70.結婚
春に行われる予定だった結婚式は、隣国との戦争の後処理などがあり、七月の初めに延期されることになった。
その一週間前、ランデンス城に訪問客がやってきた。
応接間で迎え入れると、淡いグレーのドレスを着た彼女は私の顔を見て頭を下げた。
「兄がご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「頭を上げてください、エルミラ嬢」
先日エルミラの兄である、カイルの刑が執行された。
カトレイヤ侯爵家は、事前にカイルがカトレイヤ家の貴族籍から抜けていたこともあり、男爵への降爵だけで済むことになった。もしカイルがカトレイヤ家の籍から抜けていなかったら、カトレイヤ家は爵位剥奪の上、一家諸共に首を切られていただろう。敵国と通じて戦争を起こした罪はそれほどに重いのだ。
エルミラは自分の首を触り、自嘲気味に笑う。
「首の皮一枚が繋がっているのは、兄のおかげなのですね……」
ぽつりと、どこか心ここにあらずといった様子で、エルミラが語りはじめる。
「わたくしや弟と接するとき、兄はいつも笑顔を浮かべていました。一緒に遊んでいた時は良き兄のようでしたが、わたくしはいつもそれを見せかけの仮面のように思っていたのです」
大きくなるにつれて、エルミラはカイルの秘密を知っていく。それでもエルミラや弟はカイルの境遇に同情していて、カイルを無下に扱ったりすることはなかった。
「わたくしたちの前では、常に良き兄であろうとしていたようですね。いまとなっては、それも本心だったのかどうかわかりませんが」
もしかして――。
エルミラの話を聞いて、私はある仮説を思い浮かべた。
カトレイヤ家を――とくにカトレイヤ夫妻を恨んでいたカイルが、どうして籍から抜けていたのか。その理由が、もしエルミラや弟にあるとすれば……。
カイルはふたりのことは恨んではいなかったのかもしれない。
いまとなっては、確認のしようがないことなのだけれど――。
「兄が何か企んでいることには薄々気づいていました。それが、まさか反逆罪だったとは、思いもしませんでしたが……」
反逆罪で処刑された男の元家族だからと言って、表立って喪に服すことはできない。だからエルミラは今日は珍しい淡いグレーの服を着ているのかもしれない。
「エルミラはこれからどうするのですか?」
「……しばらく帝都の別邸で暮らすことになります。もう北部にはいられませんから」
カトレイヤ家に対する世間の風当たりは強いだろう。だから北部の領地は、親戚に譲り渡してしばらく帝都に滞在するそうだ。その後どうするのかはまだわからない。
「もう明後日には帝都に発ちます。だから結婚式には参加できませんので、その前にお別れを告げにまいりました」
「お別れなんて、そんな悲しいこと言わないで。いつかまたお会いましょう」
俯いていたエルミラが顔を上げると、驚いた顔で私を見る。
反逆者の元妹として非難を受けるだろう、そう考えていたのかもしれない。
目を細めて笑みを浮かべると、エルミラは嬉しそうに頷いた。
「そうですね。いつか、また」
まだ日が高いうちに、エルミラは邸宅に帰って行った。
◇◆◇
庭園の奥深くの雑木林。その中に隠れている秘密の温室に入るのは、ランデンスに来てから三度目のことだ。
今日は私一人で訪れていた。ゼブル様からはいつでもきてもいいと言われているけれど、帝国の貴族としてルナティア教の信者ではない私にとってあまり足を向けられるところではない。おそらくこれからもほとんど来ることはないだろう。
だけど今日はどうしても確認したいことがあって、足を運んでいた。
礼拝堂に佇んでいる女神像。前に遠くから見た時はどこかお母様の面影を重ねていた。だけど今日改めて見てみると、どことなくカヒナ様の面影も感じる。
躊躇いながらも近づくと、女神像はまっすぐ前ではなく斜め下の床に視線を向けていた。
カヒナ様は私が女神像に似ていると口にしていた。ゼブル様もそう言っていたような口ぶりだった。
でも、やっぱり。
「お母様みたいよね……」
どうしてお母様の面影を感じるのだろうか。
ぼんやりと考えていたからか、扉の開く音に気付かなかったのだろう。
「気になるのか?」
突然の声に驚いて振り返ると、ゼブル様がいた。彼は女神像と私を見比べるように視線をやった。
「……昔、おばあさまが言っていた。女神像は、見る人によってその面影が変わると。ある人にとっては自分の母で、ある人にとっては姉妹。またある人にとっては、恋人や想い人など……。人によって見方が変わると聞いたことがある」
