8.二人の兄
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目を覚ますと私は帝都にあるボタニーアの別邸にある、自室のベッドの上にいた。
傍らにいたメイドが、「お嬢様が目を覚まされました!」と声を上げて部屋から出ていく。
体を起こそうとしたけれど、眩暈がしてうまく起き上がることができない。
「魔力の、使い過ぎね」
それにしても、私はいつの間に別邸に着いたんだろうか。
ホワイトドラゴンの子供の傷を治した後の記憶がない。私はどうやって森から出たのだろう。
「お姉様!」
勢い良く扉が開いたかと思うと、入ってきたクララは大きな瞳に涙をいっぱい浮かべていた。一目散に私が寝ているベッドに向かってきて、そのまま抱き着いてくる。
「火事が起きたと思ったら突然いなくなるから、心配したんですよ……っ!」
「ごめんね、心配をかけて」
頭を撫でるが、クララは頬を膨らませたまま上目づかいで私を見上げている。
「しかも、森の入口で倒れていて、傷まで負っていて。いったい、何があったのですか?」
「森の入口……?」
おかしいわね。ドラゴンの子供と別れた後、すぐに気を失ったと思ったのだけれど……。自力で森から抜け出せたのかしら?
疑問に思ったのも束の間、また勢いよく扉が開き、二人の人物が顔を出す。
「ラウラ!」
「大丈夫か!?」
先に中に入ってきた人物を見て、私の胸の鼓動が大きくなった。
大丈夫、だいじょうぶ。自分に言い聞かせながらも、私はふたりに笑顔を見せる。
「お久しぶりです、カルロスお兄様。ユリウスお兄様」
カルロス・ボタニーア。ボタニーア公爵家の長男であり、お父様譲りの淡い濃紺の髪に同じような瞳。優れた剣の腕を持っていて、いまはたしか騎士団に入団したばかりだったと思う。そして将来的に公爵位を受け継ぐための後継者教育もほぼ済ませている。
ユリウス・ボタニーア。ボタニーア公爵家の次男であり、お母様譲りの白い髪にどこか儚げな雰囲気を漂わせているが、性格はまったく儚くなかったりする。性格というよりも好みに若干の難ありで、好きな毒草研究のためにふらっとどこかに旅立ってしまうので、お父様も手を焼いている。今回はたまたま帝都の別邸に戻ってきていたのだろう。
ちなみに私とクララもお母様の髪色を濃く受け継いでいる。私は白に近い桃色で、クララは白に近い菫色。
私は視界の隅にある妹の白に近い菫色の髪を撫でると、二人の兄に向き直った。
「お元気、でしたか?」
カルロスお兄様を見ると、どうしても過ぎ去りし未来のことを思い出してしまう。
牢獄の中、柵の向こうから向けられた嘲笑の滲んだ瞳。
ぞくりと背筋が泡立つが、目の前の兄の表情はあの時とは違っていた。妹を心配する兄の顔をしているが、それすらも偽りのように思えてくる。
「いや、傷だらけで倒れていた妹に元気か心配されるのは、兄として恥じゃない? ねえ、ユリウス」
「そうだぞ~。僕たちは元気だけれど、ラウラはまだ安静にしていろよ」
それにしても、とカルロスお兄様が眉根を寄せる。
「どうして森の入口なんかにいたんだい?」
「それは……」
口ごもる。カルロスお兄様と目を覚ますと、どうしても過ぎ去りし未来のことを思い出してしまう。
いまは良い兄として接してくれているが、あの時みたいに突然裏切られるかもしれない。
不安に目の前が暗くなる。どうしてカルロスお兄様は、私を捨てたのだろうか。
「ラウラ?」
カルロスお兄様が眉間に皺を寄せる。隣にいたユリウスお兄様が、何かを察したようにカルロスお兄様の肩を軽く叩いた。
「ラウラはまだ本調子じゃないみたいだ。もう少し安静にしておいた方がいいだろうから、僕たちは部屋から出よう。話は後から聞けばいいからさ。――ほら、クララも行くぞ~」
私に抱き着いたままのクララを、ユリウスお兄様がひっぺがえして連れて行く。
「お兄様のいじわる!」
「はいはい。皇太子の婚約者がそんな子供っぽいことをするんじゃない。じゃあ、ラウラはまだゆっくりしてて」
クララが抗議の声を上げているが、ユリウスはヘラヘラと笑い、すこし不機嫌なカルロスと一緒に部屋から出て行った。
部屋にひとり残された私は、天井を見上げる。
脳裏にはまだあの牢獄のかび臭さや、アルベルト様とカルロスお兄様の嘲笑が響いている。
もうあんな未来は見たくない。
未来を変えるためには聖女としての力を隠す必要があったけど、なぜか聖女の力は覚醒しなかった。過去に戻ってきて、未来を変えようとしたからなんだろうか。
これは好機かもしれない。
私に聖女の力がなければ、アルベルト様に目を付けられることも、カルロスお兄様に捨てられることもない。
だけど――、私が聖女じゃないなら、今代の聖女は誰になるんだろう。
もしかしてクララ?
そうだとしたら、私が経験した戦争を、彼女も経験することになってしまう。
そう考えると怖れからなのか、体が震えた。