃんと同じで、それと一リットルのパックのミルクティーを三本と、お菓子をたくさん。ああ、全部言うんだっけ? ええと、チョコと、クッキーと、アメと、ポテチと、おせんべいと、食パンと、それに塗るハチミツとマーガリン、あとは非常用の乾パンね、以上です」

 僕の釣り道具セットよりも反則ではなかろうか?


「食パンがお菓子って初めて知ったわ。はい、最後は広美ね」


「私も同じく着替えと、あとは化粧道具とライターだよ」

 広美がライター?


「ん?」

 米ちゃんが眉根にしわを寄せた。

 おかしいと思ったのは僕だけじゃないようだ。

 広美が目を合わせようとしない。


 座長がテスト結果の感想を口にする。

「それにしても十人いてライターを持ってくる人が二人しかいないなんて意外ですね。しかもそのうちの一人は参加予定のなかったユウ君ですからね。やっぱり念のために持ってきて正解だったんですよ」


 米ちゃんはイライラした様子だ。

「そうじゃなくて、ねぇ、広美さ、なんでライターを持ってきたの? 言い訳は聞きたくないから、とりあえずバッグの中を見せて。疑われるようなことがないなら、ちゃんと見せられるよね?」


「どうぞ、お好きに」

 そう言って、広美が米ちゃんに持ってきたバッグを預けた。

「自分から言うつもりはないんだ?」

 米ちゃんの言葉に、広美は答えようとしない。

「調べるよ?」


 米ちゃんは充分返事を待ってから、みんなの前でバッグの中を調べ始めた。こういうことができるのは劇団の中でも彼女しかいなかった。その行動に反対する者もいないし、実質、米ちゃんがリーダーのようなものだった。


 バッグの中からライターを取り出し、着替えの入った袋の中をまさぐるように丁寧に調べ、最後に化粧箱を取り出す。それは化粧ポーチではなく、広美が舞台の本番で使うメイク用の化粧箱だった。


 その中から米ちゃんがタバコを取り出した。この場にはヒロシさんを除くと未成年しかいないので、完全なる法律違反である。それでも広美は以前にも喫煙で問題を起こしていたので、驚く者は誰一人いなかった。


 米ちゃんが失望を露わにする。

「前に止めるって約束したのに……、せめて二十歳になるまで辛抱してよ。もう一日も我慢できないの? それなら約束なんかしちゃダメだよ。法律だけじゃなく、みんなを裏切ったことにもなるんだよ? このタバコは捨てる。預からないよ。返してほしいなら返すけど、その時は一人で家に帰ること。どうする?」


 米ちゃんが怒ると自分が怒られた気になる。それは他の者も同じようで、みんなしょげた顔をして話を聞くことしかできなかった。反抗的な広美でさえも例外ではない。ここにいる仲間は身内みたいなものなのだ。


「……ごめんなさい」

 広美が聞こえないくらい小さな声で謝った。

 その様子を見て米ちゃんが笑顔になった。

 素直な人には優しい人なのである。


「帰らなくて良かったです」


 場の空気に慣れていないせいか、重たい雰囲気にも係わらず、急にユウ君が口を開いた。

「その化粧箱の中には手持ち鏡もありますよね? だとしたら、無人島でとても役立つ物を持ってきたことになります。もし何かの手違いで迎えの船が来なかったとしましょう。そうなると僕たちは、遭難したということになりますよね。そこで鏡が役に立つんです。どんなに小さい影でも、そこに目掛けて太陽の光を反射させてやれば、それが救難信号になります。役所に上陸許可を出しているので心配はいらないと思いますけど、無いよりはマシじゃないですか。だから広美さんには、どうしても帰ってほしくないって思ったんです」


 ユウ君の満足げな顔を見て、全員が顔を見合わせて微笑み合った。


「いやぁ、ユウ君、最高だわ」

 森ちゃんはすっかりハマったようだ。

「ほんと癒される」

 綾ちゃんも魅了されている。

「ウチの劇団に入ってほしいよね」

 米ちゃんは怒っていたことを忘れたかのように微笑んだ。

「いいですね。ユウ君のような方でしたら、何も問題はありません」

 座長もまんざらではない様子だ。


「そう言って頂けるだけで光栄です」

 と言ったものの、ユウ君は、なぜみんなが笑っているのか分からない様子だった。彼は自分の魅力に気が付いていないのである。ユウ君がいなければ、重たい空気のまま合宿をスタートしなければならなかっただろう。


 たとえば僕がユウ君と同じことを話しても、このような反応にはならなかったはずだ。きっと「なに関係ないこと話してんだ」と一喝されて終わりだったに違いない。そういう意味でも、僕はユウ君を連れてきて本当に良かったと思っている。


 ユウ君が劇団に入るのも悪くない話かもしれない。なぜならユウ君がいなければ、不機嫌な感情が僕に向けられていたからだ。男女混合サークルでは一度下っ端の扱いを受けると、そのままの関係が継続されてしまうのだ。改めてユウ君を一緒に連れてきて正解だと思った。


 米ちゃんが仕切り直すように号令を掛けた。

「よし、これから全員、身体検査するよ。一人だけ調べたんじゃ公平じゃないもんね。だからバッグの中から着ている衣服のポケットまで、徹底的に調べるよ。お酒かタバコを持ってるなら、今のうちに白状しなさい。それと座長がしている腕時計もダメだからね。スマホを持ってきている人は、それもバスに置いて行くこと」


 その号令に従って、座長と米ちゃんが中心となり、身体の隅々まで徹底的に調べて持ち物検査を行った。結果は自己申告した物以外は見つからず、全員がルールを守って無人島を目指す船に乗り込むことができた。


 ただし一点だけ問題があった。それは森ちゃんの食パンがお菓子に含まれるかどうかなのだが、話し合いの最中に森ちゃんが「面倒だから食べちゃう」と言い出して、全員のお腹に収めることで問題を飲み込むことができた。


 けれどもその後乗り込んだ船の揺れがあまりに酷いので、もれなく船酔いし、そのうち何人かは船上から食べた物を海へと吐き出してしまうこととなったので、消化したという言葉は嘘になってしまった。


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