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第3話

麗奈はタクシーの窓から、その喧騒を眺めながら、軽くリップを塗り直した。青のタイトドレスが、街灯の下で艶やかに揺れる。彼女は、まるで夜そのものを支配するかのように、堂々とした足取りでクラブへと向かう。

最近、森川俊が頻繁に指名してくれるおかげで、店の売り上げはさらに上がった。森川は、表向きは優秀な投資家でありながら、裏では少し危険な投資案件を扱う男。けれど、麗奈にとっては、どんな男でも魅了できれば同じことだった。

控え室に入り、スマホを手に取る。画面には、何人もの客からのメッセージが並んでいた。

「麗奈ちゃん、今日会える?」「俺もボトル入れるから楽しみにしてて!」「昨日は楽しかったよ。また指名するね。」

彼女はその一つ一つに、完璧なホステスの顔で返信する。

---

「麗奈先輩、今日も森川さんですか?」桜が、興味津々に話しかけてきた。「そうよ。」「羨ましいなあ、麗奈先輩は。最近ずっと森川さんと一緒じゃないですか?」「いいお客さんだからね。」麗奈は、鏡に映る自分を見つめながら、ルージュを塗る。「彼の話を聞いてるだけで、勉強になるわ。」「投資の話ですか?」「そう。」麗奈はスマホを閉じ、席を立った。「さて、行きましょ。」

──VIPルーム。

「麗奈、今日も綺麗だな。」森川が上機嫌でグラスを掲げた。「ありがとう、森川さんも素敵ね。」麗奈は隣に座り、グラスを合わせる。琥珀色の液体が揺れ、氷が微かに音を立てる。

「最近、海外市場が面白いことになってるんだ。」森川がさりげなく切り出す。「ええ、ニュースで見ました。ドル高で日本市場は圧迫されてるみたいですね。」「そう。だからこそ、今のうちに資金を動かすべきだって話だ。」森川はポケットからスマホを取り出し、麗奈に見せた。

「これ、俺が最近動かしてる案件なんだけどな……興味あるか?」画面には、海外ファンドのデータが並んでいた。「へぇ……新興国市場?」「そう。今、一部の投資家の間では、ここに金を入れる流れになってる。」麗奈は軽く眉を上げた。「確かに、短期的なリターンは大きそうですね。でもリスクも高いんじゃ?」森川は笑う。「だから、選ばれた投資家しか入れない仕組みにしてる。」「……選ばれた?」「そういうことだ。」彼はワインを口に含みながら、麗奈を見つめた。「もし麗奈が本当に投資に興味あるなら、俺が特別に情報をシェアしてやってもいいぞ?」

麗奈は微笑みながら、グラスを傾けた。(なるほどね……)

森川のような男は、女を口説くのと同じ方法で投資家を誘い込む。「特別な情報」「限られた人しか手に入らない機会」そうやって、男たちは金を出させる。

「私みたいなホステスに、そんな特別な情報をくれるんですか?」「ああ、麗奈はただのホステスじゃないからな。」森川は意味ありげに笑った。「本気で金を増やしたいなら、俺の言うことを信じてみてもいいんじゃないか?」

(信じる?)麗奈は、森川をじっと見つめた。この男は"信用させる"ことに慣れている。だからこそ、こんな商売ができる。

「ふふ、考えてみます。」「いい返事を期待してるよ。」

---

数時間後。麗奈は控え室へと戻り、ソファに腰を下ろした。

(森川さん、完全に私に夢中ね。)

スマホを取り出し、客からのメッセージに軽く返信する。

──「麗奈ちゃん、今日も最高だったよ」──「また会いたい」

何気なく指を滑らせながら、ふと、数ヶ月前のある出来事を思い出した。

「良さがわかりませんでした。」

無関心な男、橘 斗真。

あれ以来、彼のことを思い出すことはなかった。けれど、今こうして静かな時間に浸っていると、なぜかあの言葉が頭をよぎる。

(……何なの、あの人。)

「良さがわからない」──?そんなことを言われたのは、この仕事を始めてから初めてだった。

金を持つ男たちは、麗奈に惹かれるものだ。衝動的に、スマホを開く。

「斗真さん、体調はいかがですか? ぜひまたいらしてくださいね。」

送信。

……送ってしまった。

けれど、すぐに「既読」がついた。

---

森川アセットマネジメントの最新の投資動向が表示されていた。

(やはり、不透明な資金の流れがある。)

投資家向けの"特別プラン"と称し、資金を海外のファンドに移しながら、その一部がどこかへ流れている。

「……何を企んでる?」

そんな時、スマホが震えた。

──「斗真さん、体調はいかがですか? ぜひまたいらしてくださいね。」

麗奈。

(……?)

