壱 4 無属性魔法と魔族の仔犬
無属性魔法と魔族の仔犬
「犬? それにしては、なんか色々とおかしいけど……」
はて? と思わず首を傾げるけど、【スキャン】によって見える茂みの中の光景は何一つ変わらない。
そこにいたのは、小さな手乗りサイズの黒い仔犬。但し、ただの仔犬ではない。
真っ黒な毛並みをした体は両手に収まるサイズで、顔も可愛らしく愛嬌がある。犬には詳しくないから犬種は解らないが、あえて言うならポメラニアンに似ているかも知れない。
ここまでなら、普通にどこにでもいそうな仔犬だ。しかし、その背中には普通の犬には絶対にない、白い小さな翼があった。
パッと見たところ鳥の翼に良く似ているが、どう考えても仔犬の体との比率がおかしい。翼の大きさは、インコなんかの小鳥ぐらいの大きさしかないのだ。
たまにパタパタと動いているところを見ると、ただの飾りとは思えないけど、翼が生えた犬なんて聞いたこともない。
「魔物の類、なんだろうけど…… 何なんだろう? この仔犬モドキ」
どこか怪我でもしてるのか、ちょっとづつしか動いていない。しかも、こちらから逃げるように遠ざかろうとしていることから考えても、敵意はないんだろう。
なら、このまま放置してもいいんだけど、なんか気にかかる。
「んー…… やらない善よりやる偽善、ってね。怪我してるなら、放置するのもちょっとアレだし」
見た目は翼があること以外、普通の犬となんら変わらないせいか、放っておくのも寝覚めが悪い。
ここに来るまでに結構な数の魔物を倒しておいて言えたセリフではないだろうけど、そこはもう気にしたら負けだ。そもそも襲って来た向こうが悪いんだし。
「よし、そうと決まれば【スキャン:仔犬モドキの状態】」
もう一度、【スキャン】を重ねて使い、仔犬モドキの状態を見る。【スキャン】は視界に収まってさえいれば、対象の正式名称などが分からなくても使えるので、不自由はない。
結果、仔犬モドキの前足に大きな怪我があるのが分かった。多分、これのせいでまともに立つことも出来ないんだろう。そりゃ歩くのもままならないよな。
「えっと、毒や麻痺なんかの状態異常はナシ。傷が大きいの一つに擦り傷が数か所。ならこれでいけるか、【ヒール】」
対象を仔犬モドキに絞って、治癒魔法【ヒール】を発動させる。
魔物と思しき相手に光属性って大丈夫なのかなと、ちょっと心配ではあったけど、攻撃魔法ではないし、魔族だからといって、光属性が全くダメっていうのは早々いないって感じのことは図鑑にも書いてあったから、平気だろ。多分。
そんな事を考えている間にも、魔法は問題なく発動して、蛍火のような淡い光が仔犬モドキを包み込んだ。
いまだ【スキャン】の効果は切れていないので、そのまま観察していると、傷がみるみるうちに治っていくのが見てとれた。
やがて光が収まり、仔犬モドキの怪我も完治したようで、【スキャン】に異常は映らない。
「よし、それじゃあもう帰るとしまああぁぁぁっ!?」
これ以上は留まっていても出来ることはないし、早々に退散しようとした矢先。何かに足に纏わりつかれて盛大な叫び声を上げてすッ転んだ。
幸い、草の上に倒れ込んだから、特にどこかを痛めたりはしていない。
というか、【フィールドサーチ】が全く危険を察知しなかったんだけどどういうことだ!?
