第一話「怪しい部室」
本日最後の授業が終わる鐘が鳴った。
そのチャイムは一日に数回あるチャイムの中で当然ながら一番素晴らしく聞こえる。ちなみに午前の授業が終わるチャイムがその次に素晴らしい。
帰りのホームルームもいつものように10分ほどで何事もなく終わり、次々とクラスメイトが教室を後にする。
部活に行く者と帰宅する者がだいたい一対三くらいの割合だろうか。
皆が帰っていくその後ろ姿をぼぅっと見ながら、僕は首を反対側に向けて窓の外を眺めた。
三階の窓際の席というのはなかなか当たりで、授業に飽きたり、もの思いにふけっていたい時は窓の外を眺めるのが最適だ。
特にこの時期の夕方は東の空は濃い青に染まりかけ、西の空は朱色に染まりかける。この教室から東のほうを見れば高層ビルに明かりが灯り始め、西を見れば遠くの山々と閑静な住宅街が織り成すのほほんとしたファンタジックな風景が眺められる。
ただ、やっぱり毎日見てれば飽きるわけで僕は五分くらいで再び教室に顔を戻した。すると、カバンを持って教室を出ず、こちらに向かってくる男に焦点を合わせる。
「創、今日は部活行くのか?」
僕の数少ない貴重な友人の彼はたまに帰り際にこうやって僕に話しかける。
「うん行くよ。水坂は?」
「部活だったらこうやって話しかけてないよ。そっか。いや、これからゲーセン行くからお前もどうかなって聞こうとしただけ」
「悪いね。また今度いこうよ」
「おう。んじゃな」
彼はパソコン研究部というところに所属していて、なにやら今は個人でゲームを作っているのだとか。恋愛シミュレーションゲームとか言ったか。僕はあまり詳しくないけどもうほとんど出来ているので、二日に一度しか部室には顔を出さないらしい。
僕は彼の背中を見送ったあと一息ついて、カバンを持って立ち上がる。
教室にはもう僕一人しか残っていなかった。
僕は教室を出て部室へと向かう。部室は一つ上の四階の一番西側の教室だ。
そこに軽文芸部の部室はある。
軽文芸部というのはつい三週間ほど前に新しく設立された。一応の部長は僕で、部員は僕以外に一名。ちなみに部活を作ったのは僕だ。
部員がまだ一名しかいないので正式に部活動として機能していない。この状態が長く続いてしまうと廃部になってしまう。
顧問の先生には部員を集めますのでもう少し待ってくださいと頼んでいるので、とりあえず一ヶ月くらいは様子を見てくれるだろう。僕は副生徒会長というちょっとだけ偉い肩書もあるので色々と大目に見てもらえるはずだ。
最近は部員募集のポスターを作ったり、数少ない友達に誰か入部してくれる人はいないかと頼んだりと、宣伝に力を入れている。
はっきり言って、超面倒くさい。
そもそも僕は部活なんて入っていなかったが副生徒会長とあろうものが帰宅部なんてみっともないというのがうちの担任の決まり文句で、内申書にも響くからと脅され仕方がなく部活をやることにした。
とはいっても。それじゃあどの部活に入るのかが問題だ。水坂と同じパソ研にしようかとも思ったが、入ったところでなにも出来ないし、パソコンでソフトを作ったりするということはプログラムを勉強しなければならない。文系である僕は多分苦労するだろう。なにより学校が終わったあと放課後に再び勉強はしたくない。そう考えるとどうもパソ研には足が向かなかった。運動部はもってのほかだし・・・・・・。
などと悩んだところ、部活でも家にいる時と同じように本が読めそうな文芸部なんて良さそうだなと思った。比較的本を読むのは好きなので、純文学でもライトノベルでも一般小説でもなんでも一応読める。
なぜパソ研より文芸部が先に思い浮かばなかったのかが自分でも不思議だったのだけど、文芸部を探してみるとこの学校に存在していなかったことで納得した。
存在していないというよりは、かつては存在していたが廃部になったらしい。 水坂曰く、文芸部は呪われていて、なんと毎年必ず一名以上の死人がでているそう。