思わず、眉をひそめた。

何の前触れもなく送られてきたメッセージ。

これは、彼にとってチャンスだった。

森川俊に最も近い存在

それが、麗奈。

彼女と接点を持てば、森川の行動を探ることができるかもしれない。

斗真は、一瞬だけ指を止めた後、シンプルな返信を打ち込む。

──「また伺ってみます。」

送信。

スマホの画面を閉じ、静かにコーヒーを飲み干す。


麗奈はスマホの画面を眺めながら、斗真からの短い返信を指でなぞる。

── 「また伺ってみます。」

「なんだ、また来るのね。」

思わず、クスッと笑った。

---

街の光が、麗奈のタワーマンションの窓に反射していた。

クローゼットを開け、何十着と並ぶドレスの中から一着を選ぶ。

「……今日は、黒にしようかな。」

黒のシルクドレスを手に取り、スリットの角度を確認する。

エレガントで上品。でも、隙を感じさせるデザイン。

鏡の前で、ネックレスの留め具を外し、肌に馴染むダイヤのピアスを選ぶ。

(森川さんは、今日は来るかしら。)

最近、彼が頻繁に店に通うようになったおかげで、麗奈の席には、いつも高級ボトルが並ぶようになった。

森川が出資する投資会社。その影響力は、金融業界でもかなりのものらしい。

店に到着すると、すでに客で賑わっていた。支度室で軽く髪を整え、フロアに出ると、マネージャーが声をかけてくる。

「麗奈さん、今日も森川様がVIPルームをご予約されています。」

「ありがとう。」

微笑みながら、スッと歩き出す。そのまま、スムーズな動きで森川の待つVIPルームの扉を押し開けた。

「お待たせしました。」

すると、ソファに腰掛ける森川が、満足そうにグラスを掲げる。

「麗奈、待ってたよ。」

彼の隣には、スーツ姿の見知らぬ男。

(……誰?)

森川は気さくに微笑みながら、その男を指さして紹介する。

「紹介するよ。 うちの投資ファンドに出資してる、佐々木さんだ。」

「はじめまして!麗奈です。」

麗奈は、完璧な微笑みで彼にグラスを向ける。

「はじめまして。」

佐々木と名乗った男は、薄く笑みを浮かべながら、麗奈をじっと観察するように見ていた。

---

一方、オフィス。

斗真はPCの画面に表示された某六本木の高級クラブの支出履歴を見つめていた。

そこには、森川俊の名と、先週から続く高額な支払いの履歴が並んでいた。

(相変わらず派手に使ってるな。)

彼は、裏では"裏金の洗浄"にクラブを利用している可能性があった。

そんな時、ポケットの中のスマホが震えた。

「斗真さん、今夜はいかがですか?」

麗奈からのメッセージだった。

(……早速来たか。)

斗真は、一瞬考えた後、冷静に返信を打つ。

「お誘いありがとうございます。近いうちに伺います。」

送信。

(……さて、そろそろ動くか。)

彼は、コーヒーを一口飲み、森川の取引履歴をもう一度チェックする。

この女を利用すれば、森川の"裏"に近づけるかもしれない。

---

数日後

六本木のネオンが夜空に映え、ビル群の合間を縫うようにタクシーが滑り込んだ。斗真は静かに車を降り、クラブの入り口を見上げる。目的は明確だった。森川俊に近づくための調査。だが、その手がかりを得るためには、ナンバーワンのホステスと時間を過ごす必要があった。

(くだらない。)斗真はそう思いながらも、クラブの扉を押し開ける。


「斗真さん!いらしてくれたのですね!」

赤いドレスを纏った麗奈が、明るい笑顔で出迎えた。完璧な立ち振る舞い、艶やかな声。彼女はナンバーワンの座にふさわしい輝きを放っていた。

「……ああ、こういうの慣れてないから……飲み物を頼めばいいんだよな?」斗真は微妙にぎこちないまま、メニューを手に取る。

「ええ、お好きなものをどうぞ。でも、最初の一杯は私が選んでいいですか?」麗奈はグラスを手に取り、ウィスキーのボトルを手に取った。

「ハイボール、いかが?」

「……じゃあ、それで。」

斗真のグラスに注がれたハイボールが、氷の音とともに静かに揺れる。クラブ特有の華やかなざわめきが、二人の周囲を包んでいた。

麗奈は斗真の表情をじっと観察する。微妙に居心地が悪そうな態度——"場慣れしていない男"を演じているのか、本当にそうなのか、見極めるのは少し難しい。

(…仕事の話はしないほうがいいわね。)

