**3-2 笑顔の証拠。
周の父は、周のものと同じ銘柄の煙草をくわえていた。
煙草の先の赤く見える部分から、はらりはらりと灰が舞い落ちるのが見えた。
「帰れ」
低い声で言い放ったのは、冷酷な言葉のみだった。
周の服の裾を、都の小さな手が引っ張った。
周の左下のほうを見ると、都が幼稚園に入ってからはもうしないようになった指しゃぶりをしていた。
彼女の小さな体は、大きなストレスを受けている様子だった。
これ以上大きなストレスを与えてしまうと、彼女の心が壊れてしまうのではないか……都の心を心配した周はしゃがみ込み、彼女と目線を合わせた。
「下の階にいるおばあちゃんのところ、行って来てくれる? “パパに言われた”って話せば、きっと優しくしてくれるはずだから」
「パパ……大丈夫なの?」
都のまっすぐな瞳に、周は思わずたじろいでしまった。
これからあの気難しい父に都のことを話す。
大丈夫、だなんて、自信を持って言うことは出来なかった。
「大丈夫……ううん、わからない。パパのパパは厳しい人だから。でもパパが都のパパでい続けられるように頑張ってくるから応援してくれる?」
一瞬、嘘をついてしまおうという考えがよぎった……だが、周は都に嘘だけはつかないと心に決めていた。
だから、彼は大丈夫だとは断言しなかった。
それは、“父に裏切られたんだ”だなんて思って欲しくないからだった。
都は意味がわからないなりに自分で考えを巡らせていたらしく、一人うんうんと納得したように頷いた。
「パパ、頑張れ!」
周の頭をぽんぽんと撫でながら、都はにこっと真っ白な歯を見せた。
周は彼女に対して“頑張って”と言うときは頭を撫でる癖があった。
そのおかしな癖を真似したのかうつったのか……都も同じようにして応援した。
「うん。頑張るぞ!」
「おー!」
元気溢れる都に力をもらった周は、再び立ち上がって彼の父の目をまっすぐに見た。
その途端、父は目線を下に落とした。
周は目を合わせようともしない父への怒りを感じた。
嗅ぎ慣れた煙草の臭いが満ちる父の部屋は空気が悪く、机の上にはたくさんのメモ用紙が散乱していた。
周の父の仕事は作詞家である。
有名な歌手にも詞を提供しており、今では“作詞家の倉木 肇”といったらお年寄りの中では知らない人はほぼいないくらいの人気だ。
“彼の書く詞は言葉遊びが面白い、だが面白いだけではなく深い、メッセージ性がある”と評判なのだが、周は父の書いた詞を見る気にはならない。
理由はただ、父のいろいろな面を知っているからこそ気恥ずかしいから、だった。
父も見て欲しいわけではないのか、周に対し自分の仕事のことを話したことはなかった。
そんな父に、周は必死で訴えかけた。
だが父は周の目を見ることもなく、どこか下のほうを見ていた。
依然として聞く耳を持たない父に苛立ち、叫ぶように言った。
「あの子は捨て子で、俺が引き取ることにしたんだ。自分の子じゃないんだよ!」
自分の子ではない、という言葉を聞いたとき、父はぴくりと反応した。
訝しげな目を周に向けた。
そのとき改めて六十一歳を迎えた父の顔を見た。
母よりも皺が増え、目の下はたるみ、頭髪は以前よりもずっと薄くなった。
小さいころ“おじいちゃん”と呼んでいたような年齢になっているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが……どこか懐かしさと淋しさを感じた。
「捨て子……だと⁉︎」
低くて響く声は小さいころから変わっていなかった。
この声で怒鳴られて俺は良く泣いていたなあと思いつつ、頷いた。
「そう。家の前であの子がダンボールに入れられていたんだ」
「なぜ拾った?」
「上手く言えないけれど……運命を、感じたんだ。なんだかあの子に呼ばれているような気がして……だからあの子には“ミヤコ”という名前を付けた」
「ミヤコ、ねえ……」
くわえていた煙草を口から離し、ゆらゆらと揺れる煙を吐き出した。
父はそれ以上なにか言うわけでもなく、煙草を吸い始めた。
「馬鹿なことを言っているのはわかってる。でも認めて欲しいんだ、あの子の存在を。あの子がいてくれることの意味を」
父は周の目をじっと見つめたままなにも言わなかった。
そんな父を気にも留めず、彼は話し続けた。
「都は、抜け殻のようだった俺に情熱をくれた。生きる意味をくれたんだ。あの子がその日あったことを話してくれるだけで嬉しい。都と出会ってから俺は良く笑うようになったよ。ほら、見えるでしょう? このほうれい線が……」
周は自分の頬を指さした。
都を引き取ってから周は良く笑う人になっていた。
そのため、自分でも驚くほどほうれい線が深くなっていたのだった。
父は煙草の煙を吐き出すと同時に、ふうっとため息をついて口をゆっくりと開く。
周は自然と肩に力が入った。
「……良いんじゃないか」
その険しい顔は変えないまま、父はそう言った。
こういう顔をしているからといって怒っているわけではないことは息子である周は良く知っている。
「ありがとう! 俺、親父に孫の顔を見せてやるのが夢だったから、本当の子ではないけれど育てられて良かった」
「……頑張れよ」
横を向いて父がそうつぶやくように言った。
それは照れ隠しだということも周にはお見通しだった。
笑顔で下の階に下りていった瞬間、都の泣く声が聞こえた。
慌てて都のもとへ行くと、周の母の膝の上に座っている都が泣き叫んでいた。
周がいることに気が付いた都は、ひっくひっくと変な呼吸をしたまま問いかけるように言った。
「パパ……都って、パパの本当の子供じゃないの……?」
それに対し、周はすぐに言葉を返すことは出来なかった。
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