負け犬女、爆買いする。その1
典子が「課金」の項目を選び、コードを入力すると、また別のスクリーンが現れた。
スクリーンの指示に従って手続きを済ませると、手始めにどんと景気よく、300万円をポイントに変換する。
慰謝料の総額は600万円強。
周辺機器の購入等でそれなりに散在したが、それと初回の課金分を差し引いても、まだ300万近い余裕がある。
キャラクター作成時ならいつでもポイント変換が可能だが、一度ゲームを開始したら、ログアウトして専用のタブレット端末からの手続きをしなければならないので、その手間を省く意味合いもある。
余談ではあるが、ポイントによる各種アイテムの購入やオプション追加は、一部のアイテム購入を除いてはネット通販のシステムとほぼ同じで、決算してポイントが引き落とされなければ実効化されない。
『チャージを確認しました。ポイントの利用が可能となりましたので、ショップ機能を開放します』
声を聞き流しつつ、典子が真っ先に行ったのはホームの購入、ではなく、ペットの購入である。
ポイントショップの販売リストからペットの項目を選んで開くと、一番安いドバトで1ポイント、一番高いオウギワシやハイイロオオカミで1000ポイントとなっているが、1000ポイントもするだけあって、性能は初期のペットとしては飛び抜けたものがある。
多種多様なペットが並ぶ中、典子の目を引いたのは、10000ポイントのペット福引だった。
この福引きは、11回連続で引いたものの中から好きなペットを選ぶというもので、序盤では確実に入手不可能なレアなペットや、ポイントで購入するものと同種でも、能力がかなり高いペットが手に入るらしい。
なお、このペット福引きを含む各種の福引きは、他のアイテム購入と違い、その場で即ポイントが引き落とされるようになっている。
ペット福引きの項目をタッチすると、ポン、と気の抜けた効果音とともに、古めかしい手回しの福引き機が現れ、ガラガラと音を立てて一回転すると、11個のミニチュアの動物フィギュアを残し、効果音とともに消えた。
手前から順に、フィギュアに触れることで表示される説明文を、購入ペットと比較しながら真剣に確認するが、10個目まではどれも、購入ペットと同種のものばかりだ。
最後の1個も購入ペットと同種なら、フォレストウルフかオウギワシで手を打とうと、さしたる期待もなく確認のため手に取った11個目に、典子の顔が笑み崩れた。
種族名、フェンリスヴォルフ。
成獣になると体高190センチに及ぶ大型の狼。
物音ひとつ立てずに走り回る隠密性と、武装した軍馬の胴を、細い枯れ枝を折るより容易く、前肢のひと振りでへし折る膂力を持つ。
水と氷、土の精霊との親和性が高いため、火の精霊の活動が極端に活発な地域ではすべての能力が半減するが、それ以外の地域でなら水上を走り、吹雪を呼び、大地を割る。
三日三晩、不眠不休で悪路を走破する体力を誇り、知能も高く、文字と言葉を教えれば文字を介して会話も可能。
飼い慣らされることはないが、友と認めたものに対しては誠実で強い友情と深い愛情を持ち、それは終生変わらない。
少なくとも説明文では、そういうことになっている。
仮に話し半分だとしても、序盤のペットとしては破格の存在と言えるだろう。
すぐさまペット欄に、メッツァボックの名前でフェンリスヴォルフを登録し、続けて有料の外見変更オプションを購入する。
自分の時は、サンプルから色を選び、長さを変えただけだが、ペットに関しては妥協する気はないらしい。
現れた立体模型をああでもないこうでもないといじり回し、青みを帯びた艶やかな漆黒の体毛、鮮やかに透き通った深いダークシーブルーの目、絹の滑らかさと真綿の柔らかさを併せ持つ毛並みを完成させるまでに、体感時間でおよそ2時間はかけただろうか。
微に入り細に入り調整に調整を重ね完成した毛並みは、色艶触感ともに至高と呼ぶにふさわしい。
どこか恍惚とした眼差しでメッツァボックに魅入ること、更に30分。
ようやく気が済んだらしく、ペット用アイテムの項目からペアアクセサリーのアンクレットを購入し、カスタマイズする。
ペアアクセサリーは、主人とペットが対のものをつけることで、誰のペットかを示す鑑札のようなものだ。
駆除や盗難を防止する役割も果たすが、同時にペットのしたことの責任を負う宣誓でもある。
幅広のバングル型に成形した本体は青黒檀、イエローゴールドでケルトの結び目模様を象嵌し、中央部分にコブシの花の沈み彫りを施した、親指の頭ほどの大きさの、ブルーとイエローのバイカラーサファイアを嵌めこんで仕上げた。
有料オプションは、不壊と防汚、サイズ自動補正の永続だ。
入念に仕上がりを確かめ、満足のいくものができたところで、ステータスのスクリーンを操作してアクセサリーを装備し、オプションにある感覚共有の項目から視聴覚、生命力共有の項目から相互補完をチェックすれば、ペット登録は終了となる。
