64.みちしるべ
コーディに案内されたところに着くと、私たちはその周辺の調査を始めた。
ゼブル様が数人の騎士と偵察に向かったのは約十日前。偵察を終えてローレンス領に戻る途中に奇襲を受けたとコーディは言っていた。
それはいまからもう一週間近く前のこと。
真夜中の森を闇雲に逃げたコーディは、森の中で迷ってしまったらしい。だから報告をするのが遅れてしまったそうだ。
「木の幹に剣の切れ痕は残っていますが、地面は雪に覆われていて足跡はないですね。まだ気温が低くなると雪がパラつきますから、それで覆われてしまったのでしょう」
カイルの言葉通り、ここで争った明確な痕跡があるわけではなかった。一昨日は雨も降ったから、それで流されてしまった可能性もある。
でも、なにかあるはずだ。服の切れ端や、武器の残骸でもいい。血は流されても、それらは残っているかもしれない。
暗闇で灯りも使えない中、視界の端に青い何かが映り込んだ。【青蘭騎士団】の騎士服に似た色のそれに近づいて、思わず手に取る。
「これは――!」
青いリボンだった。見覚えのある刺繍も施されている。
「やっぱり、ここにゼブル様がいたんだ」
奇襲を受けてもう一週間は経っている。もう近くにはいないかもしれない。
でも、彼が確かにここにいたという証拠を見つけて、私の胸が高鳴った。
悲鳴のような声が聞こえたのは、その時だった。
「お嬢様!」
アリシアの声に振り返るのと、矢が頬を掠めて行くのが同時だった。
「伏せてください!」
私が伏せると、再び飛んできた矢をアリシアが剣で斬り捨てる。
間一髪だった。少しでも軌道がずれていたら危なかった。
「奇襲です。もしかしたらこの場所、見張られていたのかもしれません」
「でも、近くに人の気配はなかったって」
「そうですが……少し、気になることが……」
「アリシア! 気をつけろ!」
エリックの言葉に続いて、また矢が飛んできた。
矢を切り捨てたカイルが近づいてくる。
「暗闇で敵の居場所がよくわかりませんね。ここで一発大きな魔法でもズドーンと放てたらいいのですが、あいにく私は攻撃魔法が苦手でして。エリックは火の魔法しか使えませんから、森の中では危険ですし」
アリシアは確か魔法は使えないと言っていた。
私も回復魔法以外は使えないし。コーディは……。あれ?
「ねえ、コーディはどこ?」
「え?」
カイルが周囲を見渡して、呆然とした顔になる。
「いま、せんね」
「さっきまでそこにいたはずだぜ」
エリックも周囲に視線を彷徨わせるが、誰もコーディの姿を見つけることはできなかった。暗闇に紛れてしまったのだろうか。
どうして――。
また嫌な予感がした。
「敵にやられたのかもしれません。もしくは……」
カイルが言いにくそうに言葉を続ける。
「敵と内通していた、とか」
チッとエリックが舌打ちをする。
「あの野郎、ふざけやがって」
「エリック、落ち着け。コーディの件は後回しだ。いまはお嬢様を守ることに集中するんだ」
「わかってるよ」
矢はまだ降り注いでいる。カイルが防御魔法を展開してくれているおかげでどうにか防ぐことができているけれど、それでも長くは持たないだろう。
相手の矢が尽きるのが先か、カイルの魔力が尽きるのが先か。
どちらにしても、敵に囲まれている中、防戦一方なのは不利だ。
「やっぱ俺がやるしかねぇか。いいですか、副団長?」
「……いいでしょう。――では、ラウラ様。これからエリックの攻撃魔法の後に防御を解きますので、傷を負ったら回復をお願いしますね」
「ええ、任せて!」
魔力を込めたのか、エリックが握っている剣が赤く、赤く染まっていく。
剣を振り被った瞬間、防御魔法が解けた。矢が私たちに降り注ぐ。
でもその前にエリックは剣を振り下ろしていた。剣の先から火が周囲を取り囲む。
火に驚いたのか、それとも攻撃が当たったのか、矢の雨が止んだ。
「山火事になったら大変ですが、いまは逃げるのが先です」
火の粉が、他の木々に移っていく。これは、消火が大変そうね。
◆
隠遁魔法では姿そのものを完璧に隠すことはできないけれど、人の認識を少し歪めることができる。でもきちんと見える人が見たら、その魔法を解くのは容易い。それを私は過ぎ去りし未来でも経験していた。
今回はその死角を突かれたのかもしれない。
もしくは――仲間の中に、内通者がいたのか。
姿の見えなくなったコーディのことが気がかりだ。
――でも、よくよく考えると奇襲に遭ったぐらいでゼブル様が敵にそう簡単にやられるとは思えないのよね。
ゼブル様と一緒に向かった偵察隊の騎士たちの中に、もしも裏切者がいたとしたら……。
過ぎ去りし未来のランデンス大公の死について、囁かれていた噂があった。その不名誉な噂を思い出して、私は戦慄する。
もしその不名誉な噂が、真実だとしたら――?
『背中を預ける仲間に刺された』
それならあの戦闘狂と恐れられたゼブル様が、未来で戦死した理由もわかる気がする。ゼブル様は騎士団のメンバーを信頼しているようだから。
「嫌な、考えね」
独りだから、そんなことを考えてしまうのかもしれない。
奇襲を受けた場所から逃げる際、私たちは今度は数人の敵兵と鉢合わせた。それにエリックとアリシアが応戦して、カイルの魔法に守ってもらったおかげで、私はその襲撃から逃げることができた。
けれど、みんなと逸れてしまった。
「ラウラ様はここから離れてください。いまから施す隠遁魔法は補助的なもので、一時間もしない内に効果が切れるでしょう。ですからなるべく早くここから離れて、町まで戻るようにお願いします」
私に魔法を施して町の方角を教えてくれたカイルは、アリシアたちの援護に戻った。私はいま、ひとり町に向かって歩いている。
結局ゼブル様を見つけることはできなかった。彼はどこに行ってしまったのだろうか。
唯一の手掛かりと言えるリボンを見つめる。狩猟大会の時からずっとこれを持っていてくれた気持ちが嬉しいけれど、それよりも彼がいない絶望の方が強い。
このままあきらめて帰りたくない。
その思いが届いたのか、それともたまたまか、リボンが微かに震えた。
「――風?」
周囲の木々がざわつくかのように震えている。
この感覚には覚えがあった。
ランデンス城の庭の隅にある雑木林。隠された温室に、初めて足を踏み入れた、あの時と同じような感覚だ。