番外編 クララの夢・後編
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ランデンス大公とラウラの結婚式は、他の高位貴族の結婚式に比べて、とても質素なものだった。
北部の辺境だから参列客も少なく、帝都から出てきているのはボタニーア一家と皇族を代表した皇太子であるレオナルトぐらいで、あとは北部の貴族だろう。
町の教会は帝都にある教会と比べて小さいからか、結婚式はランデンス城で催されることになっていた。
北部の気候は初夏なのに肌寒く、室外だとドレスの上からボレロを羽織ってなんとか耐えられた。ランデンス城内は魔法で気温を調節しているのか、少し暖かいぐらいだったけれど。
ランデンス城の広間に司祭を呼んで行われた挙式は、数時間で終わった。
挙式後は、立食形式の親交を深めるためのパーティも開かれて、クララはレオナルトと共に参加した。
「お姉様!」
大公と寄り添う姿は、前に見た時よりも様になっているような気がする。クララと違ってその間に壁なんてなく、仲睦まじい夫婦そのもののようにも見えた。
クララの呼びかけに振り返ったラウラは、とても美しかった。結婚式の時のウェディングドレスも女神のように綺麗だったけれど、いま着ているドレスも彼女に似合っている。白い生地に青の色合いは、大公と対になっているようだ。
「クララ! 殿下も、ご足労頂きありがとうございます」
式で姉と大公の誓いの口づけを見た時、少し安堵したことを思い出す。
傍らにいるレオナルトを見上げると、彼はあまり変わらない表情をしていながらも、眉を少し下げているようだった。
「結婚おめでとう。これで大公家も安泰だな」
レオナルトは淡々とそう言って、早々とラウラに背を向けてしまった。
彼が歩きだしたので、クララも一緒について行こうとしたが、その背中に制止の声がかかった。
「待って、クララ。話があるの」
「……あの、レオナルト様」
一緒に立ち止まったレオナルトを見上げると、彼は口元に笑みを浮かべながら頷いた。
「すぐに戻ってまいります」
レオナルトの同意を得たので、ラウラに近づいていく。
姉は周囲を見渡していて、テラスの方向に目を向けた。
「あそこでもいいかしら」
「構いませんよ」
何を言われるんだろう。
ラウラの何か言いたげな瞳が気になった。
「クララ。最近、皇太子殿下とはどうなの?」
テラスに出てから問いかけられた質問に、クララは息を飲む。
どう、とはどういう意味なのだろうか?
「気を悪くしたのならごめんなさい。その……挙式の最中から、クララの顔色が暗いのが気になったの」
顔に出ていたのか。クララは笑顔を浮かべる。
「レオナルト様はとてもあたしに優しくしてくれます。だから仲は良好ですよ」
「そう。……でも、悩みがあったら言ってほしいの。前にも伝えたと思うのだけれど、私はあなたの力になりたいわ」
「悩みなんて、いまは――」
言葉が途切れてしまう。
(どうして――)
ラウラの瞳はどこか悲しげだった。思い出したくもない何かを堪えるように、すがるような瞳でクララを見つめている。
その瞳の意味がわからなくて、クララは困惑した。
「もしかして、お姉様――」
「どうしたの?」
「レオナルト様のことを、お慕いしているのですか?」
思わず問いかけた声は震えていた。
突然レオナルトの様子を聞かれたことと、どこか苦しそうな表情をしているラウラの様子から察してしまった言葉だ。
ラウラの目が大きく見開かれた。
答えが聞きたくなくて、早くテラスから去ろうと背を向ける。
レオナルトの一方的な思いなら耐えられた。でも、もし二人が思い合っているのだとしたら――間に割って入った自分は、まるで道化のようではないか。
「待って、クララ! そんなこと、ありえないわ」
「いえ、良いのです、お姉様。貴族の結婚は、思い合う者同士が必ずしも結ばれるわけがないもの。あたしはそれをよくわかっています」
「わかっていないわ。私の愛する人は、ゼブル様だけよ。皇太子殿下のことを思ったことなんて、一度もないのよ。く、口づけだって、彼としかしたいと思わないわ」
口づけ?
