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3月31日 早朝


 スマホのない待ち合わせが、これほど苦痛なものだとは思わなかった。むかしの人は、どのようにして待ち合わせ相手が来るまで時間を潰していたのだろうか? これでは待ったとしても、せいぜい一時間が限界だ。


 函館駅の時計を確認するが、到着してからまだ五分程度しか経っていない。午前六時の待ち合わせ時間まで三十分以上もある。普段の待ち合わせならスマホは欠かせないが、この日はサークルの合宿があり、特別ルールとして持ち物が制限されていた。


 これまで自分のことを気長な人間だと思っていたが、それが単なる思い込みだということが、早くも今回の実験で分かったわけだ。それだけでも座長の気まぐれな思い付きイベントに参加して良かったといえるだろう。


 サークルというのは同じ大学に通う仲間で結成した演劇サークルのことで、付属高校から推薦入学した付き合いの長い仲間だけで活動している集まりのことだ。九名のサークル仲間については追々説明していこう。


 気心の知れた者だけで活動しているので趣味の範囲内でやっているだけだと思われそうだが、高校時代から有料の公演を行い、定員五百人の会場なら即日完売できるまでに成長したので、北海道の学生演劇の中では抜きん出た存在となっている。


 そこで僕、弓形修ゆみなり しゅうは舞台美術を担当しているわけだ。容姿に関しては、役者にスカウトされていない時点で察してほしい。というわけで、これ以上ここで自己紹介をしても退屈にさせるだけなので、先に今回の特別合宿について説明しておこう。


 春休みを利用して特別合宿を行うことを提案したのは座長で、それが特別なのは、合宿の舞台が無人島だからである。そこで一泊二日の無人島体験を行うわけだが、普通に旅行カバンをぶら下げては、これまでの合宿と変わらないということで、特別な趣向を凝らしたのだ。


「無人島に一つだけ持って行けるものがあるとしたら何にする?」


 そのよくある質問から、座長が今回の合宿を思い付いて、無人島に持ち込める持ち物の数を制限することになったわけだ。この手の話題は、誰もが一度は子どもの頃に友達同士で会話をしたことがあるのではないだろうか? それを僕たちは実際にやってみることにしたわけである。


 ところがそれを提案したところ、一つだけなら行かないと女性陣が反発し、座長が折れて、三つにするということで実現する運びとなったのだ。それだけでサークル内の力関係がどのようなものか想像できるだろう。


 無人島に三つしか持ち込めないといっても、水とテントと簡易トイレと寝袋は必須アイテムとして除外されているので、かなりゆるい設定の無人島体験だ。それでも春休みの北海道は、まだまだ寒いので危険であることに変わりはなかった。


 ちなみに僕が用意した三つのアイテムは、釣竿とスケッチブックと胃腸薬だ。一泊二日なので、飲み水さえあれば食事を摂らなくても平気だと思い、レジャーアイテムを選択したわけだ。ただし無人島だから釣竿を用意したわけで、根っからの釣り好きということではなかった。


 スケッチブックも記念としての意味合いが強く、他の人にとってのデジタルカメラが、僕にとってのそれにすぎないというだけである。胃腸薬に関してはお守りのようなもので、持っているだけで安心できるからだ。


 水がなければ水にしたし、テントや寝袋がなければ、やはりそれらを優先したと思う。そういう意味では、水や携帯電話などを除外したのは個性を知る上で良かったともいえるだろう。他の仲間が何を持ってくるかは、来てからのお楽しみである。


「おはよう」


 待ち合わせの三十分前に来たのは早見俊彦はやみ としひこだった。寝起きとは思えないほどの爽やかな笑顔で、相手が僕のような冴えない男でも、接する態度が女性と変わらないという好男子だ。


 劇団で主演を務めることが多く、カーテンコールでは花束を渡す固定客が最も多く付いている看板俳優である。彼の性格があまりに良すぎて嫉妬することはないが、本人は役柄の幅の狭さに悩んでいるという話だ。


