**3-3 母と二人で。
なぜ都がそのことを知っているのか……周は未だ状況が理解出来ていなかった。
「あなたたちの会話、下まで響いてきていたのよ」
そっと優しく落ち着いた声を出したのは、周の母だった。
声はいつも通りだが、その顔を見ると困っているのがわかった。
なぜわかったのか。それは困ったとき母は無意識的に眉が八の字になってしまうからだった。
母の言葉を聞いて、自分の大きなミスに気が付いた。
都が下の階にいるということを忘れて父と大声で言い争ってしまった……思わずため息がこぼれた。
「……パパ?」
沈黙が訪れたとき、しゃくりあげながら都は周の名を呼んだ。
周はいつの間にか自分がうつむいていたことに気が付き、弾かれたように都の瞳を見た。
その綺麗さに耐えられず、周は逃げるように母へと視線を移した。
母もどうしたら良いのかと考えているような仕草をしていた。
なぜ都が“周が自分の本当の父親ではない”ということを理解出来たのか。
小学校に上がってもいない年齢なのに、周と周の父の会話からそれがわかったのか。
それは、このごろ周と都が好きなドラマと関係がある。
夜中二時に放送されるそのドラマをいつも録画して二人で観ているのだが、そのドラマのストーリーはこうだ。
主人公の男は、自分の子供と隣の家の子供を取り違えたまま高校生まで育ててしまい、それに気が付いたとき主人公はどうするのか? という葛藤と家族愛を描いた感動の物語。
なぜか都は、周が観ていたのに興味を示して観始めたのだった。
それを観ていたからこそ、本当の親子ではないことに過敏に反応したのかもしれない。
“自分は取り違えられた子供なのか”と思っている可能性もあった。
眉間に人差し指を当てて悩んでいたはずの母が、姿勢正しく正座して周をじっと見つめていた。
普段は穏やかな顔の母がこんなに真剣な表情をしているのは久しぶりに見た。
彼女の中でなにか一つの結論に辿り着いたようだ。
「……周、ちょっとお母さんとお出かけしようか」
「え? 都はどうするんだ」
母は膝の上に乗っていた都を周に預け、立ち上がった。
そして上の階へと上がっていった。
少し経つと、母とともにぶつぶつと文句を言いながら父も下りて来た。
母はなおも父をたしなめつつ、笑顔で言った。
「都ちゃん、おじいちゃんと一緒に待っててくれるかな?」
「わかった!」
都は片手を上げて、元気に言った。
だが口を挟んだのは都の父親である周だった。
「ちょっと待て。親父、良いのか?」
父は周のほうをちらりと見ただけだったが、小さい声でつぶやくように言った。
「……良いんじゃないのか」
先ほどまでの怯えの気持ちはどこへ行ったのか、都は父に笑顔を向けた。
「おじいちゃん!」
「おじ……」
初めて“おじいちゃん”なんて呼ばれたものだから、父はもう自分がそんな歳だということにショックを受け、同時に孫が出来たことを感じたようだった。
念願の孫……訳ありではあるのだが……をじっと見つめ、感慨深そうに頷いた。
相変わらず眉間に皺が寄っているものの、これは明らかに嬉しいという表情だった。
周に怒ったように、都にも怒ってしまうのではないか。
周はそれを懸念していたのだが、実際に会うとそんなことはなさそうで安心した。
都は父に預け、周は母とどこかへ出かけることになった。
母が車を運転して連れて行ってあげると言って聞かず、周は諦めて助手席に乗った。
「じゃあ行ってくるわね。お父さん、都ちゃんをよろしく」
「うん、行ってらっしゃい!」
「……気を付けて行けよ」
もっと行かないでと引き止めるのかと思ったら、あっさりと玄関までの見送りだけで家の中へと入って行ってしまった。
引き止められても面倒なものだが、ここまで淡白なのは初めてなので周は淋しさを感じてしまった。
母にどこへ行くのか尋ねても、なにも答えてはくれなかった。
周の記憶では、最後に母とこうして二人でどこかへ出かけたのはだいぶ前だった。
こちらも相変わらずソフトな運転をする母の車はゆっくりと揺れるものだから、気が付けば周は深い眠りについていた。
久しぶりに実家に戻ったというのに、くつろぐことも出来ず父との激しい言い争いをしたのだから当然だろう。
彼は身体的にも精神的にも疲れていた。
「周、周。着いたから……」
ゆさゆさという人工的な揺れを感じてはっと目を覚ました。
そこには申し訳なさそうに顔を覗き込む母の顔。
困りきっていた、つまり母の眉が八の字になっていたため、周は自分がしばらく起きなかったことに気が付いた。
「ああ、ごめん。いつの間にか寝てたのか……ここ、どこ?」
「最近出来たおしゃれなカフェ。私も行ったことないよ」
どうりで見たことのない店だと思った。
緑色で統一された店は、落ち着いた雰囲気を放っていた。
周は初めて訪れるカフェの扉を押し開けた。
そして、案内されるまま母と向き合って座った。
ふかふかな椅子のせいで、尻はずいぶんと沈み込んでしまった。
「周、まず都ちゃんについて詳しく説明してちょうだい?」
周は思わず肩を震わせてしまった。
わざわざ二人きりで出かけようだなんて、説教しかないと思っていたからだ。
だが予想に反し、母の口調は穏やかだった。
父にしたような説明を、母に対して繰り返した。
周が話している間、母は相槌を打って真剣に聞いてくれていた。
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