振り返ると、いつも堂々とした淑女の振る舞いをしているラウラが、顔を赤くして目を逸らしていた。
そういえば挙式で誓いの口づけの時も、姉の顔に朱が差していたようだった。灯りの関係だと思っていたのだけれど――。
姉がレオナルトのことを慕っているというのは、自分の思い込みだったみたいだ。
「本当に、大公閣下のことを想っているのですね」
「ええ、もちろんよ」
「それならよかったです。お姉様が、幸せそうで」
姉の想いはレオナルトにはない。そのことを知れたのはよかった。
たとえレオナルトが姉を想っていたとしても、もう結婚をした姉に手を出すことはできないだろう。
たとえ特別ではないとしても、レオナルトの婚約者は自分だけだ。
「いい、クララ。よく食べて、よく寝るのよ」
「ふふっ。突然何を言い出すのですか、お姉様。もう子供じゃないんですよ」
突然真剣な顔をして何を言うのかと思ったら。
クララがおかしくて笑うと、ラウラも笑みを見せた。
「とても大切なことなのよ」
「わかりましたわ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝ます。約束です」
「ええ」
小指同士を絡めると、二人して笑った。
さすがにこれ以上テラスにいると体が冷えるかもしれないので、一緒に会場に戻ることにした。
その間際、ふと、ラウラが囁いた声が聞こえた。
「……これで、少しでもクララの未来が……」
意味を問いかける間もなく、本日の主役であるラウラは他の貴族に囲まれてしまった。皇太子の婚約者であるクララも同様だ。
レオナルトの元に戻った時には、随分と時間が経っていた。
「なにを飲んでいるのだ?」
戻ってくる途中にクララはグラスを受け取っていた。他の貴族と話していたレオナルトが、中身がほとんどなくなったグラスを見つけると険しい顔になった。
(室内だからか、なんだか暑くなってきたわ)
「そなた、それはアルコールではないか」
「レオナルト様も飲まれますか?」
「……はあ。酔いを醒ますために、すこし風にあたってくる」
話していた貴族の了承を得たレオナルトが腕を差し出してきたので、クララはそっと腕を抱くように掴んだ。「ん?」とレオナルトが不思議そうな声を上げたが、ただのエスコートのはずなのにどうしたのだろうか。
「……やはり酔っているな」
「酔ってませんよ?」
「……そうか」
姉と話していたテラスとは反対側のテラスに出ると、心地いい風が頬を撫でた。室内が暑かったからそう感じるのかもしれない。
「レオナルト様」
それにしてもなんだか思考がおかしい。アルコールは初めて口にしたけれど、いまなら普段口にしないことまで喋ってしまいそうだ。
ずっと気になっていたことを訊ねたら、少しは楽になれるのだろうか。
「レオナルト様はぁ、お姉様のことがお好きなのですか?」
「……っ!? と、突然何を言い出すのかと思えば、そんな突拍子もないことを」
「お姉様と婚約するために、ボタニーアに婚約を申し込んだんですよね?」
あたし、知っていますよ?
そう問いかけると、レオナルトは目に見えて動揺していた。
初めて目にするその姿に、クララは悪戯っぽい笑みを見せた。
「……幼い頃の約束を守るためだ。……いまも、慕っているわけではない」
「でも、あたしにお姉様を重ねていますよね?」
「そんなことっ」
「別にいいんですよ、それでも。あたしはレオナルト様の隣にいられるなら、お姉様を重ねてもらっても…………いや、それは嫌です。嫌なんです……ッ」
せき止められていたものがポロポロと崩れてしまい、なぜだか涙が止まらなかった。
「く、クララ」
珍しくレオナルトに名前を呼ばれた。それが嬉しいけれど、涙があとからあとからこぼれていく。
彼に相応しい淑女になりたかったのに、こんな醜態を見せたら見限られるかもしれない。
「あたしはお姉様じゃないんです。お姉様の代わりにはなれないんです。ずっと、ずっとあたしだけ見ていてほしいのに……ッ」
腕に縋るように泣くクララを、レオナルトが困惑しながら見下ろしている。
いつも表情を変えずに済ました顔をしているのに、ここまで取り乱した様子を見たのは、初めてのことだった。たぶん誰もレオナルトのこの姿を見たことはないんじゃないだろうか。
それだけでも価値があるかもしれない。抱きしめてもらえなくても、クララは彼の動揺を独占できたことを誇らしく思った。
嗚咽を漏らしながらクララは余計なことを考えていた。
落ち着いた時にはもうすっかり酔いは醒めていた。
レオナルトは所在無さげな手でクララのことを抱きしめようかどうしようか考えていたみたいだけれど、その手から逃れるようにクララはレオナルトから離れてテラスの端に行く。
自分のしでかした醜態を思い出して、手で顔を被う。
(あたしはなんてことを)
いくらアルコールで酔っていたからといって、レオナルトにすべてをぶっちゃけてしまうなんて。
ずっと胸の内に隠して、何も知らないふりして笑っていれば、レオナルトは自分を見放さないかもしれないのに。