 顔が良く、背が高くて、性格もいいというのに、悩む必要がどこにあるのだろう? 「そんなことは気にする必要ないじゃないか」と言ってやりたいくらいだ。正統派の主役を演じ続けることは決して簡単なことではないので、もっと評価してあげたいところである。


 基本的に僕は劇団の稽古に参加しないので、個々の劇団員とは距離があった。だから早見君とも親しいわけではないので、そういったことについてアドバイスできる間柄ではなかった。よってこの日も挨拶を返すくらいで、ぎこちない会話しか望めないというわけである。


「シュウ君も釣竿にしたんだ?」

「うん」

「釣り、好きなの?」

「いや、ほとんどしたことない。早見君は?」

「俺も」

「そうなんだ」


 これで早見君との会話は終了だ。仲が悪いということではなく、これが早見君との日常なのだ。会話が途切れたから気詰りになるかといったら、そうでもなくて、無理して会話を続けることがないので、かえって互いにリラックスできるほどである。


 ただし今回ばかりは気になることがあった。それは彼が釣竿以外に持ち物と呼べるものを持ってきていないからである。釣り好きでもないのに釣竿を持ってきたということは、それよりも優先して持って行きたいと思う物がなかったということになる。


 それとも生真面目な早見君のことだから、普段被ったことのないニット帽まで持ち物にカウントしてしまったのではないだろうか? それくらい僕の中で、彼は誠実な男として映っているのである。


 ちなみに服装は真冬の雪山を想定して準備するようにと言われていたので、普段よりも厚着をしている分は 既定の持ち物にカウントされないことになっている。だから今日の早見君は、僕と同じような厚手のダウンジャケットを着ていた。


「おはようございます」


 それから間もなく堀田瑞希ほった みずきさんがやってきた。早見君が笑顔で挨拶するも、彼女は無表情のままだった。これもいつもの見慣れた光景である。無表情というだけではなく、常にうつむきがちで、目を合わせながら会話をするということがないのだ。


 知り合って丸四年になるが、彼女と見つめ合ったという記憶がないのは、べつに大袈裟な表現ではなかった。彼女の方から話し掛けることもないし、僕の方から話し掛けることもない。それは僕に限らず、早見君に対しても同様だった。


 明らかに会話を拒んでいるという雰囲気を醸し出しているので、僕も早見君もわざわざ彼女に嫌がらせになるようなことはしないのだ。同じサークル仲間の話によると、堀田さんは極度の恥ずかしがり屋で、単純に人と話すのが苦手らしいということだった。


 ただし、それも第三者の言葉でしかないので、どう思っているかは堀田さんしか知り得ないというのが現実だ。普段はおとなしくても、家では別人のようにうるさくなる、という僕のような例もある。


 そんな彼女が劇団の脚本を担当しているのだから不思議な話だ。九十分の芝居の台詞を堀田先生がすべて考えて生み出しているということから、無口は無口でも、彼女が言葉のない人間ではないということがよく分かるだろう。


 常にうつむいているが、メガネの奥の瞳は、きっとたくさんのことを観察しているに違いない。ペンネームも本名の瑞希を読み方が同じ瑞樹として、男の名前にしていることから遊び心のある性格をしていることが分かる。


 ただし、僕にはその意図が作品から読み取ることができないので理解が及ばないのだが、みんなが作品を評価しているのだから、彼女の目論見は成功しているのだろう。見た目は小柄で、生まれてから一度も染めたことのない黒髪には、光の加減で天使の輪ができている。


 服装は普段から白系統を好む傾向があり、この日も汚れのない白のハーフコートを身にまとっていた。美少女ではないけれど、化粧っ気のない地味系女子なので、知的な女性を理想とする男子には受けそうな容姿といえるだろう。


 個人的には、彼女の書く作品は男と一緒に死にたがる女がよく登場するので、そこに彼女の狂気を感じてしまい、心の距離を置いてしまう部分がある。といったところで、彼女の方から僕に話し掛けることはないので無用の心配だ。