死因は事故死だったり病死だったり突然死だったりとバラバラ。唯一共通していることは全員この七星付属高校の文芸部だったということだ。そのおかげで文芸部はなぜか縁起が悪いということで、廃部なってしまったらしい。
僕は呪いだの祟りといった曖昧なものには関心がないので、かえって都合が良く自ら再び文芸部を立ち上げたのだった。先生は良い顔をしなかったけど。
『文芸部』そのままのネーミングだとちょっと硬いし、不吉な雰囲気もあるので、気軽にやりませんかという意味合いで頭に漢字一文字を足して、昔流行った某アニメのように軽文芸部と改名したのが三週間前だ。
そんなちょっと昔の事をつらつらと思い出しているうちに軽文芸部の部室に辿りついた。
ドアノブを掴むと鍵は掛かってなかったので、既に中に部員がいることになる。
部員はまだ一名しかいないので、いつものように彼女は既に読書を初めているに違いない。
「こんにちは」
ドアを閉めながら誰に向かってでもなく挨拶をしても、特に返事は帰ってこない。いつものことだ。
一年A組、黒川芽衣花はいつも僕より先に部室にいてこうやって既に物語にのめり込んでいるので、僕はいつもの席に座り、彼女の横顔をそれとなく見るのが最初の仕事だ。
「あ、先輩。こんにちは」
このように気づかれるまで、僕はじっとしている。
「今日はなんの本を読んでるの?」
「今日はですね、これです」
黒川さんはブックカバーをはずして表紙を僕に見せてくれる。
「スカイ・マテリアル?」
「はい。知りませんか? まだ読み始めたばかりなんですけど面白そうですよ」
「ふうん」
スカイ・マテリアルとは、イギリスの作家アルバート・シェーンの処女作であり、5人の若者が戦艦を作り、それで世界を旅しながら悪の政府と戦う。と、黒川さんが物語のあらすじまでご丁寧に僕に説明したあと、再び視線を本に戻し、もう話しかけないでくださいと言わんばかりに読書に戻った。
部室は本を捲るかすれた音しか聞こえず、教室には眩しいくらいの西日が差し込み、二人を暖かく照らす。黒川さんは時折前髪を手ではらい、ゆっくりと瞬きをしながら読書に集中している。なんて。アニメのような特別な空間ではないけれど、僕はこの時間が好きだった。でもこれじゃただの読書会なので、早く活動を決めて顧問の先生に報告しなければならない。でないと必要な経費も降りないし。
僕も図書館で借りた適当な本を読みつつ、一時間半くらい経った頃。「ぐすっ」とどこからともなく鼻をすする音が聞こえてきた。
それはほかでもない、黒川さんの体質だった。泣いているのだ。
黒川さんは物語にかなり感情移入してしまう人で、それはもう半端ではない。
ちょっとした感動シーンではぼろぼろと涙を流し、悲しいお話だと暫くまともに話せないくらい落ち込むし。今日はどのシーンでキテしまったのか分からないけれど多分主人公は昔いじめられっ子で、いつも助けてくれた友人が事故かなにかで死んでしまった。そんな感じのシーンが割と物語の最初のほうであったのだろう。
当初は僕も黒川さんの体質に対処できずおろおろしていて、どうすればいいのか困ったけど、結局ほうっておけば良いということに気づいてからはすっかり慣れてしまった。
「そろそろ、活動の内容を決めないとね」
僕は黒川さんが落ち着いた頃を見計らって言葉を発した。黒川さんが泣き始まって20分ほど経った頃だ。
「やっぱり、何かしないといけないのですか?」
どうやら黒川さんは現状に満足していて、このまま大好きな読書会を続けたいようだ。それはそれで良いのだけれど・・・・・・。
「一応ね。形だけでも決めて先生に報告しなきゃいけないんだ」
「そうですか、以前は何をやっていたのでしょうね」
黒川さんは本にしおりを挟んでテーブルに置き、きょとんとこちらに向き直った。
「それは誰かに聞いてみないと分からないね。でも多分、文章の練習と作品作りだよ。文芸部なんだから。文化祭が近づくとテーマにそって本を作るとか、 そんな感じじゃないかな」
