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003

 土曜の朝、アカネは桜木町駅の改札を出た。いよいよ今日は、〈展帆ボランティア養成訓練〉の初日だ。

 駅前の広場からでも日本丸のオレンジ色のマストが見える。

「本当にあんなところに登れるのかな~」

 〈操帆教本〉も、がんばって読んではみたが、いまいち理解できなかった。

 不安と期待が入り混じった複雑な心境のまま、アカネは〈日本丸メモリアルパーク〉の方へと歩いて行く。

「どこに行けばいいのかな?」

 同封されていた書類には、『9時50分までに〈訓練センター〉においで下さい』と書いてある。

「あ、ここだ」

 総帆展帆の日に、展帆ボランティアの人たちが出てきたあたりを探してみると、〈帆船日本丸記念財団 訓練センター〉と書いてある建物があった。

「来たわね」

 入り口を見ると、総帆展帆のときに会った、制服の女性が立っていた。今日は茶色の制服ではなく、灰色の作業服を着ている。

「お、おはようございます」

「あらためまして。2等航海士の小島です。よろしくね」

「お、岡田アカネです」

 やや緊張しながら挨拶をする。

「じゃあ、岡田さん。このジャージに着替えてね」

 そう言って小島から渡されたジャージを見てアカネは固まった。

 それは、中学校や高校で使うような、2本線が入った真っ青な体育ジャージ。つまり、いもジャーだ。

 いくらおしゃれに疎いアカネでも、校内ならまだしも、横浜のこんな人目があるば場所でこれを来て外に出なければいけないのかと思うと、とてつもなく恥ずかしい。

 しかし、だからといって『ジャージが恥ずかしいからやめます』と、そんなことで展帆ボランティアになるのをあきらめるわけにはいかず、覚悟を決める。

 更衣室でジャージに着替えて戻ってくると、

「うん、似合う似合う! やっぱり高校生だね」

 そんなことを言う小島さんだが、あきらかに目は笑っていた。

 「あとは、このネームシールに名前を書いて、この帽子の前後に貼ってね」

 渡された黄色の作業帽は、中にプラスチックの覆いが入っていて、頭をぶつけても大丈夫なようになっている。

「じゃあ、時間になるまで教室でまっていてね」

 小島さんはそう言って、別な部屋へ歩いて行った。

 ――おそるおそる教室に入ると、既に同じジャージを着た男女が座っていた。

 全部で4人。もっと沢山の人が訓練を受けるのかと思っていたが、予想よりずっと少ない。

 2人は大人の男性だが、1人は同年代らしい女の子だ。同年代の子がいたことにちょと安心感をおぼえ、かるく会釈をしてその子の隣に座る。

 少女は、アカネより少し幼いような印象で、長い栗色の髪はゆるくウェーブがかかり、大きな瞳とあいまって、小動物を思わせた。ふんわりとした雰囲気が、海というより森が似合いそうな印象をいだかせる。いもジャーでなければ、森ガールのような印象を受けるのではないだろうか?

 男性達も、顔だけ見れば普通の会社員のようなイメージなのだが、いもジャーのせいでお笑い芸人のコントのような状態になっている。

 みんな、初めて合うため会話をせずに黙って席に座っている。隣の少女には、話しかけてみようかとも思ったが、やはり恥ずかしくてそのまま下を向いて座っているだけだった。

 そんな沈黙の流れる会議室にしばらくすると、小島さんと一緒に制服を着た40代くらいと60代くらいの男性が1人づつ入ってきた。小島さんが司会役になり、進行を始める。

「えー、10時になりましたので、訓練を始めたいと思います。それでは船長、あいさつをお願いします」

 小島さんがそういうと、60代ぐらいの男性が正面のテーブルの前に立つ。短めに切りそろえた白髪で、お腹は出ているが、腕などは太く、大柄でがっちりとした体型だ。

「お早うございます。日本丸の船長、山本です」

 やわらかな物腰で、船長さんがゆっくりと話し出す。

「私達は、航海訓練所という所から帆船日本丸記念財団に派遣されてここで勤務しています。航海訓練所は、商船や水産関係の学校の生徒等を対象に、実習訓練を行う独立行政法人どくりつぎょうせいほうじんです。私をはじめ職員達は、実際に動いている帆船や汽船(きせん)で実習生を教える教官達で、派遣の任期が終わればまた船に戻ります――」

 みんな、現役の船乗りさんで先生なんだ。

「――では、安全にだけは気をつけて、訓練に臨んでください」

 船長さんの話が終わると、40代ぐらいの男性が交代して前へ出る。やはり腕の太い海の男っぽい人だった。

「1等航海士の山本です。安全に気をつけ、同時に訓練を、楽しんでください。とくに日本丸の周りにはカップルがイチャついていることも多いので、見とれたり、イライラして事故を起こさないように――」