 堀田先生の持ち物は、見たところ本とノートだけだった。ノートは新品で、そのノートにボールペンが留められている。本はシェークスピアの『リア王』だ。本の状態から新品ではないことは分かるが、それが愛読しているものか、または中古品かまでは分からなかった。


 気になったら尋ねれば良いだけなのだが、早見君と同様に日常会話すらままならない間柄なので、疑問は疑問として放置してしまうしかなかった。高校時代からの仲間だが、喋らない人とは、とことん喋らないものだ。


「眠くて死にそうなんだけど」


 会話がないまま三人で待っていると、真行寺米子しんぎょうじ よねこが現れた。早見君の「おはよう」の挨拶に米ちゃんは「おう」と返した。堀田先生や僕との挨拶も素っ気ないが、これもいつもと変わらない朝の光景だった。


 背が高く、性格はサバサバしており、誰よりも、というより確実に僕よりも男っぽい性格をしている女性だ。早見君と並べば美男美女のカップルだが、性格を知れば、異性でも親友同士にしか見えなくなるというのが米ちゃんの特徴だ。


 それでも劇団が成功している主な理由は、その二人が二枚看板として共存できているからだと、僕は分析している。二人が恋愛関係になることもなく、共に固定ファンを増やしているので、劇団の人気を維持することができているのだ。


 高校を卒業した頃に二人が付き合っているという噂が流れたが、僕が知る限りは、そんな事実はないはずである。おそらく、芝居の中で恋人同士を演じる機会が多いので、芝居があまりに上手くて本当に付き合っているように見えてしまうのだろう。


 性格を一言で表すと姉御肌だ。劇団の女性陣をまとめるだけではなく、真のリーダーシップは座長よりも持っているように感じる時がある。劇団から誰か一人が抜けても問題ないが、彼女がいなくなったら崩壊してしまうんじゃないか、と思えるくらい存在感の強いメンバーだ。


 昔から髪型がベリーショートなのは、芝居の際に被るカツラ選びから役作りを始めるタイプの役者だからだ。目鼻立ちがはっきりしており、舞台映えする顔つきをしている。舞台では派手な衣装を好むが、普段は黒い服が多い。この日も黒のレザーコートに黒のパンツスタイルだ。


「二人とも釣りするんだ」

 米ちゃんは、僕と早見君が釣竿を持っている姿に大笑いした。

「ねぇ、二人とも本気なの?」

「やるだけやってみようかなって」


 自信無さげな早見君の言葉に、米ちゃんの笑いは止まらなかった。基本的に劇団の男性陣は、米ちゃんからバカにされても怒ったり、傷ついたりすることはなかった。それが四年前からの日常なので、もはや常態化してしまっているのだ。


「すごいの持ってるね」

 米ちゃんが持っている銛を見て、僕は感想を口にした。

「すごいっしょ。モリで魚を突いてみたいと思ってさ、思い切って買ったんだ」


 そう言って、僕に銛の先端を向けて突く振りをした。それで僕が怖がる姿を見て、米ちゃんは大笑いするのだった。黙っていればキレイなお姉さんなのだが、やっていることは小学生の男の子と変わらなかった。それが彼女の魅力ではあるが、僕は一切惹かれなかった。


「ねぇ、三つの持ち物なににした?」

 と尋ねつつ、米ちゃんは自分で答える。

「私はね、モリとウェットスーツとバスタオルにしたんだけどさ、よく考えたら、魚を捕まえても、これじゃあ捌いて食べることができないんだよね。丸かじりするわけにもいかないしさ、せめて包丁は持ってくるべきだったって後悔してる。ねぇ、誰か包丁かナイフ持ってきてない? なければ丸焼きにするからライターでもいいんだけど」