「そうですか。なにかをやるにしてもまず練習が必要ですね」
「うん。黒川さんはなにかやりたいことある?」
僕はそう言った瞬間、あることに気がついた。
「私は本が読めれば・・・・・・。というかこれしか出来ないというか・・・・・・」
「う、うん」
確かに。黒川さんの体質では濃いシーンが絶対書けない。これは困った。しかし自分で書いた作品にそんなに感情移入できるものだろうか? いやいや。多分書く前にシーンを想像するだけでキテしまってそれどろじゃなくなるのか。
「それじゃあまずは先生とか友達に、前はどんなことをしていたのか聞いてみるよ」
僕は心の中でため息をして言った。
「はい。お願いします。私今日はそろそろ帰りますね」
「うん。また明日」
黒川さんは荷物をまとめて部室を出ていった。扉が閉まり部室に再び静寂が戻る。しかし部室に自分しかいないこの静けさは少し寂しい。
さてと。
早く活動内容を決めるのと、部員を集める手立てを考えないといけない。
僕は席を立って窓を開ける。外は既に日が落ちてグラウンドのライトがつき住宅地のほうもまばらに明かりがともっている。今日は風は無いけどひんやりとした空気が流れ込んでくる。早く暖かくなってほしいけど僕はちょっと寒いくらいのほうが好きだ。コーヒーは上手いし炬燵は気持ちが良い。
さすがに開けっ放しだと寒いので窓を閉めた。
部屋がほんのりと暖かいのでそういえばストーブをつけていたことを思い出す。
今僕が立っている隣に、何に使っていたのかわからない勉強机があり椅子がなかったので丁度そのスペースにストーブを置いてもらったのだ。
僕もそろそろ帰るのでストーブを消そうとしゃがんだ瞬間、ストーブの奥にあるものを発見した。というより忘れていた。
ストーブのさらに奥にデスクトップパソコンの本体のみが置いてあるのだ。
これは部室に初めて来たときに掃除をしていた際に発見したもので、その時は特に気にしなかったけど、なんでディスプレイがついていないのか今更きになってきた。ランケーブルも刺さっていてネットは繋がっていそうだけど・・・・・・・。
パソコンが使えれば、何かを調べることも簡単だし、活動していく上で非常に便利だ。
僕はそれとなくキャビネットや戸棚を開けて調べてみる。
「あ」
本当にあるとは思わなかったので思わず声がでた。
戸棚の下段の奥が深い引き出しになっていてそこにディスプレイと有線のマウスにキーボードと機器一式がしまってあったのだ。僕は早速それらを取り出し、勉強机に設置した。
ストーブがまだついていたので消して脇にどかし、代わりにさっきまで座っていたパイプ椅子を机の前に置いて座る。ディスプレイとパソコン本体を繋ぎ試しに電源を入れてみるとすぐに起動音が鳴り、OSが立ち上がった。
立ち上がったOSは昔のもので、もうお店には売っていないやつだ。と言っても一年くらい前か。立ち上がった時にスタート音が鳴ったので、ディスプレイにスピーカがついていることがわかった。
しばらく待っていると画面はホーム画面に切り替わり、静止した。
ホーム画面にはアイコンは二つしかなくゴミ箱とフォルダが一つのみだ。
「これは・・・・・・」
一つだけあるフォルダの名前は『禁止』。
一体なにが禁止なのかは分からない。文芸部においての禁則事項なのか、またはフォルダを見るなという意味の禁止なのか。
少し迷ったけど、僕はフォルダをダブルクリックして開いた。
フォルダの中身はこれまた二つのファイルがあり、一つはテキストドキュメント、もう一つは何かのアプリのショートカットだ。
名前は、ESOLANNAD・・・・・・?。
なんだろう。
僕はさらにアプリのショートカットをダブルクリックした。
「わ!」
アプリを実行すると突然画面が砂嵐になりしばらく続く。
ジジジ・・・・・・。
15秒ほど砂嵐が続いた後に、画面は何かを映し出した。
これは、部屋?
