4月2日 夜明け
やっと東の夜空に色がついた。
日が昇れば南端の崖下まで見通しが利くはずだ。
しかし、それにはもう少しだけ時間が掛かりそうである。
最初に小屋に来たのはヒロシさんだ。
両腕を振って走ってきた。
息が切れているが、疲れた素振りを見せない。
ギブスはしているが、焼酎は持っていなかった。
「綾は?」
と尋ねるが、僕が答える前に小屋の中に入っていった。
「なんでだよ!」
怒りにも似た問い掛けだ。
もちろん返ってくる言葉はなかった。
勢いよく入っていった人とは、まるで別人の様子で中から出てきた。
掛ける言葉がなかった。
ヒロシさんも、僕の方には来なかった。
それでも距離を取りつつ、防波堤に腰掛け、海を見るのだった。
それしかできないというのが、痛いほどよく分かった。
次にやってきたのは堀田先生だ。
歩いたり走ったりを繰り返したのだろう、とても疲れた顔をしていた。
話を聞かされているので、すでに悲壮感いっぱいの顔だ。
僕やヒロシさんの様子を確認した。
そこで、すべてを確信したようだ。
それでも自分の目で確かめようとした。
しかし、入り口まで行くのがやっとといった感じである。
その場にしゃがみ込み、両手で顔を覆ってしまった。
泣いているみたいだが、僕にはどうすることもできなかった。
慰めることもできないし、優しくすることもできないのである。
彼女の引き付けが治まるのを待つことしかできなかった。
それから、かなり時間を置いて、座長が歩いてきた。
前日から風邪を引いていたこともあり、フラフラとした足取りだ。
誰にも目もくれず、そのまま小屋の中へ入って行った。
「あああああっ!」
喉を傷めてもおかしくないほどの叫び声だ。
のどが割れるような大声を張り上げる姿など、これまで一度も見たことがなかった。
「森ちゃんは?」
座長が中にいるユウ君に尋ねたようだ。
「こっちには来ていません」
ユウ君の声に反応したのは、ヒロシさんだった。
立ち上がり、小屋へ向かった。
小屋の中から座長とユウ君が出てきて、みんなで顔を突き合わせることとなった。
「森ちゃん、いないって?」
ヒロシさんの言葉に座長が頷いて、口を開く。
「みんなで探しましょう」
ここは僕が説明する必要があった。
「いや、座長、テントにいないから港まで探しに行ったんですよ? それで見つからないということは、西端から北端の岩礁がある所しか探す場所が残っていないんです。そこだと米ちゃんに行ってもらうしかないですよね?」
「米ちゃんは?」
ユウ君が誰にともなく尋ねた。
「テントにはいません」
答えたのは、同じテントの堀田先生だ。
「早見君は?」
尋ねたのは座長だ。
「港の先の岩場に行きました」
そう答えたのは、一緒に釣りに行ったユウ君だ。
「案外、三人一緒かもな」
ヒロシさんの言葉だが、それは希望的観測にすぎない。
「だといいんですけど」
座長は期待していないようだ。
「あれ」
堀田先生が南端の岬を指差すが、すぐに引っ込める。
「ああ、ごめん、広美さんだ」
いつの間にか、日の出を迎えていた。
見ると、風邪を引いた座長よりもフラフラした広美が歩いているのが確認できた。
広美だけテントから小屋の間を三回も行き来したことになる。
戻ってきた広美は汗でびっしょりだった。
これでは座長と同じように風邪を引くかもしれない。
しかし、テントに戻ることになれば四回目の移動ということになる。
広美は合流しても、口を開かなかった。
というよりも、喋ることができなかったという表現の方が正しいだろう。
僕は森ちゃんが港にいなかったことを伝えるのがやっとだった。
「米ちゃんを見ませんでしたか?」
ユウ君が広美に尋ねた。
広美は首を振るだけだった。
「おい、早見!」
ヒロシさんが大声で叫んだ。
見ると、港の方から歩いてくる早見君の姿があった。
呼ばれた早見君が走り始める。
やってきた早見君は、全身がびしょ濡れだった。
「どうしたんだよ、その格好」
ヒロシさんが尋ねた。
「釣竿を落としちゃって、拾おうと思ったら、海に落っこっちゃいました」
「怪我はないか?」
こういう時でも心配できるヒロシさんに優しさを感じた。
「俺は大丈夫ですけど、何かあったんですか?」
その問い掛けには、ヒロシさんでも答えられなかった。
「どうしたの?」
と言いつつ、早見君は深刻な事態を察したようだ。
「綾ちゃんが、小屋で自殺しました」
説明したのは座長だ。
それを聞いた早見君は、ゆっくりと小屋の方へ歩き出した。
そして、入り口で立ち止まる。
綾ちゃんの死体を見た早見君は、固まったまま動かなくなった。
無言で、ひたすら無言だった。
それから見たことのないような怖い顔をして、みんなを睨みつけるのだった。
怒りを抱いているようだ。
でも、その怒りをどこにぶつけていいのか分からないでいるようだ。
最後に現れたのが米ちゃんだった。
南端の崖下を、ウェットスーツを着たまま、裸足で歩いてきた。
表情はニコニコしている。
まるで季節外れのヒマワリのようだ。
何も知らされていないので、当然といえば当然だ。
「みんな、なにしてんの?」
声が届く距離までくると、米ちゃんが声を張り上げた。
それに応えたのは座長だ。
「綾ちゃんが自殺しました! 早く来てください!」
米ちゃんは一瞬だけ戸惑うが、何も言わずに走り始めた。
そして、そのまま小屋の中へ入って行った。
ヒロシさんが心配そうに後を追った。
「あやぁ……」
米ちゃんが取り乱した。
そんな米ちゃんを見るのは初めてだった。
ヒロシさんが必死に押さえている。
声が涙声に変わっても、僕は何もすることができなかった。
米ちゃんが落ち着くまで、全員が地べたに座り込んでいた。
「水が飲みたい」
誰かが言った言葉で、僕たちはテントへ戻ることにした。
綾ちゃんの死体は、そのままの状態にしておくしかなかった。
テントへ戻る道は、誰もが無言で、足取りも重かった。
森ちゃんのことを考えなかったわけではなかった。
誰一人として、彼女のことを考えない人間はいないだろう。
それでも、島を一周した米ちゃんが見つけられなかったのだ。
港からやってきた早見君も見つけられなかった。
つまりそれは、もうこの島では見つけられないということを意味していた。
すでに捜索を終えて、空振りに終わった時の心境だった。
こうなると救助の手を借りなければならないだろう。
しかし、その心配はなくなった。
浜辺に戻って、その足でテントに直行した時だ。
釣竿を置くついでに、森ちゃんと綾ちゃんのテントを見て違和感を覚えたのだ。
入り口を閉じた覚えはなかった。
それで僕はテントの中を確かめようと思ったのだ。
そこで首から血を流している森ちゃんを発見したのである。