そんな直感が働き、麗奈は話題を持ち出すことにした。こういう時、もっとも効果的なのは——"グルメ"の話。

「斗真さん、食べるのはお好きですか?」

「……ん?」

意外な話題に、斗真は少しだけ眉を上げた。

「美味しいものを食べてると、それだけで気分が上がりません?」麗奈は微笑みながら、グラスを傾ける。

「最近ね、すごく美味しいお寿司屋さんを見つけたんです。カウンター席しかなくて、ひとりひとりに合わせて握ってくれるの。もう、口の中でとろけるような大トロが最高なの。」

一瞬、斗真の視線が彼女の唇に落ちた。たった今、"とろける"という言葉とともに、柔らかく動いたその口元——男なら、誰しも無意識に目が行く瞬間。

しかし、斗真はすぐに視線を戻し、静かにハイボールを飲んだ。

「……寿司か。」

「お好きです?」

「まあ、嫌いじゃない。」

「ふふ、それならよかった。」

麗奈はわざと少しだけ距離を縮めるように身を寄せた。心を開かせるには、適度な親近感を与えるのが一番。

「今度一緒に行ってみませんか?」

誘いの言葉を、甘く囁く。けれど、それをあくまで軽いノリに見せるのが麗奈の技。

斗真は、わずかに躊躇いながら、短く答えた。

「……ああ。」

まるで、"返事をしないと不自然だから"というような、消極的な同意。けれど、麗奈はそれで十分だった。

(少しずつでいいの。こういう人は、急に距離を詰めると逃げるから。)


麗奈が何気なく話すグルメの話題にも、斗真は完全に集中できていなかった。落ち着かない様子を隠しつつ、店内をそれとなく観察する。

(森川は、今夜もここに来るはずだ——)

しかし、麗奈はそんな彼の目的を知らない。ただ純粋に、目の前の男を"楽しませること"に意識を向けていた。

「斗真さん、お酒、もう少し召し上がります?」

「……ああ。」

斗真は淡々と応じながら、待っていた。

森川が現れる瞬間を——。


斗真がハイボールのグラスを軽く傾けた瞬間、店内の空気がわずかに変わった。

「——失礼いたします。」

黒いスーツを身にまとったマネージャーが、麗奈の隣に静かに近づく。麗奈はその気配を感じ取ると、グラスを置き、すっと振り返った。

「麗奈さん、森川様がお越しになりました。」

その名を聞いた瞬間、麗奈の表情が変わる。一瞬にして、"仕事モード"の顔に切り替わった。

「……そう。ありがとう。」

麗奈はすぐに立ち上がり、斗真の方をちらりと見た。

「ごめんなさい、斗真さん。少しだけ待っててくれる?」

「……ああ。」

斗真は短く答えながら、横目で視線を滑らせた。

——森川俊、現れる。

彼はすでにVIP席の奥に座り、余裕のある笑みを浮かべていた。グレーのスーツをさらりと着こなし、左腕には高級時計が輝いている。隣には、彼に付き従うように数人の男たちが座っていた。

(やっと来たか——。)

斗真はグラスを持つ手をわずかに強く握った。この男が、今調査している"投資詐欺スキーム"の中心人物。

——そして今、この場で唯一、森川に近づける女が、麗奈だった。

「お待たせしました、森川さん!」

麗奈が優雅に微笑みながら、森川の隣へと歩いていく。斗真はその背中を見送りながら、考えを巡らせる。

(どう動くか——。)

彼の目的は、森川から情報を引き出すこと。しかし、闇雲に近づいても怪しまれるだけだ。

(……焦るな。まずは、"観察"だ。)

そう決めた瞬間、森川と麗奈の間で交わされる甘い会話が、わずかに耳に届いた。

「麗奈、相変わらず美しいな。今日は君に会いたくて来たんだよ。」

「お上手ですね。そう言われると嬉しいです!」

「本当さ。ところで、例の話、考えてくれたか?」

「ええ、もちろん……。」

"例の話"——?

斗真はグラスを傾けるふりをしながら、耳を澄ませた。

麗奈は何かに関わっているのか、それともただの遊び相手なのか。彼女を利用する価値はあるのか。

(……じっくり探るしかないな。)

そう思いながら、斗真は静かに、見守っていた。

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