**4-7 “彼女”の言葉。
目的の駅に着き、車掌の独特なイントネーションのアナウンスが響く。
「都、着いたから起きて」
「うーん……ん? あれ、知らない間に寝てた!」
初めはむにゃむにゃといった様子だったが、自分が知らぬ間に寝ていたことに気が付くと一気に目が覚めたようだった。
電車を降りて改札を出たあとはもうすっかり元気だった。
駅から家に着くまで、親子は動物に関する童謡を歌いながら歩いた。
夕焼けの空は静かに親子を見守っていた。
都は帰るなりすぐに風呂に入った。
先ほどまでは未だ興奮気味に今日の思い出を話していたのだが、さすがに疲れてしまったのかもしれない。
土産として買ってきたメモ帳はさっそくランドセルの中にしまってあり、梛たちに買ってきたキーホルダーは玄関に置いてあった。
きっと月曜日に家を出るときに持って行くつもりなのだろうが……“忘れそうだよな”……そう思って周はリビングにあった広告の裏にメモを書いておいた。
ガタンガタンという、風呂の扉が開いた音が聞こえた。
都が風呂から上がったようだ。
夏なので浴槽に湯は張らないため、わずか十分程度で入浴を終える。
「つい気になっちゃって、この傷跡触っちゃう」
「気になるだろうけど……痛くなっても困るから我慢して!」
そう言って彼女の肩を見た。
「え……」
思わずそんな情けない声が洩れた。
爪を立てて引っ掻くその傷跡は、ハート型だった。
先ほど見た丸型は跡形もなく消え去っている。
その傷跡を指でなぞったが、特に触ったときの異常は感じられなかった。
都がくすぐったいと笑うので、周も笑った。
“さっきのは見間違いだ”と、深く考えないようにした。
動物園に行ったことによって周も疲れきって、その足はもう筋肉痛のせいで動かすたびに顔をしかめるくらい重くなっていた。
食器洗いは次の日にすることにして、彼は都と一緒に寝室へ行った。
周が布団に入ってから日課である読書をするため本を開く。
最近電子書籍を購入し、暗い部屋の中でも本が読めるので重宝している。
彼が電子書籍の電源を切って隣で寝る都を見ると、もうすでに彼女は眠っていた。
特に疲れたとは言っていなかったが……身体的には相当疲労していたのだろう。
体にかけたはずの布団がばさりと横に払われてしまっていたので、そっとまたかけてやった。
周は腹にのみ布団をかけて、すぐに深い眠りについた。
……夜中。
周は頬に優しい手の感触を覚えてうっすら目を開けた。
つんつんと頬を突っついているのはどうやら、隣でぐっすり寝ていたはずの都のようだ。
優しい微笑みを湛えている。
「み……やこ……?」
先ほどまで寝ていたからか、情けない掠れた声しか出なかった。
周が目を覚ましていることに気付いていなかった様子の都は、若干驚いたように彼の目を見た。
「どうした? 体調悪い?」
「いや……そういうわけではないんだけど……」
「だけど?」
上半身を両腕を使って起こす。
今にももう一度閉じてしまいそうな目をこすり、大きなあくびをする。
彼女は言い出しづらそうにおずおずと口を開く。
「私、だよ」
そう言って服を少しずらして肩を見せた。
——彼女の肩には星型の傷跡があった。
周は、彼女の手をぐっと掴んで飛び起きた。
「京⁉︎」
彼女の体をぐるりと回して肩の傷跡を見る。
「星型……見間違いなんかじゃなかったのか……」
彼女の顔を真正面からじっと見て、今すぐにでも泣き出しそうな声で名を呼んだ。
そしてそっと、すぐに壊れてしまうものに触れるかのように頬を撫でた。
「京……」
頬を撫でる手のひらに、京はキスをした。
唇の柔らかい感触とともに、周の手に温かい液体がぽたりと垂れた。
……京の頬には大粒の涙が伝っていた。
「私がいなくなってから周さんが変わってきていることも、知ってる。周さんがパパとして頑張ってることも、知ってる」
「……京はどう思ってる? “あの子”を育てていることについて」
「もしかして、私に悪いとか思ってる?」
周はなにも言わなかった。
いや、あっさり図星を指されてうろたえてしまい、なにも言えなかった。
都を育てていることによって都との思い出の存在が大きくなってきた。
およそ十年前までは京を亡くして抜け殻のようだった彼の面影はすっかり残っていない。
“京との思い出を失いかけているのだろうか? 彼女への愛が薄れていっているのではないか?”
実はそんな思いが強まっていたのだった。
京は笑った。
「私は、私のことを引きずって辛そうな顔ばかりするあなたのほうがいや。もちろん記憶の端っこには私のスペースを残していて欲しいけれど……私はあなたが苦しむ姿を見ていたいわけじゃない」
今度は顔をくしゃくしゃにして泣いた。
頬はもうびしょびしょに濡れているというのに、まるでその涙を隠すように笑顔を見せた。
「私のことはなにも気にしないで」
京はなにか言おうとした周を遮って、言葉を続けた。
「どうか……幸せになって」
とだけ言い、彼女はまた昨日のように目をつぶり、その身すべてを周に預けた。
「……本当に、好きだったよ。本当に」
彼はあえて“だった”と言った。
それは彼女に対するけじめをつけたつもりの言葉だった。
そう言った周の頬にも涙が伝っていた。
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