続いてホームの項目から土地を選択し、表示された大小さまざまな土地から最大のものを選んで購入を決定すると、福引きの時と同じようにショップとステータスのスクリーンが位置を変え、平らな茶色のスクリーンが新しく現れた。
スクリーンには方眼用紙のようにグリッドが入っているが、一辺10メートルのそれが縦横50ずつなので、相当な広さがある。
スクリーン化して購入した土地を分かりやすく可視化し、カスタマイズの際の目安になるグリッドを入れることで、より円滑なカスタマイズを提供します、ということだが、その後にはやはりこう続くのである――ただし課金者に限る、と。
項目を土地から建物に変えると、茶色のスクリーンに、土地購入の無料オプションである、素朴な木造平屋建ての小屋が現れた。
この小屋を、ポイントを使ってあれこれ手を加えたり、新しい設備を追加していくのだが、ここにも湯水のようにポイントを消費しては、自分だけの理想の隠れ家を作ってゆく。
床に壁、各種の建具の素材、質感に至るまで、あれでもないこれでもないと念入りに吟味し、調整し、手を加えること体感時間でおよそ3時間強。
雪崩のごとき勢いでポイントをつぎ込み作り上げたのは、ひとり暮らしには大きすぎる、ちょっとした二世帯住宅なら二棟分くらいはありそうな母屋と、それよりは一回り小さいが、十分な広さのある離れ、ちょっと大きめの農業用倉庫ほどの納屋であった。
これがスコットランドの田舎で見るような、漆喰壁やレンガ壁の藁葺き小屋なら、“Klein garden”の世界にも違和感なく溶け込むだろうが、何を血迷ったのか、母屋は世界遺産級の三階建て合掌造り、離れと納屋は入母屋造の見事な木造平屋建ての古民家である。
違和感はすさまじいが、建物は仕上がった。
しかし、これだけでは終わらないのが、課金の罠というもの。
こうして出来上がった建物は、あくまでそういう形の箱のようなもので、中は空っぽだ。
使えるようにするには、設備アイテムの部屋を購入しなければならない辺り、せこいと言うべきか、商売上手と言うべきか。
生産設備から家具、消費アイテムその他、多種多様で膨大な数のアイテムが、さあポイントをお使いなさいと甘く囁く誘惑の声に、典子は逆らうことなく身を委ねる。
建物の購入とカスタマイズでランナーズハイならぬショッピングハイのゾーンに突入した典子だが、理想を理想そのままに作り上げるため、妥協を許さず厳選したものだけを購入していく。
一階には、居間兼食堂の囲炉裏部屋、メッツァボック用の部屋、裁縫室、製薬部屋、洗面所、トイレ、浴室、台所が1つずつと、複数の納戸を配置した。
納戸はアイテム収納機能があるので、有料オプションのアイテムボックス接続を有効化することで、キャラクターの所有アイテム枠を拡大してくれる。
だが、典子はあえてそちらのオプションは選択せず、別の有料オプションである収納量拡大を最大化し、貯蔵量を拡大することにしたようだ。
配置した各部屋は、天井を高くしているので圧迫感をほとんど感じず、廊下も、メッツァボックでも余裕を持って行き来できる広さにしてあるので、解放感がある。
それはそれとして、居間兼食堂の方は、中央に囲炉裏、窓側に広縁を設え、深みのあるブラックウォールナットで床を組んだが、設備アイテムの備品から購入した暖炉をカスタマイズした囲炉裏と、驚くほどマッチしていた。
この部屋には、押し入れ代わりに納戸を設けたが、ここには、カナンカッシのプライベートエリアである二階への階段を隠してある。
囲炉裏部屋に隣接するメッツァボック用の部屋は、床にブラックウォールナットをヘリンボーンに組んだ板張りにしただけにとどめたが、そのぶん広さはしっかり取った。
その部屋の裏に、納戸を壁代わりに、工房2つを配置した。
工房は、アイテム作製時に、スキルの成功率と作製物の品質が上昇するのだが、生産行為全般に有効な反面、上昇率はほんの気休め程度しかない。
もっとも、課金アイテムには、特定の生産技能に対応して成功率と品質を向上させるものがあるので、それを購入すれば、組み合わせによってはセットの部屋より上昇率が高くすることもできる。
こちらも床材はヘリンボーンに組んだブラックウォールナットだが、正面と納戸に接する面のほかは、腰板と珪藻土壁で仕上げた。
部屋に置くものは後回しにして、居間兼食堂の納戸の裏に、バスルームを置く。
バスルームには、洗面、トイレ、浴室をひとまとめにしてあるが、機能としてまとめているだけで、きちんと個室にしてある。
排泄そのものを行わないVRMMOに、トイレは本来必要ないのだが、ないことに違和感を感じ、つい購入してしまったのだ。
しかも、トイレ製品で有名なメーカーが、レイアウトの参考にとHPに載せているような、建物にまったくマッチしないこじゃれた一式を、オプションの殺菌消臭最大値固定、防汚と自然分解コンポスト能力永続までつけて。
ある意味、超芸術と言えなくもない。