 改めて尋ねられても、僕も早見君も首を振ることしかできなかった。


 その反応に、米ちゃんはイラッとする。

「先生は仕方ないけどさ、釣竿を用意してるのに、なんで二人とも包丁とか火を起こせるライターとか持ってきてないわけ? スケッチブックなんかより大事でしょ」

 米ちゃんは自分のことを棚に上げて、僕たちを批判した。


 それでも僕は反論せずに、素直に謝ることしかできなかった。

「ごめん。だって、ほら、本当の無人島ならサバイバルナイフは必須アイテムだろうけど、所詮は一泊二日の無人島体験なんだから、こういうのは持ち物に個性を見せるべきだと思ってさ。それで僕の個性といったらスケッチブックなんじゃないかと思って、ナイフは諦めたんだ」

「そういう理屈はいいから」

 米ちゃんは僕の長セリフを一言で片づけたが、これもいつものことだった。


「で? 釣竿とスケッチブックの他に何を持ってきたの?」

「胃腸薬」

「はぁ?」

「お腹が痛くなると嫌だから」


 米ちゃんが眉間に皺を寄せた。

「あのさ、胃腸薬で収まる痛みなら我慢しなよ。それより包丁の方が大事だと思わなかった?」

「ごめん」

 僕と米ちゃんとの会話はいつもこんな調子で、それが四年間変わらなかった。


「早見君も……、って言っても仕方ないか。釣竿を持ってきただけでも良しとするしかないね」

 米ちゃんの中で他者との扱いに差があるが、そこはすべて受け入れるしかなかった。


「ごめん。ほんと、釣竿と音楽プレーヤーしか持って来なかったんだ。俺もバケツくらいは用意すべきだったかな。そっか、包丁ね。すっかり忘れてたな。確かに魚を釣ったら調理が必要だもんね」

 そう言って、早見君が反省した。


 米ちゃんが驚嘆する。

「え? 三つまで持ち込めるのに二つしか持って来なかったの? そんなのテストで空欄のまま提出するようなものだよ? マークシートじゃなきゃ生きていけないタイプだな」


「ごめん」

 早見君も僕のように素直に謝ることしかできなかった。


「いや、謝ることじゃないから」

 米ちゃんが呆れた。


「あの」

 堀田先生が申し訳なさそうな顔をしている。

「私もみんなの役に立つような物を持ってくれば良かったんだけど、自分のことばっかりで、本当にごめんなさい」

 今度は堀田先生が小さな声で謝った。


 それに対して、米ちゃんが慌ててフォローする。

「先生は悪くないんだよ。ほら、私たちの場合は魚を獲ることを目的としているのに、捕まえた後のことを考えていなかったからダメだなって話しているだけで、喧嘩してるわけじゃないからね」

 その言い訳に違和感があったが、僕は何も言わなかった。


「あっ、でも、頭痛薬は持ってきたので、お薬が欲しい時は言って下さい」

 堀田先生の持ち物の一つが頭痛薬ということだ。


「ありがとう」

 彼女の気遣いに、米ちゃんは年下の後輩を見るような笑顔でお礼を返した。僕の胃腸薬に対しても同じようにお礼の言葉を言って欲しいと思ったが、口にすることはできなかった。相手が座付き作家では、扱いに差が出るのは仕方がないからである。


「やあやあ」


 それから浜田淳はまだ じゅん新井場浩あらいば ひろしの運転するマイクロバスに乗って現場に到着した。バスはテレビのバラエティ番組でよく見るタイプのロケ車と同じくらいの大きさである。


 お気楽な挨拶をしてバスから降りて来たのが浜田淳で、劇団で座長を務めている男だ。今回の特別合宿の発起人でもあり、無人島への上陸許可を役所に申請したのも彼だ。必要な物資の手配を全部一人でやってのけたわけだが、それは座長にとって特に難しいことではなかった。


 高校一年生の頃に、それまで存在しなかった演劇部を立ち上げ、そこで部員をスカウトし、自作の脚本で演出までこなし、地元の文化会館で初上演したのが一年生の秋で、初回上演から劇場を満員にさせるほどの才能を見せつけた異端児である。