驚き慌てながら、何が纏わりついたのか確認するべく起き上がって足の方を見る。
「は?」
「わん!」
そこにいたのは、黒い仔犬。しかし、背中に小さな白い翼が生えている、普通とは言えない犬。
――先程、魔法をかけた仔犬モドキだった。
「え。ちょ、はぁ!? 何!? 何でっ!?」
「くぅん……」
どういうわけかじゃれついて来る仔犬モドキに混乱していると、仔犬モドキは人懐っこそうな顔と雰囲気ですり寄って来た。
「えっと……?」
混乱するが、敵意がないことは判ったので、とりあえず撫でてみる。
得体の知れない動物を取り敢えず撫でてみようと思うのもおかしな話だが、自分でも思っていた以上に混乱していたようで、普通の犬にするみたいに頭を撫でていた。
おそるおそる手を伸ばし、ゆっくりと毛並みに沿って撫でる。
しばらく繰り返し撫でていれば、仔犬モドキはその撫で方を気に入ったのか、ぐりぐりと頭を手に擦り付けて来た。
「え、なにこれかわいい」
思わず素直な感想が口をついて出た。そして一泊おいて。
「〈ありがとう! 嬉しいなぁ〉」
「ファッ!?」
頭に直接響くように、幼い子供の声が聞こえた。
突然のことに驚いて叫び声を上げて、完全に予想外な事態に軽くパニックになる。
「え、え!? なに、なに今の!?」
ばっちり発動中の【フィールドサーチ】には引っかかるものはないし、【シールド】にも変化はない。つまり発動条件である悪意や敵意、殺意といった「私に対する害意」がなかったということだ。
けど、それにしたって一体どこから聞こえてきたのか。今ここにいるのって、私と仔犬モドキだけなんだけど…… って、アレ?
「えっと…… 今の声って、君のだったりする? ありがとうって言ったの」
まさかそんな。と思いつつ、懐いてくる仔犬モドキに問いかけてみる。と、
「〈うん。そうだよ!〉」
仔犬モドキは元気に返事を返してくれた。
「マジかー…」
余りにファンタジーな出来事に、やっぱりまだ慣れ切っていなかったようで驚くと共に少し呆気にとられた。
まあなんにせよ、危ないものではないんだろうってことは判った。判ったけど、何でこんなに懐かれてるのかよく分からないし、そもそもこの仔犬モドキが何をしたいのかも解らない。
「(取り敢えず、会話が出来そうなんだし先ず話を聞いてみるか)」
分からないなら聞いたらいい。至極当然なことだ。
というわけで、一旦仔犬モドキを撫でるのを中断して、話しかける。
「あの、君は何者? なんで私に飛びついてきたの?」
「くぅぅ…〈あのね、僕、お姉ちゃんに名前を付けて欲しいんだ! それで、僕のご主人様になってほしいの!〉」
手を止めたらなんか不満そうに鳴かれたことに対してはスルーして、ちょっと予想外な返答にまたしても混乱する。
「えぇっと…… それは、私の友人になるってことでいいのか? というか、何で私に名付け親になってほしいの?」
「〈友人じゃなくて、ご主人様! 僕らはご主人様になってほしい人に名前をつけてもらって、契約するんだ〉」
「契約?」
なんだそれ。なんか凄く展開が見えるというか、予想がつくというか。まさか本当に?
「〈使い魔契約だよ!〉」
まさかだったわ……。マジでゲームか、もしくはラノベみたいな展開だなオイ。
ここはどうするべきなんだろうか。セオリーなら名前を付けてあげて「仲間ゲットだぜ!」ってなるところなんだろうけど、現在の私はまだまだこの世界に慣れてないし、右も左も解らないひよっこ冒険者(仮)だ。
大体の方針は決まったけど、此処でどう暮らして行くかの目途も立ってない。はっきりと言えば、自分のことで一杯一杯な現在、自分以外の世話まで見れるとは思えないのだ。
だから、ここはどうにかしてお断りするべきだろう。
べきなんだけど……
「(あのモフモフを手放すのは、ちょっと…… いや、かなり惜しい)」
さっき撫でた時の手触り。モフモフふわふわで、すっごく気持ちよかった。これをいつでも満喫出来るかもしれないチャンスを逃すというのは、正直かなり…… いや、めちゃくちゃ惜しい。
なら今の私がとる行動は、正面からの正攻法、もとい意思確認と対話だ。
ということで、ちょっと質問タイムといこう。
「あー…… 使い魔契約って言ったよな? 具体的に使い魔って何なんだ?」
もし私が地下書庫で得た「使い魔」の知識が正しいのなら、「使い魔」というのは「主従関係」だ。魔物や魔獣といったものに名前を付けることで主従となる、というのが使い魔契約である。
ただ、大抵は何らかの条件が向こうから提示されるものだ。タダで使い魔になってくれるなんて滅多にない。例えば「××を何個よこせ」とか「寝床を用意する」とか「お腹いっぱいの食料」とか、要するに雇用契約と一緒だ。労働に見返りを与える訳だから。
けど、仔犬モドキはそういった条件の提示をしていない。つまり「滅多にないケース」だ。
先ずはその理由を聞いて見なくては。
「〈使い魔はね、僕がご主人様の従者になることだよ! 僕はお姉ちゃんの従者になりたいんだ!〉」
「そのへんはちゃんとわかってるんだな。じゃあ、何で私の使い魔になりたいんだ?」
さて、肝心な無条件の理由を訊かなくてはと思っての問いかけに、けど仔犬モドキはビックリするほど明るく爆弾発言を投げ込んできた。
「〈だって、お姉ちゃんは僕を叩かなかったし、僕の怪我を治してくれたもん〉」
ぱーどぅん?