それに対して実用性のある浴室は、洗い場の床と浴槽には細目の庵治石、壁にはヒノキを用い、外側に面した壁は、外側からはただの壁に見える目隠しオプションを付けたガラス張り、24時間源泉かけ流しの単純温泉(永続)を追加して、ちょっとした温泉旅館の大浴場もかくや、な仕上がりである。
防汚、速乾、保温断熱、転倒防止のオプションは当然追加済みだ。
これらのオプションのおかげで、結構な額が浴室に溶けて消えた。
浴室の隣は台所だが、広いというよりは長い作りをしており、パントリーとして納戸を併設してある。
外観に不似合いなバスルームの穴埋めをするように、床は三和土、購入した各種備品をカスタマイズして作ったかまど、昭和30年代の台所によくある人研ぎの流し台、水がめ、コンポストを備え、京町屋の台所といった趣があり、玄関口も兼ねているので、一番それらしい作りをしている。
コンポストは、本来、作成に失敗した料理や回復薬などを回収し、設備の畑に使用する肥料にするためのものだが、台所にあると便利という発想で置くことにしたのだ。
二階に配置したのは寝室兼書斎の一室のみだが、空間を区切らず、続きの一間にすることで解放感のある空間にし、休む場所、ということを意識して、床と壁には、優しく落ち着いた色合いと手触りの山桜を選んである。
これから家具を入れていくのでまだ何もないが、好きな家具を好きなように配置し、好きなように過ごす、ただそのためだけの、生産性もなにもない、徹頭徹尾趣味のための部屋だ。
そんな二階から、梯子で登るようにした三階には、今後鳥系のペットを購入する可能性を考慮して、自由に出入りできる小窓以外はこれといって手を加えていない、比較的安価な部屋を一つ入れた。
この後は、備品の中から各種家具を厳選し、オプションを使って理想の家具に仕上げ、各部屋に置いていくだけだ。
備品には、囲炉裏の原型となった暖炉やかまどのように、生産に関連するものや、ベッドや風呂など疲労の回復や衛生度にかかわるもの、収納アイテムを兼ねる棚や箱などのほかに、プレイヤーの自己満足や趣味に大きくかかわってくるものがある。
特に最後のものについては、有名メーカーとのコラボ商品が多く、現実では手の届かないコレクターズアイテムもここでなら、と購買意欲を煽りたて、1ポイントでも多く吐き出させようとする手腕は、いっそ清々しいほどだ。
囲炉裏部屋の天井から火棚と自在鉤を吊るし、囲炉裏には灰と炭、火箸を揃え、五徳の上には鉄瓶、自在鉤の魚の木彫りがシーラカンスなのは御愛嬌といったところか。
床に直接座らないための、ふかりと柔らかな座布団は、二四巾の控え座布団だが、ウィリアム・モリスの『いちご泥棒』の柄にカスタマイズされている。
メッツァボック用の部屋に置いたのは、犬用ベッドに収まらないメッツァボックのためにカスタマイズした、巨体が収まる大型のフロアベッドと、体高に合わせた台座付きの水入れのみ。
裁縫部屋には、作業台に各種裁縫道具、裁断用トルソー、炭火アイロンその他、製薬部屋には作業台ほか、上皿天秤、薬研、乳鉢・乳棒、臼、篩その他を入れたが、これらの設備と道具は、すべてポイント購入の成功率と品質向上の効果を持つ生産補助アイテムの中でも、最高品質の『技芸神』、『医神』の名を冠したもので揃えている。
ちなみに、台所に入れた道具類も、『食神』の名を冠したものだ。
バスルームには、伊万里の色絵花卉文輪花鉢にカスタマイズした洗面鉢を設置した洗面台、銀鏡、チェスト、ランドリーバスケット、ヒノキのバスチェア、湯桶手桶等々を。
台所には、調理台、包丁俎板鍋釜その他各種調理道具に箱膳、食器、カトラリー、水屋箪笥まで。
二階のプライベートエリアは、書棚、文机、ランプ、控え座布団、クローゼット代わりの長持、枕几帳、クイーンサイズのローベッドと、あれこれ置かずシンプルにまとめてある。
ただし、座布団はウィリアム・モリスの『クリサンティマム』、几帳は『ミカエルマスデイジー』、文机とベッドサイドに1つずつあるランプは、文机のものはバンカーズランプ、ベッドサイドのランプはガレの『水辺の蜻蛉』と、VRならではの力技だ。
備品の購入とカスタマイズが済めば、今度は細々とした消耗品の購入に入る。
ゲーム内では、排泄以外の肉体の欲求と感覚が再現されるため、飲まず食わずでいれば空腹や喉の渇きに苦しみ、着たきり雀で風呂にも入らず過ごせば、体は垢じみて異臭を放つ。
それが空腹度と、前述の衛生度である。
そのため消耗品には、HPやMPの回復薬以外にも、食品などが実装されている。
それらを踏まえ、あれやこれやと拡大した収納アイテムの貯蔵量と課金の力にものを言わせて、衣類、アメニティグッズ、食品アイテムと、思いつくままに片っ端から買い揃えては、せっせとポイントを溶かしていく。
だが、まだ終わらない。
ショッピング・ハイでゾーンに入った典子の勢いは、まだ止まらない。