 その後の劇団運営も順調で、経費でどのくらい粗利が減るのか分からないが、現在は半年毎に演目を変え、土日で四回上演するので数十万は稼いでいると聞いたことがある。創部四年でお金に困ったという話は耳にしたこともなかった。


 だから今回の特別合宿でテントや寝袋や飲料水を用意してもらっても、劇団員としては特に申し訳ない気持ちになることはなかった。むしろお金を座長一人に任せているので、悪徳マネジャーであるかのように仲間内から弄られることの方が多いくらいだ。


 その弄られキャラは私生活だけではなく、芝居の中でも同じだった。ずんぐりむっくりとした体型からコミカルな役柄がよく似合い、客演が見つからなければ、大抵座長自らがピエロ役を演じるくらいである。


 自分で自分に演出をしてバカ笑いできるのだから、彼ほど幸せな人間はいないだろう。それでも自らを主演に推すことはないので、成功の邪魔になるようなエゴを持ち合わせていないのは確かである。


 演出の時だけは人が変わったかのように真剣になるので、劇団員もそこだけはふざけないように線引きをしている。冷静な演出家の顔と、劇団員のパシリに使われるマネジャーとしての顔を持っているが、どちらが浜田淳の本質なのかは、本人しか分からないことだ。


 今日の座長はモコモコしたダウンジャケットを着ていた。下も厚手のオーバーズボンで暖かそうである。どちらも今まで見たことがないので、この日のために用意したのかもしれない。それに加えて、体型のおかげで誰よりも暖かそうに見えた。


「ウッス」


 バスを運転する新井場浩には、感謝の言葉しかなかった。彼は劇団員から「ヒロシさん」と慕われる兄貴分のような存在だ。十代しかいない劇団員の中で、彼だけが二十歳を過ぎて年齢が離れているのだが、一度も上下関係から生じるトラブルになったことはなかった。


 高校の演劇部時代に地元の演劇仲間の先輩として知り合ってから、彼の所属していた市民劇団が解散したタイミングで、座長が声を掛けてスカウトしたのだ。主に大道具の仕事を担当してもらっているが、一番の恩恵はマイクロバスを所有していることだ。


 実家が運送業をしているのは知っているが、そこで実際に運転手をしているかどうかまでは分からないが、学生並に時間があるようなので、彼が道楽息子であることは間違いないだろう。学生時代に世界中を旅していたらしいが、自分の金で行ったかどうかまでは聞いていない。


 それでもセットを組む腕は確かで、ヒロシさんがいればどんな舞台設定でも芝居にすることができた。僕は美術を担当していて彼の下働きをすることが多いので、どうしても多少の摩擦があるのは仕方ないが、学ぶことの方が多いのも事実である。


 見た目は軽そうだが、怒ったら怖そうなので、丸くなった硬派な元ヤンみたいな感じだろうか。といっても犯罪に走るようなタイプではなく、男同士でヤンチャなノリで遊んでいた感じだ。


 といっても、これは完全に僕個人の主観であって、事実かどうかは分からない。事実は髪を軽く染めても仕事に影響がない立場にいるということだけである。とはいえ、すべてボランティアとして参加してくれているので有り難い存在だった。


 今日のヒロシさんは、座長と同じく冬登山に行くような格好をしていた。違う点は着古した感じがあるところだろうか。旅慣れた雰囲気があるので心強く感じることができる。唯一お酒が飲める年齢というのも羨ましい限りだ。