画面に映ったのはどこかの部屋らしき場所。すぐ近くに敷布団が敷いてあり、そしてその上にこちらに背中を向けて人が寝ている。という感じに見える。布団の上に丸くなっているのもが見えるだけで頭の部分までは写っていないし、人かどうか怪しいところだけど。
「? なんだこれ?」
僕がそう口走った瞬間。
勢いよく、布団がめくれ上がった。
「うお!」
「え?」
こちらの声が届いたのかわからないけど、確かに画面の人はそう言って飛び起きた。というかやっぱり誰かが寝ていたらしい。僕は訳もわからず画面を凝視していると、飛び起きた人間と目が合った。
「なんだなんだ。今更繋がったのか? びっくりしたなおい」
画面の人間は男性で30歳くらいに見える。無精髭をはやし、髪はぼさぼさだ。なんていうか、中年、無職ニートで、もちろん独身ですという三拍子が揃っていそうな雰囲気だ。しかも上半身裸だし・・・・・・。今は冬だぞ?
「やあ。久しぶり。文芸部は再開したのかい?」
男は眠そうに頭をボリボリと掻きながら言う。僕はどうしたもんかと考える。
この状況を把握するのに頭が全然追いつかない。なんで文芸部が再建されたことを知っているんだ? 一体何者だろう。
「えっと、貴方はだれですか?」
僕は当たり前の疑問を目の前の画面に言った。
「そうか。君は初めてなのか。これは失礼」
中年男は一つ咳払いをし改まって「ちょっとまっててね」と言い残し何かを取りに画面外へと姿を消した。待つこと数秒、戻ってきた中年男の手には何枚かの紙が握られていた。何かの資料みたいだ。
「よく見たら君は確かに見ない顔だ。初めまして。俺はクッキー。クッキー・アルテシアだ。宜しく」
中年男はそう言って微笑んだ。なかなか気持ちが悪い。上半身はまだ裸だし。まず服を着て欲しい。そしてどう見ても日本人だし、クッキーアルなんとかってどう考えても偽名じゃないか。怪しい。そしてもっとも不思議なのはこちらの声が届いているということだ。パソコンにマイクも内蔵されているのか? いや今はそれは置いておこう。早く現状を把握しないと。
「無理もないが、大分混乱しているようだね。まだまだ時間はたっぷりあるし、落ち着いていこう。まずは君の名前を教えてくれるかい」
「片海、ですけど」
僕も偽名を使おうとしたけれど、咄嗟に思いつかなく苗字だけ名乗った。
「片海君か。片海君は文芸部なのかい?」
「ええ・・・・・・」
「そうか。まずは文芸部の復活おめでとう。僕にとっても君にとってもきっと良い事になるはずだよ」
「そうですか・・・・・・。あの、なぜ、クッキーアナスタシアさんは文芸部の事を?」
「アナスタシアなんてそっちの世界ではちょっと危険な単語じゃないのかい? 俺の名前はアルテシアだ。クッキーと呼んでくれても良い」
「そ、そうですか」
アナスタシアがなぜ危険な単語なのかはさっぱりだったけど、適当に相槌をうった。
「文芸部の事はおいおい分かるはずだから今は置いておこう。俺はこれか用事があるから時間がなくてね。まずは手短に君の現状を説明してあげよう」
「はい。是非お願いします」
クッキーさんは僅かに姿勢を正し、裸のまま喋りだした。
「君はね――」
僕はクッキーさんの話を一通り聴き終わり、そして頭が真っ白になった。