それなら私がお母様の面影を感じている理由もわかる気がする。
そしてゼブル様は、私の面影を女神像に重ねていた……ということは。
「あの広場であなたを見かけたとき、オレは特にあなたと女神像が似ているとは思わなかった。……だけど、そのあとあなたがホワイトドラゴンの傷を」
「待ってください。広場で私を見かけたことは知っていましたが、どうしてホワイトドラゴンのことまでご存じなのですか?」
「言っていなかったか?」
まさかゼブル様が、ホワイトドラゴンの傷を治すところを見ていたなんて。
それは、考えたこともなかった。
――ああ、でもひとつだけ、疑問が解けた。
「ホワイトドラゴンの治療の後、気を失った私を森の入口まで運んでくれたのは、もしかしてゼブル様ですか?」
「……そうだ。あのまま森にいるのは危険だと思ったんだ。だから断りもせずにラウラ嬢の体に触れてしまった」
「そう、ですか。ずっと不思議だったんです。森の中で倒れたはずなのに、森の入口で見つかったと伝えられましたから。……運んでくださり、ありがとうございます」
「……怒らないのか? 婚約者でもない男に体を触られたんだぞ」
「でも、それは私の身を案じてくれたからですよね?」
私の言葉にゼブル様が驚いたように目を見開く。
「私は気にしていませんよ。助けてくださり、ありがとうございます」
「そ、そうか」
灰色の瞳を彷徨わせながらも、ゼブル様は言葉を続けた。
「――それで、ホワイトドラゴンの傷の治療をしている姿を見て、ラウラ嬢と女神を重ね合わせていた。思えば、あの時にはもう……あなたに興味を惹かれていたのだろうな」
「……惹かれていた?」
「ああ。それで舞踏会に参加して、ラウラ嬢があの皇子に追いかけられているのを見かけて、気づいたら足が動いていたんだ」
なんだろう。ゼブル様の話を聞いていると、顔が熱くなってくるような気がする。
「あなたに腕を掴まれたときは驚いたけどな」
「そ、その節はどうも、ご迷惑をお掛けして……」
「いや、謝らなくてもいい。あの時は驚いたが、いまこうしてあなたと一緒にいられるのは、あの偶然があったからなのだろう?」
「……そ、そうですね」
過去に戻ってきてから、私はただ自分の未来を変えたい一心で動いていた。ホワイトドラゴンの傷を治すことにより広場での悲劇を回避して、舞踏会で婚約者を捜して――。
そして偶然、ゼブル様の腕を取って婚約した。
聖女の力を隠すことはできなかったけれど、未来で起こる予定だったゼブル様の死も、カイルの陰謀を阻止することで回避することができた。
そしてそんなゼブル様と私は、もうすぐ結婚をする。
これからの未来、私の記憶にないことも起こるかもしれない。でも、たとえ今後どんな争いごとがあっても、彼が傷を負っても、私が傍にいれば治すことができるだろう。そうすれば過ぎ去りし未来で起こったような悲劇は、起きないような気がする。
もし、私が過去に戻ってきた意味があるとするならば――。
「ゼブル様。私は、ゼブル様と出逢えてよかったです」
「……それは、オレもだ」
「あなたと婚約ができて、婚姻を結ぶことができるのが、この上ない幸福なんです」
「それは、オレもだ、ラウラ嬢」
「…………ところでゼブル様、ひとつお尋ねしたいことがあります」
「なんだ?」
「その、いつまで私のことをラウラ嬢と呼ばれるのでしょうか? これから夫婦になるのですから、敬称はもう必要ないかと」
「っ!? …………ら、ラウラと呼んでもいいのか?」
「はい、ゼブル様。これからもよろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそ、よろしく頼む、ラウラ」
数日後――。
私が過去に戻ってきてから、そしてゼブル様に出会ってから約一年後。
私たちはランデンス城で結婚式を挙げた。
家族や北部の貴族たちに見守られたその日は、私の人生の中で一番幸福な日になった。
これからどんな困難が待ち受けていようと、彼となら乗り越えられる。
そんな晴れやかな未来で満ち溢れた日に。
【完】
※あとがき
これにて本編完結となります。最後までお読みいただきありがとうございました!
ちなみに後日、番外編として、レオナルトとクララの話を追加予定です。今月中には公開したいです。そちらも楽しみにお待ちくだされば幸いです。