「ねぇ、その腕で運転してきたの?」

 米ちゃんがヒロシさんの左手首のギブスを見て顔をしかめた。

「ああ、これ? もう治ってるから平気だって」

 ヒロシさんがギブスの手を回して答えた。

「そうじゃなくて、それってさ、交通違反になんないの?」

「そっちの心配かよ。珍しく怪我の心配でもしてくれたと思ったのによ」

 強面のヒロシさんだが、表情は甘えん坊そのものだ。


 座長が米ちゃんに同調する。

「いや、ボクも心配したんですよ。ほら、万一のことがあったら安全運転義務違反になるわけでしょ? そうなったらボクだって責任が持てませんからね。本当に困ったもんです。バスを出してくれたのはありがたいけど、それで捕まるようなことがあったら寝覚めが悪いですもんね。いや、困っちゃいましたよ」


 その言葉に、ヒロシさんがムッとする。

「さっきと言ってることが違うじゃねぇかよ」

「そうでしたっけ?」

 ヒロシさんのツッコミに、座長はすっとぼけるが、これもいつものことだった。

「大丈夫だから心配すんなって。なにかあったらギブスなんて、その場で外しちまえばいいんだからさ。それより何度も言うけど、少しは怪我の心配をしてくれよな」


 米ちゃんの態度は素っ気なかった。

「どうせ無人島に着いたらお酒を飲むんでしょ? だったら心配してもムダじゃない。お酒の他におつまみと、後は暇つぶしに雑誌かなんかを持ってきただけじゃないの? いわゆる病人の自覚なしってヤツね」

「ちきしょう」

 ヒロシさんが悔しそうだ。

 ということは、図星ということか。

「全部当てられちまったな。こんなことなら一つくらい変化球を用意しておけば良かったよ」


「じゃあ、ボクの持ち物も当ててみて」

 と言って、座長が憎たらしい顔で挑発した。

「ヒロシさんは答えを知っているので内緒でお願いしますね」


 誰も答えないので、僕が先に答えることにした。

「コーラじゃないの? 無いと生きていけないって言ってたから」


 座長が呆れている。

「あのね、それは物の例えでしょう? もっと現実的ですよ、ボクは」


 米ちゃんが閃く。

「だったら弁当だ。みんながお腹を空かせている時に、一人で食べて笑ってそうだもん」


「ボクに対して、どんなイメージを持ってるんですか」

 これには、さすがの座長も哀しそうな顔をする。

「正解は近いですけど、白米と飯ごうと塩ですよ。無人島で食べるオニギリとか、味を想像しただけでもワクワクしませんか? ちゃんとみんなの分も用意してきたんですから、この際、偏ったイメージは捨てて下さいね」


「いただきまぁす」

 それが米ちゃんなりの謝り方だった。


 それから待ち合わせ時刻の五分前になって、おしゃべり三人娘がやって来た。これですべての劇団員が揃ったことになる。団員の数が少ないのは恋愛関係で揉めないように、新規の加入者を断っているからだ。


 上演に必要なキャストは演目に合わせて、客演として、その都度スカウトするようにしている。だからキャスト不足に陥ることはなかった。第一に人間関係を重視するというのが座長の基本方針なので、立ち上げ時のメンバー以外はサークルに入れないようにしているのだ。


「みんな、おはよう!」


 おしゃべり三人娘の一人目は春名綾はるな あやで、彼女はいつも笑っている印象がある。それはタレ目のタヌキ顔という見た目からそう見えるというのもあるが、笑い上戸でツボに入ると笑いが止まらなくなる癖を持っているから、特に強く印象に残ってしまうのだろう。


 ただし、シリアスな芝居ではキリッとした凛々しい表情を見せるので、その振り幅に彼女の魅力があるともいえる。彼女の天性のギャップを生む芝居は、女優としての評価も高い。経験を糧に成長する度合いが高いので、座長はこれから綾ちゃんの主演作を増やす意向だそうだ。


 僕はそれに大賛成だ。なにしろ高額な料金設定にしてある最前席を買うのが、彼女目当ての男性客ばかりだからだ。女性客が目立つ二枚看板の時代から、徐々に綾ちゃんの人気が高まっているのは、誰の目にも明らかだった。


