**2-6 傷跡の理由。
八月、東京から南に進んだ場所にある海。
水飛沫一粒一粒が熱い太陽に照らされて、七色に輝いて見える。
砂浜は砂で城を造る親子や、パラソルの下でフルーツジュースを飲むカップルなど、それぞれ違う楽しみを見つけた人々で賑わっている。
一つのジュースに二本のストローを挿しているカップルを睨む周は、この歳で三十歳。
もはや怪しいおじさんだな……なんて思いつつ、ノンアルコールビール片手にその前を通った。
サクサクという砂を踏みしめる音。
ザザーという波が地に打ち付けられる音。
パシャパシャという水が跳ねる音。
そして、きゃっきゃという都の笑った声。
都は膝辺りまで水に浸かって自由に遊んでいる。
都を見ていると綺麗な音が聞こえやすくなる気がする。
仕事だ仕事だと焦る気持ちは忘れ、心に余裕が生まれるのだろうか。
わずかに中身が残る缶を持ち、尻を地につけて座る周の足を、冷たい海水が撫でる。
「どうだ、楽しいか?」
大きな声で尋ねると、太陽よりも眩しい笑顔を向ける。
そして周よりも大きな声で叫んだ。
「楽しい! パパも一緒にお水遊びしようよ」
「パパは都を見ているほうが楽しいから良いよ」
「残念……そうだ! もう少し奥行きたいから浮き輪引っ張って?」
浮き輪を引っ張って欲しいと言えば、父は水の中に入ってくれる。そしてその勢いで一緒に水遊びしてくれるはずだ……と都は考えて策を練った。
周は、自分の娘ながら良策だと思った。単純に言うと天才だと思った。
だがいくら良策でも、ここですぐに海に入って遊んであげるようでは親として甘く見られてしまう。
だから都の思い通りに行動するわけにはいかない……そう、周は心に決めたはずだったのだが。
やはり我が娘は可愛くて仕方なかった。
「仕方ないなあ。引っ張るだけだよ、引っ張るだけ」
「わあい!」
喜ぶ都を見て、周は深いため息をついた。
あんなにも嬉しそうな顔をされたら、後悔すら出来ないではないか。
初めは浅く波も穏やか。
だが浮き輪を引いて奥に進むごとに深くなり、波の強い圧を感じる。
波が強くなると浮き輪も不自然な動きをして漂う。
きゃーきゃーと叫びながらも楽しむ都と比べ、周は浮き輪から手を離してしまった場合のことを考えてしまって気が気ではなかった。
足の裏に感じる細かい砂の感触は気持ち良かった。
背の高い周にとっては膝より下辺りに水があるところで都の浮き輪を外してやった。
外す前は怖がっていたが、腰を支えながらゆっくり足をつかせるとすぐに笑顔になった。
「この砂気持ち良い! ちょっとざらざらしていて、でもさらさらしていて……」
「そうだね。波に乗ってゆっくり砂が動いていて、足を撫でていくみたい」
「あはははは!」
無邪気な笑い声をあげて、ばたばたと砂の感触を確かめていた。
砂を踏みしめつつ水の中を移動していた都が、悲鳴をあげた。
「痛い!」
周は都をすぐさま抱き上げた。
彼の心臓はどくどくとうるさく騒いでいた。
またあの弾かれるような謎の痛みかと思ったのだ。
「パパ。足……!」
「足⁉︎」
都が指し示す右足のほうを見ると、足の裏には真っ赤な鮮血が伝っていた。
抱き上げ直し、鮮血の出どころを目を凝らして見た。
つるりとした足には小さなガラスが刺さっていた。
「痛い……」
「痛いよな、少し待ってくれ!」
ガラスを手で抜くのは危険だと判断した周は、海の診療所へと連れて行った。
海らしくこんがりと焼けた肌を持つ医師が担当だった。
ガラスが刺さったと慌てて訴える周とは対照的に、医師はずいぶんと落ち着いた様子で患部を見ていた。
こういった患者はたくさんいるから、医師からしたら慌てるようなことでもないようだった。
「大丈夫ですよ、ちょっと跡が残るかもしれませんけれど」
治療を終えた都は予想とは違い、泣いてはいなかった。
痛いのか、足の裏を気にして歩いており、少し険しい顔をしていたが。
もう海水、つまり塩水に足を浸すのはやめたほうが良いということなので、今日は砂遊びだけにしようと決まった。
さらさらの砂を楽しんでいた最中だったため、彼女は不満げだった。
だが、しみるよ、と言うと、素直に言うことを聞くようになった。
足の怪我で思い出し、以前気が付いた右肩の傷について尋ねてみた。
すると都はきょとんとした顔をして自分の右肩を必死で見ようとした。
どうにか見えたのか、驚いたような声を出した。
「都、この傷知らない」
「知らないの? 本当に?」
「うん、こんなハート型の傷なんて出来たらすぐパパに言うもん」
「それもそう……か」
彼女の言う通り、都の性格ならばこんな特徴的な傷をつくったらすぐに言ってくれるはずだった。
とりあえず、本当に知らない間に出来た傷なのだと信じることにした。
夕方まで海で遊んでついに帰ろうというとき、都は帰りたくないと駄々をこねた。
よっぽど海で遊ぶのが楽しかったのだろう。
「また来ようね」
そう言うと、都は周に抱きついて笑った。
「うん! 約束ね!」
小指を絡ませ、“指切りげんまん”をした。
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