 ……どうやら山本さんは面白い人らしい。

 そして、小島さんの話になった。

「2等航海士の小島です。私が、皆さんの訓練の担当者です。今日と明日、再来週の土日の4日間、よろしくお願いします」

 挨拶が終わると船長と1等航海士の山本さんが退室し、小島さんが会議室の前に立つ。

「まずは、自己紹介からはじめましょう。それでは浜中さんからお願いします」

 そういって小島さんが促すと、一番前に座っていた男性が立ち上がり、こちらを向いて挨拶をする。

「浜中です。年は39歳になります。応募したきっかけは、趣味で帆船模型を作り始めて、ロープの張り方がどうなっているか知りたかったからで、総帆展帆の時にボランティアを募集していることを知り、挑戦してみたくなったからです」

 帆船模型。そんな趣味もあるんだ。

「庄司です。年は30歳です。応募のきっかけは、大学の頃ヨット部に所属していたのですが、社会人になってからは離れていました。今回ボランティア募集のチラシを見て懐かしかったのと、ヨットより大きい帆船に興味を持ち応募しました」

 やっぱり、船の好きな人達が集まってくるんだな。私、船のことなんて全然知らないけど、大丈夫かな……。

「本橋トキコです。東京の中学3年生です。横浜の街が好きで、よく遊びに来ています。今回、15歳から日本丸の展帆ボランティアにることをインターネットで知り、申し込みました。」

 最後にアカネの番が来た。自己紹介は昔から苦手でいつも緊張する。

「お、岡田アカネです。15歳です……。応募したのは総帆展帆を見て、すごく綺麗だと思ったのと……、その時に同じくらいの年の子がマストに登っていて……、自分も登ってみたいと思ったからです」

 アカネは、シドロモドロになりながらも、なんとか自己紹介をする。

「では自己紹介がすんだところで、さっそく訓練を始めましょう。最初は座学から始めます。〈操帆教本〉を開いてください」

 そういって小島は座学を始めた。

「まずは、各部の名称を憶えましょう。日本丸には帆を張るために4本のマストがあります。マストはみんさんわかりますか?」

 みんなが、ウンウンとうなずく。

「船の一番前のマストを〈フォアマスト〉。2番目を〈トップマスト〉。3番目を〈ミズンマスト〉。4番目を〈ジガーマスト〉といいます。このマストに帆を張るための横の桁のことを〈ヤード〉というのですが、これが、〈フォアマスト〉から〈ミズンマスト〉に各6本ついています。〈ジガーマスト〉だけは違って、縦帆(じゅうはん)を取り付けるので、船尾方向(せんびほうこう)に2本のヤードがついて――」

 小島さんが説明を始めると、憶えなければならない名称の多さに大人でも不安を覚えたのか、浜中さんが小島さんに質問する。

「あの~、これを全て憶えないと、展帆ボランティアにはなれないんですか?」

 小島さんが笑いながら否定する。

「もちろん全て憶えたほうがいいですけど、短い期間で全てを憶えるのはさすがに無理です。まずはマストとヤードを覚えて、それからセイル、最後に主要なロープを覚えて行きましょう。訓練期間中に憶えられなくても、展帆ボランティアをやりながら少しずつ憶えていけば大丈夫ですよ」

 そういって小島さんがにっこりとほほ笑と、みんなに安堵の顔が拡がる。アカネも胸をなでおろした。

「でも、訓練中にマストとヤード。あと、(セイル)と良く使うロープの名前は全部憶えましょう。最終日にテストしますからね」

 やっぱり気は抜けないようだ。

 ――しばらく船の各部の名称や帆の張り方などの説明が続いた後、小島が、

「座学ばかりだと眠くなってしまうので、実際日本丸にいって訓練しましょう」

と、言い出す。

 みんなで青いイモジャーに黄色の作業帽をかぶって、小島さんの後ろをついていく。

 途中、トキコが話しかけてきた。

「岡田さんって、横浜の人ですか?」

「う、うん。本橋さんは、東京っていってたよね?」

「トキでいいですよ。みんなにもそう呼ばれています」

「じゃあトキちゃんだね。私もアカネって呼んでね」

「わかりました。アカネさん。私は東京の吉祥寺に住んでいます」

 吉祥寺の名称は札幌でも何度か聞いたことがある。詳しい場所まではわからないが、横浜からそれほど遠くないのだろうか?

「聞いたことあるよ。住みたい街No1とか、ニュースで見たことあるよ」

「緑もそれなりにあるし、買い物をするには便利ですが、海はないので私にはちょっと物足りないですね。アカネさんが羨ましいです」

「そうなんだ~。でも、私も幌から引っ越して来たばかりで、まだ3週間しか経っていないの」

「そうなんですか。横浜は、本当にいいところですよ。私、毎週のように遊びに来ています――」

 そんな話をしながら日本丸へ続くタラップを渡り、前から2番めにあるメインマストのあたりへ移動した。

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