「おはっ」


 おしゃべり三人娘の二人目は森園明奈もりぞの あきなで、彼女はいつも何かを食べている印象がある。森ちゃんほどポッチャリという言葉が似合う女性はいないくらいで、知り合った四年前からそのふくよかな体型は変わっていない、はずである。


 誰からも好かれる性格で、彼女を悪く思う人は生涯を通してもいないんじゃないか、と思えるほどの人格の持ち主だ。また、どんな役だろうと不満を口にしないのも好印象だ。むしろ、コントのような分かりやすい特殊な面白いメイクなど、自分から進んでやるくらいである。


 女優というよりも芸人に向いていると思われるが、本人の価値観がどのようなものかは、じっくり話をしたことがないので分からなかった。とにかく笑いが欲しいという場面では、「とりあえず森ちゃん」で、というのがウチの劇団のパターンだ。


「おはよ」


 おしゃべり三人娘の三人目は鈴木広美すずき ひろみで、彼女はいつも文句を言っている印象がある。癖なのか常に口を尖がらせており、それが強く印象に残っているせいで、そう思うのかもしれない。


 見た目はボーイッシュで、黙っていれば美少女に見えなくもないのだが、いかんせん性格がキツいので、僕はなるべく関わらないようにしている次第である。ただし、裏表がないようなので、同性からは圧倒的に支持されるタイプといえるだろう。


 彼女の当たり役は少年役で、あくまで僕個人の主観だが、これは男が少年を演じるよりも、芝居が出来ているように見える時がある。おそらく、小柄で顔つきも男顔なので、ショートボブだと美少年に見えてしまうから、そう思えるのだろう。


 彼女の呼び名は、僕と同じパターンで下の名前を呼び捨てで呼ぶ人が多い。それは本人が「ちゃん付け」で呼ばれることに抵抗があるためで、僕のように周囲に舐められているからということではなかった。


 今日は三人とも事前に忠告した通り、暖かそうな格好をしていた。これでサークル仲間が全員揃ったが、傍目から見ると登山隊に見えても不思議ではないだろう。そういう僕もジャケットの下に何枚も重ね着しているので、寒さ対策は万全だった。


「全員揃ったんだから、早く出発しようよ」

 寝起きということもあり、広美はいつもより機嫌が悪そうだった。


 それに対して、座長が気を遣いながら説明する。

「いや、それがですね、実はもう一人参加者が増えまして、いや、ボクが勝手に増やしたわけじゃないんですよ? 本当に急きょ決まりまして、ええ、シュウ君がどうしても友達を連れて行きたいというので、それで仕方なく了承したんです。ね、シュウ君」


 明らかに不穏な空気が流れた。


 ここは丁寧に説明しなければならない。

「あの、ほら、前にバイトで知り合った友達がいるって言ったよね? その友達なんだ。それで今回の合宿のことを話したら、どうしても行きたいって言うから、それが一昨日のことで、それで座長に直接お願いするしかなくて、いや、たぶん、みんなに相談すると断られるような気がして……」


 その言葉に、米ちゃんが怒る。

「当たり前でしょう? 友達って男だよね? しかも初対面なんだよ? なんでそんな人と無人島に行かなきゃいけないの? 考えれば分かるよね。自分がどれだけ非常識なお願いをしたか理解してる? いや、理解できないから怒られているんだけど、分かってる?」


「だから言ったじゃないの。ちゃんと他の人にも話を通さないとダメなんだって」

 一昨日の座長は快く応じてくれたのに、いつの間にか怒る側に回っていた。


 米ちゃんに怒られると、僕としては黙るしかなかった。もう自分の言葉では状況を好転させることは不可能だからだ。後はその友達が来るまで反省したフリをして待つしかない。僕たちの劇団『フーリッシュ』は、米ちゃんのご機嫌次第なのである。


