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66.裏切者


 追跡魔法。悪びれる様子もなく、カイルはそう口にした。

 その笑顔はまるで貼り付いた仮面のようにも見える。

 微笑みを絶やすことなく、彼は滔々と言葉を紡いだ。


「――少し、昔話をしましょうか。あれは、私が物心ついたばかりのお話です」


 カトレイヤ侯爵家の婚外子として産まれたカイルの人生は、想像を絶するものだった。

 カトレイヤ侯爵はたまたま町で会った女性に一目惚れをして、一夜の過ちを犯してしまう。そうして生まれたのが、カイルだ。

 カイルの母親はカイルを産んですぐに病に罹ってこの世を去った。それを知った侯爵は、カイルを庶子として引き取ることにした。婚姻してから夫人との間になかなか子供を授かれなかったことも関係しているのだけれど。


 そんなカイルの存在を疎ましく思ったのが、侯爵夫人だった。

 いくら認知したからと言っても、私生児を後継者にするなど家門の恥だと、侯爵を詰ったが侯爵は取り合うことはなかった。その憎しみの矛先はカイルにまで及んだ。

 カイルが言葉を喋り立って歩けるようになると、後継者教育を名目に上げて、散々カイルをいたぶったのだ。


「物心がついたときには、夫人からの暴言は当たり前でした」


 夫人と口にする態度は、まるで他人のことを語っているかのようでもあった。


「でも私にとっての地獄は、それだけではないのです」


 カイルは魔法に才があった、それを侯爵は褒め称えて、夫人は貶した。

 

 カイルが七歳の頃、侯爵夫婦にやっと第一子が産まれた。産まれたのは女児だったが、侯爵夫妻はたいそう喜んだ。夫人はカイルの存在を忘れたかのように子育てに没頭した。本来貴族の子供は乳母が育てるものなのだが、夫人は自分の手で子供を育てていた。

 いつも暴言を吐いていた口からは甘い言葉を、いつも扇子を振り被っていた手で優しく子供をあやす姿は、まだ幼いカイルから見ても異様だった。それでも自分に対する暴言や暴力が無くなり、平穏になったことに安堵を感じていた。

 それも三年後までのことだったのだけれど。


 三年後。侯爵夫妻の間にまた子供が産まれた。今度は男児で、夫人は女児が産まれた時よりもさらに喜んだ。これで家門も安泰だと。

 でもカトレイヤ侯爵はカイルを後継者にしたままにすると宣言した。普通ならいくら認知したからといっても私生児を後継者にするなどありえないのだけれど、カイルは才能に恵まれていたのだ。それを侯爵は惜しんだ。


 三年間大人しかった夫人の癇癪が、カイルに向いたのは言うまでもない。


「えーと、なんて言われましたっけ。おまえは後継者に相応しくない。卑しい庶民の分際でー、とか。侯爵夫人になれるだけの教養を持った貴族なだけあって、暴言のボキャブラリーが少なかったので、いつも同じようなことを言われていたような気がします」


 十二歳になった時、とうとう耐えかねたカイルは、侯爵に直談判をした。


「後継者になりたくないから、代わりに騎士にならせてくれー、と子供ながらにお願いしました」


 カトレイヤ侯爵は難しそうな顔をしたものの、カイルの意思を汲んでくれた。

 後継者になるには剣術の授業も必要だ。でもそれまでのお遊びのような授業ではなく、本格的なものを求めた。早くこの地獄から――貴族の元から逃れるために。


「――っと、ここまでが私の身の上話です。いやあ、私は庶子で、半分平民の血が混じっていますからね。きっとラウラ様も、私のことを心の内で蔑んでいらっしゃるでしょう?」

「……そんなことないわ」


 声が震えたのは、あまりにも悲惨なカイルの過去を聞いてしまったから。

 それを何と思ったのか、カイルが笑みを深めた。


「ラウラ様。私と初めて会った時のこと、憶えていますか? 私は、あなたと話してこう思ったんです。――公爵令嬢なだけあって、とても高慢な方なんだ、と」

「……ッ」

「だって私は家門すら名乗らなかったのに、あなたはそれを咎めることはなかった。だからあなたは自分より身分の低い人には興味がないんだと思ったんです」


 確かに私はあの時、彼が家門を名乗らないことに疑問を持たなかった。だけど自分より身分が低い人に興味がないって思われているなんて――。


「ところで、ラウラ様。どうして私がいま自分の身の上話をしたのか、わかりますか?」


 カイルはやはり変わらない柔らかい笑みを浮かべている。


「いまからあなたたち二人には、消えてもらうからですよ」

「……そんなこと」

「できないと思いますか? いまここにいるのは意識のない団長と、戦闘能力のないラウラ様だけです。――私は、この時をずっと待っていたんですよ」

「どうして……どうして、私たちを殺そうとするの? どうして、騎士団を裏切るようなマネなんか」


 カイルの身の上話はよくわかった。庶子として辛い日々を送ってきたのも。

 だけどどうしてもわからないのが、騎士団を――ゼブル様を裏切ったことだ。


「どうして、ですか? それは私が、貴族を――スカーニャ帝国の貴族のことが、嫌いだから、ですかね」

「どうして」

「貴族って自分勝手に人の人生をめちゃくちゃにするんですよ。だからどうせなら国ごと滅びてしまえって、いつからか思うようになったのです」

「意味がわからないわ」

「ええ、公爵令嬢として何不自由なく育てられてきたあなたには何もわからないでしょうね。それは当然のことです」


 いまだに微笑むカイルの笑み。仮面のようにも見えるその変わらない笑みが、不気味に思える。


「さて。お喋りはこのぐらいにしましょうか」

「……もうひとつ聞かせてくれる?」

「どうぞ」

「あなたは隣国と手を組んでいるの?」


 内通者が騎士団にいるのはほぼ確定している。でも、正直一番怪しいのは目の前にいるカイルだ。彼ならゼブル様の傍で、一番情報を得られる立場にあるから。


「隣国と手を組んでいるのは私です。騎士団に入隊する前から、ちょっとした繋がりがありまして」

「その繋がりって、カトレイヤ侯爵も関わっているのかしら?」

「……いいえ、私の独断です。もちろん妹は――エルミラは何も知りませんよ」

「そう。……じゃあ、夜会の帰りの襲撃や、狩猟祭でのことも、もしかしてあなたが」

「そうですよ。全部、私の企てです」


 ああ、もしかして彼はカトレイヤ侯爵を陥れるために――。


「さて、もういいでしょうか。そろそろローレンスに戻らなければ朝になってしまいます。さすがにそれだと私が怪しまれてしまうので、はやく終わらせますね」


 カイルが近づいてくる。

 だけどそれよりも早く、周囲の温度がさらに下がり、氷が地面を奔った。


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