言ってしまったことを思い出すと、レオナルトに軽蔑されてもおかしくはないかもしれない。
姉の代わりにしないで、とか。
ずっと自分だけを見てほしい、とか。
政略結婚相手にそんなことを伝えられても、重いだけだろう。
それなのに……。
(あたしはどうすれば)
頭を抱えていると、頭の上からなにかがかけられた。
それがレオナルトの上着だということに気づき、チラリと見上げる。
赤い瞳と目が合った。
「外は冷える。それを被っていたほうがいいだろう」
「……ありがとうございます」
「……クララ……その、すまなかった」
「……」
「そなたに言われて、気づいたんだ。いままで私はそなたに対して、とても不誠実だった」
婚約者相手とはいえ、皇族が謝るなんて。止めた方がいいのだろうかと思ったけれど、まだ赤い瞳が真剣にクララを見ていて、口を挟めなかった。
初めての感覚だった。
「確かに私は、ラウラ嬢を婚約者に迎えるためにボタニーアに婚約を申し込んだ。幼い頃にした約束を果たすために」
レオナルトが姉とどんな約束をしたのかはわからない。それはあまり聞きたくない話だ。
「でもだからといって、そなたを蔑ろにするつもりはなかった。婚約をしたからには、常に誠実に接するように努めている、つもりだったんだ……。そうだ。つもりだった。でも……違ったのだな」
「レオナルト様……」
「いままでずっと傷つけてきていただろう。謝って済む話ではないかもしれない。でも、私はそなたが傷ついて泣いている姿はもう見たくない」
苦しそうな顔をしながらも、レオナルトの赤い瞳は確かにクララのことを見ていた。そこに見えない壁は存在していないようだ。
「いままでのことはもう取り返しはつかないかもしれない。だからその分、これからはそなたと誠実に向き合っていきたいと思うのだ。……だから、これからも、私の傍にいてくれないか?」
「……あたしでも、良いのですか?」
「ああ」
「お姉様ではなく?」
「もちろんだ」
「その言葉に、嘘はありませんよね?」
「ああ。そなたに――クララに、傍にいてほしい」
答えはもう決まっている。だけど、クララは逡巡する振りをした。
いつも済ました顔をしている皇太子殿下が、眉を下げて、少し悲しそうにしている姿はクララの心をくすぐった。
おとぎ話のような生活は、ただの夢なのかもしれない。
ずっと夢心地のまま生きていくことはできないかもしれない。
だけど、いまのレオナルトの瞳は、確かにクララの姿を映していた。
「わかりました。これからはちゃんとあたしのことを見てくれなきゃ、嫌ですよ」
「ああ、もちろんだ」
優しく微笑む瞳に、これまで胸の内に救っていた淀みが無くなって、軽くなる。
「さて、会場に戻りたいところだが――」
いまのクララは泣き腫らした顔をしていて、とてもじゃないけれど人前に出られる顔ではない。
「テラスの外は庭園か……。ここを通れば、客間に戻ることができるか」
「レオナルト様?」
「少し手荒になるがよいか?」
「いいですけど。どうされるのですか――!?」
レオナルトはクララの体を抱えると、テラスの手すりを超えて庭園に降り立った。
「あの、殿下がいなくなったら、会場は混乱するんじゃ……」
「護衛がいるから問題ない。あとで報告させる」
そうだ。レオナルトは皇太子だから、姿を見せていないだけで護衛が数人ついているんだ。その護衛たちにさっきの醜態が見られていたらって考えると、なおのこと恥ずかしくなってくる。
レオナルトの上着に顔を埋める。良い匂いがした。
「その、クララ。さすがに匂いを嗅ぐのは、私も恥ずかしいのだが」
「嗅いでいませんッ。嗅いでいませんよ!?」
「……ふふ、やっと顔を上げてくれたな」
顔を上げると、すぐ傍にレオナルトの顔があった。こんな近距離で彼の顔を見たのは初めてだ。
「そなたのこういう姿を見られるのは、私だけなのだな」
「……もう見せません」
「いや、これからも見せてほしい。私も、そうするから」
「……本当ですか?」
「ああ、公の場では皇太子の仮面を付けなければいけないが、プライベートなら問題ないだろう」
「絶対ですよ?」
「ああ、約束だ」
これからまた、思いが通じなくて悩む日や、自身を失くして泣いてしまう日もあるかもしれない。
だけどその度に今日のことを思い出すだろう。
いまのレオナルトは、確かに自分の姿を見てくれている。
「ああ、すごいな。空を見てくれ、クララ」
「わあ、綺麗ですね」
北部の空は澄んでいて、満天の星の中でひと際輝いている大きな月があった。
その月が沈んだら、明るい太陽が顔を出すのだろう。
それが、いまかいまかと待ち遠しかった。
【番外編 クララの夢・おわり】
これでひとまずは番外編の投稿は終わりです。ほかに何か思いついたら投稿するかもしれませんが、いまのところはわからないです。
もしふとした時に更新したら、その時はよろしくお願いします。
長い物語ですが、最後までお付き合頂きありがとうございます。
もしよろしければ他の物語でもお会いできることを願っております。
槙村まき