「ていうか、本当だったんだ。シュウに友達がいるって意外じゃない?」

 森ちゃんの正直な感想だ。

「ほんと意外。絶対ウソだと思ったよね」

 綾ちゃんが、ふふふと笑う。

「そうそう、シュウのことだから見栄張ってるだけかと思った」

 広美の言葉に全員が笑った。


 今の会話だけで僕が無人島に友達を必要としたことが分かって頂けたと思う。三つの持ち物よりも友達がいてくれることの方が大事だった。ある意味、無人島に行く前から人生で最も大事なことに気づかせてくれたのだから、無慈悲な劇団員達に感謝した方がいいのかもしれない。


「シュウ君!」


 それから待ち合わせ時刻の午前六時ジャストに、遊川遊あそかわ ゆうがやって来た。ふざけた名前のように思えるが、それが彼の本名だった。世界に二人といない名前にしよう、と両親が名付けたようで、そのことに彼も感謝していた。


 ユウ君とは、冬休みに始めたパン工場のアルバイトで知り合ったばかりだった。小柄な身体で、見た目も幼く、どこの高校生だろうと思ったら、同い年だということを知り、驚いたのが第一印象だった。


 アルバイトの休憩中に、僕が支給されたパンをかじりながら堀田先生の脚本を読んでいたところをユウ君に話し掛けられたのだ。一度会話をすると、そこから親しくなるまで時間は掛からなかった。違う大学に通っているが、生活圏が同じだったので寝食を共にすることも多い。


 とにかく人懐っこい性格をしていて、遠慮というものを一切持ち合わせていなかった。そんな性格だからこそ、今回の特別合宿に参加しようと思ったのだろう。みんなに相談すれば断られるからと、前々日に座長一人に許可をもらおうと策を講じたのはユウ君本人である。


 子どもっぽい顔なのに、頭の中は計略的に動いていて、そこのギャップが彼の一番の魅力だと感じられた。童顔の少年で、柔和な笑顔をするので、もしかしたら男顔の広美よりも女性っぽく見えるかもしれない。


 この日のユウ君は寒さ対策も万全だった。ニット帽に毛糸の手袋までしている。そこまですると、反対に汗をかいてしまうのではないだろうか。この三月下旬から五月上旬までは、道民にとっても体温管理が難しい時期なのである。


「どうも初めまして、遊川遊です。シュウ君からは下の名前で『ユウ君』って呼ばれているので、良かったら、みなさんも『ユウ君』って呼んでください」

 ユウ君の朗らかさに、全員が固まってしまった。


 それから米ちゃんが破顔して笑顔になる。

「ええ? なに? その転校してきた小学生みたいな挨拶。驚きを通り越して笑っちゃうんだけど」


 その言葉に全員が笑った。


 笑われているユウ君は、大いに困った様子だ。

「シュウ君と同い年なんだけど、よく子どもっぽいって言われます」

 ユウ君がしょんぼりした。


「え? なに? ウチらと同い年なの? 全然見えないんだけど」

 森ちゃんの表情から察するに、早速気に入ったようだ。

「ほんとカワイイ」

 綾ちゃんもニンマリとした。

「シュウと友達とか絶対ウソでしょ」

 広美の言葉に笑いが起こる。


「じゃあ話はバスの中でするとして、時間がないから出発しようか」

 米ちゃんが急に少女のようにキャピキャピし出した。


 この一連の会話を聞いて、僕はゾッとしてしまった。もしこれが、ユウ君と僕の立場が逆だったらどうなっていただろうか? みんなが僕を見てキャッキャッするとは思えない。いや、僕なら知らない連中の合宿に参加しようとは思わないので、やっぱりユウ君が特別なのだ。


 それからバスで松前町の港へ行くまでの二時間、ユウ君が会話の中心だった。劇団の歴史から、上演作品についての裏話など、好奇心が強いユウ君は、さながら文芸誌のインタビュアーにでもなったかのように質問を繰り出していた。


 会話をするのは決まった人ばかりだが、しゃべらない早見君や堀田先生も笑いどころでは反応していたので、完全にこの闖入者は受け入れられた様子だ。とりあえずユウ君を連れてきた僕もホッとすることができた。


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