**2-1 記憶、そして異変。
怖い怖い、 嫌だ——そう心の中では叫んでいるというのに、口から出るのは声にならない声ばかり。
都は、泣いていた。
泣き叫ぶのに構わず、トラックは彼女へと向かって迫り来ていた。
都は、目をぎゅっとつぶった。
都はびくっと体を震わせて目を覚ました。
額にはひやりとした冷たい感触。濡れたタオルが乗せられていた。
枕の横には憔悴しきった顔をする父、周が座っていた。
目を開ける都を見て、周は彼女をぎゅっと抱き締めた。
「良かった……! お医者さまに診てもらったけれど、“空腹のせいで失神したんだ”と言われるだけで……いきなり倒れたから驚いたよ。もう大丈夫?」
「うん、大丈夫……うん……」
「なら、なんで泣いているの?」
都は周の言葉に驚いて目元を触った。
すると手には生温かい液体が付着した。
知らぬ間に彼女は涙を流していたらしい。
「悪い夢でも見た?」
そう問われ、都は自分の中に残っている記憶を引っ張り出した。
思わず首をかしげる。
「なんかね、トラックにぶつかっちゃった夢……ううん、記憶かな?」
「記憶?」
「上手く言えないけれど、夢って感覚ではなかった気がするの。実際経験したこと、って言うのかな」
「トラックとの、事故……?」
普通だったら記憶が混乱しているくらいで済ませるだろうが、周は腕を組んで考え込んだ。
なぜ彼がこんなにも真剣に考え込んでいるのか。
それは、今は亡き彼の恋人、京がトラックとの事故によって命を落としているからだった。
ただの夢ではなく、実体験かのような感覚。
それには普通ではないなにかを感じ、知らぬ間に周の全身には鳥肌が立っていた。
「パパ? もう都は元気だよ?」
自分のせいで父が悩んでいることを察したのか、都は心配そうに言った。
娘に心配させてしまったことに気が付き、すぐに笑顔を見せた。
「ごめん、心配させちゃって。無事元気になったわけだし、明日、パパと一緒に昨日行きたいって言ってたお店行こうか!」
やはり混乱しているのだろうか。
そう思い、彼は都を喜ばせてあげようとした。
彼女は跳んで喜ぶのかもしれない……そう思っていたのだが、その予想はあっさりと裏切られた。
「都が行きたいお店? どこのこと?」
「あの文房具屋さんの裏にある、“Bambi”っていうカフェ。前に行きたいと言っていたでしょう?」
「……なんでだろう、思い出せない」
「え? 思い出せない、ってどういうこと⁉︎」
「昨日のこととか、モザイクがかかってるみたいにぼやっとしてて、都には見えないの」
自分でも自分の記憶が見えない理由がわからないのか、すごく不安そうな声を出した。
“たまたま思い出せないだけかもしれないよ”、そう言って落ち着かせ、周は尋ねる。
「昨日の夕食、覚えてる?」
都は思いきり首を横に振った。
「じゃあ昨日のケーキ、なにケーキだったか覚えてる?」
都は再び首を横に振る。
その後、昨日のこと、それ以前のことを聞いてみても、彼女は首を横に振るのみだった。
首を横に振る回数が増えていくごとに、都の目には光る涙らしきものが増えていった。
記憶を失っている自分自身に怯えているようだ。
これ以上追い詰めてはいけないと思い、周は最後に二つだけ聞いた。
「パパと遊園地行ったのは覚えてる?」
それに対しては、目を輝かせて首を縦に振った。
「幼稚園である、イベント覚えてる?」
「うん、お遊戯会! 都、先生に褒めてもらったことは覚えてるよ!」
どうやら都は、周との思い出の一部や、幼稚園であったことは覚えているようだ。
すべての記憶が失われたというわけではなく、限られた情報は残っているらしい。
それを証明するように、彼女は自分の名前や周のことは明確に覚えていた。
この娘の一部記憶喪失という奇妙な状況に、周はどうして良いかわからずにいた。
ただの記憶喪失だとしたら……“ただの”記憶喪失なんてないのだが、それだけならばまだ良かったのだ。
だが周にはもう一つ気掛かりなことがある。
それは、目を覚ましたときに話していた事故の記憶。
まるで京の記憶をそのまま話しているかのような、そんな恐ろしい記憶。
突然起きた謎の記憶喪失と、都が知るはずのない他人の記憶……周は自分の娘に対してある種の恐怖を感じていた。
**次回更新……6/7ごろまでを予定。
~6/8追記。6/10ごろまでを予定。遅くなり申し訳ございません。
“Bambi”、どこかで聞いたことはございませんか?
~07/13 改稿完了