「えっと、それだけ? それが、理由なの?」
まさかの斜め上な反応に、なんと答えていいのかわからなくなった。いや、だってそれが理由って。野生動物がそれでいいのか? いいのか??
プチパニック的なものをおこしていると、仔犬モドキはさっきまでより少し元気のない声で滔々と話し出した。
「〈僕、皆と翼の色が違うから、よくいじめられるんだー〉」
「え?」
「〈皆ね、毛並みはそれぞれなんだけど、翼は必ず黒いんだ。黒い翼が、普通なんだ〉」
「……」
「〈でも、僕は真っ白な翼でしょ? だから、皆僕を仲間外れにするんだ。いっぱい叩かれたり、噛まれたりもしたよ。「災いの子だ」とか、「忌まわしい呪いの子だ」とかって言ってた。僕は僕なのに……〉」
滔々と語る仔犬モドキの話に、何も応えられず沈黙を貫く。
それをどう思ったのかは解らないが、話は続いた。
「〈僕も、皆と同じなのに。翼の色が違うだけで、皆僕を悪く言う。翼の色が違うのは、僕のせいじゃないのに。僕にだって、どうにも出来ないのに。生まれた時から僕の翼は白かった。生まれつきのこれは、自分じゃどうしようもないことなのに。なのに誰も、僕を仲間に入れてくれない〉」
「……」
「〈だから、僕に優しくしてくれる人に、僕のご主人様になって欲しかったんだ。そうすれば、僕が頑張って役に立つ間は、僕は一人ぼっちにはならないもん!〉」
あまりな話の内容と、まるで役に立たない限り生きていることすら否定しているような主張に、胸が塞ぐ。
だからつい、訊いてしまった。
「それで、私に? お前の主人になってほしいと?」
「〈うん! だってお姉ちゃん優しそう! 僕の怪我だって魔法であっという間に治してくれたもん〉」
「そう……」
全部聞き終えて、私は一言それだけ返した。いや、それだけしか返せなかった。
まさか、そんな理由だとは流石に思わなかった。
語られた話に、結構衝撃を受けて、なんて言っていいのかわからない。
前世でかなり仕事漬けな日々を当たり前のように過ごしていた私でも、ここまで酷い孤独を感じたことはなかった。
親の愛情を知っている。仲間や友人の大切さを知っている。
でも、この仔はそれを知らない。まったく。欠片も。
「……」
「〈お姉ちゃん?〉」
不安そうな声が響いて、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
と、可愛らしい仔犬の顔と目が合い、その目が何処と無く悲しそうというか、寂しそうというか。
「(あぁ……)」
その目につい、絆されてしまった。
「君、オスメスどっち?」
「〈えっ? オスだけど……〉」
「男の子か。なら……」
だから、まぁ。
「君の名前は、【アキト】」
こうなるのも、仕方ないよな。